凍らぬアイスにアタリなし
柿尊慈
凍らぬアイスにアタリなし
コンビニの新商品を買うと「高くない? もったいない!」と抜かしやがる男ばかり引いてしまい、つい先ほども、コンビニの店内で男と別れてきた。新商品は、コンビニ近くの公園のベンチに座って、これから食そうというところである。
とはいえ、平日の公園でひとりガッツリとコンビニアイスを食す女というのは、想像してみてもかなりキツイ。やはり帰ってからにしようかと思うものの、もう既に開封してしまったので、私が氷の魔法使いでもない限りは、家に着く頃には変わり果てた姿になってしまうだろう。
せっかくの新商品なのに、いったいどうして、こんな気分悪い状態で食べなければならないのだ。おいしく食べたいものを、いったいどうして、何を食べてもまずくなるようなコンディションで食べなければならないのか。これも全部、あの男のせいだ。
あの男、といったものの、私がこの頃交際しては別れていく男というのは、だいたい似たような感じだった。おそらく、男の出所――つまりは紹介者が、同じ女友達だからだろう。私に釣り合う男を、ということで紹介してくれるものの、これが全く私にマッチしない。気取っているのか素なのかはさておき、色々とがっついてこないのは非常にありがたいことなのだけれど、体で愛し合わない分、会話が自然と多くなり、そうなると、性格の不一致が顕著に現れる。ハズレばかり引かされて――というか、相手からすれば私もハズレだろうし――もしかしたら私は彼女から嫌がらせを受けているのではなかろうか、と考えがよぎった。
そうだ。そもそも彼女も、私の購買行動に対してイチイチ指摘をしてくるケチ女だったのだ。どうして友達なんだ、私たちは。ええい、こうなったら絶交だ。よくも私にクソ男(諸説あり)ばかりを紹介してくれたわね。私のこと嫌いなんでしょう、そうでしょう。
アイスを脇に置いたまま、私はタカタカとスマートフォンでメッセージをつくっていく。アイスのおいしい季節の公園のベンチだから、あっという間にアイスなんか溶けていくだろうなどということは考えもしなかった。しかし、文章が完成して送信ボタンを押してやろうと思ったときにアイスのことがよぎり、スマホをおいてアイスを手に取ろうとした瞬間、声をかけられた。
「――さっきのお姉さん?」
男の声がする。しかし、さっき別れてきた男のものではない。さっきの男は、僕は女性に対して気遣いができるんですよ、という雰囲気を前面に押し出していた声をしていたが、これはもっと、ぶっきらぼうな感じの……。
顔を上げる。
「あ、あなたは……!」
いや、誰だこいつは。
「さっき、たまたま見てしまったんですよ。あなたと、男性のやりとりを」
「はあ、それはまた。お目汚し失礼いたしました」
そんなに怒鳴ったりしたつもりはなかったのだが、聞こえていたのだろうか。いや、さすがに、コンビニで男女が口ゲンカしてたらどこにいても気づくのかもしれないな。
「天晴れでしたよ。僕はこう、なんていうんですかね。ああいう、フェミニスト気取りの、実際は、胸のうちで女性を下に見ているような男性というものを、嫌悪の対象と見なしていまして」
「はあ……」
ボロクソ言われているやん、元カレ。いや、愛着も何もなかったんだけどさ。コンビニで見かけただけで嫌悪の対象とか言われてしまうのがおもしろすぎて。
「呆然としている男を置き去りにして、颯爽とレジにアイスを持っていったときには、感動しましたよ。店員さんも、かなり驚いたでしょうね。こいつ、何食わぬ顔でアイス買ってやがる。まさに、冷たい女だなぁ、って」
「……別にうまくないですよ」
「アイスはうまいですよ?」
そういうことじゃないんだよ、なんだこいつは。
「まあ、そんなわけで。なんだか、取り残された男の人とは対照的に、あなたは、妙に清々しそうな顔をして出ていったものだから、すばらしい女性だなと思って、僕も同じアイスを買って、これから帰るところなんですけど、たまたま見かけたものですから、声をかけたのですが……」
男はきょろきょろと公園を見回す。
「まあ、なかなか声をかけにくい雰囲気だったので、少しためらったんですけどね」
いちいち言うな、わかってるよこっちも。
「よいしょ」
男は隣に座る。
「……何か用ですか?」
嫌そうな顔をつくって、私は男に尋ねる。
「いや、アイスでも食べようかと思って。せっかく買ったし」
ここで食うなよ、帰ってから――。
「そうだ、アイス!」
私は急にアイスのことを思い出し、コンビニのビニール袋につっこまれた、開いたままの袋を取り出す。おそるおそる覗きこみ、アイスの棒を引き出した。
「……おみくじ、かな?」
7月の日差しでアイスはドロドロになり、無残にも、棒だけが私の手に残った。
彼のいうように、まるでおみくじのごとく引き抜かれた棒だったが、アイスの棒はおみくじではないので、当然そこには何も書いてなかった。
「これが、あたりつきアイスだったらよかったんですけどね」
そう、これはあたりつきアイスではない。あたりが出たからといってもう1本あげるなんてことをしたら経営破綻するような、高級志向の、だからこその、コンビニアイスだったのだ。
それが、無残にも、無残にも……。
「あの、お姉さん? あの、そろそろ、戻ってきてもらえると……」
声がする。だがしかし、私は起き上がることができない。平日の真っ昼間の公園に、両手をついて、絶望を全身で表現したフォームから、抜け出すことができなかった。途中、馬跳びか何かと勘違いした子どもが数人、私の悲しみの背中に手をついて軽快に跳んでいったが、そんなことは気にしていられなかった。慌てたママが謝ったとき、「大丈夫ですよ、その人も好きでやってますから」という謎の説明をしたナンパ(?)男にも色々と文句をつけたいところだが、言葉が出てこない。感情のみ渦巻くだけで、それを表現するだけの心の安定は、アイスと共に崩壊してしまったのである。
「ほら、お姉さん。アイスなら、僕も同じの買ってるじゃないですか。あげますよ、半分」
「いらない。貴様のアイスなぞ、半分だとしても、もらう気にはなれぬわ」
「どうしたんですか、口調。わかりました、じゃあ、全部あげますから」
立ち直った。そうか、全部来るのか。それならまあ、許さないこともない。
「元気になって何よりです。さあ、こっちへ」
男は、ベンチに寄りかかったまま、私を手招きする。この人も、まあ、よく私の悲痛のポーズを飽きもせず鑑賞していたものだ。
起き上がって、両手の砂を叩く。膝も叩く。砂が落ちる。薄緑のワンピースは、膝のところが白くなってしまった。
男の隣に座る。ビニール袋を手渡された。それを受け取る。
「いいの、本当に、全部?」
「まあ、僕が声をかけたから溶けてしまった、みたいなところはあるでしょうし」
「……いや、どうだろう」
全部が全部、この男の責任というわけではあるまい。そもそも私は、クソ男を紹介してくれやがった女友達に文句を言おうと思って、だかだかと長文を打っていたのだから、むしろ、あの女のせいだといえないこともない。いや、普通に考えたら結局私のせいなんだけど。
スマホを開く。打ち込みの完了したメッセージ。送信ボタンは押されていない。よかった。
いや、よくない。何をためらっているのだ。私は、彼女を問い詰めなければならないのだ。どうしてあんな男ばかり紹介するのだ、と。わざとなのか、そもそも、ロクな男が知り合いにいないのか。読み返して、まあ、少し言葉遣いがね、お上品ではないような部分も多々見られるから、少し表現を変えたりして――。
「ん? なんですか、これ?」
隣の男が、私のスマホを覗きこんでタップする。
送信完了。
「なにしてくれてんのよ!」
「え? いや、僕は、画面が暗いからタップしたら明るくなると思って――」
送ってしまった。ああ、やってしまった。
いや、別になんともないな? これがこう、本性を隠して猫を被り続けていた男にご送信とかであれば目も当てられない状況であるが、彼女はよくも悪くも――主に、悪い意味で、お互いに気を遣うことがない間柄なのだ。
「何を送っちゃったんです?」
「……暴言?」
「誰に?」
「……派遣会社?」
「お姉さんは、派遣社員なんですか?」
「ウソウソ。彼氏を派遣してくれる女」
「ああ、さっきの男の人を紹介してくれた人ってことか。どんな不平不満を?」
「まともな男を寄越せ、と」
男は少し考え込む。
「……まずは、お姉さんももう少し、丸くなった方がいいような気もしますが」
「あ?」
「そういうとこです」
新卒から働いていた会社があった。給与はかなりもらえて、かつての同級生たちの3倍くらいは稼いでいたが、3倍くらい働かされた。
3倍働くのは、問題なかった。結婚を考えている相手はいないし、子どもを産みたいという思いもない。忙しくしている方が、かえってそういった外からの、ハラスメントじみた圧力を気にしないで済むから、ちょうどよかった。
しかし、どんどんと人が辞めていくと、3倍だった仕事は4倍になった。そこで私も、仕事を辞めた。転職先の目処を立てる前に辞めてしまったが、学生時代にかなり資格を取得したため、切り札はたくさんある。事実、転職アプリに登録してみたら、かなりの数の企業から、声をかけられている。ただ問題は、しばらく仕事のことを考える気になれないことだった。
「せめて男でもつくれば?」
貯蓄は、同い年の友人たちの10倍くらいある。しばらくニート生活を続けていたが、一向に減る気配もない。どれだけ働いていたんだ、私は。
「ほら、お肌だって荒れちゃって……」
たしかに、5年ほど前の学生時代よりも衰えたが、それでもあんたたちのメイク後よりも私のすっぴんの方がぷるぷるだわ、舐めんな。
金は貯まれど、別に旅行とか好きじゃないし、近くで散財することができるのが、コンビニだった。ドラッグストアやスーパーでお得に商品を購入するのではなく、多少高くても、限定の商品を片っぱしから飲み食いすることが、働いてた頃の、お金のある私の贅沢だった。貯蓄もあるから、現在もその生活を続けていて、なのに紹介される男は毎回毎回そこにイチャモンつけてきて、もう、張り倒してやろうかと。
「なるほど」
私の話を聞いていた男は、私がおしゃべりから日光浴にシフトしたのを見て、相槌を打った。
夕方3時。まだまだ、日差しは強い。むしろ強くなってきているような気がする。
膝の上のスマホが光る。通知を開く。
「だろうね(笑)」
(笑)じゃないんだよ、アイスの棒を鼻に突っ込んでやろうか、あの女。
「しかしまあ、会わないとはいえ、どんどんどんどん男が紹介されてやってくるなんて、すごいですね。行列の絶えないラーメン屋のようだ」
誰がラーメン屋か。
「で、10人目の男をさっきぶった斬ってきたというわけ。そろそろ男にうつつを抜かすの止めて、仕事を探せってことかしら」
まあ、うつつを抜かすというほどのことはしてないんだけどね。全然続かないし。
「まあ、いいんじゃないですかね。毎日毎日、あるいは毎週毎週、お買い得の商品を定期的に買ったり、特売の曜日に突撃していくみたいな日々よりも、そういう、お金があるからこそできる贅沢みたいなのを、たとえそれが、メーカーのマーケティングやプロモーションにうまいこと乗せられて購入してたとしても、満喫できるってのも」
褒めてるのか貶してるのかわからないが、まあ、それは本当に、そう思う。
気を取り直してアイスの袋を開ける。棒を掴む。引き抜く。
あたりのない、おみくじ。
「あーあ、また溶けちゃった」
うるさい、お前のせいだぞと、アイスの棒をこの男のどこに刺すか迷った挙句、私はそれをバキリと折った。
結局、多少の暴言くらいじゃビクともしない女友達を持ったので、そのあとも懲りずに男を紹介されたが、面倒になって「もういいわ」と送り、諦めて仕事を探すことにした。
声をかけてきたところで一番収入の高いところは、フリーランスデザイナーのアシスタントのような職で、よほど儲かってるのか、かつての労働時間の半分以下で7割くらいの収入が得られる計算になる。
別に働き尽くしでもよかったのだが、いっそのこと割り切って、しっかりと用意された休日を惰眠を貪って消化したいと思い始めた。寝なくても仕事はできたが、休日を寝て過ごすということはこれまでに経験できなかったのだ。親や友人からの圧に負けず、独身貴族を貫くことになるのではなかろうか。
とはいえ、面談に通らなければニート続行なので、ある程度気合を入れて、事務所にやってきた。メールの住所と現在地を照らし合わせる。ここで合っているはずだ。
インターホンで用件を伝えると、ガチャリという音がした。どうぞの声を最後に、インターホンが切れると、私はドアノブを回す。
玄関で靴を脱ぐ。夏の日差しはカーテンで遮られ、部屋はやや暗い。オフィス机のようなものが見えるが、本が丁寧に積まれていて、誰のための机なのかわからない。
部屋に入ると、雇い主(予定)が見え始めた。
「ん?」
「あれ?」
ふたりして「お前かよ」という顔をした。
私は男を指差す。
「アイス溶かし男!」
「別に僕の力で溶かしたわけじゃないですからね?」
男はイスを示し、着席を促した。私が腰かけると、反対に男は立ち上がり、冷蔵庫の方に向かう。
「まさかこんな夏日に、熱いお茶を出すのもなんですからね。冷えた麦茶とかでもいいですかね? ……ああ、でも」
男は冷蔵庫ではなく、その下の冷凍庫を開けた。
「そこのコンビニの新商品を冷やしてあるんで、こっちにしますか?」
(おわり)
凍らぬアイスにアタリなし 柿尊慈 @kaki_sonji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます