エヴァンの回想-暴かれる秘密と、取引-(1)

 それから卒業するまでの三年間は、比較的穏やかに日々を過ごせたと思う。

 クリストハルトがついてくれていたということもあるし、エヴァン自身の気の持ちようも変わったからだろう。不思議なことに、堂々としていると、嫌がらせは減るようだ。

 また、男子校という閉ざされた環境の中では、クリストハルトとエヴァンのような関係は決して珍しいものではない。大っぴらにはできなくても、同じようなことをしている人がいると分かっているだけで、随分と違うものだ、と卒業後にエヴァンは痛感した。

 ―社交界では、事情はまったく違う。

 男性よりも女性が主役となるこの世界では、男性同士の恋愛の話題は禁忌に近い。口にするのもおぞましい、というほどの強烈な拒絶反応を示されるのだ。女性の間ではどんな噂もあっという間に知れ渡る。特に悪い噂であるほど早く広まり、長期間にわたって人々の記憶に残る。万が一にでも知られれば、家名に泥を塗ることはもちろん、一族を含めて社交界に出入りすることはほぼ不可能に近くなる。貴族ならば誰でも知っていることだが、実際それで没落に追い込まれた家もあったのだ。

 そんな事情もあって、卒業する頃にはそういった関係を清算しているのが鉄則だ。それができない者は、文字通りばれたら死ぬ覚悟で隠し通さなければいけない。

 けれど、エヴァンはいつまで経ってもどちらの覚悟もできなかった。どちらかが結婚するときには関係を断つという約束をしただけで、ことの重大さから目を背け、背徳的な恋に耽溺した。そのつけを、何の関係もなかったはずのアイリスにまで背負わせて。

『私たち全員が、幸せになれる方法が、ひとつだけあると思うんです』

 クリストハルトへの思慕を健気にも押し隠しながら、そう言ったアイリスを思い出す。

 可憐な顔に似合わない、挑戦的な笑みの裏で、彼女は何を思っていたのだろう。


 内密の相談がある、とジェイソンから呼び出されたのは、春の終わりの頃だった。

 指定された下町のクラブに向かい、ジェイソンが待つという部屋に通される。一礼して背を向けたボ-イが通路の向こうに消えるのを見送って、エヴァンはゆっくりと扉を開けた。

「……あれ?」

 部屋にいたのは、見慣れない少年だった。呼び寄せた当人であるジェイソンはどこにもいない。まごついていると、少年が焦れたように口を開いた。

「エヴァンにいさま、早く扉を閉めてください。時間がもったいないです」

 意図的に低められた声に、エヴァンは目を見開いた。クラブにいてはいけない人物が、なぜここに。

「アイリス!?」

「あまり大きな声で呼ばないでくださいませ」

 シッと音を立てて唇に人差し指を当てるアイリスに、戸惑いを隠せない。

「驚かれるのも無理はありませんが、今はお捨て置きください。ジェイソンにいさまには席を外していただきました。どうしてもエヴァンにいさまと、内密のお話がしたかったので」

「……それは?」

 混乱していたが、頭を切り替えてアイリスを見据える。女子禁制のクラブに少年の恰好をしてまで来たのだ、相応の理由があるのだろう。

 エヴァンが椅子に腰かけるのを見届けて、アイリスはゆっくりと息を吸った。緊張のためか、こわばった表情で話し出す。

「お話は、ただひとつ。クリスにいさまとは、どのようなご関係ですか、ということをお聞きしたいのです。なお、ただの友人だという答えは受け付けません」

 その言葉の意味を理解した瞬間、心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。不思議そうな表情を顔に貼りつけて、平静を装って訊ねる。

「……どういうことかな、それは」

「どういうことかは、エヴァンにいさまが一番よく分かっていらっしゃるはずですわ」

(どこまで知っているんだ?)

 胸の奥で、焦りと恐怖が膨れ上がる。この所業を知られてしまえば、アイリスは自分を拒絶するに違いない。―いや、もうすでにそうなっているかもしれないのだ。

(それだけは、耐えられない)

 そう考えた自分に、愕然とする。アイリスが慕っているクリストハルトを奪うような真似をしておいて、嫌わないで欲しいなんて、随分と虫のいい話だ。それだけでも軽蔑されてもおかしくないのに、この上さらに嘘を塗り重ねていくのだ。これ以上の裏切りはない。

(……それでも、この秘密を打ち明けるわけにはいかないんだ)

 この道を選んでしまった以上、誰のことも頼れない。どの程度アイリスが察しているのかは分からないが、決定的な証拠を出されない限りは、何を言われようと、否定し続けるしかないのだ。たとえ、大事な幼馴染と縁を切ることになったとしても。

「よく分からないけど、僕とクリストハルトはただの友人だよ。それ以上でも、それ以下でもない」

 探るように見つめ合う時間が、永遠のようにも思えた。しばらく経って、アイリスがぽつりと呟く。

「……何も、おっしゃってはくださらないのですね」

 重苦しい沈黙のあと、アイリスは諦めたように視線をそらした。それだけで、エヴァンは悟った。—ああ、これで嫌われたな。

「そうだね。僕は君に、言うべき言葉を持っていないから。……もういいだろう?話がこれだけなら、帰らせてもらう」

 彼女の瞳に失望の色がよぎる瞬間を見たくなくて、素早く長椅子から立ち上がる。背を向けたエヴァンに、アイリスの声が投げかけられた。

「頼っても、くださらないのですか」

 その言葉に、息が詰まる。昔、クリストハルトに言われた言葉と、そっくりだったからだ。

『どうして君は、もっと俺たちを頼ってくれないんだ!?』

 あれから何年も経った今なら理解できる。あの言葉に込められていたのは、純粋な気遣いと、溢れんばかりの優しさだった。

 ―まさか、心配してくれているのか。

 意外な気持ちで振り返る。先入観を取り払ってしまえば、そこにはエヴァンのよく知る少女が立っているだけだった。まっすぐにエヴァンを見るその目には、嫌悪も軽蔑もない。

「……いえ、それは当然ですわね。出過ぎたことを申しました」

 唇を噛んで悲しげに目を伏せたアイリスに、罪悪感が芽生えるけれど、それを振り払って部屋の扉に手をかけた。自分には、何も言う資格などない。小さく軋む音とともに、扉が開く。

「……あ」

「……え?」

 扉の向こうで小さく声を上げた人物に、目を瞬く。

「どうしてここにいるんだ、クリストハルト……」

 呆然とするエヴァンに、クリストハルトは気まずそうに視線をさまよわせた。

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