三人の選ぶ道(1)

 それから半年ほどが経った、ある日の事だった。

「奥様、旦那様がお呼びです」

 そう侍女に告げられて、アイリスは首を傾げた。

「まあ。確かクリストハルト様は、エヴァン様とお話されているのではなくて?」

 一時間ほど前に、エヴァンがこの屋敷を訪れたと聞いている。帰ったという報告はないから、まだ二人でいるのだろうと思っていたのだが。

「はい。そのようですが……」

 詳細は知らされていないようだ。内密の話なのだろうと気を引き締める。

「急いで支度をお願い。すぐに向かいますとお返事を出しておいて」

「はい」

 ゆっくりと重い身体を起こす。きびきびと準備に取り掛かる侍女を横目に、窓の外を見た。

(良くないお話でなければいいけど……)

 見上げた空は、陰鬱な曇り空。拭えない不安に、きゅっと胸元を握りしめた。


 いつもより多くの使用人に囲まれ、なんとかいつもより早く身支度を整えたアイリスは、通された部屋で軽く礼をした。

「お待たせして申し訳ありません、ノ-ランド様、メイストホ-ン伯爵」

「構わない。アイリス、楽にしていい。ここは身内の集まりだと思ってくれ」

 クリストハルトの言葉に頷いて、だいぶ大きくなったお腹を支えながら席に座る。お茶を用意したメイドが出て行くのを見計らって、エヴァンがおもむろに口を開いた。

「今日は、君たちにお別れを言いに来たんだ。この先、もう二度と会うことはないから」

「……なんですって?」

 穏やかではない話の切り出し方に、眉をひそめる。クリストハルトのほうを見ると、これは俺もさっき聞いたばかりだが、と前置きして、彼が話を引き取った。

「エヴァンが、メイベルにあるヴァ-ストン子爵のご令嬢のところに婿入りすることが決まった。秋の収穫期が来る前に婚儀を挙げてしまいたいという先方の都合で、二月後にはこの国を発つそうだ」

「そういうこと。まだ公表されていない内容だから、外では話さないでね。……とはいえ、もうこの国のパーティ-に顔を出す予定はないから、僕が困ることはあまりないけれど」

「…………え?」

 告げられた内容に、頭が真っ白になった。

「メイベルって、確かずっと東の国でしたわよね?……そこに婿入りなさるって。宗教も違うのに」

「そう変わらないよ。それに、結婚する前に改宗するから大丈夫」

「言葉はどうなさるの」

「昔から習っていたからね。ひととおりは話せるんだよ」

 ちょっと得意げなエヴァンを見ても、笑うことができなかった。

「どうしてそんなことに。まさか、お二人の関係が……?」

 もっともらしい理由ではあるが、いくらなんでも国を発つまでの期間が短すぎる。これではまるで、放逐されるようではないか。

 青ざめるアイリスに首を振って、エヴァンが安心させるように微笑みかける。

「大丈夫、誰にもばれてないよ。確かに少し慌ただしいけど、それは先方が急いだ結果だ。僕の不名誉な行動ゆえだと勘繰るような輩が現れることはないから、心配しないで。この秘密は永遠に、僕たち三人のものだ。そしてこの先、誰かに知られることもない。僕たちの関係は、ここで終わりだから」

 終わり、という言葉が、やけにはっきりと胸に響いた。絶望的なのに、清々しささえ感じさせる響きは、きっと彼らが心底からそれでいいのだと思っている証だろう。穏やかで満足げで、どこか晴れ晴れとした二人の表情からも、それが読み取れた。

 納得していないのはアイリスだけだ。なんだか一人だけ置いて行かれたようで、それがまた腹立たしい。昔からそうだった。大事な話をするとき、いつもアイリスは蚊帳の外。

 怒りとも悲しみともつかない感情に突き動かされて、衝動のままに口を開いていた。

「どうして、そんなことを?わたくしのことは気になさらないでって、言ったじゃない」

 口調が崩れているのにも気づかずに、アイリスはまくし立てた。

「エヴァン様と別れることになったら、きっとあなたは壊れてしまうって、わたくし言いましたわよね?ばれる危険を冒してでも、あなたがたは一緒にいたかったんでしょう?それなのに、こんなに簡単に諦めてしまえるものなの?違うでしょう?」

「……そうだな。ずっと一緒にいたかったし、今でもそう思っているよ」

「だったら、どうして!」

 淡々と答えるクリストハルトを鋭く睨みつけるが、彼はそれを意にも介さず、アイリスの手を掴んだ。振り払おうと身をよじったが、逆にしっかりと握り直される。

「落ち着いてくれ、アイリス。身体に障る」

「落ち着けるはずがありませんわ。わたくし、ようやく覚悟を決めたところでしたのよ。あなたがたが幸せでいられるなら、自分の恋が叶わないことくらい受け入れてみせるって。いつまでも悲劇の主人公ぶって、めそめそしてなんかいられないって思い直したのに……」

「……そうか。君は、そんなことを思っていたんだな」

 優しい声に、顔を上げる。温かな手に頬を包まれ、こつん、と額が合わさった。

「ありがとう。でも、もう決めたんだ」

「そんな……っ。だって、エヴァン様がいなくなったら、あなたは……!」

「大丈夫。俺は、エヴァンがいなくても、君の言う『機械』にはならない」

 思わず声を荒げたアイリスを、穏やかな声が制す。

「エヴァンがいない日々は、きっと俺にとってはつらいものになるだろう。それでも、俺には君がいる。君のお腹にいる子どもも。だから、絶対に大丈夫だ」

 そうだろう、と呼びかけるクリストハルトに、軽やかな声が答えた。

「そうだよ、アイリス。君が思っている以上に、クリストハルトにとっての君の存在は大きい。君の心配しているようなことにはならないって断言しよう」

「……ほんとうに?」

 夫に視線を戻すと、力強く彼は頷いた。

「ああ。だから、引き留めるのではなく、祝福してくれないか。君がそうしてくれるなら、俺たちはこの選択に自信を持てる。最善ではないかもしれないが、少なくとも間違ってはいないと思えるんだ」

「アイリス、僕からもお願いだ。今までさんざん君を苦しめてきた僕が君に願い事なんて、おこがましいのは承知の上だけれど……。どうか僕の最後のわがままを、叶えてくれないか」

「……ずるいですわ。最後だなんて、そんな言い方」

 そんなことを言われたら、断れないではないか。

 軽く睨むふりをして、涙が零れないように目に力を込める。いかにも不承不承といったふうに、アイリスは口を開いた。

「……分かりましたわ。あなたがたがどんな道を選んでも、一生それについて行くと決めたんですもの。でも、やっぱり説明が欲しいです。どうしてそういうことになったのか、せめてそれくらいは聞かせてくださらないと」

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