第3話・永劫回帰

朝、テルミナが目を覚ますと隣のベッドに潜り込んだはずのレグレスの姿が見当たらなかった。

慌てて庭を見る。相変わらずそこに停めてある銀輪にホッとしたのも束の間、そこに括り付けられていたはずの大きな箱が無くなっていることに気づいた。おそらく棺桶のようなそれは、かなり大きいが彼が背負えるほどの重さであるということは知っていた。昨日も背負っていたからだ。

友人のいない、初めての一日。馬鹿らしくなるほど長く感じると思っていた昨日は、新しくできた知り合いのおかげであまりにも速く過ぎていった。友人である彼には少し申し訳ないが、昨日はかなり充実していた。銀輪も見せてもらったし、この街以外のところの話もたくさん聞けたし。

テルミナはふと顔を上げる。その目にはもはやお馴染みの馬鹿みたいに高い塔が映っていた。

「嫌な予感するなぁ……」

しばらく躊躇うそぶりを見せた後、テルミナは意を決したように塔に向かって走り出した。

どうか、間に合いますように。


「……開かない」

ぐぎぎ、と踏ん張りながらレグレスは塔の扉をこじ開けようとしていた。その背には昨日の夜までは銀輪に括り付けられていた棺桶。テルミナの予想通り、彼は棺桶一つを背負って塔の入り口まで来ていた。

精一杯の力を入れて扉を押していたレグレスは、唐突に拒むことをやめた扉のせいで塔の中に転がることになった。棺桶のせいでそう大して転がることはなかったが、しこたま頭を床に打ちつけてしまった。痛い。

「やっぱり……っ!」

レグレスが顔を上げるとそこには仁王立ちしたテルミナがいた。逆光になっていて表情は読めないが、きっと昨晩のようにその目が輝いているのだろう。

それを見たレグレスが為すべきことはただ一つ。脱兎のごとく走り出してエレベーターに飛び込んだ。すぐさま扉を閉めてテルミナを締め出す。ゆっくりとだが、無事にそれが動き出したことに安堵してレグレスは床に座り込んだ。

どうしてもやらなければいけないことがある。

なぜそうしなければいけないのかはわからないが、それがレグレスの唯一の行動原理だった。それは棺桶の中身を生き返らせること。

棺桶の中に誰がいるのか、その人が生き返ったとしてどうなるのか。そんなことは度重なる旅に次ぐ旅でとっくの昔に忘れていた。そんなことはどうでもよかった。

ただこの中の人は自分にとってとても大切なもので、今時間を巻き戻して生き返らせないといけない、という執念にも似た思いだけがレグレスを動かしていた。


エレベーターに置いて行かれたテルミナは仕方がなく準備体操をすると塔の内部を覆うような縦横無尽に伸びる螺旋階段を駆け出した。時々隣の段に飛び移り、たまに下の段に飛び降りる。どうすれば一番効率的に最上階まで辿り着けるのか知っているかのように、テルミナはいくつもの階段上をあちらへこちらへと登っていった。

それもそのはず、昨日の前に続いていた一年近くの『一昨日』の間、ここはずっと比喩的でも何でもなくこのテルミナという王の城だったのだ。そんなテルミナが迷うはずもなく、この若者はいとも容易くエレベーターよりも先に最上階へと辿り着いた。

床に手をついて荒い息を吐く。久しぶりにこんな全力疾走をした気がする。ただ『一昨日』より前のことは昔すぎてほとんど覚えてないから本当に久しぶりなのかはわからないが。

テルミナは最上階の中央に目を向けた。そこには相変わらず、ほぼ一年間の『一昨日』座り続けた玉座が鎮座していた。


玉座が王冠に変化し、自身の頭に絡みつく。自分はちょうどエレベーターに乗って上がってきた友人と謎の生物、もとい自分自身を見つめている。不思議と何の感情も湧かなかった。もしかしたら既に、自分はこの壊れた時計の一部になってしまっているのかもしれない。

私は、その手に時計の針を持ち、そして。


ちーん、と間抜けなようで重苦しいような音が響く。あの時と同じだ。エレベーターでやってくる人をこうして最上階で待ち受ける。ただあの時と違うことといえば、自身がもうすでに何の力も持ってはいないということ。

エレベーターの扉が開き、彼が顔を出した。


レグレスは開いた扉の先にその若者が立っていることに驚いた。あんな複雑に絡まった階段を登ってきたというのか。

「そこを退いてくれ」

レグレスの闇のように暗いその顔の中で、いつかの誰かのようにその目だけがぼんやりと光る。ただその目はその誰かのような金色ではなく薄い緑色をしていたが。

「断る」

敢えて尊大に、簡潔に言い放つ。テルミナが玉座の前に立つ。これを明け渡してしまえば、せっかく訪れた今日も昨日も、無かったことにされてしまうかもしれない。もしかしたらあれだけ続いた『一昨日』も消されるのか。

そんなことは、許したくなかった。

ここに立つテルミナは不思議なほどの威圧感に満ち溢れていて、まるで王か何かのようで。レグレスはエレベーターから出たその姿勢のまま固まってしまっていた。

「それでも、僕にはやらなければいけないことがあるんだ。退け!」

棺桶を背ではなく自身の前に抱き、レグレスが叫んだ。走る。走って、立つテルミナを押し退ける。マントにしがみつくようにして全力で止めるテルミナを振り払うようにして玉座に飛びつく。玉座は解け、いつかのような王冠へと姿を変えていく。

「やめてよ……」

振り払われたテルミナが力無く言う。その声はレグレスに届くことなく消えた。レグレスがその冠を掴む。引きちぎるように、二つの槍がその手に表れる。長い槍と、短い槍。長針と短針のような一対のその槍はレグレスの手の中で反時計回りに輝いていた。

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