四章 白い記憶と黒い追憶 ―15―

「……でさぁ、松本君」


 先輩がおもむろに口を開き、じろっとこちらに顔を向ける。サングラスの奥からのぞかれているようで落ち着かない。


「呼び出し、あったでしょ」


 ギクリと肩が少し上がる。彼女にはそれが見えていないはずなのに、俺の心のなかを見透かした――聞き透かしたように先輩は長いため息をついた。


「あのね……昇進したかったんなら、ちゃんと仕事は受けなきゃ…」

「はい…」

「ただでさえ古株たちに敵視されてるのに、ちょっとした小言に松本君、すべて食ってかかるんだもん」

「はい……」

「わたしが今までどれだけ頭さげたことか…」

「はぃ………」


 そこは本当に彼女には頭があがらない。


 他人に嫌われることには慣れているし、そんなことは気にはしない。――が、陰口は別だ。


 好き勝手言われれば、元来の我慢できない性格で口より先に手を出してしまう。アルバイトのなかでも確実に問題児認定されているだろう。


「そりゃあ、夜勤でもないわたし達が、真夜中の出動命令受ける筋合いなんてないけどさ……」


 俺の頭がどんどん高度を下げていく。いずれは床についてしまうんじゃないだろうか。


 そんな様子を見てか、先輩は話を切り上げてくれた。


「ま、説教はこのくらいにして……」


 もう最後の一滴なのか ぐっと大瓶を煽る。



「もう駆除しに行かないといけないんだよね。大至急」

「そうですね。着信が来たのが20分くらい前だから、ちょっと急いだほうがいいかもしれませんね」


 依頼といってもゴーストがその場から離れることはめったにない。だから、今行こうが、明日行こうがほとんど支障はない。


 依頼主がすぐに駆除してほしいとか駄々を言っているのだろうというのが、俺の予想だ。


「それがぁ…ちょっと集合場所が遠くてさぁ……君に行くの手伝ってもらおうと思ってね」

「はあ…わかりました。で、どこなんですか。その場所は?」


 彼女は赤ら顔でにやにやして顔を近づけてくる。


「…長崎」

「長崎!?」


 この人は何を言ってるんだ。長崎の県境ぎりぎりでも、ここからの直線距離で優に100キロは超えている。


「下に車停めてるんだけどさ、松本君 運転してくんない?」

「ああもう……」


 俺が驚いているのは、盲目の彼女が運転してきたということではない。


 数年前にはすでに半自動運転が確立しており、緊急時のブレーキ操作ができる人間が乗っていれば、誰でも車で移動することができるようになっている。


 ただそれは“飲酒していない場合に限る”のだ。


 当然だろう。酔っ払っていてはブレーキなんて任せられない。特に俺の目の前にいるテキトーな人間などは。


「何でさきに言ってくれないんですか!?」

「えぇー…だってぇ……美味しいタダのお酒飲みたかったしぃ…」


 いい仕事はシラフじゃできないでしょ?


「松崎先輩っ……」

「おっとっと…」


 乱暴にその襟首を掴み、部屋の外へ引き連れていく。


 長距離の運転はなかなかに面倒くさい。


 ひとえに自動運転と言っても“半”の文字がつく。高速道路などはさすがに生身の人間が運転しなければならない。


 お酒を飲んでいるあたり、彼女は端から俺に運転させるつもりだったのだろう。



 夏の夜明けは早い。あちらに着く頃にはもう、太陽が顔を出しているかもしれない。


 よれよれの先輩を引きずって俺たちはあわただしく車に乗り込んだ。

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