第8話 打ち上げ
会場には、小さめのグランドピアノがやっと乗る程度の小さなステージが一つあり、客席には小さな丸テーブルと椅子がひしめき合い、人々が食事をとりながら、子供達の演奏するピアノの音色に耳を傾けていた。
演奏を終えると、子供達は汗ばんだ額と高揚した頬のまま、客席に居る家族と思われる人々の所に駆け寄り、抱きしめ会ったり、頭を撫でてもらっていた。
子供達の家族と思われる人々は、子供達の親にしては老けて見える初老の夫婦や、逆にどう見ても十代にしか見えないような若い男女等、様々だった。
「こっちな。」
会場の中が狭いため、私と仁は壁に体をくっつけるようにしながら、できるだけ小さくなって移動した。
仁が目指しているのは、ステージの脇にこっそりと見えている小さな音響スペースの様だった。
座るスペースは一人分しか無いように見える。そこに座っていた、原色のニット帽を被った十六歳くらいの少年が、こそこそと近づいてくる仁を見つけ、泣きそうな顔をして話しかけてきた。
「仁さん!ほんとカンベンっすよ!マイク使う曲、次ですよ!俺、本番では音響機材、使った事ないんすから、一人でこんなとこ放置しないでくださいよ!」
「しょうがねえだろ。お前がいつもの酒買い忘れたのが悪いんだろうが。」
そう言うと、仁は先程から手に持っていた紙袋を私の方に手渡した。
「悪いんだけどこれ、そこに入れてくれる。」
見ると、ちょうど私が立っている横に細い棚があり、一番下に小さなクーラーボックスが備付けてあった。
なんとか体を曲げたりねじったりしてしゃがみ、そのクーラーボックスの蓋を開けると、中には様々な種類の酒の瓶が入っていた。
そうしている間に仁はニット帽の少年と場所を交代し、ヘッドホンをつけて音響機材のつまみを動かしていた。
まさかステージの音響作業をしながら酒を飲んでいるのだろうか、と思わず仁を見つめると、仁は私の視線を感じて振り返り、「打ち上げで飲む用だっつの。」と、口元を大きくへの字に曲げた。
「仁さん、そのう、機材置場の鍵は……?」
ニット帽の少年がもじもじと声をかけると、仁はポケットから先ほどの店で受け取っていた小さな鍵を渡し、受け取った少年は走って会場の出口に向かった。
「機材置場の鍵をトイレに流しちまったんだと。あいつ真面目なんだけど時々びっくりするようなヘマやらかすんだよな。それでさっきの店で蒼真に頭下げてマスターキーもらってきたんだよ。この会場と上の喫茶店、蒼真がオーナーだから。」
と、仁が会場の出入口に目をやると、ちょうどその少年が折り畳まれた譜面台を両腕に抱えて戻って来た所だった。
仁からの視線に気がつくと、少年はばつが悪そうにきょろきょろとして、私たちとは反対側のステージ脇へ譜面台を置きに行った。
「座ってていいぞ。」
仁は自分が座っている場所の足元から、小さな木製の椅子をガタゴトと引きだした。しかし椅子に見えたそれは小さなただの木の箱で、座ると体が左右にシーソーの様に傾いた。なんとなく、傾きながら、学生時代の教室の椅子を思い出した。
ステージの上では、綺麗な洋服を着て、髪の毛も丁寧にまとめられて、すこし照れ臭そうな表情をした子供達が、この日の為に練習してきたであろう音楽を、思い思いに懸命に奏でていた。
演奏しきった達成感で、興奮したまま家族の胸に飛び込む子供、うまく弾けなくて半分べそをかきながら家族の居る席に歩いて行く子供。そんな風景を見ているうちに、こちらまで胸の奥が熱くなってくるのを感じた。
「かわいいなあ」
思わずそうつぶやいたが、仁には聞こえていない様だった。
仁はまっすぐな瞳で音響機材に目を落とし、この会場にいる誰よりも真剣な面持ちで、子供達の演奏に耳を向けていた。
仁の足元に、タイムテーブルと書かれた紙が落ちているのを見つけ、拾い上げた。
「この町の子供は、ほとんどが生きてた頃の親と離れ離れになって、この町に来たやつらばっかりだから、ああやってこっちで子供を欲しがっている夫婦の元で養子になるんだ。」
仁がヘッドホンを外し、司会のマイク以外の機材の音量をオフにした。
タイムテーブルを見ると、残りのプログラムはピアノやアコースティックギターの曲だけになっていて、仁の仕事は一段落したようだった。
「かわいいとか言ってたけど、そんなん見た目だけで、集まればただの怪獣どもだぞ」
「聞こえていたの?」
「そういう小さいノイズに即効で気づいて、対処するのが俺の仕事なの。」
演奏会が終わると、子供達は主催者である蒼真からプレゼントの入った小さな包みをそれぞれ受け取り、若かったり老いていたりするそれぞれの両親と共に帰って行った。
観客で満席だった時には狭く感じられた会場内も、人々がいなくなると意外と広々としていて、閑散としているようにさえ見えた。
先程まで子供達と両親とが、食事をしながら演奏を聞いていたテーブルと椅子は、まるで一つ一つが一仕事を終えて眠りについたかの様に、その存在感を無くしていた。
「さて、打ち上げ打ち上げ!」
蒼真がまだ食器を片付けてもいないテーブルにグラスを四つ並べ、冷えたシャンパンを勢いよく空けた。
会場にはもう蒼真と仁とニット帽の少年と私の四人しかおらず、仁が音響を調節してBGMを流した。
私がテーブルに散乱したナイフやフォークをまとめていると、
「まず飲め」と仁がシャンパンの入ったグラスを差し出してきた。
「でも片付けが……」
「飲みながら片付けるのが風流なの。」
そう言って仁は、シャンパンをジュースの様に飲み干した。
酒を飲んでいる三人の中で最も酒が弱いのはなんと蒼真で、シャンパンを一口二口飲んだだけなのに顔が真っ赤になり、千鳥足で楽しそうにテーブルの上の食器やグラスを片付けていた。
ニット帽の少年は健太と名乗り、まだ未成年なので酒は飲めないと、蒼真の誘いを頑なに断っていた。
本当はこの町に来てからの年数を足すと、酒を飲める年齢になっているらしいのだが、自分が酔っ払うと蒼真と仁が酔い潰れたときに介抱する人間が居なくなるのだと、こっそり教えてくれた。
仁は酒に強く、一時間もすると例のクーラーボックスはほとんど空になっていた。仁は酔いが回ると、ジャズやヘビイメタル、演歌等、ジャンルを問わず様々な曲を次々流し、へべれけになった蒼真が、それに合わせてピアノを弾いた。
一番かわいそうなのは、酒も飲まずこんな宴会に参加させられている健太かと思ったが、酔っ払った蒼真に絡まれてカラオケを歌ったり、ドラムを叩かされたりしながら、楽しそうによく笑っていた。
よく飲み、よく笑う三人を、呆気に取られて見ていた私の隣に、ひたすら機械いじりを楽しむ子供の様に音響スペースから出てこなかった仁が座り、大きくため息をついた。
「今日は蒼真のやつ一段と酔ってんなあ」
仁の表情は酔っ払っている様に見えなかったが、顔が少しだけ赤くなってきている様に見えた。
蒼真と健太はステージに立ち、二人で仁の流した歌謡曲の、『いつでも夢を』を肩を組んで生き生きとデュエットしていた。
「お前は今日は泣きそうも無いし、やっぱ誘って正解だったな。」
仁は私に言っているのか自分に言っているのか分からない調子でうんうんと一人で頷いていた。
「保美ちゃん!聞いてたー!?今の、俺と健太で保美ちゃんのために歌おうって言って歌ったんだよー!」
歌を終えると蒼真が子供の様に無邪気な笑顔で抱きついてきた。
仁が飲んでいたグラスをガチャン!と落とした。
「仁さん!珍し!そんな酔っ払ったんすか!」
健太が慌てて駆け寄る。
仁は本当に酔っ払ってしまったのか、蒼真と私の顔をじっと見て硬直していた。
「仁くん……?」
「仁?」
蒼真もさすがに心配するように、私から体を離して仁の方に手を伸ばした。
「おう。ちょっと吐いてくる。」
「えっ」
仁はそう言うと体格に似合わない素速さで出口に向かって走り出した。
仁が居なくなると、蒼真は何事も無かったかの様に私の手を取り、歌おうと言ってステージに引っ張り上げた。蒼真は健太に、先程と同じ曲をもう一度流す様伝え、陽気な音楽が仁が設定した良質な音響で響き渡った。
カラオケなど何年ぶりかで、何度も声が裏返ったり失敗したが、蒼真は気にも止めない様子で、ずっと笑って歌っていた。
いつの間にか戻ってきた仁は、再び音響スペースに座り、次にかけるレコードを黙々と物色していた。
騒がしく、品も無く、涙さえ流す暇も無いようなその宴会を終える頃には、黒黒とした夜が明け、朝日が遠くに登り始めていた。
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