工事

紫鳥コウ

工事

 一


 太陽の暴君がまた悪政をふるっている。ひた隠しにしている短所の暴露を恐れた者ほど、おのれの長所を自慢して虚勢きょせいを張るものだ。


 二


 暴君のお膝元ひざもとでは、猛暑にもかかわらず、建築工事が行われている。ブルドーザーが石を踏み鳴らし、ハンマーの音はカンカンと響き、真剣な者にしか放てない怒号は、絶え間なく輪唱りんしょうされる。


 三


 そんな工事現場の近所の、古びた、木造の二階建てのアパートの一室で、七歳の男の子が、病床にしていた。どこか黄ばんだかけ布団から抜け出た、苦悶くもんあえぐ顔を、心配そうに見ているのは、この子の母である。


「ママ、うるせぇよ。そと、うるせぇよ」

「ごめんね。工事をするひとたちは、たくさんのひとのために、仕事をしているの。だから……」


 窓が、隙間すきまのないほど閉められていても、騒ぎはガラスを透過とうかして、着実にこの子の身体をむしばんでいった。冷房は、ほとんど常温の風を嘔吐している。


 四


 夜には、工事は打ち切られるのが決まりであった。その時になると、この子は、眠りにつくことができた。


 病床の次の間で、家族は話をしている。


「工事は、いつ終わるんだろうね」

「あと、半月ほどらしいですよ」


「それまで、武夫は生きているかね」

「さあ……」


 そんな父と母の話をきいていた婆さんは、悔やしそうに、「武夫がかわいそうで……。ババが代わってあげられれば……」と、涙をはらはらと流していた。


 五


 武夫の衰弱に反して、工事現場は、どんどん盛りあがりを見せているようだった。


 しかし、この工事が終われば、たくさんの笑い声が、そこから響いてくるのだ。責められるいわれは、


「うるせぇよ。うるせぇよ……」

「もうちょっとの辛抱だからね」

「辛抱、辛抱って、もう、おれは辛抱したくないよぉ」


 母は、毎日、武夫の悲痛な声をきくと、もう、こらえ切れないくらい悲しくなって、いっそ、首をめてやりたいと、誤った思いを抱いてしまうのだった。


 六


 刑場の次の間で、婆さんは、嗚咽おえつをこらえながら、ボールペンを震わせていた。「武夫……ババは決心したよ」――――


 七


 婆さんが、工事現場に掘られた穴に落ちているのが見つかった。


 八


 太陽が静まりかえった、どこか冷ややかな早朝。蝉もまだ、意識を夢とうつつで往復させているらしく、しばらく鳴いては、長らく黙った。


 九


「それでは事故ということで、処理させていただきます。はい。それでは」


 十


 父は、来訪者を、玄関まで送りにいった。母は、病床で、武夫のほほをでていた。赤らんだほほは、生命の営みを感じさせた。と同時に、このほほが色味を失ったとき、武夫は死ぬのだと思うと、母は、目に涙がたまっていった。


 十一


 父と母は、三枚の置き手紙を、円卓に散らせて話をしていた。


「葬儀はどうしましょう」

「家族だけでと、そう書いてあるだろう」


 武夫は、何も知らずに、すやすやと寝息をたてている。


 十二


 うす茶色のカーテンを抜けてくる西陽が、武夫の鼻に、ぬくもりとかげを与えている。武夫は目をぱちりと開いて、その顔をのぞきこむ母に、「きょうもうるさくないねぇ」と、ふっくらと、ほほえんだ。


「しばらくはうるさくないからね」


 母は武夫に、後ろめたい微笑をたたえてこたえた。


「ババはどうしたの」

「ババはしばらく……お国に帰ったんだよ」


「お国ってどこ」

「ほら、むかし、武夫も行ったでしょう。山奥にある、きれいなきれいな川の流れる、ジジのいた、小さな、小さな……」


 十三


 それから、一週間後、武夫は死んだ。狭いアパートの一室に、両親と、数少ない知り合いが集まった。


 十四


 工事は、いつのまにか再開していた。石を踏み鳴らすブルドーザー、カンカンとハンマーの音、真剣に仕事に向き合っている者にしか放てない怒号――前よりもいっそう、盛り上がりを増しているようにみえる。


 十五


 工事が終わり、ようやく、幼稚園が完成した。多くの人々が、待ちに待った。


 十六


 いまは、武夫と婆さんだけではなく、父と母も、どこかへ行ってしまった。

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工事 紫鳥コウ @Smilitary

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