第056話 感情の言語化

「あの……マサオミ」


「はい」


 あれからお互いかなりの時間を沈黙のままに過ごした末、ようやく意を決したようにリィンの方から口を開いてくれた。


 場所は『銀砂亭カーレ・サンスィ』の最高級個室から変わっていないが、ターニャさんたち三人には今日のところは一旦話を持ち帰ってもらったので、今俺はリィンと二人きりである。


 ターニャさんたちにとっては今更手放すことなど考えられないであろう大戦力が、よりによってエルフの生き残りリィンなどに心を奪われているのだ。

 今後の対応をどうするべきかなど、この場で答えが出るはずもない。


 一度持ち帰って、ターニャさんたちが必要と思われる人を集めてしっかり話し合ってくれればいい。

 その結果次第で「夜会」の内容も大きく変わってくるだろうしな。


 そんな状況にも拘らず、ターニャさんが俺とリィンを二人きりにすることに対して、曰く言い難い表情を浮かべていたのには思わず笑った。


 素のリィンを目の当たりにし、実際に『黒化』を解除することも可能だということを体験したせいか、わりとあっさりリィンを「贖罪すべき種族エルフ」としてではなく、一人の女の子として認識してくれているのかもしれない。


 これは『魔導期の終焉マギカ・エンド』の真実も合わせれば、わりとあっさり今の世界に蔓延しているエルフに対する差別意識を一掃することも期待できるかもしれない。


 ターニャさんが王族ゆえに「育ちがいい」からだということも充分に考えられる。

 なあにそれなら簡単だ、今の世界をみなが王族並みの「育ちの良さ」を享受できるようにしてしまえばいいということなのだから。


 幸いにしてリィンはエルフで寿命は長い。

 リィンが生きているうちに、エルフや亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープたちが普通に笑って暮らせる世界にしてしまうことは十分可能だろう。


 いい感じだ。


 それにターニャさん、二人きりになったからっていきなり襲い掛かったりはしませんよ。

 俺が欲しいのはリィンの「躰」だけじゃなくて、「心」や「許可」もなんですから。

 の話でいえば、『黒化』を解除して今少し成長してもらった方が好みですしね。


 今のリィンだとなんというかこう、犯罪臭しかしないし。

 

「さっき言っていたことだけど――本気なの?」


 そのリィンが中庭の『枯山水』に面した縁側で、足をぶらぶらさせながら問うてくる。

 そういう仕草をしていると、中身は数百年を生きた老成した女性などとはとても思えず、見た目通りの幼い少女にしか見えない。


 時間が経過したことで再び『黒化』しているその頬には、今もわずかに朱が差している。

 一応は俺を異性として意識してくれているというのはいいことだ。


 たぶん。


「誰かを好きって、冗談で口にするほど性格は悪くないつもりなんだけど」


「ご、ごめんなさい。それにありがと。――でもどうして?」


 そこを疑われると始まらないのできっちり答えると、慌てて謝罪された。

 その上で赤面しつつ上目遣いになりながら、もっともな疑問をかさねて投げかけてくる。


「感情の言語化って難しくない? でもそれも必要かぁ……」


「だって私たちってまだ逢ってから10日しかたってないんだよ? その上その期間あいだもずっと一緒にいたわけじゃないし……」


 まあリィンの感覚でいえばそうだろう。

 まだ俺が『時間停止』や『時間遡行』という不正行為チート能力を行使可能だということは一度も伝えていない。

 たとえ伝えていたとしても『時間遡行』を発動してやり直せば、知らないリィンに戻ってしまうわけでもあるし。


 まだ逢ってたかだが10日程度、それも密に過ごしたわけでもない男にいきなりこんな状況で「好きです」と言われても戸惑うだろうし、あっさりそれを信じる方が確かにどうかしている。


「一目惚れってことで納得してもらうわけには?」


「私がだったら、それでもいいと思えたのかも。でも……」


「そりゃそっか」


 仰るとおりではある。


 これが普通の男の子と女の子なのであれば、惚れっぽい俺がリィンの美しさにあっさりまいってしまったというのもなくはないハナシだ。

 というか恋愛なんてものはいつも突発発生の貰い事故、そうやって始まることがほとんどとさえいえるのかもしれない。


 だがリィンはこの世界で忌まれる存在、『贖罪すべき種族エルフ』なのだ。

 それだけではなく『黒化』というハンデも背負っている。


 そして俺の方もリィンが慌てて逢いに来たとおり、『大海嘯』を消し飛ばして竜種ドラゴアニールを食材にしてしまうような、この世界においては規格外の存在と来ている。


 それが膨大なコストを支払うことや、今の人の世界を敵に回すことも理解した上でリィンエルフを「好き」だと口にすれば、その真意や裏に在るモノを確認したくなるのも当然だろう。


 俺でもそうなると思う。


「それに……ヤなこと言うけどマサオミだったら別に私じゃなくてもいくらでも、その、あの……」


「それは俺にとっての「好き」じゃないかなー」


 リィンはひどく言いにくそうにしているが、確かにそうも思うだろう。


 実際俺はマリアさんとかとは今もそういう関係でもあるわけだし、冗談抜きでその気になれば自由にできることは多いというか、ほとんど思いのままにすることも可能だろう。

 タチが悪いのはここまで圧倒的な力を持ってさえいれば、力尽くとは思わせないやり方も充分に可能だということだ。


 あるいは今俺がリィンを口説いていることだって、そのパターンのひとつだと言えなくもないわけだしな。


 でもまあ言葉にしたとおり、そういうのは俺にとっては「好き」ではない。


「ちなみに俺の感情の言語化が納得いくモノであった場合、リィンとしてはどういうリアクションをご予定しておられますか?」


「それを先に聞くってズルくないでしょう、か」


 とはいえ語るだけ語らしておいてごめんなさいというのも、わりと非人道的だと思います。

 真っ赤になってそう言っているリィンを見れただけでも、ありと言えばありなのかもしれないが。


「論外の拒否以外――即時受け入れ、条件付き受け入れ、試験期間採用、一旦保留して後日回答等の可能性があるのであれば、極力ご意向に沿えるよう言語化の鋭意努力をお約束いたしますが」


「……論外の拒否は、ない……です」


「よっしゃ!」


「あぅ……」


 だからといって受け入れてくれなければ一切語りませんというのもフェアではあるまい。

 卑怯くさく完全拒絶の可能性だけを今の時点で潰せたことに対して快哉をあげる俺に、リィンは一層照れて真っ赤になってくれている。


 これは結構行けるのではあるまいか。


「まあ「好き」って難しいよな。やたらと美化されがちでもあるしさ」


「そうなのか、な?」


 というわけで言語化開始である。

 普通であればこんなことを語る機会はそうないのではなかろうか。


 向こうでもそんなプレゼンをしてから付き合ったというカップルの話など、少なくとも俺は耳にしたことはなかったしな。

 いや世のカップルが実際にどうやって成立しているのかなど、俺の立場だとよく知りませんでしたけれども。


 創作であればいろいろ読んではいましたが。


「俺にとってはそんな感じ、ってハナシな」


 正直なところ俺はそう思っている。

 「好き」という気持ちは確かに存在するけれども、そこまできらきらぴかぴかな感情だとも思えないのだ。


 独占欲だとか嫉妬だとか、そういうのも「好き」を根っこにしているわけだし。


「まず顔が好き。目が綺麗。髪が綺麗。黒い時も白い時も肌がびっくりするくらい綺麗だと思う。声の響きが好き。あとは見た目通り幼い話し方とか、それを隠すために歴戦のつわものみたいな話し方をあえてするところとかも好きだな。体躯からだはちょっと幼すぎるから、はやく成長してくれないかなと思うけど、今は今で幼いながらも女性らしさはあって好きだ。『黒化』していると成長できないらしいから、そのためにも解除は必須だよな。でも『黒化』モードも好きだからリィンが嫌じゃなければ任意で切り替えられる形が理想かなあ。あとは――」


 だからまずは俺がリィンを「好き」になった切っ掛けを、思いつくままに並べ立ててみる。


「――まって!? ちょっと待って!!」


 怒涛の褒め殺しにも聞こえるかもしれない俺の言葉に、リィンが真っ赤になってさえぎってきた。

 どさくさに紛れてわりとキモいことも言っていたのだが、動揺のあまり耳には入っても頭にはまだしっかり入っていないっぽい。


 おもいきり動揺していて、綺麗な目がぐるぐるしている感じで可愛らしい。


「とまあ、最初に「好き」になる切っ掛けなんてわりと即物的でさ。ルッキズムの権化と言われても否定はできないよな」


 こうやって言語化すればそうなんだよな。

 なかなかに即物的なきっかけで、人は異性を意識し始める。


「でまあ、それをきっかけとしていろいろ考えるようになったり、調べることが可能な範囲でよりその相手を知っていくことで「好き」になる……ような気がする」


 その思考が煮詰まって「好き」になると思うのだが、現実はシビア。

 ほとんどの人間は己の「好き」が相手には届かず、行方不明になることが普通だろう。


 好きになった相手も自分を好きなってくれることなど、ほとんど奇跡みたいなものだと思う。

 少なくとも向こうでの俺はそうだった。


「な、なるほど?」


 数百年生きているはずだけど、リィンはほんとにそのあたりのことは真っ白なんだな。

 そっち方面については似たようなものでしかない俺の言葉に、世界の真実を聞かされたかのごとく真面目に頷いているのが面白い。


 今リィンが話している相手の正体は、恋愛方面では素人以下ですよ。


 まあ数百年の間他者に触れることもできないままであれば、こうなることも当然なのかもしれないな。


「で、ここからは俺の戯言なんだけど」


 自分の「好き」をリィンに理解してもらうことが目的だからな。

 普通なら言葉にしないことも、あえてここは言語化に踏み切る。


「俺にとっての「好き」って、我慢できることだと思っているんだよ」


「我慢、なの?」


「そう。我慢」


 さっきとは違い、どこか納得がいかないようなリィンの表情である。

 恋を夢見る美少女としては、「我慢」などというワードがその美しいはずの世界に存在することが得心できないのだろう。


 わからなくもない。

 だけど。


「まあ「好き」が尊い感情だとしても、人間も動物だからさ。いろいろ誘惑もあるわけですよ、異性の魅力は十人十色百人百様千変万化な訳だし。俺がリィンのことを本気で好きでも、別の魅力的な女の子から言い寄られたらまあぐらつくわけさ」


「そこは他の女の子なんて目に入らなくなる、とかじゃないの?」


「それが理想だし、そうなれる人もいるだろうとは思うけどね」


「マサオミはそうじゃない、と」


「そういうをしようと思えばできるだろうけど、正直に言えばそうじゃないなあ……」


 ほんとすみません。

 そういう人がもし本当にいれば、俺は最低なケモノヤローにしか思えないだろう。


 だけどそこを誤魔化してもしょうがないとも思う。


「ハーレム派ですね?」


「いや違うって」


 どこで知ったんですかその言葉。

 先代勇者のヤローですか。


 俺が調べた範疇においても、ハーレム形成していたっぽいしなあの野郎。

 メインは「聖女」様で定まってはいたようではあるが。


「そう聞こえる」


「だから「我慢」がキーなんだよ」


 ジト目で唇を尖らせるリィンは可愛いが、ここは誤解を解かねばなるまい。

 いや女の子にとって誤解かどうかはわからないが、少なくとも俺はハーレム派などではない。


 いや創作や傍から見ている分には好きな方かもしれないが、自分の立場となればどちらかと言えば否定派だと思っているくらいなのだ。


「他は一切目に入らない、リィンが隣にいてくれればそれだけでいい。って言えたらカッコいいんだけどさ」


 悲しいことにそれは無理だ。


 リィンにはない魅力を持った女性は確かにいて、それに目も意識も泳いでしまうことを無いとは言い切れない。


「リィンが俺の好きに応えてくれたら、俺はいろんなものを我慢できると思うんだ。リィン以外の女の子からの好意とか、それこそさっきリィンが言っていたように力に裏付けられたハーレム形成とか、他にもいろいろね」


 だからこそ「我慢」できるかどうかが重要だと思うのだ。


 唯一無二ではなく、多くの中からのどうしても譲れない1位として、2位以下を我慢できるというのが「好き」ってことなんじゃなかろうかと、ずっと俺は思っていた。


「隣にいるためにそういう我慢ができることが、俺にとっての「好き」の基準なんだよ。で、いろいろ考えて俺はリィンが好きだなと思ったわけですよ」


 出逢った日。


 


 そして今日。


 もしもリィンが俺の好きに応えてくれるのなら、本当に他のことは大概我慢できるなと思えたのだ。


 どれだけ言葉尽くしても1/3も伝わっていないかもしれないが、なんとか純情(ではない)な感情が空回りしないことを祈るだけである。


「――どうして我慢できるの?」


「同じことを自分がされたらヤだから」


 いやそれに尽きませんか?

 だから好きってのは、所詮は動物である人間同士がお互いに我慢できることだと思うんですけども。


 どれだけ力があって、そうすることが可能であっても、自分が同じことをされたら嫌なことはしない――我慢することができる。

 それが「好き」ってことであって、我慢もできないならそんなのは少なくとも俺にとっては「好き」じゃない。


 そもそも「我慢」なんて感情が湧いてくる時点で「好き」なんかじゃねえよと言われれば返す言葉もありませんが。


 でもそんな確信が持てないうちは、一人でいればいいと思うのだ。

 いや聖人君子などではいられないから、お金で割り切れる関係で肉欲だけではなく肌寂しさなんかも処理することはございますけれども。


 それとても本当に好きな相手ができれば我慢できると思う。


「――っふ」


「そこで笑いますか」


 わりとへこむ。


 でも正直な感想なのだろう、素直な表情で不覚にも今までで一番可愛いと思ってしまった。


「ごめんなさい。でもものすごく綺麗な言葉を並べられるより、納得がいったかもしれない」


「そりゃどうも」


「でもすごく悪い人にも思えるかも。すっごくなれてそう」


「まあ本人でもそう思わなくもない。――難しいところだよな、がこんなことを口にすれば確かにそんな感じだけど、向こうだとにしか聞こえなかっただろうしさ」


「え?」


「なんでもない」


 後半の言葉は呟きだったので、リィンの耳には届かなかったようだ。


 でも確かにそうなのだ。


 今の俺が口にするから、リィンのような感想にもなるのだろう。

 圧倒的な力を持ち、その気になれば選り取り見取りも可能な立場から言うからなんとなくカッコよくも聴こえる。


 だけど向こうでの俺が同じことを口にしても、「いやお前と付き合うことそのものが我慢だわ」とでも言われて終いだろう。


 力って大事。

 だからこそ俺は、自分の意に沿うカタチでこそ力を行使しようと思う。

 せっかくなので。


「本当に私は今、マサオミに口説かれているのね?」


「これ以上ないくらい、俺はとしてはそのつもりですが」


 くすくす笑いながら、どこか吹っ切れたようにリィンが言う。

 これが口説いてるのでなければ、酔っ払って若き日の恋愛論をぐだまいてるおっさんの図になるので勘弁してください。


「で、一応はご納得いただけたのであれば、リィンさんの答えをいただいても?」


 さてどうなりますやら。

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