三章 もう一体のゴースト ―9―

「先輩……先輩…っ!」


 何故だ? 何故あいつが存在している?


 あのとき、“俺達”は確かに―――


「……ちょっと、止まってくださいっ」


 わからない。最近はおかしなことばかり続く。


 ゴーストの依頼は多すぎるし、昔の戦友たちは次々に死んでいくし、一体何がどうなってるんだ……。


「先輩って呼んでるじゃないですか!?」


 うるさいうるさい。


「…何だ」

 振り返りもせずに、棘のある言葉を返す。


 我ながらひどい上司だ。だが、こっちだってあのゴーストで頭がいっぱいなんだよ。


「廊下……長くないですか…?」

「……ぁ?」


 浅野のひと言に、やっと顔を上げた松本は辺りを見回す。


 どちらの廊下の先も闇に隠れて何も見えない。


「いつからだ、浅野?」

「えと…さっきからずっと――」

「だからさっきっていつだ?」


 腹立たしげに振り返り、ひっ、と怯えた表情の浅野が目に映る。


 口下手のくせに、人を怖がらせるのだけは得意だ。苛立ちを隠しきれない自分が嫌になる。とりあえず、こういうときはすぐに謝っとこう。


「す、すまない。別に怒ってるわけじゃ――」

「嫌っ……! 近づかないで!!」


 飛びのくようにして距離を開けられる。その目にはあふれるほどの涙が溜まっていた。


 浅野とは、いままでの新人のなかで結構長く続いたタッグだったので、そんなに拒否られるとは正直思っていなかった。


 嫌われることには慣れているが、さすがの自分でもその言葉は心にグサリと刺さる。


「いや、その……」

「こっち来ないでください! 何でそんな危ないもの持ってるんですか!?」


 あ、危ないもの……?


 ぎゃぁぎゃぁと騒ぐ浅野との会話がいまいち噛み合っていない。


「おい、それ…どういう――」

「嫌ーーっ!! 刃物持って近づかないでください。わたし、刃物苦手なんでっ、先端恐怖症なんでっ!!」


 もちろん、俺は刃物なんて持っていない。しかし、現に浅野は俺を見て騒いでいる。


「履歴書に書かなかったのは謝ります! だからっ、それ以上っ、こっち来ないでっ……」

「それを俺に言ってどうする…」


 半泣きの女は苦手だ。


 浅野の対処に困っていると、何かの気配を感じ顔を上げる。



 ヒタ――ヒタ――



 廊下の奥のほうから、濡れたような足音が近づいている。よく目を凝らしてみると、腫れ上がったように丸く、いびつな影がゆっくりとこちら歩いてきているのが見えた。


「嘘だろ……」


 このタイプのゴーストは、半泣きよりも俺は苦手だ。

 それぞれの念がそのゴーストの姿を決めるのだが、特に死んだときの状態と同じような姿で出てこられると、俺はダメだ。


「くそっ……」


 すぐに逃げ出したいところだが、錯乱している浅野を見れば、逃げるのは得策ではない気がした。


 どちらにしろ、この廊下からは抜けられそうにない。


 これは……まずいな…。


「浅野」

「は、はいぃっ……」

「窓、開けろ」

「へ?」

「いいからはやく!」

「り……り、了解しましたっ!」


 光さえあれば、ゴーストも大胆には動けないはずだ。浅野が窓の内扉を開けてくれる間に、俺が先にこのゴーストを何とかしなければ……。


 腰につけたポーチから解念剤を取り出そうと手を伸ばしたとき、後ろから ためらいがちに肩を叩かれた。


「今度は何だっ?」

「先輩……開かないです」

「はあ!?」

「だだだって! 開かないんですよ!! 開かないものは仕方ないでしょう!?」


 あの見た目が最悪なゴーストがこいつには見えてないのか!?


 そんな開く開かないの問答よりも、火事場の馬鹿力でもだしてほしいところなのだが。


「あれ? 先輩、刃物はどうしたんですか!?」


 こんなときに浅野は能天気にも、じろじろと俺のポケットやらポーチやらを確認し始める。


「ちゃんと捨てましたか? 見えないところに隠してるとかじゃないですよね?」

「だから、そんなもの俺には――」

「怖いものは怖いんですよ!?」

 松本は、浅野の言葉にはっとする。


『見えていない』


「っていうか、先輩 なんで私が刃物苦手なこと知ってたんですか?」


『苦手なもの』 『怖いもの』



 ああ…そういうことか……。



 ジッ―――


 そこまで考えついたとき、暗闇から突然 俺の視界が光に包まれた。

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