第055話 単純な理由

「…………この通りエルフの呪い――石化は起こりません」


 とにかく『白化』、あるいは『黒化』が解かれた状態であればエルフに触れても「呪い」――人の石化が発動しないことは証明できたはずだ。


 ターニャさんの半目と御老体お二方の天を仰ぐような仕草は甘んじて受け入れるとして、少々強引にでもここは話を進めるしかない。


 膝の上にリィンが倒れ伏している絵面はとても様にはならないがそこはこの際良しとする。


 完全に意識を失っているので「触れても平気」ということを証明するにはちょうどいいか。そう思って汗に濡れた頬に触れたら、わりと18禁気味な反応と声を出されたので中止だ中止。


 ただ俺の場合、『黒化』状態のリィンに触れても平気なのだ。

 それはもうすでに分かっている。


 『竜懐石』の含有魔力でも一時的とはいえ『白化』できる程度の魔力吸収速度なのであれば、現在の俺の総魔力をすべて吸い上げるには一晩お互い全裸で密着していても不可能だろう。


 魔力総量が一桁、たとえジョブ持ちでも二桁前半に過ぎないこの世界の人が相手だからこそ、触れただけで石化するという呪いは成立しているのだ。


 だがそんな程度では禁書に記されていた『エルフの贖罪』を実行することは不可能だ。

 つまり通常時では人を石化させる程度だが、なんらかの要素で解放、あるいは暴走させることによってとんでもない「魔力の暗黒点ブラック・ホール」となることが可能なのだと思われる。


 そのあたりについても調べたいので、ぜひともリィンの協力を仰ぎたいところではある。

 わりとやらかしたので「いやです」とお断りされる可能性が高まったが。


 つまり本当の意味で大丈夫だとわかってもらうためには、ターニャさんあたりがリィンに触れてくれるのが一番手っ取り早いのだが、さてどうしたモノか。

 王女様にそんなことを頼むのは流石にあれだが、御老体とは言え男性にリィンに触れてもらうというのもアレだしな……意識がないから許可も取れないし。


 と思っていたら、わりとあっさりとターニャさんがリィンの頬に触れてくれた。

 いいんですか? というようなターニャさんの仕草ジェスチャーに対して俺が無言で頷くと、小動物を構う時のように指で頬をつんつんしている。


 マスター・ハラルドやヤン老師と共に「本当だ」みたいな反応をしておられるが、今の時代「エルフの呪い」ももはや伝説に片足を突っ込んでいて、現実的な恐怖として実感するには弱くなっているのかもしれない。


 とはいえ各所に「石化」した人はまだ現存しているという。

 お互いが触れることによって自ら「石化」したエルフたちも含めて、落ち着いたらすべての石化解除を行っていく予定である。

 まあそのあたりについてもリィンに相談した上で、ということにはなるだろうが。


「……マサオミ殿。今供された料理は一体……」


 もともと『黒化』状態のリィンをその目にしており、また見紛いようもないエルフとしての長い耳もあって、「エルフの呪い」は解除可能だということは理解してくれたようである。


 となれば気になるのはやはり今自分たちが食べた料理のことになるらしく、マスター・ハラルドが「聞いてもいいのかな?」というような表情で尋ねてきた。

 ヤン老師は今自分の身に発動している支援効果バフを、さすがは「黒魔導士」というべきか自身の体内をめぐる魔力からなんとか理解しようとしておられる御様子。


 自分たちに強烈な支援効果バフを発動させ、エルフの呪いを一時的とはいえ無効化させる『料理』ともなれば、なんだそりゃと問いたくなる気持ちはよく理解できる。


 それについては、もったいぶるつもりなどこちらにもはじめからない無い。


「近いうちにここ『銀砂亭カーレ・サンスィ』で提供を始める予定の新メニュー、『魔物懐石シリーズ』の目玉コース『竜懐石』です」


 なので極シンプルに説明する。


「あの……ホンモノ、の?」


「食材提供者は俺ですから、ニセモノの心配はないですね」


 そうと知らぬままにドラゴンの肉を食べていたとなればそういう反応にもなるのか、ターニャさんのみならずマスター・ハラルドもヤン老師も茫然としている。


 この世界において魔物モンスターの肉は高級食材とされているので、それを知らぬ間に喰わされたというような忌避感、嫌悪感というわけではないはずだ。

 だがその高級食材をふんだんに使った料理を口にすることができるのはそれこそ王国貴族や高位冒険者のみであって、それとてもせいぜい『牙鼠』や『角兎』の肉程度。


 それが最近入手され、最重要研究対象として『迷宮保有国家連盟ホルダーズ・クラブ』の最高研究機関がこれ以上ないくらいに丁寧に扱っている赤竜レッド・ドラゴンと同等、もしくはそれ以上の肉を料理として自分が食べたと聞かされたことによる茫然自失というやつだろう。


 まあそりゃそうか。


 俺だって「今あなたが食べたのはティラノサウルスの肉ですよ」とか言われたら呆然とするだろうしな。


 食材に含まれている膨大な魔力を摂取したことによって一時的な支援効果バフが発生すること、リィン――『黒化』したエルフの場合は支援効果バフが発生しない代わりにその魔力吸収によって一時的に『黒化』が解除されるのだということを端的に説明する。


 つい数日前までこの世界の常識すら知らなかった俺が、なぜ魔力の深奥とでもいうべき知識をこれだけ持っているのかターニャさんならずとも不思議に思うのは当然だ。


 まさか俺が『時間停止』と『時間遡行』を繰り返すことによって、すでにものすごい膨大量の情報を収集しているなど思いもよるまい。


 今はもはやそれだけに止まらず、魔力の根源に関わる研究も進めてもいるのだが。


「……あの、リィンさんはどうなったのですか?」


 『魔物懐石』については何とか理解してくれたようで、ターニャさんがやや頬を朱に染めながら、今も俺の膝の上に突っ伏しているリィンになにが起こったのかを聞いてくる。


 まあ同じ女性として気になるのは理解もできるが、その原因に直球で訊いてくるというのはなかなかの胆力である。

 本気で理解できていないからという説も有力だが。


「ああ……俺が触れるとどうやら魔力が流れ込むみたいで、その際の感覚に耐えられなかったみたいです。でもアリスさんとかでもここまでの過剰反応はなかったんだけどなあ……」


 その説明を聞いてさっきの食事の際の感覚を思い出したものか、おそらくは本能的にその身を引かせるターニャさん。


 後半の台詞にどこか納得したような表情を見せているマスター・ハラルドとヤン老師は、いかに力を持ち金も持っているであろう俺相手とはいえ、百戦錬磨の高級娼婦クルティザンヌたちが、商売以上に俺に懐いているように見える理由に得心が行ったと言ったところか。


 いや心配しなくても許可なくターニャさんに触れたりはしませんよ。

 ご本人も保護者二人も心配しなくて大丈夫です。


 そのくせターニャさんの視線が俺の手に集中しているのはどうかと思うが。


「この席の意味をお聞きしてもよろしいか」


「やだな、食事中に一通り説明していたんですけど」


「それはっ……師が食事に集中せよと仰ったから……」


 次は咳払いをしてヤン老師が聞いてくる。

 いやホントに説明はしていたんですけどね、一通り。


 耳には入っていても、脳に届いてないことは一目瞭然ではありましたが。


「冗談です。だけどまあ人間とはいえ所詮動物。三大欲求の二つにあの勢いで来られたら、結構重要な話をしていても頭に入ってこないですよね」


「…………」


 ターニャさんであればともかく、赤面するヤン老師やマスター・ハラルドを見ていても心楽しいものでもないので、話を先に進める。


 要は俺も含めて人間なんてものはそんな程度ということだ。

 重大なことを話されていても、膨大な快感に晒されていてはそっちに意識を持っていかれてしまう。

 どれだけ高尚な意思を宿していても、その身は動物であるということもまた真実なのだ。


 エルフをはじめとした亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープたちが人から忌まれる原因となった、禁書に言う『魔導期の終焉マギカ・エンド

 俺がこの世界に顕れたのが、それから数百年が経過している今の時代でよかった。


 つまりリィン――一部エルフのような長寿種を除いて、その頃からは数世代が経過しており、直接被差別対象エルフたちから被害を被った人はもう誰もいないのだ。

 それどころか『エルフの贖罪』によって、利益を享受している者ばかりとさえいえる。


 『魔導期の終焉マギカ・エンド』のを晒すだけではなく、その晒す本人の力によって圧倒的な人の大躍進時代、伝説に謳われる『大魔導期エラ・グランマギカ』をすら凌駕する豊かな暮らしを提供できさえすれば、くだらない差別など簡単に消し飛ばせる。


 人を必要以上に貶める必要もないが、それと同じくらい尊いものだと妄信しすぎるのも無意味だ。

 少なくとも俺はそう思ってしまう。


 それが正しいからではなく、そうした方が得な人間が大部分となれば、人の集合体である社会はそれを支持する。

 しないのは旧体制による既得権益を持っている一部の連中だけだ。

 そういう相手とはお話合いの末、どうしても相容れなければ殴り合いをするか距離をおくしかない。


「というわけで俺はこういう手段も含めて、現状エルフや亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープに発生している『黒化』をなんとかしようと思っています。そのための研究なんかも始めたところです」


「師は我々旧被支配者のエルフに――旧支配者たちに対する扱いが不当だ、と」


「いえ?」


「え?」


 三人の中では一番『禁書』や『秘史』、『逸史』に詳しいヤン老師が真剣な表情で問うてくるが、あっさりそれを否定する。


 だからそういうことじゃない。

 俺がどちらかについて、どちらかを叩いて潰そうという話をしているわけじゃないのだ。


 できるだけみんなが楽しく暮らせるように、この降って湧いたような力を使いますね、という提案だ。

 できればそれに乗ってくれませんか、という。


「マサオミ殿が、旧支配者エルフの側に付くという意味ではないのですか?」


「違いますよ。少なくとも俺はエメリア王国、というかターニャさん、マスター・ハラルド、ヤン老師と敵対する意思はありません。俺がなにをしようとしているか理解してもらったうえで、協力してもらえたらありがたいと思っているので、今日こうやってリィンに逢ってもらったのです」


「……我々が理解できなければどうなさいます?」


「…………」


 いや勝手に緊迫した空気にしないでくださいよ。

 俺の力を目の当たりにしているだけに、そういった危惧を持たれるのはわからなくもないですが。


 まあそれなら素直に恭順すればいいのにとも思うが、常識として教育されてきたものを覆すのはそれだけ難しいということなのかもしれないな。

 ヤン老師とか、「エルフども」とか言っていたものな、確か。


「……別にどうもしません。ただ俺のお願いを聞いてもらえないということになれば、ヤン老師とのお約束もなかったことにはしてもらいますけど。だからと言って人の世界を滅ぼしたりはしませんよ」


 相容れない存在を、俺の力で滅ぼそうとは思わない。

 世界は広く、共存できなくても離れて生きて行くことはできるだろうと思うからだ。


 だからと言って、そんな相手に一方的に利益を供与しようとも思わない。

 ギブ&テイクはなにごとにおいても基本だと思うのだ。


「ただ俺のお願いを聞いていただければ、ヤン老師とのお約束を守ることはもちろん、エルフや亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープも含めたこの世界の人たちに、『大魔導期エラ・グランマギカ』を超える繁栄をもたらすことはお約束します」


 だから少なくともターニャさん、マスター・ハラルド、ヤン老師――つまりはエメリア王国だけでもこっちについてくれれば、そうして正解だったと思えるほどの利益は提供すると約束する。

 ここ数日の一連の実績で、それがハッタリに基づく空手形ではないことはある程度証明できているだろう。


 こちらとしても一国が味方に付いてくれれば、かなりいろんなことを省略できるのでありがたいのだ。

 最悪は0から構築することも想定してはいるが。


「とはいえ急に仲よくしろと上から言われても難しいでしょうし、俺としては強大な魔物領域テリトリーのど真ん中にあると言われているエルフたちの旧王都『廃都ア・トリエスタ』を復活させて、当初はそこにエルフ、亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープたちによる国でも興そうかなとか考えています。まあ最初は国というよりは村と呼ぶべきでしょうけど」


 いきなり受け入れて仲良くしなさいなどというつもりはない。

 要は建国――というよりもおらが村つくりを支援してくれれば、初手としてはそれで十分だ。


「……どうして、そんな?」


 確かに俺の力があれば、そんな回りくどいことをしなくても楽しく生きていることはどうとでもできるだろう。

 そこまでしてエルフたち「旧支配者」に、俺が肩入れする理由がわからないというのはもっともだ。


 ターニャさんが純粋な疑問を投げかけてきたタイミングで、間が悪くリィンの意識が覚醒した。

 そのままのぞき込んだようになった俺と目が合い、その瞳に怒りの感情が宿る。


「人前でなんってことを!! ――っ! マサオミ酷い!!」


「――っふ」


 人に忌まれているエルフ像を演じることも忘れて、素でお怒りである。

 自分が俺の膝の上であおむけになっているという状況も把握できていないだろう。


 人前であんな目にあわされてはさもありなんだとは思うし、大いに反省するところではある。

 リィンから仕掛けてきたのは二人っきりの時だったしな。


 でも思わず笑ってしまう。


 リィンにはエルフ最後の王族としての義務とか、世界のためとかで眉間にしわを寄せている表情より、こんな感じの方がずっと似合うとやはり思ってしまうから。


「笑い事じゃないよ!?」


 素のままにくってかかるリィンをはいはいとあやす。

 まだ『白化』したままだから、うっかり俺に触るとさっきの再現になるぞ。


「彼女に――リィンにいい格好がしたいからです」


 今のリィンの様子を見て改めて確信を持てたので、ターニャさんの問いに明確に答える。


「俺はリィンが好きなので、リィンが笑って暮らせるように自分の力を使おうかなと」


 男が頑張る理由なんて、つまるところそんな単純シンプルなものだと思う。


 そのためにこそから俺はずっと、『時間停止』と『時間遡行』を繰り返し続けているのだ。

 リィンが本当に無理せず、最初の時もこのあと俺に聞かせてくれたように、冒険者としてその長い寿命を楽しく暮らせていけるようにするために。


「――っえ!?」


 俺の突然の告白を聞いて、茹蛸のように真っ赤になったリィンのこんな表情を「普通」にできるように。

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