前日譚:ミルキーウェイと徒花の願い

万感の、願いを胸に。

星空の下で

「綺麗だね、星」

繰り返された冬よりも約半年前。七月七日、二人はテトラの家の屋根の上に座っていた。

彼の家の屋根はこうして座れるように一部が平らに作られている。屋根裏からも簡単に出てこられる仕様だ。

テトラは眼下で未だ行われている夏祭りに視線を落とす。もうすぐ日付を変えそうな時間だというのに、元気なものだ。

二人は昼間夏祭りで着ていたラフな格好のまま、普段の長衣やケープは身に付けていなかった。珍しく解かれたままのテルミナの髪が生ぬるい風でふわふわとなびく。

「……そうだな」

返事にしては絶妙に遅いタイミングでテルミナが返す。こんな少々不器用なところもひっくるめてテトラはこの数少ない友人のことが大好きだった。幼い頃からの長い付き合いの、ただ一人の気の置けない友人。こうして妙な間が空きながらもただの呟きにすら返事をしてくれるテルミナの律儀さは、多少堅苦しながらもどこか安心する。自分を置いてどこかに行ってしまわないような、そんな感じがした。

こいつの親は旅人だった。それでも「こいつがいつか俺を置いて旅に出てしまわないのか」と少しも思わないのはきっとこの律儀さのおかげだろう。

「お前は、願い事を紙に書いたりはしないのか?」

何でも見抜いてしまうような鋭い金の瞳をこれまた珍しく細めながらテルミナが問う。

「お前は子どもっぽいだろう。あの子たちに混ざって書いてこなくていいのか?」

「あのさ、そういうこと言う?」

やっぱり嘘、こいつ腹立つ。

ぐに、と柔らかいテルミナの頬を両手で掴んで引き伸ばしてやる。「ひゃえろ」と抵抗する、同じように引き伸ばされただらしない声が返ってきた。やめろ、とでも言っているのだろう。

「まぁ、俺だってもう大人なわけですし」

ぷい、とそっぽを向いてみせる。背けた顔の後ろで、テルミナの苦笑が聞こえた。

「私もお前も、まだ子どもだ」

「……それもそうだな」

けらけらけら。乾いた笑い声が屋根の上に響く。

「じゃ子どもなテルミナさん、一緒に短冊書きましょうか」

笑いながらテトラが言う。よいしょ、と立ち上がってテルミナに向かって手を差し出す。その手をテルミナが掴んで引っ張る。

まさか本当に掴まれると思っていなかったテトラが倒れ、そのまま屋根の上で揉み合いになった。

「……貴様」

「ひぃ……落ちるかと思った」

「手を差し出すならきちんと支えられるくらいの力は込めておけ!」

ごもっともなテルミナの説教にテトラは目を泳がせる。聞いてるのか、というテルミナの声にとりあえず首を縦に振っておく。

「まったく。書くなら行くぞ、下」

さっさと屋根裏部屋に引っ込んでしまったテルミナを追いかけて、テトラも慌てて家の中へと降りていった。


テトラの家から歩いて十分程度。広場では子どもたちが台に置いてある短冊を取って好き勝手に願い事を書いていた。

「……バイキング方式なんだね」

「……それは少し違う気もするが」

こんなに夜遅くまで子どもたちが起きているのは珍しい。もしかしたら今日だけは特別、というやつかもしれない。

「ほらテルミナ、まだ結構残ってる」

台の上の短冊を取ったテトラが笑ってみせる。

このテルミナ唯一の友人はやたらと子どもっぽい。毎年行事には欠かさず参加し、子どもたちよりも子どもっぽくはしゃいでみせる。年甲斐がないと言ってしまえばそれまでだが、テルミナはそんな彼のことを割と気に入っていた。今にも遠くまで走っていきそうに危なっかしい彼。しかし遠くまで行ってしまったとしても必ず自分を待ってくれるような、そんな安心感があった。今もこうして自分が不器用に返答を考えあぐねてる間、何を言うでもなく待っていてくれている。なんとも律儀な男だ。

「……お前は自分の歳を理解しているのか」

「してるよ!ひどいなぁ」

これまた年甲斐もなく頬を膨らませてみせるテトラ。ふてくされながらもはい、と右手に持った短冊を差し出してくる。ついでにこの場で書けるように木炭も手渡してくれるところから、やはり彼は優しくて律儀だとテルミナは感じた。


緑。薄暗い、どこか濁ったように見える緑。目の前のこいつがいつも好んで着る色。

テトラは自分の手に残った短冊を見下ろした。もう一本の木炭を握り、その場で願い事を書き始める。ちらりと隣を見るとテルミナもすでに書き始めているように見えた。

ここで「お前も結局子どもじゃないか」などと言ったらまた怒られるのは目に見えている。テトラはさっさと書き終えた自分の短冊を吊り下げようと、巨大な笹へと向かった。


青。深くて、少し黒味を帯びた海のような青。目の前の、この男の好きな色。

テルミナは手渡された短冊をしばし見つめた。逆だったかもしれない。テトラの手に残った緑の短冊を見て、テルミナはそう思った。

木炭を握り、願い事を書き始めようとする。そこで、ぴたりとテルミナの手が止まった。

……何を、願おう。

元々このようなものを書くつもりはなかったのだ。全く思いつかない。

「……どうしたものか」

いつの間にか書き上げて短冊を吊るしに行っていたテトラに言う。まだ書き終わってなかったのかよ、と呆れた声が降ってきたがテルミナは無視した。

「特に願うことが思いつかない」

「別にこんなのなんでもいいだろ。パンケーキ食べたい、とか仕事増えろ、とか」

「……パンケーキは毎朝食べてるし、仕事はあまり増えて欲しくない」

「うるせぇ。とりあえずそういう些細なことでも書いとけばいいんだよ。そんな大それたこと書いたって叶わないと思うし」

別に叶うことを期待しているわけではないが。そう反論しようかとも思ったが、なんとなくそれを躊躇う。たしかにまぁ、適当なことでも書いておけばいいだろう。

テトラから隠すようにして素早く文字を連ねると、テルミナは笹の方へと短冊を吊るしに向かった。

「なぁ、何書いたんだ?願い事」

「『特に何も起こりませんように』だ」

「案外つまらないんだね」

うるさい、と今度はテルミナがテトラの頬を掴んで伸ばす。

「つまらないとは何事だ。冬には仕事も増えるし、何も起こらないでいてくれないと困る」

主に納期が。

至極真面目な顔で言われ、テトラは思わず吹き出した。

「ま、まぁそうだよな、仕事は大事だし」

まだ若干睨まれつつもテトラが茶化す。しかし「じゃあお前は何を書いたのだ」と問われ思わず閉口すた。

「……まぁ俺も大したことは書いてないけど」

「吐け」

笑ったことをよほど根に持っているのだろうか。

「はぁ。『来年もまた願い事を書けますように』だよ」

「何だそれは」

よくわからない願い事にテルミナが困惑する。

「いや、あんまりいいこと思いつかなかったからさ。来年もまたこうやって書ける日が来ればさ、その時には思いついてるかもしれないし」

つまりは先延ばしか、とテルミナが呆れたように言う。名案だと思ったのにな。


「もうそろそろ帰るかな」

日付も超えただろう夜、テトラが呟く。そうだな、とテルミナも同意を示す。

いくら仲良しとはいえ二人の家はあまり近いとはいえない。通り数本分は離れている。

私はこっちで、とテルミナがテトラの家とは別の通りへと足を向ける。

「テルミナ」

何だ、と不審げな顔をして振り向くテルミナに笑ってみせる。

「叶うといいな、願い事」

「……お前こそ」

ろくに願い事をしていないのだからな、と笑われテトラがまた膨れっ面に戻る。

笑いながらテルミナがひらひらと手を振る。そのままくるりと背を向ける。テトラのひょろっちい友人の姿は通りの向こうの影に隠れて消えてしまった。


「……綺麗だね、星」

今度は誰に言うでもなく呟く。灯りも少ない夜、頭上には綺麗な天の川が広がっていた。

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