第066話 【side_リィン・エフィルディス②】

 リィンは今、わりと深刻な睡眠不足に悩まされている。

 まあそれも今日までのことではあるのだが。


 まだ睡眠不足がここまで深刻ではなかったあの朝。


 マサオミがリィンの部屋を訪れてくれた時に完全すやぁ状態だったのも、その前の晩のあれこれから興奮状態で眠れず、やっと意識を手放せたのが明け方近くになってからだったからである。

 そして一度眠りに落ちれば、もともとが寝不足なだけに最上級の部屋と最上級の寝具による質の高い安眠から逃れられなかったのだ。


 もっともマサオミと出逢う前から、リィンは必要最低限しか睡眠をとらないことが常態化している。

 寝れば必ず悪夢を見るので、それなら日がな一日夢現ゆめうつつの方がいくらかマシだったからだ。


 とはいえマサオミに――男性に障子一枚隔てただけの距離まで接近を許し、その最終防衛線まで踏み越えられるのみならず、触れられてなお寝こけていたというのは乙女として痛恨の極みである。

 『黒化』して以降、リィンに触れることが可能な生き物は無害――魔力を持たない小動物くらいしかいなかったので、そういう警戒心が磨滅しているという言い訳があるにしてもさすがにキビしい。


 それに妙にやらしい夢を見て目が覚めたのも、絶対にマサオミのせいだと思っている。

 他の悪夢と同じように、忘れることなく生々しい記憶が残っているのもタチが悪い。


 本人は「サワッテナイヨ?」などとトボけていたが、そうじゃなければ目が覚めた時点で汗が全身から噴き出しいて、体の芯から熱くなっていることなどありえない。

 今までそれなりに長く生きてきて、そんな目覚めなど一度たりとも経験したことなど無いのだから。


 目覚めた瞬間にマサオミが目に映ったので、うっかり夢の続きだと思って抱き付いてしまうところだったのだ。

 それはなんとか踏みとどまった自分を褒めてやりたいリィンである。


 アレは絶対マサオミに触られたせい。

 触れられた場所から寝ている間にマサオミの魔力を注ぎ込まれたからこそ、あんなハシタナイことになってしまったとしか思えない。


 あまりのことに、その時点で自分の『黒化』が解かれていたかどうかを確認しておかなかったことが悔やまれる。

 絶対に全身に満ちたマサオミの魔力のせいで、自分は一時的に白くなっていたはずなのだ。


 そうでなければヤラシイ夢を見たというだけで、自分がなったということになってしまう。

 それだけは乙女的に認めることはできない。

 ここはたとえ冤罪だったとしても「マサオミに触られた」ことを絶対的事実とする所存のリィンである。

 夢のお相手がマサオミだったのも、触れられたせいなのである。


 まあ事実ではあるので問題はなかろう。


 問題があるとすれば、リィン自身が触れられてもいないのにああなっていた可能性を否定しきれていないことくらいだ。

 興味も相当に持ってしまっているし。

 マサオミと再会した夜から続くリィンの寝不足の、間違いなく原因のひとつにはなっている。


 思えばリィンは、マサオミと出逢ってから初めて体験することばかりである。


 『贖罪の種族』とされてから、他人からあんなにあっけらかんと話しかけられたことも初めてだったし、『黒化』のことが無くても自分から異性に触れたのも、触れられたのも思えば初めてだ。

 それどころかまったく知らなかった感覚で意識を失わせられただとか、一人の女の子として口説かれたのもマサオミが最初なのだ。


 この数百年まるで変化がなかったのに、この短期間で随分といろいろな「初めて」をマサオミに奪われているリィンなのである。

 いっそのこと、一番大事な初めても奪ってくれればいいのにと思わなくもないが、マサオミがそれを絶対によしとしないことをリィンももう理解できている。


 今はそれを大前提として、マサオミをからかうのが面白くさえなっているくらいなのだ。

 たったこれだけの時間でよくもここまで変われるものだと、リィン自身ですら驚いている。


 まさか自分が「明日」を楽しみにするようになるとは思いもしなかった。 


 あれからマサオミは毎日リィンに逢いに来る。


 迷宮ダンジョン攻略よりも、冒険者ギルドの要人としての会議よりも、リィンと一緒にいることをなによりも最優先しているようにしか見えない。


 それでなにをしているかと言えば他愛もないことばかりだ。

 まさに言葉通り、ただ一緒にいるだけと言っても過言ではない。


 もっともそのためにマサオミが行使している『力』と、それで赴いている場所がとんでもないものだということはリィンにも理解できている。

 それは魔物モンスターを倒す力だけではなく、権力や財力と呼ばれるものも含めての話だ。


 最初のデートのように、ただ街を見て回って食事をする日もある。


 だが多くはマサオミのいくつあるかすらわからない能力を以って、まさかの空のお散歩をしたり、冒険者ギルドに告げた上でヴァグラム迷宮ダンジョンの中層を二人組で攻略試験をしてみたり、有史以来人が踏み入れたことの無い最果ての魔物領域テリトリーで見たこともない巨大な魔物モンスターと戦ってみたりと、わりととんでもない。


 中でも二度と目にすることは叶わないだろうと思っていた、外在魔力アウター・マギカが失われたと同時に高難度魔物領域テリトリーの中心部へ墜落、着地したエルフの国――旧エフィルディス王国の天空都市。

 『黒化』したリィンと複数の強力な魔導器を以てしても到達不可能だった、今は廃墟となっている元王都、『廃都ア・トリエスタ』へあっさり行けてしまったことはその筆頭だろう。


 この世界から大部分の外在魔力アウター・マギカが失われた『滅日』以降数百年、旧王都に足を踏み入れることができたのはまだ、リィンとマサオミの二人だけである。


 地上だけではなく、上空にも浮かぶ城のような巨大な魔物モンスターが遊弋している空間を、まるで無人の野を行くがごとく飛ぶマサオミは、勇者どころかこの世界を統べる神のようにすら見えただろう。


 そもそも『飛翔フライ』を含めた、今では逸失魔法ロスト古代魔法オールドと呼ばれている上位魔法のほとんどは、『大魔導期エラ・グランマギカ』全盛期の旧支配者エルフたちであってさえ、外在魔力アウター・マギカがあって初めて発動可能なシロモノだった。


 それを外在魔力アウター・マギカが希薄なこの時代に平気で行使できる、マサオミの内在魔力インナー・マギカ保有可能量とその生成能力はとんでもない域にある。


 マサオミはデートと称して、そんな自分の力をリィンに見せてくれている。


 本当の意味で頼ってくれていいんだよと、言葉だけではなく実際に見せることで証明してくれているのだ。


 そんなことはリィンも理解できている。


 確かにマサオミの今の力なら、どんな魔物モンスターでも消し飛ばしてしまえるだろう。


 リィンが自分からマサオミに逢いに行くことになった最大の理由。

 『大海嘯』が発生した際、丘陵ひとつを巨大な深い縦穴と成さしめた『星墜メテオ』ですら真の実力の片鱗に過ぎないなどとは、再会した日マサオミと共にいた王女様やお付きの老魔法使いに言ってもとても信じないだろう。


 リィンとて、最果ての魔物領域テリトリーで見せられた『禁呪』の並行発動をその目で見ていなければ「神話とか御伽噺?」とでも言ってしまうに違いない。


 だが違うのだ。


 正の魔力に根差したありとあらゆる力――神鳴る力とまで言われる『禁呪』でさえ、リィンたち『贖罪の種族エルフ』、その王族エフィルディスによってしか封印できない『巨神』には通じない。

 ただ餌として吸収され、より深刻な災厄へと育てる結果にしかならない。

 マサオミが強ければ強いほど、『巨神』による災厄は取り返しのつかない規模にまで至ってしまう。

 正の魔力の塊ともいえる『巨神』には、正の魔力を基とする魔法や武技は攻撃にすらなり得ないのだ。


 もちろんリィンとて『巨神』を倒す手段など持ち合わせてはいない。

 だが己の『黒化』を暴走させ、自身を負の魔力の塊として『巨神』のすべてを我が身に吸収し、封印することだけであればできる。


 エフィルディス王族にだけ可能な負の魔力の過剰行使――『黒化超過駆動』による『巨神』の封印を成すためだけに、この数百年間リィンは生き永らえてきたと言ってもいい。


 だからマサオミには頼れない。

 あるいはマサオミであれば、それすらなんとかできる力を持っているのかもしれない。


 いや持っているのだろう。


 『黒化』状態のリィンに平気で触れることができ、それを解除できる魔導具アイテムまで創り上げてしまうくらいなのだ。

 マサオミのことだから、『巨神』についてもことによってはリィンより詳しく、その封印、あるいは撃破する方法まで確立できている可能性は高い。


 「助けて」


 たった一言そういえば、マサオミは惜しみなく本当に助けてくれるだろう。


 自分のなにをそんなに気に入ってくれたのかはまだピンとこないけれど、をしてもいいよ、というリィンの誘いを歯を食いしばって耐えているところを見ると、嬉しくなって笑ってしまう自分がいる。


 「好きっていうのは我慢だ」というマサオミの言葉を、それを見ていると「なるほど」と思えてしまったのだ。


 だけどだからこそ、リィンはその一言だけは言えない。


 エルフ王族の務めであった『巨神』――十三巨神の封印のひとつをリィンの姉姫にさせることを拒み、勇者パーティーで挑んだ結果と同じになることがわかっているから。


 エフィルディス王族の封印によらず『巨神』を封印、または撃破した場合。

 世界の意志そのものが、そのコトワリを破ったことを咎めるのだ。

 

 それをリィンは知っている。

 その様を、幼い自分自身の目で見ている。


 その結果、勇者を庇った『聖女』は今なお解けぬ封印に囚われた。

 それを解除せんと勇者と自分のせいだとの想いに囚われたリィンの姉姫を含む聖女以外のパーティーはすべての迷宮ダンジョンの最奥へと赴き、そのままいなくなってしまった。


 その彼らが望んだのは『聖女』の開放。

 そのためには世界にどんな犠牲を強いても一向にかまわないスタンスだった。

 この世界から『外在魔力アウター・マギカ』が失われたのは、その副次的な結果のひとつに過ぎない。


 彼らがいなくなっていなければ、あるいは聖女の封印は解けていたのかもしれない。

 だが世界は今よりももっとひどい有様になっていたかもしれないのだ。


 マサオミにはそんな目にあって欲しくない。

 今のままのマサオミで、世界を救う勇者様になって欲しい。


 いつも楽しそうに笑っていた勇者様と、一緒に楽しそうだった姉姫たち勇者パーティーはそれからすっかり変わってしまった。


 あんな風にマサオミがなってしまうのならば、自分がいなくなってしまっても、無敵で笑っているマサオミのままでいて欲しい。

 自分がマサオミの見せてくれた楽しい暮らしを送れることよりも、そっちの方がいいなと、すとんと心から思ってしまったのだ。


 それが「好き」――その相手のために我慢できるということなのだとわかって、リィンは結構嬉しかったりもする。


 だから最後までマサオミを欺いて、自分の身で『巨神』を封印するのだ。


 その後マサオミが苦しんでくれたり、泣いてくれたりするのを想像してちょっと嬉しくなってしまう自分は浅ましくて嫌いだけど、正直なところだったりもする。

 できれば何年間かは悲しんでくれればいいな、と思ってしまう自分も好きじゃない。

 でもそうあって欲しいと思ってしまうのは止められない。


 だから後一日。

 今日一日をマサオミに悟られないように、一緒に笑顔で過ごすのだ。


 封印した後の自分がどうなるのかは知らないけれど、もしも意識が続くのであればそれを思い出して時の最果てまで過ごせるように。


 反芻する想い出にというのであれば、できれば手を出してくれたらいいのにな、などわりとハシタナイことも考えながら。

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