第4話

 ゲームのシナリオライターをしている俺の、一番最近の仕事は、「フロンティア」というタイトルの本格ミステリ要素の強い謎解きアドベンチャーゲームのシナリオで、それまではファンタジーやSF的な世界観のRPGのシナリオを任されることが多く、中にはシナリオが評価されることもあったものの、担当した作品はどれも売り上げ面で苦しみ、誰かに見られるきっかけがすくなすぎて、良いとも悪いとも言われない状況が続いていて、このままでは、という危機感の中で着手したのが、「フロンティア」のシナリオだった。


 このゲームにはファンタジー要素は確かにあるものの、基本的には現代日本が舞台で、一匹狼の刑事と何者かに両親を殺された青年という古臭いタイプのふたつのキャラクターの視点で話が進んでいき、ある実在の企業をモチーフにしたかのような巨大企業の闇を暴こうとする硬派な作品……と思わせておいて、実は刑事と青年は同一人物という叙述トリックを施したり、天使や悪魔を出したり、とかなり突飛に展開していく。


 とにかくインパクトを、というのがあり、意識的にそういうストーリーにしたところ、「フロンティア」は口コミのような形で認知され、俺の担当した作品では本当にめずらしくスマッシュヒットになった。


 君嶋里香もこのゲームのファンのひとりだった。そして俺のもとに、うちの出版社から本格ミステリを出しませんか、というオファーが届いたのだ。


 ミステリというジャンルにおいて、石倉書房がどういう出版社か、というと、九十年代からゼロ年代にかけて、日本のミステリというジャンルを牽引した出版社と言っても大袈裟ではなく、この時期の石倉書房が発刊したミステリを入り口にしてミステリに親しみはじめた里香は憧れとともに石倉書房に入社したらしいのだが、里香が配属されたのはまったく別の部署で、そしてようやく最近、文芸部門に異動になったそうだ。


 俺に白羽の矢を立てた理由は、「フロンティア」のシナリオを創ったひとが、どんなミステリ小説を書くのか読んでみたい、というものだった。


 小説への憧れも大きかった俺にとって、断るという選択肢はなかったが、とはいえ叙述トリックを扱ったシナリオを書いていながら、実はそれほどミステリに親しんできたわけではなかった。どうやって書けばいいのか想像も付かず、恋人に相談……恋人? いや駄目だ。恋人の名前はまだ出て来ない……。ただ恋人に相談したのは覚えている。相談を受けた恋人は、とりあえず受けて、内容について考えるのはそれからにしたら、と俺の背中を押してくれて、俺はそのオファーを受けたのだ。


 今日、会いに行ってもいいですか……?


 この着信履歴に残る一番新しい電話の際に、俺は里香にそう言われた。そこまでは思い出した。


 里香と俺の関係者は小説家デビューを目指すシナリオライターと、それに協力する編集者という関係だが、本当にそれだけだったのか。


 いや……、一般的な作家と編集者の関係なんて知らないが、俺と彼女の関係はそれよりも親密だったはずだ。ミステリについて知らないことが多すぎる、と彼女に伝えると、里香は頻繁に時間を取って、俺にミステリについての色々なことをレクチャーしてくれて……、そう、あそこに積み上がるエラリー・クイーンやヴァン・ダイン、アガサ・クリスティの作品は里香から借りたものだ。彼女は、俺の部屋にも定期的に訪れるようになり、俺はどこか大学時代のサークルの友達を思い起こすような気持ちで、彼女と接していた。


 恋人に話すと、その恋人は俺に不審な目を向けて、浮気を疑うようになった。俺からすれば、そういう邪推を抱くような関係ではない、という意を含めていた部分もあったのだが、人間関係は本当に難しい。


 それで最近、恋人と険悪になって……。


 そして、あの『今日、会いに行ってもいいですか……?』という言葉とともに、俺は里香を自宅に招いて……。


 あぁ思い出せない……。


 肝心の部分は落ち抜けたままだ。だが俺の自宅を訪れた彼女が、裸の死体となって横たわっている。しかし俺は服を着たまま、という事実を考えると、肉体関係を持とうと彼女が俺に迫ったが、恋人のこともあり拒絶して、それで激昂した彼女と揉み合いになり、俺が彼女を殺したのだろうか。


 本当に……?


 まったく自信が持てない。確かにこの考えは、いままでの考えよりも、それっぽい。だがもっともそれっぽいシナリオというのは、物語において一番嫌われるものだ。信じてはいけない、と俺は信じている。


 過去の着信履歴を確認していくと、




【ミズキ】




 という名字か名前か分からない文字があり、これを見た瞬間、ミズキが俺の恋人だと確信した。


 これは根拠があるわけではなく、ただの直感でしかないが、ここまで記憶を刺激されたのだから信じてみてもいいだろう。ミズキは名前で、瑞樹という漢字を書く、とまで思い出せたのだから……。


 だけど名前は分かっても、名字は思い出せない。職業も年齢も、まったく頭に浮かばない。


 里香よりもミズキのほうが関係性は近いはずなのに……。なんで細かい部分が、まったく思い出せないのだろう。


 焦りとともに思考を続けるうちに、疲労は精神的に、だけではなく、肉体的にも感じるようになってきた。口渇感を覚えて、俺はキッチンに向かうことにした。流し台の前で、俺は、ひっ、と高い悲鳴を上げてしまった。


 死体よりも驚くほどのものではなかったが、驚きは、死体の時よりも大きかったかもしれない。良い風に捉えれば、状況が整理できはじめている、と言えるのかもしれないが……。


 流し台には水の張ったボウルが置かれていて、その水に包丁が浸かり、赤に染まった水は薄汚かった。


 あぁ、これで俺は彼女を殺したのか――?


 ……違う。また記憶が戻る。いや、ほとんどの記憶が戻った、と言ってしまっていいだろう。


 彼女を殺したのは、俺ではない。


 だけど俺は、彼女を殺したのだ。俺は浴室に繋がる戸に目を向ける。行くな、と部屋から別の場所に移動することに対する警告音は、玄関の外ではなかったのだ。


 浴室がある。きっとあそこを確認すれば、答え合わせができる。行くな、行くな、と警告音が鳴り響いて止まないのは、俺の想像が合っているからだろう。俺だって行きたくない……。


 だって、あそこにはもうひとつ死体があるのだから。

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