第043話 蹂躙

 今俺は検問所のほど近くにある倉庫、その暗闇の中で身を潜めている。

 ディマスさんが囚われているこの場所は、世界地図的に言えばエメリア王国とヴァリス都市連盟の国境付近。

 ディマスさんももちろんのこと、馬にも相当無理をさせたのだろう。

 たった半日でこんな位置まで移動していた。


 頑張ったんだな馬、まさに馬車馬らしく。

 オマエも後で必ず救出してやるからな。


 ちなみに五回目となる『時間停止』は未だ発動中であり、俺の時間であと2、3分もすればこの世界の0:30から再び正常に動き始めるはずだ。


 『時間遡行』は成功した。


 よってディマスさんはまだ生きている。

 それどころかまだ意識も取り戻しておらず、怪我らしい怪我もしていない。


 まずは一安心である。


 アリスさんから迷宮都市ヴァグラムにおける情報、主として冒険者ギルド、聖教会、エメリア王国総督府の力関係を聞いたりしながら0:30を待ち、それと同時にはじめての『時間遡行』を発動させた。


 どんな風に『時間遡行』がされているのかは、残念ながら俺の視点からではよくわからなかった。

 主観的には発動したのかどうかすら、すぐにはわからなかったくらいである。

 コマ落としのように目の前に座っていたアリスさんが消えうせたから、どうあれ発動したことは間違いないと思えたのだ。

 それがなければ何も起こっていないと思ってしまっていたかもしれない。


 はっきりしたのは『時間遡行』を発動した瞬間にいた位置のまま、やはり24時間を遡行しており、遡行前に俺がいた位置からは瞬間移動したように見えるのだろうということだ。

 うっかり遡行先の時間にはベッドの中で寝ていたことを失念しており、アリスさんと話していた別室で発動させてしまったのだ。

 朝から晩まで一緒にいたあの時間軸のアリスさんはもうどこにも存在しないのだとおもうと、ちょっと妙な感じがする。

 アリスさん自身は健在にも拘らず。


 因みのそのうっかりの結果、本来この時間には寝こけていた俺が消失し、案の定寝てなどいなかったらしいアリスさんが馬脚を露すことになった。

 そりゃ完全に眠っていたはずの観察対象が突然消失し、隣室から「こんばんは」って現れたら冷静さを保つことなどできないのは理解できる。

 すべて見透かされていたのだと判断してしまうのも無理はないのかもしれない。


 だからといって、


「何でもします。だから助けてくださいませんか」


 と土下座するのは潔すぎないだろうか?


 そりゃアリスさんが今置かれている立場からすれば、俺を可能な限り調べるのは無理なからぬことだろう。

 それをわかっていながら色惚けて、同じベッドで人肌の温もりを感じながら眠りたいなどとたわけたことを考えるばかりか実行したのは俺なのだ。

 

 それにアリスさんはどんな言い訳をしても通じないと思っておられるようだけど、実際に朝まで俺に直接的な危害を加えなかったことを、俺だけは事実として知っているのだ。


 だから寝たふりしつつ俺を調査観察していたことくらいで殺そうとしたりはしません。


 目覚めてから夜まで過ごしたアリスさんも演技をしていたということになるけど、そもそもお金で買った娼婦がお客様の前で演技しないなんてことはあり得ないしな。

 直接的な脅威にならないのであれば、すべてもとより織り込み済みであったともいえるのだ。

 よってそんなことにいちいち感傷的になったりするほど繊細でもない。


 逆にアリスさんを完全に味方に引き込めるかもしれない、いい契機になったともいえる。

 まあそれはディマスさんの救出を終えてからの話になるが、悪い展開ではないだろう。


 それにアリスさんもホントに俺と一緒に寝こけていた場合、0:30に『時間停止』を発動可能になるまで、かなり俺は暇を持て余すハメにもなったはずだ。


 やはり『時間遡行』を発動してから、再び『時間遡行』ないしは『時間停止』を発動するためには四時間の再使用可能時間を経過させる必要があったのだ。

 『時間遡行』をつかったあと4時間は、俺が不正行為チート能力をどちらも行使できない、いわば『弱体期間』になるということがはっきりした。

 『時間遡行』の取り扱いは今後も慎重を期する必要があるだろう。


 4時間もあればアリスさんを起こしてもう2、3戦というのもありだったが、そうなると5回目の『時間停止』の効果が終了してから6回目を発動させるまでの時間、俺はアリスさんの前から姿を消すことになるのでその説明をせねばならなくなる。


 要は今からディマスさんを助け出して下手人たちを一掃するのにかかる時間、アリスさんが起きていれば俺はその間いなくなってしまい、また突然現れることになるのだ。


 どちらにせよ説明をするハメにはなったが、アリスさんが『聖教会』側を裏切って俺につく方が得だと思わせるにはちょうど良かったともいえる。

 そういう意味ではアリスさんにはある程度俺の情報を晒すことによって、完全に味方に引き入れるのは利のないハナシではないのだ。


 なんなら赤竜レッド・ドラゴンの対価を、娼館『蜃気楼』を買い取ることにしてもいいか。

 足りなければいくらでも用意できるわけだし。

 ターニャさんにはドン引きされてしまうだろうけども。


 まあまずはディマスさんを救出し、今後同じようなことが起こる可能性をできるだけ潰すことに集中しよう。


 『時間停止』解除まで、あと5、4、3、2、1……0。

 そして時は動き出す。


 0:30ジャスト。


 ディマスさんが意識を取り戻すまでの1分と、そこからカイン・シーカーと名乗ったこの場のトップが語りだすまでの時間が結構ながかった。

 自信満々なだけあって、偽名ではなく本名でやがんの。


 『格闘士:Lv48』の隠形スキルを使用しているからには見つかるはずもなかったが、ただじっとしているというのはなかなかストレスではある。


 この場にいるのはディマスさんとカインと名乗った男以外にも10人いることが確認できている。

 誰もが完全に気配を断っているが、俺の表示枠とLv48の肌感覚から逃れられるはずもない。


 暗殺系としてはそれなりの手練れではあるのだろうが、敵対存在として捉えられていながら緑の光点ということは、俺にとって全く脅威とは看做されていないということだろう。


 まあ魔物モンスターの攻撃や特殊技でさえ一定量無効化する多重結界H.Pをすでに三桁で纏っている俺にとって、ただの人の力で振るわれる剣や弓程度が脅威になるはずもない。

 蟷螂の鎌などよりも、なお脆弱だ。


 だが確かにカインという男が語っている内容も間違ってはいない。


 俺以外、冒険者や封印騎士シールズといえどもH.Pを持ってない以上、カインとやらの言うとおり殺すだけであればそう大変でもない。


 生活に完全に溶け込んだ『悪意』を排除するには、圧倒的な攻撃力よりも圧倒的な防御力の方が有効なのは確かなのだ。

 相手も同じ人である場合、攻撃力は刃物で突く程度のものがあればそれでいい。

 だが防御力が人と同じでしかなければ、隙をつけば女子供であっても殺せるということなのだから。


 だから敵は、ディマスさんはもとより、俺ですらもどうとでもできると過信している。

 残念ながらその期待に沿ってやることはできないが。


 というか身を潜めたまま話を聞いていたら、ディマスさんの商人としての矜持がすげえ。

 このあと長時間の拷問の果てに殺されていたからしても、それが口だけでは無く最後まで折れなかったことを、少なくとも俺だけは知っている。


 そんな時に寝こけていた自分がホントに情けない。

 せめて完璧にこの場から救い出し、ディマスさんには俺の構想通りに『代替組織』のトップに立ってもらわなければ。


「後程、また同じ質問をさせていただくことにしますよ」


 だからここで介入する。

 時間からしても、初めて見せたカインという男の苛立ちからしても、この後ディマスさんへの拷問が始まることは間違いない。


 倉庫内でカインとやらを含めて11人。

 倉庫の周辺を固めている連中も含めれば30人を超える『三大陸トライ・カンティネンツ』絡みの人間はすでに俺の手の内である。


 一人たりとも逃がしはしない。


 それに必要な情報を引き出すために、そいつらが今からディマスさんにしようとしている拷問以上のことを俺がするのをためらう理由なんか、毛先ほどもないしな。


 連れてきていればクロに不吉な猫の長遠吠えをさせるのもアリかと思ったが、さすがに芝居がかりすぎるのでおいてきて正解だったかもしれない。

 今クロはあの部屋で突然消えた俺に驚愕しているであろうアリスさんをかまってもらっている最中のはずだ。


「貴様らには来ない」


 灯を落とされる直前に、俺が言葉を発する。


 隠形を解いてディマスさんの前に忽然と顕れた俺に対して、さすがのカインなにがしも驚愕の表情を隠しきれてはいない。


 彼の信頼する暗殺系に特化した手下たちに一切気取られることなく、この場に顕れたからには当然だろう。


「貴方がディマスさんの黒幕バックですね?」


 だが流石というべきか、引きつりながらも絶句まではしていない。

 だがこんなシーンでは、冷や汗をかいた時点で敗北側だと思います。


 それにまだ『竜殺しドラゴン・スレイヤー』の外見までは伝わっていないんだな。

 カインの話からその存在自体は確認できているらしかったので、「貴方が……」という反応をちょっと期待していたのだが。


「答える必要があるか?」


「答えてくれなければ実力行使をさせていただくことになりますが?」


 にべもない俺の応えに、なかなかに強気な言葉を返してくる。

 だがこれはカインが愚かというよりは、自分の手札がどの程度俺に通用するかを測っていると見るべきだろう。


 カインの表情にはすでに何の余裕もなく、それを隠せていないことこそが、己の想定外の事態であることを雄弁に物語っている。


「この場にいる10人程度でどうにかできると本気で思っているのならやってみるがいい。何なら外を固めている25人も呼んでも構わんぞ」


 よってその手札はまるで通用しないということを明確にしてやる。

 しかしこれ、まさに強者の言葉ってやつで自分で言っていてちょっと笑いそうになる。


 だがこの場に何人いるのか、この場だけではなくその周囲に何人いるのか、それを正確に把握していながらこの場に姿を現して平然としていることの意味が解らないほど愚かではあるまい。


「やめなさい!」


 だが俺の煽りに反応したのはカインではなく、手札の方だった。

 今日連れてきているのはそれほど優れた手札ではなかったのだろう。


 差し手に従わずに勝手に動く駒など論外だ。


 カインの方は俺という脅威に「先に手を出す」危険性を理解できてはいるのだろう、静止の声をあげるが間に合っていない。

 ちなみに俺は、部下の失態は上司が責任を取るべきだと思う派です。


 正確に俺の両手首、足首を狙ってきた攻撃はすべてH.Pを僅か1すら削ることも叶わず、高い金属音と共に弾かれる。


 茫然としている直接手を出してきた二人の意識を一瞬で刈り取り、ついでとばかりに残り8人も無力化した。


 目の前にいるカインが商人としてどんな能力を持っているのか知らないが、戦闘能力でいえばLv1ですらない一般人だ。

 俺の動きを捉えられているはずもない。


「心配するな、まだ殺してはいない。一人たりとも逃がしはせんが」


 人が崩れ落ちる音で、戦闘には素人であるカインにも俺の言っていることがハッタリではないことは理解できただろう。

 どうやってかまではわからなくとも、この空間に己の味方がすでに一人もいないことも、たとえ100人いたとしても無意味なこともまた理解できたはずだ。


「私たち『三大陸トライ・カンティネンツ』は必ずしもあなたと敵対したいと思っているわけではありません」


 だからこそ実力行使ではなく、それなりに自信があるのであろう話術による交渉に一瞬で切り替えている。

 それに本気半分、演技半分であえて余裕を見せることもなく、今の自分が真摯であることをわかりやすく表現している。


 さすがというべきなのだろう。


 実際カインにしてみれば、今の時点ではまだ俺と決定的に敵対せざるを得ない盤面まで至っていないという認識になるのも間違ってはいない。


「だろうな」


「貴方の仲間であるディマスさんに手荒なことをした件については、いかようにでも謝罪いたします。ですから何卒話をさせてはくれませんか」


 だから俺の応えに対して、ほっとしたような空気を隠すことなく滲ませている。


 だが。


「いかようにでもといったな?」


 だが俺はこの先、どう盤面が進んだのかを知っている。

 ディマスさんが殺されていることを知った時の焦燥がよみがえってきて、よくもいけしゃあしゃあと、という怒りが肚に燈る。


「ではこの場に俺が現れなければこの男ディマスさんに貴様らが間違いなく行っていたことを、貴様が受けるのか?」


 だから底意地の悪い問いを投げつける。


「それは……」


 さすがに答えられまい。


 自分が有能で冷酷であることを自認しているであろうカインにしてみれば、俺の介入がなければディマスさんをどうしていたかなど明確なのだから。

 なによりもその結果を俺は一度自分で確認しているのだ。


「まあいい。それを決めるのは俺ではない」


 なにか口にしようとしたカインの意識を一瞬で刈り取る。


 言ったとおり俺が決めることではないと思っているのも確かだが、妙な言い訳の言葉なんかを聞いてしまうと「殺っちゃえ!」になりかねないと思ったのだ。


「ディマスさんすみません。大丈夫ですか?」


 邪魔者は居なくなったので振り返り、倒れたままのディマスさんを助け起こす。


「マサオミなのか?」


「俺以外、この場に助けに来てくれるような心当たりあるんですか?」


 ディマスさんも当然まだ『竜殺しドラゴン・スレイヤー』の姿を知っているわけではないので、この禍々しい仮面をしていては俺だと確信できないのもわかる。


 とは言っても、この場で助けに来るのなんて俺以外いないと思うんですけど。

 まあどうやってとか聞かれたら、わりと答えに窮しはするんですが。


「いやお前、めっちゃ怖かったからさ」


「わりと頭に来てましたから」


 ああ、わざと半分怒り半分でかなり強者モードで話していましたからね。


 ディマスさんにしてみても、『格闘士:Lv48』の俺の姿を知ってはいても、その力を魔物モンスターではなく同じ人に向けているのを見れば感じ方も違うのだろう。


「ホントに頭殴られたくらいで、まだなんもされちゃいねえぞ俺は。つか俺が酷いことされてマサオミが切れるとか、それけっこうヤな絵面じゃねえか? リィンの嬢ちゃんとかには見られたくねえ感じなんだけど」


 このおっさん!


「いや、それはそうなんですけどね……」


 ディマスさんにしてみれば、確かに今のところ拉致されただけである。

 いやそれを「だけ」と言ってのけるのもどうかとは思うのだが。


 後半については心の底から同意なんですが、こっちは貴方が一度殺されている立場なんですよ、それをわかってくれってのが無理筋なのも理解できていますけど!


「で、どうします?」


 まあこんなくだらない会話をできる状態にことを喜ぶべきなのだろう。

 そしてこうなったからには、できるだけ俺とディマスさんにとって利のあるようにこの状況を活かすべきでもある。


 だからこそ、短絡的にみなごろしにはしなかったのだから。

 

「俺に振った時点で、マサオミも俺と同じ考えだろ。どうせこれからも似たような連中は出てくるんだ、そういう意味では『三大陸トライ・カンティネンツ』はかなり使える。味方にしちまおうや」


 いやまあ、ディマスさんならそういうだろうとは思ってはいましたが。


「俺が来なかったら、殺されていた可能性もあったって、わかってますよね?」


「そりゃな。だが俺がのはそういう危険性も充分にあるハナシだし、俺ぁ商人だからよ。意趣返しなんかよりゃ、利を生む方を選んでなんぼだろ?」


 念のために確認したら、言わずもがなの返事をされた。

 それにまあマサオミがこうやって守ってくれることも分かったからよ、とか、ホントすげえいいタイミングだったよな、などとからからと笑っておられる。


 まあ俺が姿を現す直前の言葉を聞かれたという、テレ隠しもあるのだろうけれど。


「本気で感心しますよ」


「そいつぁドウモ」


 己の在り方が揺るがない人ってのは、強い弱いじゃなくてカッコいいなと思ってしまう。


 さて後は周囲を固めている連中も無力化して、馬と積荷も救うだけだ。

 交渉事はディマスさんにまかせて、それが済んだら再び『時間停止』を発動して迷宮都市ヴァグラムへ戻らねばならない。


 結構大変である。


 戻ったら戻ったで、アリスさんとの交渉もあるしな。

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