エヴァンの回想-暴かれる秘密と、取引-(2)

 どうやらジェイソンは、エヴァンだけでなくクリストハルトもクラブに呼んでいたらしい。

 なんだか帰る雰囲気でもなくなってしまったため、クリストハルトの隣の椅子に座り直す。

「……いつから聞いていたの?」

「俺と君が、ただの友人だと君が言っているときだな」

「そんなに前から?だったら、加勢しに来てくれれば良かったのに」

 誤解を解くの大変だったんだよ、とぼやく。ここでクリストハルトが頷いてくれれば、アイリスもそれ以上は踏み込めないだろう。

 そう期待してクリストハルトを見たが、彼は諦めろというふうに首を振った。

「……たぶん、アイリスは全部分かってる」

「え?」

「確証もなしにこんなことを言うような性格じゃないからな。そうだろう?」

 驚いてアイリスを見る。二人の視線を受けて、アイリスはこくりと頷いた。

「あなたがたが恋人同士であることには、薄々気づいていました。なんだかお二人でいるとき、特別な雰囲気になっている気がしていたから。でも、殿方ってそういうところがおありになるから、よく分からなくて」

 そこでアイリスは一度言葉を切って、ゆっくりと深呼吸した。

「確信したのは、先月、我が家でパ-ティ-があったときです。クリスにいさまが体調を崩されて、その後お二人で個室を借りてらしたでしょう?なかなか出ていらっしゃらないから、心配になって。執事のエイベルに頼んで、一緒に様子を見に行ったら……」

 確かに、そういうことはあった。パーティ-の途中、気分が悪くなったクリストハルトに付き添って介抱した後のことだ。

「見られていたのか……」

 気まずくて、アイリスの顔を見ていられない。耳まで真っ赤になったエヴァンとは対照的に、クリストハルトはどこまでも冷静だった。

「……それで?そこまで分かっていながら、わざわざ俺たちに確認を取ったんだ。本題を話してもらえないか」

 一拍呼吸を置いて、アイリスは頷いた。

「あなたがたの関係が、世間の人にどう見られるかは、社交界に出たばかりのわたくしでも分かります。周囲に知れ渡ってしまえば、大変な事態になることも。……でも、わたくしはあなたがたの恋が、間違っているとは思えないのです。支えたいと……思いあがった言い方ですが、守ってさしあげたいと思うのです」

 そこまでアイリスが思ってくれていることに、エヴァンは驚いた。

「……君は、嫌じゃないの?僕たちが何をしているか、知っているのに」

「複雑でしたけれど、嫌ではありませんでしたわ。だから、お二人の関係がばれないようにする方法を、ずっと考えていたんです」

「……そんな方法があれば、とうに俺たちが使っているよ」

 どこか疲れたように呟いたクリストハルトに、アイリスは首を振った。

「それは、あなたがただけで隠し通そうとした場合ですわ。この秘密を共有する異性の第三者がいた場合、ばれる確率はぐっと下がる。そう思われません?」

「……どういうこと?」

 疑問というよりは、確認のためにアイリスに聞き返す。予想が当たっていませんように、と祈るような思いで返事を待ったが、返ってきた答えは見事に予想通りのものだった。

「わたくしが、あなたがたのうちのどなたかと形式上の結婚をするということですわ。あなたがたは家ではどんなことをなさっても問題ありませんし、今まで以上にお二人で過ごす時間を持てる。片方が既婚者なので、変な噂をたてられることもまずないでしょう」

「それは駄目だ。君を巻き込むわけにはいかない」

 反射的に首を振るが、アイリスも頑なな姿勢を崩さない。

「いいえ。あなたがたの秘密を知って、それを隠し通す決心をした時点で、わたくしも同罪です。一緒に地獄にでもどこでも、行ってやりますわ」

「君を犠牲にするような真似はできないよ。君は君自身が幸せになることだけ考えて」

「犠牲なんかじゃありませんわ。これはわたくしにとっても利のあることですもの。それに、あなたがたを見捨てるようなことをしたら、わたくしは一生後悔します」

 挑むような顔つきのアイリスに、内心頭を抱える。こうなったら彼女は梃子でも動かないのだ。説得を求めてクリストハルトを見たが、彼は真剣な顔で身を乗り出す。なぜか、乗り気になっているようだ。どうやらエヴァンの味方はいないらしい。

「君の、利益とは?」

「結婚相手がにいさまたちのうち、どちらかになることですわ」

「……どちらと結婚したいんだ」

「クリスにいさまですわ」

 アイリスの答えは予想できていたことだが、全く考えるそぶりを見せずに答えられると、それはそれで複雑な気持ちになる。微妙な顔をするエヴァンをよそに、二人は話を続けた。

「……確かに、俺たちにとっては願ってもない話であることは否めない。だが、君はそれでいいのか?俺はエヴァンを愛している。君のことは家族としては愛するが、それ以上の感情を抱くことはないだろう」

「そんなこと、確認されるまでもありませんわ。この方法を思いついたときから覚悟していることです。だいたい、貴族の間では愛のない結婚など常識。クリスにいさまのように人柄も家柄も良く、その上良く知っている相手となれば、これ以上を望んでは罰が当たります」

 頬を紅潮させるアイリスをクリストハルトはじっと見つめていたが、やがて小さく息を吐いてエヴァンを見た。

「アイリスはこう言っているが、君はどう思う?」

「……駄目だよ。アイリスは、君自身を愛してくれる人を探すべきだ。僕たちになんか、構っていてはいけない」

「そんなかたが、どこにいらして?物語でもなければあり得ませんわ。姉も、一昨年嫁いだ従姉も、みんな旦那様の愚痴ばかりですのよ。愛されないことに悩んで、食事も喉を通らなくて……。そんな思いをするくらいなら、あなたがたを見ているほうがよほど幸せですわ」

「アイリス……」

 かける言葉が見つからない。彼女の言うことも、間違いではないのだ。

 結婚は、家同士の利益が重要視されることがほとんどのため、個人の感情が無視されることはざらにある。その中でも良い関係を築ける夫婦もいるが、やはりそうでない人々の話をよく聞く。きっとアイリスが今まで見てきた女性たちも、その例に漏れず、夫となった人とはうまくいっていないのだろう。そんなものだと割り切って、愛人と恋愛を楽しむ夫人もいるが、アイリスにはそんなふうになって欲しくなかった。

「……君の言うことも、一理あると思う。それでも、君が僕たちといるよりも幸福になる可能性があるなら、それを逃して欲しくはないんだ」

「でも……」

「アイリス」

 なおも言いつのろうとしたアイリスを、クリストハルトがたしなめる。納得のいってなさそうな表情で口を閉じた彼女をなだめるように、クリストハルトは表情を緩めた。

「君が俺たちのことを考えて、この提案をしてくれたことは嬉しいよ。実現させるにはいくつか問題もあるが、悪くない話だと思う。だが、君にとってこれが本当に最善なのかどうかを、もう一度考えてみてくれないか。俺たちも、話し合いたいから」

「……分かりましたわ。結論が出たら、お手紙を送らせていただきます」

「ああ。……ところで、ジェイソンはどうしたんだ。俺は彼に呼びつけられたはずだが」

「わたくしが、席を外してもらえるように頼んだんです。ジェイソンにいさまなら、街のどこかにいらっしゃるはずですわ。午後四時にここに戻るとおっしゃっていました」

 エヴァンは自分の耳を疑った。てっきり、このクラブの中にいるものだと思っていたのに。

「街に?じゃあ、僕が来るまで君はどうしていたの?まさか、ずっと一人だったとか」

「ええ、そうですわ」

 あっさりと頷いたアイリスに、眩暈を覚えた。いくらなんでも、危機感がなさすぎる。

「ええと……とりあえず、どうしてそういうことになったか、詳しく話して」

「はい。どうしても内緒にしたい話があるけれど、貴族の家だと給仕がいて落ち着かないから、どこかいい場所はないかと聞いたら、ジェイソンにいさまがここを教えてくださったのです。ジェイソンにいさまと百貨店に行くと言って家を出て、途中でこっそり着替えてから、クラブに入りました。もちろん、ジェイソンにいさまと一緒でしたから、心配なさらないでくださいね……どうしてお二人とも、そんなお顔をなさるの?」

 話を聞くうちに徐々に目つきが険しくなる二人を前にして、怯えた目をするアイリスに、クリストハルトがやれやれとため息をつく。

「……まずはジェイソンに説教だな。いくら頼まれたからといって、年頃のご令嬢をこんなところに一人で放置するとは。紳士としてなっていない」

 いつもより一段低い声のクリストハルトに頷く。先ほどは混乱していて、うっかり流されてしまったことが悔やまれた。雲行きが怪しくなってきたことに気づいたアイリスが、焦ったように声を上げる。

「でも、この格好ですし、誰も女だなんて思いませんわ。この部屋にはお二人以外誰も入れるなときつく言っておきましたし……」

「だからといって、何かが起きないとも限らないだろう。もしも君の身に良くないことがあれば、君は一生を棒に振ることになるんだ。君をここまで育ててこられたご両親の努力をふいにすることになってもいいのか」

 この店だって、不名誉な事件を引き起こした責任を問われることになる、と淡々と続けるクリストハルトに、アイリスがはっとしたように口に手を当てる。

「君は今まで、何を学んできたんだ?不用意な行動を慎めと言われてきた意味を、きちんと考えたことはあるのか。もう子供じゃない、社交界に出た一人前の女性だろう。自分の行動が周りにどんな影響を及ぼすのか考えて行動できないようじゃ、貴族としてこの先やっていけない。もちろん、俺の妻になんて迎えられるわけがない」

「……っ」

 厳しい口調のクリストハルトに、アイリスの顔が青ざめる。無理もない、普段からは考えられないくらいに、今の彼は怖かった。語気を荒げてこそいないが、全身から怒りの気配が立ち上っている。今後、絶対にクリストハルトを怒らせないようにしよう、と固く誓った。

「君の行動力にも驚かされたが……こういうところを見てると、君たちは兄妹なんだなと実感するよ。常識が足りないところも含めてね。この件は君のお父上に報告させてもらう」

 今度こそ蒼白になったアイリスに、少しだけエヴァンは同情した。クリストハルトはやると言ったらやる男だ。こう宣言した以上、必ずこの件は彼女の父の耳に入るだろう。アイリスもジェイソンも、みっちりと仕置きを受けるに違いない。

 午後四時きっかりに部屋に姿を現したジェイソンも、クリストハルトから説教を受け、解散したのはそれから一時間以上経ってからだった。

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