第七話 慟 哭・・・・・親父の病気
月曜日の今日、俺はいったん支社に出勤し、其れから営業所に戻って来る予定で、純姉さんに頼んで西山病院へ親父を送ってもらう事になっている。
とは言え、姉さんも今まで一度も病院へ送っていったことはなく、今まで親父は自転車で一人で通院していたのに今回は親父が最初から純姉さんに頼んでいた。
診察が終わる頃には営業所に戻れるから、病院から俺の携帯に連絡してくれるように頼んで俺は支社に出かけたが、純姉さんが迎えに行った時に親父の様子が大変だった事を俺は知らなかった。
「おじいさん、おはよう。純が迎えに来たよ、準備出来てるの。行くよ~」
「ウゥッウゥッウゥッ苦しい、純。ダメだ、息が出来ないんだ。浩史は出かけたんだろ。彼奴に心配掛けたくなかったから我慢してたんだけど、ダメだ背中と胸が痛くて息がしづらいんだ」
「おじいさん何で今まで我慢しての、別に浩史に話しても良かったんじゃないの。取り敢えず早く車に乗って、西山さんに連れていくから。診察券や財布、それに簡単な着替えもいるかもしれなかいら、おじいさんは先に乗っててくれる」
親父は純姉さんの車で西山病院に連れていかれ、診察後、点滴注射で痛み止めを打たれて落ち着いたそうだ。
純姉さんは隆義兄さんの会社の都合も有って、看護師さんに俺の携帯電話の番号を教えて一旦会社に戻って行ったのだ。
丁度支社から営業所に戻り、伝達事項を所長や現場監督に話している時に西山病院から電話が有った。
「もしもし、西山病院の梶谷と申します。関矢浩介さんの御家族様でいらっしゃいますでしょうか、本日診察を受けられました浩介様の事で担当医がお話があると云う事で、本日お時間が取れましたら当院の方へ来て欲しいのですが」
「もしもし、関矢です。梶谷って美咲ちゃんなの、親父の事って、親父どうしたの?何かあったの?担当医の先生が話があるって親父どこか悪いの?」
「はい、美咲です。浩史さんだったんだ、あのお父様の事で担当医がどうしても話をしなければならないとの事で、診察内容については私たちからは何も言えないので。それで、時間取れます?分かりました午後ですね。点滴注射が終わるのが午後二時過ぎだそうですからその頃に調整してきて頂ければと思います」
俺は直ぐに秀樹兄さんと純姉さんに連絡をして、取り敢えず俺が担当医から診察内容を聞いておくけど、今夜家に来て欲しいと頼んだ。
この時、すごく嫌な感じがして、なぜか涙が溢れてきて立っているのがやっとだった。
あの時、お袋の時に俺も一緒に居たかった、それを仕事の都合にして会社に戻ってしまった!いや、あの時はその場に俺は居ずらかったのだ。
結果、お袋の死に目に会えなかった悔しさを思い出してしまった。
「浩史ちゃん、もう遅いんだから今夜は家に泊まっていきな、明日の朝に東京へ戻れば良いんじゃないの、ねぇお父さん、秀樹も今夜は一緒に家に戻れば」
「うん、そうしたいんだけれど、どうしても朝一にしなければならない仕事があるから一旦帰るよ。お袋も元気そうだから、きっとまた元気に戻れるから」
この時に、お袋が痛み止めで痛みを感じないようにされていた事も俺は知らなかった。
朝、純姉さんからお袋の様態が急変したから早く来なさいって連絡が入り、高速道路を飛ばして病院に駆け付けたけれど、もうお袋は天国に旅立って行ってしまった。
俺はお袋の優しい顔を見て、お袋が息を引き取るまで迄痛い痛いと言っていた事、先生が最後に痛みを取る注射を打ったら皆の手を握って旅立っていったと聞いて、俺は、ただ涙が止まらないままお袋の冷たくなっていた手を離せずにいた。
もうあんな思いはしたくない、お袋の時も親父にもまだ何の恩返しをしていない。此れから親父と共に生きていくんだとの思いでこっちに帰って来たんだ、だからオヤジには頑張ってほしいと思っていた。
午後二時半に西山病院に行くと、親父は点滴が終わりベッドから起きて待っていてくれた。
「なんだ浩史、遅かったんじゃねえのか。どうした怖い顔をして、大丈夫だホレ、ピンピンしてるから心配すんな」
其処に担当医の石田先生が来て、親父と俺に病名について説明があった。
「関矢さん、今日は点滴注射お疲れさまでした、どうです、朝の痛みは取れましたか。」
「おぅ、もう痛みはねえよ、先生もう大丈夫なんだろう、帰れんだろう、家に帰っても大丈夫なんだよな」
「ちょっと親父、朝の痛みってなんだよ、俺が家を出る時に痛がっていなかったんじゃないか、ちょっと話がおかしいんだけど。先生、一体どういうことなのか、説明して頂けませんか」
「息子さんもいらっしゃいますから、今日の朝の痛みについてと病名について説明させて頂きます。実は私の専門外でもあるんですが、浩介さんには「肺がん」の疑いがあります。CTを取ったのですが腫瘍が数個見つかっています。この病院ではこれ以上の診療が出来ないので、紹介状を書きますから、西海村にある独立病院機構の西海病院に行って頂き、其処でもっと詳しく検査して頂き判断を仰いでもらいたいと考えています。西海病院では呼吸器科の専門医がおりますので今後についての説明や治療方針について説明が頂けると思います。私の方から云えるのは此処迄です。お大事にしてください」
「先生、肺がんってどこまで進んでいるんですか、土曜日にも背中や胸が痛いって、其れも肺がんから来てると云う事なんでしょうか。親父が我慢していたって事なんですか?教えてください」
「先ほど申したように当院での専門外でして、御紹介した病院でまずしっかりと検査して頂き治療方針を決めて頂くことが大事だと思います。其れから多分説明があるとは思いますが、インフォードコンセント、つまり、ドクターと患者さんとの十分な情報を得た上での治療方針が決められ、この治療方針が良いのかは患者さん本人が決められますから、其れにほかの医師に相談をしても良い事になっています。まずは今の状況を考えて検査を受けてください」
親父と俺は紹介状を手に取りながら先生の話を聞いて、病院を後にして家に戻ってきた。
夕方になって純姉さんたち家族がやってきて、そして夕食が終わったころに秀樹兄さんがやってきた。
純姉さんが今朝の事を話しだし、そして病院でもかなり痛がっていた事を俺と兄さんに話してくれた。
俺は病院から頂いた紹介状を秀樹兄さんに渡し、病院での医師から受けた説明を話し、今後について三人で話し合った。
明日は秀樹兄さんが親父を病院に連れていく事が決まり、もし入院が決まれば純姉さんが必要なものを揃えておいてくれると云うので俺が病院に持っていく事になった。
お袋の時には俺がいなかった訳で、お袋が入院した時には純姉さんと裕子義姉さんたちが交代で行っていた事をここで知った。
西海村は、日本の原子力機関が集まっていると云っても過言ではないほど、多くの企業の原子力研究施設が集まっている。
日本で最初の原子力発電の研究が始まった場所であり今でも先進の開発を行っているのに対して、そして日本で最初の最悪な民間企業での臨界事故起こした地域でもある。
病院自体は元々は結核療養所があった所で、今では胸部専門病院として呼吸器、循環器を得意とし、県外からも患者さんが来院するほど名前が知られている病院であることが分かった。
翌日、秀樹兄さんの車で西海病院に向かった親父だが、御昼過ぎに兄さんからメールが来た、やはり診察結果の内容は最悪だった。
病名:肺がん、転移箇所:三か所、手術:不可、生存余命:三カ月程度、治療方針:薬投与にて痛みを軽減させる予定
えっ、此れって親父の寿命が残り三カ月しかないってこと??何で・・・・転移箇所:三か所って其れじゃずいぶん前から痛かったって事なの、なんで?なんで?我慢していたのか。
これじゃお袋の時と同じじゃないか、お袋も子宮がんをずっと我慢していて、手術で子宮を取った時にはもう砂をまき散らしたかのように小さなガンが周りに出来ていて、余命一年を宣告されて、そして・・・そして旅立って行ってしまった。
何で親父は今まで言わなかったんだよ。
兄さんや姉さん達にさえ言わないでいたなんてどうしてなんだ。
俺はメールを何度も読み返しては涙が止まらなかった。
親父は秀樹兄さんと一緒に帰って来る事は出来なかった。
今日行った検査疲れもあるが、明日からもっと詳細な検査が続き、そして今後の治療方針を決めるまではベッドで体力の回復を促していくと云うのだ。
兄姉弟家族全員が集まって今後について話し合ったが、まだ治療方針が出ていないので日々の着替えを俺が届ける事に決めて今夜は散会した。
親父のために昨夜用意した着替えを自動車に詰め込み営業所に出社した俺に、梶ちゃんからメールの連絡が入っていた。
梶ちゃんは美咲ちゃんから親父の様子を聞いたのだと思うが、俺にはどのように返事してよいのか分からなかった。
仕事が終わってから那珂川市を抜け西海村へと車を走らせ、親父の居る四人部屋に行くと親父は痛みが和らいでいるのか、テレビを見ながら起きていた。
既に食事は終わっているとの事で、様子を聞きに来た看護師さんからも「だいぶ落ち着いていますよ、今日は朝から食欲も有りましたし血圧なども平常値でしたから、それに検査も大変でしたのに愚痴も言いませんでしたのでこちらも安心しています」と云う言葉を頂いた。
確かに腕には点滴の針が刺さっていて点滴台の上には大きな透明な袋が二つ、小さな袋が一つ掛かっていて、時を刻むかのようにポツンポツンと落ちては親父の腕の中へと入っていく。
「どう、親父気分は?検査大変だったの?ずいぶん前から痛かったのかい、何で今まで言わなかったの、俺、お袋の時に何にも出来なかったから、もう嫌だからな、そんなの!」
「浩史悪かったな、実は二~三年前から少し痛みと咳が出ていて止まらなかったんだが、秀樹や純に心配かけさせたくなかったし、浩史も海外から帰って来て昇進したばっかりだったろう。だからさぁお前たちに言えなかったんだ。悪かったなぁ浩史、こっちに戻ったばかりでこんな事になっちまってなぁ、本当に悪い。だけんど俺は大丈夫だ、検査が終わったら家に帰れっから心配すんな」
「そんなこと言ったって、まだ先生は何にも云っていないだろう。俺は毎日だってここに来れるからもう気兼ねするのは止めてくれ。お願いだからな。其れと洗濯物と新しいテレビカード此処に置いておくから、あと何か足りない物とか必要なものあったら言ってくれ、揃えるから」
親父は笑いながら俺の手を取って、お袋のことを話し出した。
「本当にお前は子供ん時のまんまだ。会社の部長さんから何度も手紙を貰って、お前の頑張っていることを知らせてもらってはおばあさんと一緒に喜んでいたけどなぁ。お前の優しい気持ちは昔のまんまだ、だからそんなに心配すんな。やっとお前が帰って来たのに泣かしたらおばあさんに怒られっから、おばあさんだってまだ迎えには来ねえよ」
「何、言ってんだよ親父、ぅんっ、部長から手紙って・・・何言ってんの?俺知らないけど、其れっていつの話。親父は黒沢部長って言うか今は社長だけど知ってんの?」
「あっ、いや!そのなんだ、お前が入社した時に多分社員一人ずつに手紙を書いて出したやつだと思うぞ。わざわざ部長さんから浩史のために毎回手紙なんか来るか。其れから梶谷さんの事だけど、彼女が困っているようだったら必ず助けてやれよ、あんな良い娘を守れねえようならお前は男じゃねえぞ。いいか!」
「あぁ、分かってるよ、梶ちゃんの事はちゃんと守ってやるよ。其れだけは大丈夫だから、いろいろあって俺を頼ってきたんだと思うからね。其れにどうせ俺はチキンだから手は出さないよ」
「馬鹿野郎、そんな事と言ってんじゃんねぇ、三十三歳の女性が一人でお腹大きくして、誰にも頼らずに産もうなんて考えを持ってんだから、その覚悟を知っているなら誰かが応援してやんねえと良かねえだろう」
俺は親父から梶ちゃんのために頑張れとの小言を言われ、本当に親父は病人なのかと思いながら自宅へと戻ったら家に純姉さんと梶ちゃんが待っていた。
梶ちゃんの少しふっくらとした顔を見たら親父に言われたひと言々が頭の中のでグルグルと回り、思わず笑みが零れてしまった。
「あら浩史、なに梶ちゃんの顔を見て笑ってんの、おじいさんに何か言われた?どうだったのおじいさん、少し元気になっていたの」
「ほんとですよね、純さん私の顔に何かついています?メール送っても何の返事もないから純さんに連絡して来ちゃったんだから。迷惑だったかな?日曜日あんなに元気だったのにね」
「梶ちゃん、ありがとうね、親父なら少し元気が出ているようだったけど、二~三年前から痛みは出てて、子供たちに心配掛けたくなかったから黙っていたって、ずいぶん前から痛かったみたいだよ。先生と看護師さんの話ではこれから毎日検査して、どれが一番合ってる治療法なのかを決めるまでは入院が必要だそうだよ。本人は帰りたがってしょうがないけど、此ればっかりは先生の指示に従うしかないよね。早ければ木曜日か金曜日辺りに秀樹兄さんに連絡するってさ。其れから親父が梶ちゃんに、息子がお世話になりますって言ってたから((笑))何かあったら俺も梶ちゃんに頼らせて頂きますので宜しくお願いしますね」
「あらっ、其れって少し違うような気もするけど、ウフフフそれじゃお互いに助けあいましょうね、こんな関矢君初めて見た、面白いね((笑))」
梶ちゃんと純姉さんが一緒に帰った後、俺はお袋の位牌に親父の事を報告し「親父を守ってくれ、まだ迎えに来るのは早いから、頼む」って願った。だけど、この願いは天国にいるお袋に届かなかった。
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