三章 もう一体のゴースト ―10―
視界を覆うまばゆい閃光。
思わぬことに目がくらむ。まぶたを閉じても、白光が血管を透かして眼球に届く。
「浅野、俺にライト向けるな」
不機嫌 丸出しの先輩の声が聞こえた。でも――。
「眩しいだろ」
「つ、つけてません」
「は?」
「先輩じゃ、ないんですか」
わたしはライトなんかつけていない。
長廊下は、内扉に閉じられた窓の隙間を通って光が差し込み、先ほどの部屋に比べたら結構明るい。
だからわたしのライトは今、ポーチのなかだ。
しかし、どうやら先輩も心当たりがないようで、わたしの返答に困惑している気配がする。
訳がわからない状況に、とりあえず光源を探して手を適当に伸ばしてみるも、何もみつからない。
眩しくて目も開けられず、聴覚を頼りにするしかなかった。
先輩の声が聞こえ、何となくだが どこにいるかはわかる。
それと――遠くから何かの音楽が聴こえた。
音楽……?
何故、音楽だと思ったのだろう。
こちらに近づいてくる音は、音楽と呼ぶには程遠い。
呻くような重低音が身体に直接響く。
だが、どこか聞き覚えのある曲だった。
かなりメロディーは変えられているが……。
確か、この曲は―――
ズキリと脳を叩かれたような痛みが走る。よろけて床に手をついた。
わたしは何かを忘れている。
大切なものだろうか。嫌なことだろうか。それとも、その両方だろうか――。
ともかくそれに、触れてはいけない気がした。
思い出してはだめだ。
思い出したところで、わたしにいいことはひとつもない。思い出したくないのなら、辛くなるのなら……そのままでいい。
必死に頭をおさえて、髪をくしゃくしゃにして忘れようとする。
浅野の荒れ崩れていく心に呼応するように、あの音は段々とはっきり形になっていく。
瞼の向こうの真っ白な視界の中で 光がぐるりと蠢いた。
何かが、いる。
好奇心なのか、耐え切れずに誘われるようにして、薄く瞼を開いてみる。
「ひっ……」
目の前に 影がいた。
闇にそのまま輪郭を与えたような、黒い触手が渦巻いている異形の影。影のはずなのに、輝いていた。
ここから、まばゆい光が溢れている。
黒い影が強烈な白光を放ち、直視できない。すぐに浅野はまぶたを閉じた。しかしそれでも、瞼の奥から光が見える。
時折、ヒトガタのようなものが浮かんでは消えていく。
とっさにライトを向けたが、効果は見られなかった。
「こ、来ないで!」
しかし、影はじりじりと引きずるように近づいてくる。それにつれてヒトガタから放たれる光も増していった。
パニックになり、わめきながら顔を両手で塞ぐ。
「助け――」
「浅野、すまない」
「……っ?」
耳もとで囁かれたその声は松本先輩のもの。
「おまえのシュークリーム……俺が食べたんだ」
「ぇ………はあぁ!?」
時間差で言葉の意味を理解する。
ずっと食べたかった、OLな親友が勧めてくれた“OLの OLによる OLための”スイーツ。
危機に瀕している自分の立場も忘れて怒鳴り散らした。
「なっ何で食べちゃうんですか!? 先輩、甘いもの好きじゃないでしょう、嫌いでしょ!!?」
「すまん……小腹が、空いて…」
こんな状況に乗じて、うやむやにしようとしているらしい先輩に対して怒りがこみ上げてきた。
「今までわかってて黙ってたんですか!? こんな時だからって許しませんから!! 死んでも呪ってやりま――」
感情に流され上気した頬に何かがふれた。
「……それでいい」
そう言って先輩が、笑った気がした。
直後近くで何かが倒れる気配。
「先輩っ!? 松本先輩……っ」
助け起こそうと下に手をのばすも、その手は宙を掬うだけ。光のなかでは自分がどこにいるかさえわからない。
気づけば浅野を囲う音は、すでに音楽と認識できないほどの音量になっていた。
意識が遠のいていく。
視界がぼやけていくなか、それとは逆行して光の中で輪郭が結ばれていく。
意識の途切れる最後の瞬間、わたしが見たものは―――
わたしに笑いかける、祖父の顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます