第052話 均衡崩壊

 21:00過ぎ。


 迷宮都市ヴァグラムの迷宮ダンジョン前広場。


 さすがに俺がこの都市へ足を踏み入れてからこの世界本来の時間としても10が経過しているので、くだん赤竜レッド・ドラゴンは撤去され解体処理へと回されている。


 『魔石』と『魔物武器』はすでに回収しているので問題ない。


 というか5日間を繰り返した約一年相当の時間と、つい先日の10,879体の一斉討伐×2によって、俺の異層保持空間ストレージはなんかもうとんでもないことになっている。

 魔物モンスターが高額商品という認識など、あっさり蒸発してしまいそうである。


 というわけで本来の広さを取り戻しているこの場には今、惜しみなくいくつもの篝火が焚かれ、無数の屋台や露店が展開されすべて無料で住民たちに振舞われている。


 そしてそれは別に今夜が初日だというわけではない。


 俺が黒魔導士が奥義、禁呪ノ一()星墜メテオで『大海嘯』の震源地であるヴァルタイ丘陵を消し飛ばした夜から数えてもうすでに3日目である。

 その間、ここ迷宮都市ヴァグラムは都市をあげてのお祭り騒ぎを続けており、近隣集落から避難してきている住民たちも加わって新年の祭りや収穫祭を遥かに凌駕する規模の祭りになっている。


 ヤン老師曰く今後この祭りは定番化し、迷宮都市ヴァグラムの名物となっていくだろうとのことだった。

 『大海嘯』を一切の被害を出さないままに退けた今回の一件は、大げさではなく歴史に刻まれ、やがて伝説にとなってゆく類のものらしい。

 まさに祭りの起源であったり、吟遊詩人の唄になったりというやつだ。


 まあさもありなん。


 ちなみにこの「祭り」の予算については初日こそ『冒険者ギルド』持ちだったが、2日目は『エメリア王国総督府』、3日目となる今日は『聖教会』が負担していると聞いている。

 しかもこれは今宵で終わりというわけですらなく、先に開催されると知らされていた「夜会」の日までずっと続くそうである。


 剛毅な話だが、俺が冒険者ギルドに適正な価格で引き渡す魔物モンスターが生み出す利益の前には、そんな予算など端金に過ぎないらしい。

 今からこの世界では、エメリア王国は迷宮都市ヴァグラム発、未曽有の魔物モンスターバブルとでも呼ぶべき好景気が訪れるというわけだ。

 

 ちなみにその「夜会」がいつ開催されるのやら、未だ決定していない。


 『大海嘯』が発生していなければすでに終わっていたはずのその「夜会」とやらは、いまや『迷宮保有国家連盟ホルダーズ・クラブ』と『聖教会』の中枢上層部をも巻き込んだ一大イベントと化しており、どの国の誰が出席するやらしないやら、いまだに揉めるハメになっている。


 まあ自業自得ともいえるので、なんとも言い難い部分もあるのだが。


 星墜メテオによってヴァルタイ丘陵が『ヴァルタイの星孔』と名前を変えられたあの夜以降。

 一応は取れていたらしい世界の均衡は完全に崩壊している。


 軍をすら無視してしまえる圧倒的な個の力において『聖教会』が僅かに優勢とはいえ、世界中の迷宮ダンジョン都市を掌握し、魔物モンスターと戦える人の戦力、その大部分を抱えている『迷宮保有国家連盟ホルダーズ・クラブ』を無視することなどできない状況。


 そこへ迷宮ダンジョンを持たぬ国家も複雑に絡み合い、奇跡的な均衡状態を保っていた。

 あるいはそれもどちらかの陣営、もしくは双方の思惑も動いた上のことであったとはいえだ。


 それが今やすべての決定権キャスティング・ボート迷宮保有国家ホルダーズとしては小国に過ぎないエメリア王国、しかも大国からはその存在すらろくに意識すらされていなかったであろう第三王女ターニャさんが握っている状況なのだ。


 そんな存在に機会となれば、大国を中心として各国が揉めるのも仕方がない。


 とはいえ引っ張られ過ぎてもそのなんだ、困る。


「まだ決まりませんか」


「申し訳ありません……」


 俺の質問に、ヴェールで顔を覆って地味目な衣装に身を包んでいるターニャさんが申し訳なさそうに答えてくれる。


 俺の意向は充分に承知してくれてはいるものの、つい最近まで小国に過ぎなかったエメリア王国となれば、王族であってもそう簡単に大国の意向を無視してことを進めるわけにもいかないというのも理解はできる。


 できるのだが。


「ターニャさんが「この日以降は待ちません」ってぴしゃりと言ってみるのは?」


「逆らう者はおらぬでしょうな。ただ初手からできればそれは避けた方がいいかと……」


 俺の提案に、これまた申し訳なさそうにヤン老師が答えてくれる。


 ヤン老師の今の格好もターニャさんに負けないくらい地味であり、一見すれば強大な力を持つ黒魔導士などではなく、隠居寸前のじいやのようである。


 ヤン老師は俺の言わんとすることを充分に理解してくれている。


 そもそもたかが地方迷宮都市ヴァグラムで催される夜会程度がこんな大事になっているのは、ターニャさんの(だと思われている)力があまりにもとんでもないシロモノだからだ。


 曇天を蹴散らして星が天より墜ちきたるところと、着弾後天のいただきまで突き抜けた爆発は、この大陸のどこにいても観測できたはずだ。


 大気を震わす振動こそあれど、迷宮都市ヴァグラムと避難して来ていた近隣集落の民衆たちはアレを見て喝采をあげたらしいが、正直異世界人の方々の肝は結構据わっていると思ったモノだ。

 どれだけ巨大な力であっても、それが味方だと看做せば直に喝采をあげられるというのは正直わりと凄いと思う。

 まあそのあたりは割り切らないとやっていられないというのもあるのだろうけれども。


 そのターニャさんが断をくだせば、ヤン老師の仰られる通り誰一人として逆らうことなく、その日が開催日となるだろう。


 その気になられたら自分たちの王都も一撃で『星の孔』にされるのだ。

 上からものを言われて、夜会の開催予定日くらいでうだうだ言うなどありえない。


「散々好き勝手させて、夜会の席で「いい加減にしとけよ」の方が確かに効果はありますもんね」


「さすがは我が師であられる」


 だがヤン老師の腹案の方がより効果的であることも確かだ。


 逆に言えば今、間合を測りながらどこまでなら許されるかともめている連中こそが、一番舐めているということを明確にできるし、エメリア王国がそう判断した相手を『迷宮保有国家連盟ホルダーズ・クラブ』と『聖教会』、それぞれがどう扱うかを見て判断することもできるからだ。


 次からの抑止力とする点においても、そっちの方が効果的であるのは認めざるを得ない。


 だが「我が師」呼ばわりはやめて欲しい。

 同じ「黒魔導士」として、遥か高みにいる俺に対してその呼び方以外はできぬと絶対に譲ってはくださらぬが。


「――マサオミ殿」


 こちらも一見すれば荷物持ちのおっちゃんのような地味な格好をしたマスター・ハラルドが、緊張した声で俺に呼び掛けてくる。

 成長レベル・アップを経た『格闘士』の肌感覚として、今の俺たち四人にずっとついてきている存在を感知しているのだ。


 今後のことも考えれば慣れておく必要もあるだろうし、今マスター・ハラルドが捕捉した相手と会うのにもちょうどいいだろうと思って「ターニャ王女のお忍び」の練習を今している状況である。


 その俺たちを正確に追跡し、成長レベル・アップを経た格闘士であるマスター・ハラルドでも捉えきれない相手となればそれは緊張もするだろう。


「うん、わかっています。大丈夫です、知り合いですから」


 だけどまあ、それも無理はない。


 今やレベルやH.Pでいえばマスター・ハラルドの方が上ではあるとはいえ、相手は俺でさえその機能を完全には掌握できていない複数の『魔導器』を使いこなす、なのだから。


「やあリィン。久しぶり、でいいのかな? リィンの方から逢いに来てくれるとは思わなかったけど、なにか用かい?」


 急に振り返って気配を断っていたリィンに話しかける。


「マサオミ……」


 さすがに少しは驚いたようだが、俺の周囲把握能力がとんでもないものであることをリィンはすでに知っている。

 フレンド・リストと拡張現実A.R地図の光点によって、自分がどこにいるのかを正確に掌握されていても、さほど不思議とは思ってはいないようだ。


 それに俺の提言を受け入れてくれたのか、それともエルフの身で迷宮都市に足を踏み入れるための苦渋の選択か。


 ――残念ながら後者っぽいなー。

 

 リィンの小躰をすっぽりと包んだ漆黒の長外套ロング・コートに初めは警戒態勢を取っていたターニャさん、マスター・ハラルド、ヤン老師の三人だったが、その声を聴いてあっさり警戒を解いている。


 いや確かに俺の知り合いだとは言いましたけど、貴方たちは会ったことないよね?

 警戒解くのはやすぎません?


 リィンの綺麗な、明らかに女性のものとわかる声を聴いて、呆れ顔どころか天を仰ぐ仕草までするのはどうかと思いますが。

 そのいかにも女癖が悪い奴扱いには遺憾の意を表明する所存である。


「また、女の子ですか……」


「また?」


 いやあのターニャさん?


 「また」などと揶揄されるほど、まだ何人も登場していませんよね?

 冒険者ギルドまでマリアさんが見送ってくれたり、ティファ嬢に合コンめいたモノに誘われたりしただけですよね? しかも断りましたし。


 なんかそれ以外の情報も捉まえておられるのですか? もしかして。

 

 それにリィンさん?


 ターニャさんの誤解による発言を拾って妙な顔されるほど、まだ近しい仲じゃないですよね?

 俺としてはそういう仲になることは望むとこではあるのですが、今はまだ俺が誰とどうしていようが無罪のはずでは?


 まあちょうどいい機会だ。


 今日の昼の時点からリィンを示す光点が、自ら迷宮都市内に入ってきているのを確認できていた。

 それでもしかして目的は俺かなと思い、接触しやすい迷宮ダンジョン前広場を「ターニャ王女のお忍びの練習」などというもっともらしい理由まで用意して、わざとうろついていたというわけだ。

 どうせならターニャさん、マスター・ハラルド、ヤン老師という、今後の俺の冒険者生活に深くかかわる人物たちとリィンを引き合わせることも視野に入れて。


 どうやらわざわざ自ら迷宮都市に足を踏み入れたリィンの目的も、俺と逢うことだったらしい。

 艶っぽい理由ではなさそうなあたりが少々残念ではあるが。


 とりあえず個室を借りられる、手近な店に入るとしましょうか。


 リィンがフードを脱いで正体を見せたら、三人はさぞやびっくりするのだろうけれど。

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