一章 木漏れ日の館 ―1―

 膝上の鞄から、わたしのスマホが高らかに着信を知らせている。

 

 蒸し暑い車内、そしてクラシックな着信音に、隣の運転席に座る松本先輩の顔が見るからに不機嫌になった。


「また依頼か……」

「まあ、この時期ですから。ゴーストくらい出ますって」


 わたしは読みかけの猫小説を畳み、それから疲労の溜まった体に伸びをして、座席に座りなおした。


 ゴースト駆除の依頼が来たのなら、そろそろ本部からナビに行き先が送られてくるはずだ。


「シーズンなのに、人手が少なすぎなんだ。あの社長、俺らの給料もっと上げてくれたってさ――」

「まあまあ……」


 8件あがりの帰り際だったせいもあり、なかなかに先輩はご立腹だ。


 無理もないだろう。今年は特に駆除依頼が多かった。その疲労によるミスか、数少ない駆除師の何人かが病院送りになっている。


 どの程度の事故なのか、わたしにはわからない。しかし、ベテランの先輩にはそういう情報くらい回ってきているはずなのだが、何故か先輩は教えてくれなかった。


 何度かかまをかけてもみたが、収穫はなし。頑固な彼の口からは聞き出せそうにもなかった。


 何かわたしに隠しているのだろうか……。


 とりあえず尋問作戦を練る前に、止めどない愚痴をなだめるべく、おずおずと振り向く。と、そこにはなんとも言えない、苦い表情の先輩がいた。


「ぁ……」

「…え?」


 こちらの視線に気づいて、短く発された母音。目があった先輩は「げっ」とでも言いたげに顔を顰めた。


 何か言いたいことがあるようだが、伝えるべきかどうかためらっているようで、懇々と悩みに悩んだ末、先輩はわたしの肩を掴んでようやく口を開いた。


「浅野、いいか。……落ち着いて、俺の話を聞け」

「ぇ……あ、はいっ」


 無駄に丁寧な前置きに返事はするが、何のことかさっぱり分からない。


「えと、その……」

「はい、なんでしょう?」


 あまりにも先輩の歯切れが悪いので、わたしは首をかしげる。


「しゅ……」

「しゅ?」

「……シュークリーム」

「…はい?」

「俺から言えるのは、それだけだ」

 そう言うが早いか、面倒事を避けるように体ごとそっぽを向かれてしまった。


「ちょっと先輩!?」

「………」


 それ以上話す気はないらしい。


「シューk………あぁ!!」

 ばっと背すじが伸び、車体が大きく揺れた。


 思い出した。


 今日の昼休みを返上して買ってきた、毎月一日限定のシュークリーム 1ダース。


 わたしはそれを、あろうことか社内の冷蔵庫に置きっぱなしにしてきた。


 もちろん皮がサクサクで、はさみこむタイプの、甘々なクリームがあふれてくるアレだ。

 賞味期限は今日まで。しかし、それよりも問題なのは……あの部長だ。


 この時間帯、やつが帰ってくる。


 冷蔵庫のものを誰のか考えもせずに、勝手に食べるような人間だ。


 家に帰ってから、“ひとりで”至福の時を過ごそうと冷蔵庫に入れたのが軽率だった。


 あいつは確実に、いや絶対に食べる――。


 頭の中からクリームがあふれんばかりに、シュークリームの安否のことしか、もう考えられない。


「どうしましょう先輩!!?」

「…知らん」


 痛いから肩掴まないでくれないか。


 若干…というか、かなり引かれているが、今のわたしには甘味の危機で頭がいっぱいだった。


「このままだと部長に、私の夜のデザートが……ぁ!」


 ピロリン、と目の前の画面が起動する。


 座席のナビに目的地が表示され、ひとりでに社用車が動き出す。


「むぁああ!!」


 ドアに手をかけるも、安全ロックが掛けられて開けることはできない。行き先が会社から送られて来たのだろう。わたしはばっと顔を上げる。


「わたしの…シュークリームぅ……」


 いくら浅野が窓ガラスに顔を押しあてても、車は止まらない。みるみる会社が遠ざかっていく。


 自動運転なんて…。自動運転なんて…っ。


 生きがいを剥ぎ取られたわたしは、ずりずりとシートにもたれかかる。


「まあそんなに落ちこなくてもいいんじゃないか」


 さっきまで会社を愚痴っていた先輩は抑揚なく慰めの言葉を、意気消沈中の抜け殻に向ける。

 これでも、彼最大限の気配りだろう。


「…はぃ」


 わたしにだって、不満がないわけじゃない。


 第一、なんでわたしの職場には男の人しかいないんだろう。


 女性も活躍できる会社に入ったはずなのに、気づけば実動部隊に送り込まれていた。


 他の同僚は事務を任せられたりしていくなか、わたしは駆除の知識だけが増えていく。


 今や、完璧に駆除師。


 いや、間違ってはいない。一応 会社員であるわたしはキャリアウーマン………のはず。


 車のミラーに、暗い色の作業着を着た自分が映る。どこかから嘲笑うように蝉の鳴き声が聞こえた。


 これがキャリア………


 やはり 何か違う。


 私が思ってたのと……違う。


 ゆらりと揺れる車体に身を任せ、わたしの疑念は膨らむばかりだった。

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