最終話・ありがとう
「何をする気だ……っ!」
槍の回転に呑まれながらテルミナが叫ぶ。駄目だ、今までの日々を無かったことにしてはいけない。それは自身の繰り返す一日のうちで痛いほどに理解していた。
レグレスの前に落ちた棺桶の蓋が開く。いつの間にか光に呑まれたレグレスの姿は消え、光が収まった頃には棺桶の上に一人の人が座っていた。
二日前の夕方。
最期、テルミナと別れたテトラは特にあてもなく歩いていた。いつの間にか街の外、国の外まで来てしまっていた。舗装されていない砂利道をさらに歩き続ける。どうせ今日死ぬんだ、どこまでだって歩いてやろう。
遠くの方に人影を見つけた。自分よりも一回り大きな、旅人。隣には少し大きな旧型の浮遊銀輪が停まっていた。旅人は眠るようにして銀輪にもたれかかっていた。ぴくりとも動かず、空気もテトラの呼吸以外で動かない。旅人はすでに死んでいた。
「……死んでる、なぁ」
死に慣れたテトラからは、そんな無味乾燥な言葉しか出なかった。ただ、そんなテトラからしてもその旅人の姿は何かしら感じるところがあった。
まず初めに、羨ましいと思った。きっとこの人はこの銀輪で行きたいところまで走り、こんな世界の果ての田舎で満足して果てたのだろう。そんな人生もいいな、と思った。テトラにはそう大して残りの人生はなかったが、それでもそんな人生を体験してみたいと思った。
返事のない旅人に一言謝り、テトラはその銀輪にまたがった。少し大きく、ギリギリつま先が地面につく程度だった。浮遊銀輪は静かに前に進んだ。冬の風がテトラの髪を揺らした。ケープを揺らした。ローブの袖を、裾を揺らした。楽しかった。
走って、走って、元の自分の来た街は遥か後方に飛び去り。テトラは銀輪の上で眠るように事切れた。満足だった。
ただ、最期に一つ心残りがあるならば。
レグレスの記憶はずっと昔まで続いている。ずっと旅をしてきた記憶だ。ただ、はっきりとした記憶の中で一番昔のものは何か、と言われるとそれは愛用の銀輪の上で眠りこけていた記憶である。寒すぎる冬の風で目が覚めた。もう少し遅ければ風邪を引いていたかもしれない。
うん、と伸びをしている最中に塔を見つけた。なぜか心惹かれる気がした。自分はあそこに行って、何かをしなければ……あぁ、そうだ。
そこでレグレスは初めて自身の足元に転がる棺桶に気付いた。こいつを生き返らせるんだった。
かくしてレグレスは塔下街へと赴き、そこでテルミナと出会うことになる。
「また、いつか。会えたね」
へにゃりと笑うその仕草も、締まりのない笑顔も間違いなくテルミナの見慣れた彼のものだった。
棺桶に座ったテトラは、その手をひらひらと振ってみせた。
「何だよ、そんな顔して。俺だ、レグレスだ」
レグレスの服を着たテトラがテルミナに笑いかける。
レグレス。どこか遠い国の意味で、「
「馬鹿な俺はね、銀輪に彫ってあったのが自分の名前かと思ったらしくてね」
淡々とテトラが続ける。棺桶がかたん、と軽い音を立てた。
「多分この旅の記憶は旅人さんの記憶。銀輪の記憶。だって俺はいつもお前といて、この街から出たことなんて最期の時しかなかったんだから」
「テトラ……」
未だ信じられない、といった虚ろな目でテトラを見る。ぺたん、とその場に力無く座り込んでしまう。テルミナはどうしたらいいのかわからなかった。
時間は未来に進み、テトラがここにいる。それはテルミナが一番望んだこと。望み、願い。そして時計から、テトラ自身から叶わないと否定されたこと。
「つまりレグレスの……ううん、テトラの目的は自分が生き返ること……?」
「違うよ」
今度は自分が間髪入れずに返され、思わずキョトンとした顔を晒してしまう。
「俺の目的は、一つ心残りがあって……」
テトラが僅かにうつむく。いつの間にか笑みも消えていた。
「ありがとう、テルミナ」
次の日に進んでくれて。
俺のことを助けようとしてくれて。
今まで一緒に過ごしてくれて。
そして、お礼を言わせてくれて。
その一言にはさまざまな感情がごちゃ混ぜにこもっていた。泣き出しそうな顔でテトラが笑う。テルミナもその感情を受け取って静かに泣き出す。テトラの最期のお礼は、確かにテルミナに届いた。
「じゃあ、また、いつか」
くたり、と糸の切れた人形のようにテトラがバランスを崩す。力の抜けたその身体は棺桶の上にだらりと覆い被さるようにして倒れた。
カチ、という音でテルミナは我にかえった。テトラから力が抜けて、どれだけの時間が経ったのだろう。数分?数時間?そんなことはどうでもよかった。
カチ、カチ、と規則正しいいつかと同じ音が響く。針はいつの間にかレグレス、もといテトラの元を離れて時計回りに時を刻んでいた。きちんと未来へ進んでいる。
ぐったりとしたテトラの身体をそっと抱える。既に冷たい。いや、ずっとこの箱の中で眠っていたのだから冷たいのは当たり前か。レグレスはただいつかの
「ありがとう、テトラ」
昨日のように朝日が昇る。そういえばまだ夜明け前だった。
今度こそ本当に、彼のいない『今日』が始まる。
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