第3話

師匠が着替えタオルで頭を拭きながらソファに座る。

月島さんは笑顔で言葉を待っている。

僕も師匠の言葉を待ちお茶を差し出す。

師匠はもう一度少女を見てため息をつく。


「私の答えは変わらないが不出来な弟子の不始末のため話だけは聞かせてもらうよ。一体、どんな事情を抱えてここを訪れたのかな?」


「ちゃんと聞いて依頼を受けてくれることをお願いしたいわ。あれは一か月前、学院の図書館で勉強をしていた時のことよ。」


彼女は少しずつ語りだした。


「集中していたせいでいつの間にか暗くなっていて、周囲を見たら生徒どころか司書の姿も無くなっていたの。誰も居ない空間に恐怖を感じて荷物を纏めてすぐに図書館を後にしたのよ。」


妙に淡々と話す。

逆にその喋りが怪談の語り手のようだ。


「廊下を歩いて玄関を目指したの。その時、不思議な声が聞こえてきたのよ。これから進まなきゃいけない廊下から聞こえるのよ。なんて言っているかはわからないけど低く唸っているみたいな声なの。生徒が残っているのかしら?それとも先生方かしら?それにしては苦しんでいるような声だったの。」


少女の目は真剣そのものだ。


「それで声の方向へ歩みを進めたわ。徐々に唸り声は大きくなって近づいているのがわかった。でもそれっぽい姿は見えなくて声だけが大きくなるの。そして一番大きくなったところは一年生の教室だったわ。扉が少しだけ開いていたから覗いてみたの。そこには影の無い何かが居た。」


「な、何かって何が居たの?」


僕は気になって聞いてみた。

師匠は聞く気がないのがわかったからというのもあるが僕自身そういう物をあまり知らないから少しでも特徴を聞きたかった、いや想像したかったというべきだろうか。

すると彼女は深く呼吸し落ち着いたところで口を開いた。


「その時は、私が覗いた瞬間にその唸り声の主は消えてなくなったわ。でもその何かが居たであろう場所には黒い液体が数滴垂れていたの。一瞬で天井を見たわ!垂れているならその原因がそこにあるはずだと思ったから。でもね、そこには何もなかったの。ただ、その何かは天井に居たのかもしれないっていうことだけ分かったわ。」


一通り話し終えたと思った師匠が口を開く。


「聞いていると君に実害はないみたいだけど、何を依頼したいんだ?」


「話は終わってないわ!これは初めて『何か』を感じた時の話なの!」


彼女は大きな声で言った。

師匠はため息をつき話を続けるように促す動きをする。


「さっきのが最初の遭遇。ここから進展があるの。私が遅くに学院を出るときに毎回唸り声を聞くようになったのよ。時間はまちまちだけど必ず私が一人の時だったわ。声の主を確認するために毎回探すのだけどその姿を見られたことはなかった。だけどこの前遂に見たのよ!その姿を!」


彼女の語りに力が入る。

黒い液体、唸り声、見ようとすると瞬時に消える、そして影が無い。

正体は何なのだろう?


「その日は自分の教室で遅くまで勉学に勤しんでいたの。クラスメイトも居なくなってもついつい良いところまでやろうと思っていたら20時を回っていたわ。ふと意識するとやっぱり声が聞こえてきたのよ。とても近い距離で聞こえたの。背後と言っても過言ではないぐらい、そして水滴が落ちる音すらも聞こえるのよ。」


そう言うと少女は頭を抱え恐怖の表情を浮かべる。

師匠も僕も喋らないため少女の声以外は静寂に包まれている。

外で烏が一羽鳴いた。

一瞬そちらに視線がいく。

僕は生唾を飲み込み、もう一度視線を戻した。


「どこから音が聞こえているのか、瞬時に理解したわ。私のすぐ近く、それも背後にからしていたの。それに気づいた時、呼吸が激しくなったわ。私に気付いているのかそれとも気付いていないのか、でもこのまま視認しない方が危険だと思ったの。でも、見てしまったら私もどうにかされてしまうんじゃないかとも考えたの。だから一気に振り向いたの!」


急に大声と身振りが追加され僕は驚き体が緊張した。

彼女の目に恐怖が映る。


「そこに居たのは大きな角が生えた2mぐらいの巨体。腕なんて私の身体ぐらいの太さが合って爪も鋭く伸びていたの。目に当たる部分が見えないけどそれよりも驚いたのは口。そこから何かが飛び出ていたのよ。その何かが一瞬分からなかったわ。でもよく見ると背筋が凍るほど恐怖が襲ったの。それは人の足だったのよ!男性か女性かわからないけど怪物に喰われていたわ。水滴の音の正体は血なのかそれの涎なのか、見て分かった。全てを理解した時、怪物は足を口に全部入れて笑いながら咀嚼を始めたの。そこまで見て私はふっと気が遠のいて意識を失ってしまった。次に目覚めたとき、同じ教室だったわ。時間は22時を過ぎていて、先ほどの怪物を思い出していた場所を見た。痕跡も無くあれは私の妄想だったんじゃないかって思うぐらいに静かなの。でも、一つだけ残っていたわ。小さな黒い水滴が垂れた跡が。」


そこまで話すと彼女は話し切ったと満足した顔をしている。

長めの話ではあったからわからないでもないけど、それにしても怪物の正体はなんだったのだろ?

黒い水、いや涎だろうか?僕の知識ではそういったものを出す怪物は知らない。


「次は私が襲われるかもしれないし、友達が襲われるかもしれない。だから怪物を退治してほしいの!」


彼女の言うことももっともだ。

犠牲者が出ているようだしこれは早急に解決しなければいけないと思う。

でも、師匠が口を開いたがまさかの言葉が紡がれた。


「それだけなら帰ってくれ。」


「え!師匠!今の話で帰ってくれって・・・。」


僕がフォローしようとしたところ。


「どういうことよ!怪物が居るのよ!?今回は襲われなかったかもしれないけど何か付けられたりとか、撒き餌みたいにされたとか、そういうことだってあるかもしれないでしょ!それを帰れっておかしいんじゃないの!」


怒りと呆れの混じった罵声。

少女の言うことももっともだ。

憑りついて周囲の人間に害を及ぼす怪異ってのは存在する。

少なくとも隠れるのが上手く未熟な者では見逃してしまうケースも多いため多少の霊視、ないし札やお守りなんかを持たせる事をするべきだ。

師匠は溜め息をついて口を開く。


「弟子、君は何か見える?もしくは感じる?」


「えっと、見えないです・・・。」


確かに見えない。

感じもしない。

あるのは美人な少女だけ。


「そうだろうそうだろう。そういうことだから帰ってもらえる?」


「何よ!こっちは頼みに来たのに!話を聞いて何もないから帰って?ふざけないでよ!あんたが何を考えてるかわからないけど助けるって考えはないわけ!ちゃんと依頼料は払うって言ってるのに融通利かないの!」


少女は顔を真っ赤にして師匠に罵声を浴びせる。

師匠は涼しい顔をして懐に入っている煙草を取り出し咥える。

火をつけふかす。

煙をくゆらせ少女を見据えた。


「私は正義の味方じゃないしお金に困ってるわけでもない。必要な時にやるべきことを行う、それだけ。あなたのそれに対して何かをする必要がないということ、わからないでしょうけど害は無いから。」


「もういい!帰るわ!」


師匠の害が無い発言が止めだったようだ。

少女は怒って出て行ってしまった。

さすがに悪い噂を広げられると師匠も困ると思った。

僕は慌てて少女を追った。


「弟子、行かない方が良い。手を出すと痛い目を見るよ。」


「でもこのまま放っておけるほど肝が据わってないんです!師匠ほど浮世離れしてないんですよ!」


扉を開け外に出た少女を追い走った。

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