エヴァンの回想-暴かれる秘密と、取引-(3)

 アイリスがジェイソンと部屋を去った後、二人でふうっとため息をついた。なんだかどっと疲れた気がする。

「まったく、あの二人ときたら……何をしでかすか、分かったもんじゃない」

「本当だよ。アイリスはおとなしいと思ってたのに」

 だらしなく背もたれに背中を預けて、天井を仰ぐ。顔をわずかに傾けると、クリストハルトに穏やかな目で微笑みかけられ、それに少しだけほっとする。アイリスとジェイソンに説教をしていた彼は、いつにもまして怖かった。あの調子で怒られていた二人は、生きた心地がしなかっただろう。アイリスはもちろん、クリストハルトに叱られ慣れているジェイソンでさえ、終盤には魂を飛ばしかけていた。エヴァンが頼んでおいた温かいお茶で多少は持ち直したようだが、相当堪えたに違いない。

「君、怒ると怖いよね。絶対に怒らせないようにしないと」

「……あれは、叱ったんだ。ジェイソンはうちの弟たちより手がかかるし、アイリスも今回の件で危ないところがあるのが分かったからな。釘はしっかりさしておかないと」

 いささかきつすぎなのではと思うが、心配していたことはわかっているので、ほどほどにね、と言うだけに留めておく。

「……まるであの二人の父親みたいだね、君は」

 しっかり者の彼らしい口ぶりに頬が緩んだが、ここに残った目的を思い出して表情を引き締める。和んでいる場合ではないのだ。

「ところで、君はどう思ってるの、アイリスの話」

「さっきも言ったが、悪い話ではないと思っているよ。君と一緒にいるために払う対価にしては、安いものだ」

「アイリスの気持ちは、どうなるんだ。この提案に乗るってことは、アイリスの好意にあぐらをかくようなものじゃないか。いつまでも彼女の気持ちを踏みにじって、辛い思いをさせることを、君は良しとするの?」

「……少し前の俺なら、そんなことはできないと答えただろうな」

 長い沈黙のあと、ため息交じりにクリストハルトは答えた。

「実はこの間、リドメイソン公爵令嬢に、個人的な茶会に呼ばれたんだ」

 突然何を言い出したのかと眉をひそめたが、一拍遅れてその意味に気づく。

「……婚約の打診が?」

「ああ。父は明言を避けたが、まず間違いないだろう」

 その言葉に、ずしりと胸が重くなる。彼が乗り気な姿勢を見せるわけだ。

「このまま話が進んでしまえば、彼女と結婚するしかなくなる。そうすれば、君とも別れなければいけない。断りたくても、適当な理由が浮かばなかった」

 駆け落ちでもしようかと思っていた、と言うクリストハルトは、かなり思いつめていたのだろう。少しやつれているように見える。

「この提案を受けてしまえば、アイリスを苦しめることになるのは分かっている。彼女のことを考えるのなら、関わらせるべきではないことも。……それでも俺は、君と離れたくないんだ。そのためなら、悪魔にだってなってやる」

 強い覚悟を秘めた瞳がゆっくりと伏せられる。囁くような声でエヴァン、と呼びかけられた。

「君は、こんな俺を、愚かだと思うか?それとも、薄情な男だと軽蔑するか」

「……そうだね。君は愚かだ。それに、大事な友人でもあっさりと利用できる、ひどい男だ」

 はっと見開かれた瞳に、傷ついた色がよぎる。ここまではっきりと肯定されるとは思っていなかったのだろう、動揺をあらわにするクリストハルトがたまらなく愛おしくなって、衝動的に腕を伸ばして彼の頭を掻き抱いていた。

「僕も、同じだ。君と一緒にいるために、あの子を犠牲にする。……そう決めた僕は、君と同じく、愚かで、ひどい男だ」

「後戻りはできないが……いいんだな?」

 下から覗きこんでくる彼の瞳を見て、しっかりと頷く。ひとしずくだけ、エヴァンの目から零れた涙がクリストハルトの頬を濡らした。まるで二人で泣いているみたいだ、と思う。

 ―この先どんな地獄が待っていたとしても、彼と一緒なら耐えられる。耐えてみせる。

 そう誓ったはずだったのに、いつだって人の心とは、ままならないものだ。

 この選択が間違いだったのだと、はっきり気づいたのは、それからすぐのことだった。

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