春ピュア

川谷パルテノン

フレンチキス

「お世話になりやした」

「ほんとに出てくのか」

「もう黄身彦きみひこにメーワクかけたくないから」

「ハル、どうやって生きてくつもりなんだ」

「牛丼屋でバイト」

「出来るわけないだろ」

 だってキミには、キミの両腕には、不自由な自由が付いてんだから。

 


 俺がハルと出会ったのはバイトの帰りだった。店の戸締りを終えるとゴミ置き場のあたりから呻き声が聞こえた。酔っ払いか、面倒だな。そう思いながらおそるおそる近づいた。

「あ"ぁああーーー!!!」

 呻き声の主、ハルは突如叫んだ。腰を抜かした俺だ。なにせ蹲ってた時はよく分からなかったが、たぶん威嚇のつもりで立ち上がったハルの両腕が大きな翼だったから。

「ええ! えーーーッ! は? えええーーーーーッ!」

「助けて!」

「こちらこそ!」

「殺さないで!」

「よろしくお願いします!」

「……なんなの?」

「何ってなにがなんだか。キミ話せるの?」

「怖くないの? アタシが」

「怖い……かな。けど状況がよくわかんなくてどうしたらいいか思い浮かばないしなんていうかこんなのはじめてっていうか何に似てるかって言ったら親切心で道に迷ってたイタリア人のお姉さん助けた時の成り行きという行きずりのそれがそれで童貞を消失したあの日に似た」

「ちょっと!」

「はい!」

「何言ってっかわかんない。お前、アタシを助けてくれる?」

「はい」

 猛禽類。例えば鷹や隼、トンビにフクロウ、そんな仲間に似た茶味がかった羽根。俺はハルに着ていたマウンパを着せて隠すように連れ帰り、アパートに匿った。事情を聞けば、どこぞの研究室に閉じ込められていたハルはそこから脱走し、命からがらこの町に迷い込んだらしい。漫画か。ともかくハルは今、その研究所の追手から逃げている最中で、俺に匿ってほしいと言った。映画か。よく見ると確かに肩に銃創らしきものがあって、俺はちびった。

「でも俺はこれからどうしたらいいとか全然分からん。わからんわからんわからんわからんわからんわからんわからんわか」

「包帯ある? あと消毒液」

「包帯。ハンカチでいい?」

「いいよ。あとそれでいい」

 ハルは「大五郎」とデカデカ書かれたボトル酒を指(爪?)さした。

「口に含んで」

 口に含んだ。

「吹きかけて」

 吹きかけた。

「あ"ぁああーーー!!!」

「ああもう! ナニ!? ああ!」

「ハンカチ、あとで買って返すから」

 俺はハンカチを巻きやすいよう破って「いいよ、そんなの」と言った。ハルは痛みが落ち着いたのかそのまま眠った。俺は一睡も出来なかった。

 翌朝、ハルの枕元にメモを置いて俺は家を出た。受け入れられない現実がどうしようもなく重くのしかかってきて、とにかく大学へ行くことにした。

「黄身彦どったの? 殺し屋みたいな目してんぞお前」

 そりゃ寝てないからね。彼女、嫁狐雨かこさめシトネはサークルの先輩で、全学年合同の講義で一緒だった。

「嫁狐雨さん」

「なんよ?」

「遊戯王、読んだことあります?」

「ないよ」

「孔雀舞って知ってます? そのデュエリストの持ちカードでハーピィ三姉妹」

「だからないって。遊戯王の話やめろ。それより大丈夫かマジで。何あったん?」

 俺は正直に、昨晩起きたことを嫁狐雨さんに話した。嫁狐雨さんは爆笑し尽くすとハルに会わせろと言ってきた。浮気した元カレを簀巻きにして、バイクで町中を引き回した結果鑑別所にぶち込まれたらしい彼女の胆力は、そばで見てきた俺自身重々承知していたが、ハルと会わせるのは「ややこしや、嗚呼ややこしや、ややこしや」と小林一茶的な直感が働く。


「誰よこの女!」

 ハルは俺が今朝置いたメモを守ってじっとしていたらしい。作り置きしてあった握り飯も、皿の上がしっかり綺麗になっていた。なかなか可愛げがある。

「ハル、落ち着いて。この人はまあまあ信用できるいでっ!」

「まあまあってなんだ。へえ、可愛いじゃん。あんたが黄身彦の彼女? よろしくねハルちゃん」

 ハルは威嚇の眼をやめない。無理もない。殺されかけたんだ。人間なんて嫌いに違いない。それはそれとして嫁狐雨シトネは流石だ。ハルの翼を見ても物怖じひとつしない。それどころか茶化す始末。ややこしや! 

「はい、ボンクラはどいて。おっ邪魔しまーす」

「なんだ! 触るな!」

 ハルがはらった爪先が嫁狐雨さんの頬を掠めた。裂けた皮膚から血が垂れる。

「ちょっとおとなしくしろー。こんな手あてじゃ化膿すんぞ。ちゃんと薬買ってきたから。ほら、手。出しな」

 しばらく間が空いてハルは素直になった。恐るべし嫁狐雨シトネ。それに比べて俺という奴は、ただ黙って突っ立っているしかなかった役立たずだ。飛び出し坊やの方がまだ躍動感がある。

「これでよし! ハルちゃん、困ったことがあったらいつでも言いな」

「……ありがと」

「おい黄身彦!」

「はい!」

「泣かすんじゃねえぞ」

「承知してます」

「じゃ、私帰るから。ほなね」

 嫁狐雨さんがバイクで走り去るのを窓から二人で見送った。さて、どうしたものか。

「黄身彦はあの女好きなん?」

「何言ってんの突然」

「どうなん?」

「まあ、憧れではあるかな。俺、子供の頃から仮面ライダーが好きでさ。知らないか。バイクに跨った正義の味方なんだけどね。嫁狐雨さん見てると似てんなって。あんな風にカッコよく生きてきたいなって」

「ふーん、それだけ?」

「妬いてんのか?」

 この後、顔がメロンパンになった。


 ハルとの生活はそれなりに楽しかった。相変わらずハルを外には出してやれなかったが、研究所で閉じ込められていた時のようなストレスも感じていないようだ。ハルを追っているヤバい奴らとも出くわさぬまま数日が過ぎた。

 嫁狐雨さんの提案で三人で遊びに行こうって話になった。莫迦言ってんじゃないよと俺は必死に止めたが、意気投合した女二人のエネルギーには勝てるはずもなく押し負けた。

 桜の咲く季節。ならやっぱり花見だろ。嫁狐雨さんはそう言った。人目は避けて通れんぞ、と俺は異議を唱えたが、彼女は穴場があると言った。ハルにはマントみたいなポンチョみたいな変な服を着せる。翼よりはマシだ。脚の爪もかろうじて隠せる。

「バイク、速いね」

「だろ! 風が気持ちいいでしょ」

「いつかはこんなふうに風を切ってた」

「そうなんだ。また飛びたい?」

「どうかな。ちょっと怖い」

「……そっか」

「黄身彦大丈夫かな?」

「え、あー、大丈夫大丈夫」

 なんで俺だけチャリンコなんだよ。ウォリャーーーッ!!


 嫁狐雨さんが教えてくれた穴場には俺たち三人だけしかいなかった。獣道を掻き分けた先に、誰が面倒を見ているわけでもなさそうな桜の木が一本と、澄んだ池があった。

「こんなところ知りませんでした」

「まあ立ち禁だからね」

「綺麗」

「でしょ。昔はよくカレシときてたんだけど、まだ残ってて良かった良かった」

 池で魚が跳ねた。ハルの喜ぶ顔は、これまでのドタバタを全部洗い流す。俺はこの子がいつだってこうやって笑っているべきだと思った。不安なんてどこにもなく、ただただ自由に幸せでいるべきだと。しかし人間社会ってやつは狭苦しい。

「ようやく会えたなハルピュイア!」

 穴場の周りを囲む木々が騒めき、風が不自然に流れたかと思うと、池の水は大きく震えて、桜の花が哀しげに散った。軍用ヘリのけたたましい飛行音。拡声器から聞こえる野太い声。奴らがこんな開けっ広げに現れるなんて、俺たちは油断していた。ハルの顔が強張っていた。

「ハルちゃん! 黄身彦! バイクんとこまで走って!」

「何やってんだハル! 行こう!」

「けて……死にたくない、助けて」

「しっかりしろ! 俺が絶対……」

 そんなものはない。それだけは絶対だ。

「俺が絶対助けるから!」


 バイクを置いた場所に俺たちが辿り着く頃、奴らはヘリを無理やり降ろし待ち構えていた。嫁狐雨さんの愛車は絶賛炎上中。

「ハルちゃん、その羽根。飛べるんだよね?」

「怖い、怪我してからずっと飛べてない」

「頼む。お願い。ここは私がなんとかする。だから黄身彦連れて逃げて」

「シトネさん!」

「助けるんだろ? 黄身彦、行って」

「……ハル、行こう」

「でも。シトネは」

「行こう。大丈夫、大丈夫だから」


 とにかく走った。飛んでくれ、頼む。そう祈りながら。しばらくして、研究員だか知らんけど物騒な奴らが後を追ってくる。嫁狐雨さんのことを考えてしまい足が止まった。

「黄身彦?」

「ごめんハル。俺、シトネさんのことが好きなんだ」

「……」

「でもハルのことも好きなんだ。どうしたらいいかわからない。けどどっちも守りたい。ごめん。ほんと頭悪くて。弱くて。……ハル、きっと大丈夫だ。もう傷は治ってる。キミは俺の百倍じゃきかんくらいつよい。だから大丈夫。アイツらは俺が食い止める。行って」

「やだ!」

「行け!」

「やだよ」

「泣くなよ。俺も泣きそうになる。頼む。もう追いつかれる。行けハル!」

 最低だ。こんなプロポーズあるかよ。ハルの背を見送った俺は覚悟を決めた。来るなら来い。悪漢ども! 悪漢と俺の距離、約一〇〇メーター、八〇、六〇、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……

「ハル……飛べーーーーーッ!!」

 鼻の上にひらりと落ちた茶色い羽根。俺は笑った。


ウーーーーーーッ! ウーーーーーーッ!

「警察だ! 器物破損! 航空法違反! その他なんやかんや! 逮捕ーーーーーッ!」

 パトカーから嫁狐雨さんが降りてきて親指を立てた。俺はその場にへたり込んで笑い転げた。笑って笑って笑って笑って笑って笑い尽くした後、羽根を握りしめてちょっと泣いた。


「お世話になりやした」

「ほんとに出てくのか」

「もう黄身彦きみひこにメーワクかけたくないから」

「ハル、どうやって生きてくつもりなんだ」

「牛丼屋でバイト」

「出来るわけないだろ」

「嘘。なんか政府? で変な部署? があって支援? してくれることになりました」

「ようわからんがよかったな」

「まあね。黄身彦」

「なに」

「ごめんね」

「謝るのはこっちというかあの時は土壇場で言うべきことだったのか否かと今でも悩」

「ありがと」

 は? いやいや、いやいやいやいや! 違う。違う違う違う違う! 鳥だから! 鳥にキスするとかそういう! そういう感じだからこれは! それにフレンチ! 圧倒的フレンチ! 畜生ありがとう! (了)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春ピュア 川谷パルテノン @pefnk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る