第2話

この恐怖、これは数日前、僕が買い出しから帰った時から始まっていた。


「人使いが荒いんだからなあ。」


僕はボヤキながら頼まれた物を買い帰り道を急いでいた。

針金、ビニールテープ、釘、胡瓜、鰯、足袋、等々と一つの店で揃わない注文だったため歩き回った。

もう足が棒のようになっている。

こんな物を何に使うんだろう?

今の僕には想像もつかない何かをやるんだろうなあ。

そんなことを考え歩いているといつの間にか通いなれた道、見慣れたビルに辿り着いていた。


『蛇腹ビル』


メインストリートから外れて裏路地に入り少し寂れたビルの三階に目的の場所がある。

他の階には何も入っていないこのビルの三階にはある目的地も普通じゃないからここまで寂れるんだろうな。

三階まで上がり入り口の扉に看板代わりに表札が掛かっている。


『怪奇探偵社』


こんなのが入っていたら他には何も入らないよな。

このビルのオーナーも何を考えて入れてくれたのか、甚だ疑問だね。

ドアノブに手をかけ中に入ろうとすると一瞬、気配を感じた。

周囲を見渡すと階段の先でひらりと布が揺れた、位置は腰のあたりで色は紺だった。

声をかけるべきかかけないべきかと悩んでいるとひょっこりと気配の主が顔を覗かせた。

頭と目しか見えないがどうやら少女のようだ。

黒髪に赤い瞳、透き通るような白い肌でこちらを見つめている。

切れ長の目の鋭い眼光に少し後ずさりをしてしまう。

それを見たのか目を細め恐らく彼女は笑顔になっている。

ゆっくりと彼女は影から出てきた。

彼女の姿を見たときに一瞬で恋にでも落ちたような感覚に襲われる。

美人だ。

どこにでもあるセーラー服に身を包んでいるが黒髪ロング、小さな口に高い鼻、まるで外国人を思わせるほどの顔立ちだが身長は僕よりも低く160cmも無いだろうか。

身体も華奢で微笑む顔は天使と言っても過言ではない。


「お兄さんここの人なの?」


柔らかい声が僕の耳をくすぐる。

とても快い。

彼女はゆっくりとこちらに近づいてくる。

その一歩一歩近寄る度に素晴らしい香りが脳を刺激する。

彼女が魅力的な女性だと本能で感じるほどだ。

顔に下心が浮き出てくる。

いけないいけない!と首を振り彼女に向き直った。


「そうだよ。ところで君は依頼をしにきたのかな?」


精一杯の見栄だ。

下心を上手く隠せていると思うしかない。

触れられそうで触れられない距離で彼女が静止する。


「はい。困っていまして、その怪奇現象に。友達の間でここのこと噂になってて、藁にも縋る気持ちで来ました。助けてください!」


そう言うと一歩近づき僕の右手を握り潤んだ瞳で僕を見上げる。

こういう目に弱い。

しかも上目遣いでなんかで見られたら男として助けないわけにはいかない。

もしなんとかできればその後お礼があったりして!


「わかった、僕たちに任せなさい!」


空いている手で胸をドンと叩き笑顔で答えた。

それを見るや否や彼女は僕の手を離し探偵社のドアノブにを回していた。

扉を開けたその先には倉庫と化した事務所が広がる。

僕は慌てて彼女に弁明をする。


「あ、あーこれは以前の依頼とか必要な道具を作るとかでそれを片付けてないだけだからいつもはもっと綺麗なんだ!今片付けるから待っててね!」


彼女はこちらを見ない。

代わりに奥を見つめている。

奥に居るのはここの所長で僕の師匠が鎮座しているはずだったのだが、デスクの上で突っ伏して眠っていた。

僕はそれを見てさらに慌てる。

彼女がそんな僕を見て質問を投げかけた。


「あの人もここの人なのよね、探偵さん?」


頭を抱えた。

師匠がここの主なのだからあんな姿を見られては


『やっぱりやめる、さようなら。』


なんて言われて居なくなってしまう。

依頼人が去ってしまいそこの所長に幻滅したからという噂を広められたら困る。

決して僕がロリコンでこんな美人の女子高生もしくは女子中学生を手籠めにしたいからなんて下心丸出しの如何わしい理由ではないと誰かに弁明しておく。


「あのあのあの!あの人はその!えっと!うーん・・・。」


言葉が出てこない。

自分の対応力の無さに悲しみを覚える。

彼女を見ると何も言わずに師匠のデスクへ近づいていく。

もしや、起こそうとしてる?

まずいまずいまずい!師匠は寝起きが一番機嫌が悪くなる!

僕の心配を余所に彼女は師匠の肩に手を置いた。

その瞬間、突っ伏していたはずの師匠は飛び起きた。

彼女は驚き咄嗟に飛び退いた。

師匠の顔は右頬に時計の跡が付いている。


「ああ、帰ってたのか。起こすなら触れないで起こしてよね、反射で起動しちゃうんだからさ。」


不機嫌な声に気怠そうな雰囲気、そこに静かな怒りのオーラを感じる。

そして唐突に大きな音を立てて入り口が閉まった。

音に驚き僕と少女が入り口を見る。

もちろん何も居ないし誰も居ない。


「ほら、来ちゃったよ。大体ね、私が眠るのに何もしかけていないはずないでしょうに。君はボチボチ理解していると思ったが・・・。」


そう言いながら異変に気付いたのだろう。

僕が触れたのであれば距離が遠すぎると。

師匠は後ろの少女に眼をやる。


「ああ、原因は君か。なら知らないのも頷ける。おい弟子、君が入れたのか?」


「あ、はい。そ、その依頼人らしいので。」


もう泣きそうだ。

この後何をやらされるか想像もつかない。

師匠は少女を見て一言、


「問題ないと思うから帰っていいよ。あるとすれば環境だからわざわざ手を出さなければ何もしてこないはず。これで安心したかい?さあ弟子、買ってきた物を見せてもらおう。」


不機嫌ながらも冷静に見ているらしいが僕には何のことかまったくわからない。

言われた通り荷物を渡す。

少女は虚を突かれたせいか目を丸くしている。

そのうちふと我に返ったように師匠に縋るように掴んだ。


「問題ないってそんな!話も聞かないで何が分かったっていうの?お願いだから話だけでも聞いてよ!そこのお兄さんは任せてって言ってくれたのに。」


そこまで言われた師匠は僕の方を睨む。

それもそうだ、何も確認を取らないで少女の依頼を受けた形になっているから余計に不機嫌が加速している。


「弟子の失態は師匠の責任。それに室内に入れてしまった時点で縁が結ばれてしまった。まったく、とんだお人好しを弟子にしてしまったものだ。」


頭を掻き致し方ないといった風にため息をつく。

何度も言うがこの後の仕置きが怖くて仕方ない。

ただ、話は聞いてくれるようだから一安心だろうか?


「聞いてくれるのね!よかった、じゃあ・・・。」


彼女が喜び話始めようとすると師匠が人差し指を立て少女の口に持っていき喋ることを制する。


「とりあえず寝起きで気分が悪い、先に気分をすっきりさせてもらうよ。」


そう言うと奥にある脱衣所へ向かっていった。

師匠の寝起きはいつもシャワーから始まる。

少女はニコニコ笑顔を浮かべて僕の方を見ている。

ああ、これはお茶の一つでも出さないといけない感じだ。

仕方がないので給湯室へと歩いていく。


「適当に座って待ってていいからね。師匠の朝シャンは長いから、今お茶淹れるね。」


「ありがとうございます。お言葉に甘えて座りますね。」


彼女の声だけを確認し急須に茶葉を入れお湯をポットから注ぐ。

とりあえず自分と少女の分を用意し持っていく。

少女は師匠の椅子に座っていた。


「ちょっとちょっと!そこは師匠の椅子だからこっちのソファに座ってもらっていいかな?」


「なんで?何処でもいいってあなたが言ったのよ?」


「確かに言ったけど・・・。」


溜め息をつくが少女の言葉に言い返せない自分が一番不甲斐ない。

とりあえずお茶を出し僕も自分の机へ戻る。

先ほど買ってきた荷物を机の上に置く。

さて、師匠が出てくるまでの時間をどうにかして潰さないと。


「えっと、君はどこの学校の子なのかな?」


一番無難な質問をする。

これなら問題ないはずだろう。

セクハラでもなくモラハラでもなく、少なくとも世間話の一つだ。


「人の素性を聞く前に自分の情報を開示するべきじゃないかしら?私だけ話して終わり、なんてことだってあるかもしれないし。」


理路整然と言葉を並べられた。

正論だけどこれぐらいの子に言われるとなんだか無性に腹が立つ。

いけないと思い頭を振り思考をリセットする。


「ごめんごめん、僕の事から話すね。僕の名前は如月弓人(きさらぎゆみひと)、大学生なんだ。師匠に助けられてそれからここでお手伝いもとい弟子として修業中ってところかな。」


「ふーん。助けられたってことはあなたも依頼をしたの?」


「いや、僕の場合は依頼じゃなくて偶然だったんだけど・・・ってこれは話すと長いから!また機会があったらね。それより君の名前は?」


上手くはぐらかされるところだった。

さすがにそう何度もやられてたまるか。


「そうね、私の名前は月島莉子(つきしまりこ)。円城学院の高等部二年生よ。円城学院ぐらいは聞いたことあるでしょう?」


聞いたことがある。

円城学院といえば名家ばかりが集まるということで有名な学校だ。

中高一貫校でその先に円城大学がある。

一部、特待生や推薦で普通の家庭の子も入ることが出来ると聞くが基本的に家柄で選ばれると聞いた。

月島、月島家?


「あ、月島家ってまさか!」


「よかった、学院のことも私の事も理解してくれたみたいね。そのまさかよ。」


「月島家ってあの月島グループだよね?」


月島グループとは、月島呉服店が元になったファッションブランド。

メンズとレディース、それにキッズブランドまで取り揃え、それに合わせるアクセサリーまで自ブランドで作っている。

今や全世界に数々の支店があり月島ブランドを着ているだけで一目置かれるほどの超有名ブランドの一つである。


「あなたみたいな方でも知っていて助かるわ。そこらへんは家柄に感謝ね。だから報酬が必要なら普通より多く出す用意はあるの。」


少女は鞄から財布を取り出し開く。

そこには僕が見たことも無い諭吉の人数が控えていた。

この子の依頼を適当にこなして依頼料を貰えばこの事務所も潤うはず。

早く師匠出てこないかな。

商談をさっさと決めたいし仕事の内容を聞くのも出来れば師匠が居た方が良いと思うし。


「ねえ如月さん、あなたの大学はどちらなの?」


おっと藪をつつきに来た。

僕の通っている大学は大したところではない。


「えっと、円城の人に言うのは恥ずかしいんだけど次条大学なんだ。大したところじゃないから。」


「あら、この近くなのね。家庭教師でもお願いしようかしら。」


冗談じゃない!レベルが違い過ぎる!

なんなら円城学院よりも偏差値が低いんじゃないかって疑うほどの大学だぞ。

彼女に教えられることなんかになったらたまったもんじゃない。


「いやいやいやいや、そちらの方が偏差値高いと思いますし!なんなら系列の大学生の方が向いてるんじゃ・・・。」


そこまで言うと少女は満面の笑みでこう言った。


「そんなことわかってますよ?ただ、あなたという人とのパイプも持っておくと役に立つかもしれないと思っただけ。次条大学のレベルなんてわかっていますわ。」


めちゃくちゃ腹が立つ。

だが僕は大人だ、子供の発言に一々癇癪を起こしていたらいけない。

落ち着け僕、取り乱すな僕、こんなことじゃ世の中やっていけないぞ。

師匠!早く出てきて!僕の堪忍袋が爆発する前にお願い!

奥で鳴っていたシャワーの音が止んだ。


「あ!師匠が出てくるから!話の準備よろしくね!」


そう言い残して給湯室に駆け込んだ。

とりあえず師匠の準備が整ったら出ていこう。

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