しときなよ

柿尊慈

しときなよ

 3列に並んでお待ちくださいという駅のホームの表示を見て、「実際に3列で並べるのなんて私たちだけだね」と3人で笑っていた記憶はどこへ行ったのだろう。私を除いたふたりが恋人としてくっついたために、私は今、ひとりで電車を待っている。

 高校も全くバラバラで、たまたま大学で出会ったら地元が一緒だったというだけで盛り上がり、3人でやたらと遊ぶことが多くなったわけだけれど、そんな関係が3年目になろうというときに、あのふたりが付き合うようになった。完全に私は邪魔者だろうから、特に連絡をすることもないし、ふたりのどっちかから連絡が来るということもない。私たちは、私と彼らになった。私と彼女ら、でもいい。

 とはいえ、その発端はおそらく私なのであるが――自意識過剰かもしれなかった。私が思っているよりも、彼らは私のことなど、私との思い出などなかったことにして、まるでふたりで過ごす3年目の年であるかのように、今日もふたりで仲良くしているのかもしれない。私がいたらできなかったことも、ふたりきりならできるだろう。

 電車はまだ来ない。柵の向こうには、居酒屋とラブホテルが何軒か並んでいる。さて、仮にあのふたりが入るとしたら、いったいどちらだろうか。居酒屋からの、というコンボになるかもしれない。

 だが、しかし。

 彼の方は草食系というか、あまりそういったことに対して積極的でない感じだったし、彼女の方も、元気で活発ではあったが、男というよりは友達として付き合いを続けていた感じだったし、そもそも彼を男性――つまり、友達以上という、何かの線の延長としてではなく、別の次元の、もっと生々しい観点で、評価しているのかも怪しいところではある。そのへんは、私もよくわかっていないから、他人のことをとやかく言えた立場ではないのだけれど。




「あの人、あなたのこと好きだと思うの」

 彼女に呼び出され、そんなことを言われたことがある。

 基本的には3人でいることが多かったが、同性同士でないと難しい場所やシチュエーションもこれまでになかったわけではないので、私と彼女のふたりで会うこともしばしばあった。とはいえ、この日もそんな「たまにある、ふたりの日」だと思っていた私は、わざわざファストフード店の奥の方の席に座って始まった彼女の話に、少し驚いてしまった。

「彼が私を?」

 そんなバカなと、私は小さく続ける。冗談っぽく、リラックスさせるつもりで、言ったつもりだったのだが、笑ってない――かといって、怒ったり悲しんでいるわけでもない、そんな彼女の表情を見て、私は咳払いをした。

「それはいったい、どうして、そう思ったの?」

 真摯に対応するべきだと察した私は、真っ直ぐに彼女の目を見つめて、尋ねてみる。彼女は瞬きをせずに、しばらくじっと見つめ返してきた。まるで、本当に私に自覚がないのかを見極めているかのように、である。困ったことに、そのときの私は――いや、今でさえも、彼が私を好きであったなんて、微塵も思えないでいるのだが。

「3人で一緒にいても、たまに、彼はあなたのことばかり見ているときがあるから」

 私の、とまで言いかけて、彼女は口を閉じて視線を落とした。

 私の、視線か。

 仮に彼が私を見ていたとして、「私を見ている彼」を彼女は見ていたのに、いったい誰が、「彼を見ている彼女」に気づいただろうか。そもそも私はあまり人の顔を見なかったりするので、私に熱視線を向ける彼のことも、そして彼女の表情にも気づかずに、のうのうと何か他のものでも見ていたのだろう。想像したら地獄のようであったが、そのときに気づかなくてよかったとも思う。あの場で地獄を味わったのは、幸か不幸か、彼女だけだったのだ。

「彼のこと、好き?」

 俯いたまま、彼女が尋ねる。

 そりゃ、好きじゃなかったら遊びに出かけたりしないだろう。

 けど、それは決して、彼が好きだったからじゃない。私は「このふたり」が好きなのであり、「3人でいること」が好きなのだ。もちろん、こうして女子ふたりでいることも楽しくはあるけれど、彼とふたりというのは、想像できないし、したくないという気持ちが少しある。

 だから私は、とりあえず、その場しのぎのつもりで、けれどもしかしたら、かなり残酷な答えを、彼女に返したのであった。

「私は、あなたと彼が一緒にいるのが、好きかな」

 嘘ではない。嘘ではないけれど、完全なる真実とも言い難かった。条件節を省略したのだ。そこに私もいるのだとしたらという、条件節。

 しかし、私が彼女と同じ立場だったならば、私はそれを気にしなかっただろうと、今でも胸を張って言える。3人で一緒にいるのに、彼が彼女のことばかりを見ていたなら、きっと私は、それを決して彼女には伝えずに、直接的ではない形で、彼のことを応援していただろう。そう考えるとやはり私は、彼女の想定するような「好き」の形を持っていなかったのだ。

「もしかしたら、たまたまの偶然ってこともありうるだろうし」

 彼女が少し不機嫌そうな顔をしたが、私はそのまま言葉を続ける。

「あなたが彼のことを意識し過ぎて、よりそんな風に見えてしまっているのかも」

 氷で薄まったオレンジジュースをストローでかき混ぜてから、私はそれを口に含んだ。

 嫌だな、この妙な緊張感。怒られているような気分だ。親に何を言われようと、学校で先生に何を言われようと、それっぽく申し訳なさそうにできる私でも、この感じは、かなりきつい。なぜ私は、今日外に出てきてしまったのだ。風邪でもひいておけばよかった。そのときはそのときで、今の会話の本題が無機質に文章として送られてきたであろうから、今の方がまだマシだったのかもしれない。

「――とにかく私は、あなたと同じような感情を彼に向けていることはないし、彼から向けられても、それに応えるつもりもないから」

 きちんと、彼女に対して意思表明をしておく。決して、その場しのぎではない。心の底から私は、彼とどうなりたいという欲望がないと言い張れる。今日の話のあとも、もし彼に告白されたとしても、私さえ普段通りに振る舞っていれば、何もなかったかのように振る舞っていれば、本当に、何もない状態になるのだ。

「……そっか、気づかなかったなぁ」

 私は笑って、誤魔化そうとする。

「でも、そうだとしたら、私本当にふたりのことを――」

「しないで」

 割り込んできた彼女の言葉に、びくりとする。

「――応援なんて、いらないから」

 その日はじめて、ニコリと彼女が笑った。胸の内が笑ってないのはわかる。だから私も……いや、だけど私も、笑うしかなかった。




「実は、好きなんだ」

 彼女の告白からしばらくして、私ははじめて彼に「ふたりで会おう」と誘われ、妙に気合の入ったレストランだなぁと席につき、食事をして、落ち着いたら、これだ。

 お肉を口に運んだフォークをくわえたまま、私はしばらく固まってしまった。いや、こんな急に、直球で、彼からそんな言葉をもらうとは思わなかったのだ。

 しかし、まあ、これがもしマンガの世界、ラブコメの世界だったなら、今の言葉は実は自分に向けられたものではなくて、私じゃない方――つまり、彼のことが好きなあの子に対して向けられたものでしたというオチがあって、それで私がキューピッドになり、ふたりは幸せに……。

 眉をひそめ、口から離したフォークで自分を差し、私は首をかしげた。私のことをですか、というジェスチャー。

 こくりと、彼が頷いた。視力の悪い彼は普段メガネをかけているのだが、この日は気合を入れたのか、メガネを外していた。裸眼でも、この距離でなら、十分にジェスチャーも伝わるのか。

「そんな話がしたくて、でも、絶対顔見たら緊張するから」

 私は、顔をまともに見ないのにね。

「だから、今日はメガネを外して、でも、コンタクトにしたら見えちゃって意味ないから」

 反応を必要とする話題を投げておきながら、自分はその反応から目を背けようというのか、君は。

 などと口にしたら、絶対に彼はへこんでしまうだろうと想像できた。だから私は、その言葉を飲み込んで、だからこそ、待たせてしまった。周りにも何組か、男女のカップルや、親子なんかが見えるけれど、そこらのファミレスなんかとは雰囲気も違うから、よほど、特別な話だったり、久々の再会だったり、きっと、そんなことに使われる場所で。

「メガネ、ない方がいいと思う」

 違う。そんな言葉ではない。今必要なのは、それじゃない。

 こんなに気合を入れたのに、フラれたりなんかしたら、どうすればいいんだろう、彼は。

 グラスを取る。赤ワインが香った。赤く滴る肉に合う、だけど今の、このテーブルのシリアスな雰囲気には少し似合わない、赤ワイン。こくりとひとくち飲み込んで、まるで、ワインのせいでもするかのように、できるだけ彼を傷つけないような言葉を吐き出した。

「――あの子にしときなよ」

 彼の反応は、覚えていない。いや、例によって私は、彼の顔を見てなかったのだ。今思えば、考えうるセリフの中で一番残酷なものだったのかもしれない。




 ホームの柵の向こう側。居酒屋あんど、ラブホテル。よく考えたら、3人でお酒を飲んだことがなかった。ふたりとも見るからに弱そうだったから、きっと、お酒が入ってしまったら、酔っ払ってしまったら、彼女は彼に、彼は私に、余計なことを言ってしまうかもしれない。そんな、恐怖のような感覚が、私たちをお酒から遠ざけたのだろう。まあ私には、言ってしまうと困るような想いはなかったのだけれど。

 柵の向こうの世界で、端からカップルが入り込んできた。男女のふたりで、仲良さそうに、白昼堂々ラブホテルに吸い込まれようとしている。


 彼と違って、私は目がよかった。困ったことに、目がよかった。よくなければ、よかったのに。


 ひとりは、彼女だった。そして、男性は、彼ではなかった。いったい彼は、誰だろう。彼でないなら、彼は誰だろう。本当に、知らない。私の知らない、男の人と、私の知ってる、彼女と。

 でもまあ、知ったことではない。彼の告白を断ってからしばらくして、彼女から「付き合うことになった」というメッセージが送られてきた。そうだとしても、知ったことではない。私たちはもう仲良し3人組ではなく、私とふたりになったのだ。だからもう、関与しない。応援しないし、できないし、許されない。

 だけれども。

 彼女の見栄だったのだろうか、そんなことを考えてしまう。私は彼女から交際報告を受けたが、彼からは受けていないのだ。




「あっ、久しぶり」

 びくりとする。横から、外の世界から、声がした。彼の声。

「……久しぶり」

 気が乗らなくて、ふたりからの誘いを適当に断り続けて、自然消滅したつもりだったのに、どうしてこう、ひとりのときに、ひとりの彼と会ってしまうのだ。そして、柵の向こうには、彼女と誰かがいるという、この状況で。

 ちらりと見ると、彼はメガネをしていなかった。私が驚いた顔をすると、彼は頭を掻いて、照れ隠しをするように少し俯いた。

「メガネ、いらないかなって思って。いや、そりゃ、全然見えないんだけど、見えないのに、こうして見つけることもできるんだし、そんなに困るってほどでも――」

「付き合いはじめたんだって?」

 彼の言葉を遮る。彼は口を開けたまましばらく固まり、口を閉じてこくりと頷いた。笑顔をつくる。

「そうなんだ。あの日、その、フラれたあとに、まあ、色々あって――」

「慰めてもらったの?」

 彼がぎょっとした。もう少し、上品な言い方はできなかったものかと私自身後悔するが、そんなことは今どうでもいいのだ。

 彼の頭が横に振られた。

「ううん。元々、友達としての付き合いも長かったし、プラトニックっていうか、清い交際っていうか、そうだな、手はつないだりするけど、そこから先は、特に」

 その上、自分をフッた女を前にしながらも、未だにドキドキしている。

 足元を見る。3列に並んでお待ちくださいという文字が見えた。3人で並ぶことはもうないと思っていたし、ふたりで並ぶことすらなくなるつもりだったのに、まさか彼と、よりにもよって、柵の向こうに彼女がいるかもしれない、そんな状況で、これか。

 交際報告を受けて以降、彼女から連絡はない。別れたという連絡もないし、うまくいかないという連絡もなかった。彼が嘘をついていなければ、今も交際は続いている、はず。

 だがしかし、未だにプラトニック。メガネを外した彼は、いったい彼女の、恋する瞳のようなものを、ちゃんと見据えることができているのだろうか。いったい誰の言葉のせいで、彼はメガネを外しているのか。外しているのに私のことがわかったからといって、何だというのだ。

 見るべきものが、違うのではないか。

 ラブホテルから、ふたりが出て来る。満室だったのか、他のホテルを探している様子だった。

 誰だ、彼は。彼はここにいる。だったら、彼女の隣のあの男は、いったい誰なのだ。彼が彼女を愛さないから、代わりにあの男が彼女を愛しているのだろうか。そして何より、これだけ私には、柵越しに、まるで自分の世界から切り離された、外の世界の出来事であるかのように、しかし鮮明に彼女の不貞が見えるのに、君はなぜ、こっちにいるのだ。柵の向こうの人間のはずなのに――この柵を飛び越えて、彼女を奪い返すべきなのに、どうして君には、あれが見えないのだ。

 だんだんと、嫌いになっていく。彼も、彼女も。

 思い出は、綺麗に保存しておくことができない。写真が色褪せるように――いいや、色褪せるどころではない。燃えて、燃え続けて、嫌なニオイがして、そんな思い出になってしまっている。アルバムに閉じて、過去のことだと、綺麗さっぱり清算したはずが、どんどん、腐っていく。

 3人の時、彼女だけが地獄を味わっていた。そして今、私だけが地獄を味わっている。

 そうか、こういう感覚か。

 彼に視線を滑らせる。無言の私の出方を窺っているようだ。自分を受け入れなかった相手に、どうしてそんな顔ができるのだろう。

 いや、見えていない方がいいのかもしれない。困ったことに、彼には悪気はないのだ。大切にしているからこそ大切にしていることを伝えられていない彼が、あれを見たら、どうにかなってしまう。

 ため息まじりに私は、あの日とは違う意味合いを込めて、ぼそりと呟いた。




「――メガネ、ない方がいいと思う」



(おわり)

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