後編・事象の地平面内で

少女の言った言葉はテルミナの予想通りだった。最初こそ怪我をしただけだと思った。でもそれじゃあこの少女がなんでこんなに震えてるのか説明がつかない。じゃあ、テトラは……。そう考えた途端にテルミナは彼女の口を塞いでやりたいほどだった。

だが言葉を聞かずとも事実は変わらない。彼女がテルミナに友人の死を伝えても伝えなくても、テトラはすでに死んでいるのだ。

「そう、か」

すっかり乾いたテルミナの口はそれだけの言葉を紡ぐのが精一杯だった。

それからどうしたのかはあまり記憶にない。何とか理由をつけて少女を追い返し、扉に鍵をかけた。机の上の物はそのまま放ったらかし、ベッドの上の帽子やマントを乱雑に投げて毛布を被った。寝るつもりは特になかったが、明日になればまた呑気な顔でテトラが遊びに誘いに来るような気がした。

露店通りには野次馬が湧いていたようだったが、テルミナは友人の死体を見に行く気にはなれなかった。


数時間後、昼下がり。自分の腹が鳴る音でテルミナは我に返った。こんな時でも腹は減るのか。呑気な自分の身体が恨めしい気がした。

身なりを整えることもせずゆらりと外に出る。銀髪はいつも以上に豪快に外向きに跳ね、普段の三つ編み部分も下ろしたまま。マントも帽子も被らずに、白いローブ一枚でテルミナは歩き出した。

特に当てはない。一瞬いつも昼食をとっていた露店へと足が向かったが、テルミナはそのまま踵を返し逆方向に歩いていた。

そういえば、この先は時計塔があるんだっけ。

塔下街の外側を囲むように位置する露店通り。それの逆向きに歩けば街の中心、すなわち時計塔に向かうことになる。

「時計塔は、すべての時間を司る場所」

一人、なんとなく声に出してみる。

「もし今日をやり直せたら、テトラを助けられる……?」

露店通りに行かないように助言をする、店長には申し訳ないが品物を放ってテトラに着いて行く、テトラを自分の家に招いて手伝ってもらう。アイデアと後悔だけはたくさん浮かんできた。

取り敢えず行ってみなければわからない。時の神がそんな私的なことを許すわけはないだろう。それでもテルミナは僅かな可能性に縋りつきたかった。


時計塔は、馬鹿みたいに高い。テルミナは塔の根本から見上げ、改めてそれを感じた。首が痛いほどだ。

固く閉ざされた扉、窪み一つないつるっとした扉はどうやったら開くのか皆目見当もつかない。まさかスライド式、なんてことはないだろう。

取り敢えず扉を押してみる。びくともしない。押してダメなら引いてみろ、扉の隙間に手をかけて引いてみる。やはりびくともしない。まるでここに住まう時の神に拒絶されているかのようだった。

いや、事実拒絶されているのだろう。テルミナの願いは私的なもの。自分のわがままで世界中の時を戻すなんて、到底許されざる行為だと、テルミナ自身も理解はしていた。

でも、それでも、諦めたくない。

すぅ、と息を吸った。冷たい空気が肺を満たす。

「開けろ」

思ったよりも冷たい声が出た。きっと吸った空気のせいなんかではないだろう。

「開けろ、用がある」

足を緩く広げ、大きく構える。わざわざ尊大に言ってみせる。相手が神だろうと遠慮してる暇はない。気圧されたら負けだ。

しばらくの沈黙ののち、扉ががこんと開いた。

塔の中は階段がこれまた馬鹿みたいに架け巡っていた。ただ隣にエレベーターのような装置もある。この複雑な階段を登るのが面倒になったのだろうか、テルミナは僅かに呆れてしまった。

当たり前だが大人しくエレベーターに乗り込み扉を閉めた。エレベーターはゆっくりゆっくりと最上階に向けて登っていった。

心地よい揺れがテルミナを包む。焦っていた気持ちが僅かに落ち着いたように思えた。

数分後、最上階に着いたテルミナはエレベーターの外に出た。ほとんど何もないシンプルな部屋。その中央にやや大きめの玉座がでんと鎮座していた。

テルミナが玉座に歩み寄る。すると玉座が突然話し出した。いや、話し出したと言うのは語弊があるだろう。正確にはテルミナの頭の中に呼びかけた。

一度なら、許そう。

今日の夜、もう一度今日がやってくるだろう。

それだけのことを聞くとテルミナはおもむろに玉座に座った。決して大柄ではないが、小柄というわけでもないテルミナが座ってもまだ余裕がある。何をする、と座面から声が伝わるがテルミナは無視をした。次の『今日』が来るまではここで待っていようと思っていた。


歯車が、一つスライドするように。時間が僅かに狂う。

『今日』が終わり、次の『今日』がやってきた。


帰れ。座面からそんな声が聞こえてきた気がした。

気付くとテルミナは玉座の上ではなく自宅のベッドに横たわっていた。そのままの姿勢で空を見る。どうやら朝のようだ。

どんどんどん、と扉が叩かれる。前の『今日』で聞いた少女が訪ねてきた音を思い出し、思わず背筋が凍りついた。

「おいテルミナー、朝だぞー!」

扉の向こうから聞こえる声がテトラのものだと気付き、ほっと胸を撫で下ろした。よかった、生きてる。

「っ、ごめん、今行く」

大慌てで帽子を被りマントを羽織る。面倒な三つ編みはカフェについてから編むことにして、テルミナは取り敢えず家を飛び出した。


死んだ。

結論から言うと、テトラはまた死んだ。

テルミナはテトラに露店通りに行かないようにやんわりと伝えた。テトラはそれを律儀に守ってくれたようで、彼は通りから離れたところで飛んできた看板に頭を打たれて死んだ。

テルミナはもう一度時計塔へと駆けた。なんとか神を説き伏せ、もう一度だけ繰り返す。


死んだ。

今度はテルミナも露店通りに着いていった。予想通り露店の一つが倒壊し、今度はテルミナを庇って死んだ。

もう一度。


死んだ。

テルミナの家で、彼は理由も分からず死んだ。

もう一度。


もう一度。


もう一度。


途中で神が邪魔をしてきた。個人のわがままでこんなに時間を滅茶苦茶にしてはいけないと止められた。邪魔だった。

その手を振り払って、もう一度。


その手を殺して、もう一度。


救えない。どうしても救えない。テルミナは塔の中に引きこもって解決策を考えた。日付が変わる前に時間を戻すのは忘れずに。


ひたすらに、テトラに顔を合わせることもなく、もう一度。もう一度。もう、一度どころではない。

ただ一つ、確かなことがあった。

やり直せば、どれだけ死んだところで目が覚めた時に彼は生きている。

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