第038話 敵娼

 すでに俺は広間の最奥、とはいえ壁や扉で仕切られているわけではない豪奢な席へついている。


 素人目にもとんでもなく金が掛かっていることがわかる繊細な織物を、幾重にも高い天井から垂らされているつくりになっている。

 幻想的な天幕のようにして、広間を見渡せながらも区切られた別空間であるということを演出しているのだ。


 さすがは迷宮都市ヴァグラム一といわれている高級娼館という佇まいである。


 店内は小動物禁止というわけではなくてほっとしているが、俺と同等、下手をすればそれ以上に女の子たちの視線を我が従魔殿クロが集めているのはどういうことだ。


 本物の俺であればともかく、異世界用今の俺の容姿を以てしても御猫様の魅力にはやはり後れを取るというのか。

 女性陣に対する小動物、特に御猫様の破壊力半端ねえ。

 この世界に「猫」という小動物が存在しないのであればなおのことか。


 「可愛いは正義」とは、異世界であっても真理であるのかもしれない。


 とにかくこの席で軽く酒と肴を楽しみつつ、今宵の敵娼あいかたを決めるシステムというわけだ。

 固定の敵娼あいかたがいるお客様であれば、そのまま床入りになったりするのかな。


 この手の高級店では毎回敵娼あいかたを替えるなんてのはとはされず、固定客になるのが定石セオリーなんだろうなあ……

 指名替えとか河岸替えとか、ややこしいしきたりがあるのであれば早めに把握しておきたいところである。


 そういう意味でも、俺が今日選ぶ敵娼あいかたは重要になる。


 好きなナニカのために、その気になればしなくてもいい我慢を自らに強いることを『粋』と呼ぶのはかなり好きで、実際カッコいいとは思う。

 ちなみに読みは「いき」よりも「すい」の方が響きが好みである。


 だが本当に粋な人物などそうそう存在しないのもまた事実。

 無粋に生きるのも結構楽しいんだよなあ……。


 粋なヒトには自分がなるよりも傍から見ているか、知り合いになるくらいがちょうどいい気がしている俗物が俺なのだ。


「今はホントにお腹いっぱいなので、飲み物だけいただきます。お酒以外もありますか?」


「もちろんございます。果実水でよろしいですか?」


「すみません。ありがとうございます」


 すでにお互い名を名乗っている。


 向こうは当然俺の名前など先刻承知ではあったのだろうが、だからといってお互い名乗らないというわけにもいかない。


 今俺のリクエストに艶然と微笑んで応えてくれているのは『蜃気楼この店』の女支配人マネージャーである、エマ・エリザベート・クルーシュさん。

 ちなみに実際に名乗られたのは『アリス・パール』というお名前でしたが、俺の視界にはしっかり本名が表示されている。


 源氏名持ちということは、『支配人』兼『嬢』でもあるのだろう。

 実際にそういう存在がいるのかどうかは知らないが、架空の物語であればいくつか思い当たるモノも在る。


 というかこれだけ美人でスタイルもよく、色気に溢れている人が娼館において支配人マネージャー業務だけをしているというのは考えにくい。

 実務は有能な裏方が回していて、店の顔として支配人でもあるという方が自然か。


 太客は間違いなくこの迷宮都市において重要なポストにいる人物だろう。


「朝まではまだまだ時間はありますよ? 軽くであればもそんなにはでないと思いますけれど……お若いのですし」


 酒を断った俺に対して、美しくありながらも蠱惑的で悪い笑顔を浮かべながら艶話へと持っていくのは流石というべきなのか。


 いや確かに今の身体なら、「酒が入ったから駄目になりました」という情けない心配はさほどしなくてもいいとは思う。


 だが今日ここへ来たのはそういう目的だけではなく、こういう場所でしかできない実験もやりたいと思っているも事実なのだ。

 どちらの比重が大きいのかは特に秘す。


 とにかくやることはやるとして、楽しく酔っぱらっている場合ではないのだ。


「いや、呑み始めたら楽しくなって、朝まで呑んでへべれけになってしまいそうなので」


「あら。でもそれはそれで剛毅な「遊び方」ではございますね」


 俺の適当な言い訳に、内心はどうあれ本当におかしそうにくすくすと笑う。

 仕草の一つ一つがドエロいにもかかわらず同時にどこか上品だというのは、高級娼婦クルティザンヌなればこその高等技術が成せる技なのかな。


「そういうのもアリなんですか?」


「肌を合わせることも含めて朝までの時間を買っていただくわけですから、禁止事項に無いことのみで使い切られましても問題はありません。とは申しましても、さすがにこの場でそれをなさったお客様は記憶にございませんね」


 言ってしまえば所詮やることは同じで、なにを取り繕って言っているのかという向きもあるだろう。


 でも俺個人としては「躰を売っている」というよりも「時間を買っていただいている」という言い方のほうが嫌な気持ちになりにくい。


 同じことでも言い方って大事だと思う。

 言う本人といわれる相手の関係性で、正解なんていくらでもあるものだろうから。


 それになんというのか、男女間のいろんな要素でやっと取り付けることが可能な「女の子からの許可」を、時間とセットでお金で買っているという背徳感も重要だと思うのだ。


 行為による発散だけではなく、そういった需要も満たす。

 だからこそ普通に考えたら馬鹿みたいに思える対価を必要とする、高級娼館というものが成立するような気がする。


 高い金を払ってバカをやっている自分を楽しむという、どこかズレた感覚というものも世の中には存在するのだ。


「でしたらさっそく『蜃気楼当店』の№1からご紹介させていただいても?」


 今の会話の流れで俺という『お客様』はこういった場所での雰囲気優先ではなく、実際的な発散を重視していると判断されたのだろう。


 アリスさん(源氏名)はそうとなれば仕事を進めようとされている。


「その前に少し質問していいですか?」


「なんなりと」


「ここ『蜃気楼』は迷宮都市ヴァグラムでのトップ娼館だと聞いてきました。それが開店直後とはいえ客が俺しかいない理由をお聞きしても? あと№1から紹介していただけるとのことですけど、予約が入っていないなんてことありえるんですか?」


 だが一応は聞いておくべきだろう。


 自分の「やらかし」であろうことは認めた上で、この質問に対する答えによっても冒険者ギルドと娼館の、あるいは娼館の背景にいる聖教会との関係をある程度推し量ることもできるだろうから。


「ああ、それでしたら本日は特別です」


「特別?」


 だが帰ってきたのはちょっと意外な答えだった。

 アリスさんもちょっと困ったような苦笑を浮かべておられる。


「はい。マサオミ様はギルド所属の冒険者様ですから、私共などより詳しくご存じなのではないですか? 本日発生した迷宮都市ヴァグラム始まって以来の大事件といっても過言ではない、赤竜レッド・ドラゴンの壁内侵入と討伐です」


 あ。


「おかげさまで、当店はこの迷宮都市ヴァグラムにおいて重要な立場におられる方ばかりがお客様になってくださっております。そのため今夜は当店としても始まって以来の「全キャンセル」となってしまいまして。総督府、冒険者ギルド、聖教会、全てのお偉方が集まっての緊急会議なのだとか」


 ああー。


「ですけど仕方ありませんよね。私も開店前に迷宮ダンジョン前広場に行ってみましたけれど、あのように巨大な魔物領域テリトリー種が狩られたとなれば、迷宮都市ヴァグラムの中枢部が緊急会議をするのは当然ですもの」


 そりゃそうか。

 そりゃそうである。


 昼間あれだけの騒ぎがあって、この迷宮都市の重鎮たちがその夜集わないなんてことはあり得ない。

 裏ではどういった勢力関係にあるのかは別として、魔物モンスターから人の世界を防衛するという一点においては冒険者ギルドも聖教会も総督府も、相手の腹を探り合いながらとはいえ協力するのは大前提なのだ。


 駆け引きも敵対も、魔物モンスターに滅ぼされてしまえば笑い話にもならない。


 それに迷宮ダンジョン入口前広場に巨大な赤竜レッド・ドラゴンの亡骸が横たわっている以上、『退避訓練』で押し切ることなどできるはずもないので、『籠護女かごめ』から事の表面的な事実は住民たちにも伝えられている。


 となればそれなりの立ち位置にいる者が、今夜娼館通いなんかできるはずもない。

 高い地位にいる者は高額報酬――それこそ高級娼館に通えるくらい――を得ると同時に、それに応じた責任を果たすことが義務となるのは当然の事なのだから。


「そんな夜に娼館に赴くなど、よほどの大物でもないと無理ですものね」


 俺のコトか。

 俺のコトだな、それは。


 こればかりは本当に楽しそうに笑っているアリスさんの様子に、俺はマジでちょっとへこむ。


 いや自意識過剰だったことを恥じているというわけではない。

 確実にこの対応は、俺というより冒険者ギルドに対する聖教会側の思惑も関わっている。


 アリスさんの「わかっている感じ」からしてそれは間違いない。

 ほとんど存在しないだろう俺の情報は、そうだということも含めて聖教会、もしくは総督府からアリスさんへは渡っているだろう。

 だからこそ今のような、揶揄するような言い方もできるのだ。


 だが誰もが「ああなるほど」となる言い訳を自ら作っておきながら、高級娼館に俺以外に客がいない理由をしたり顔で確認したことが恥ずかしいのだ。


 猛り狂っているわけでも、喫緊の予定が詰まっているわけでもあるまいし、せめて明日以降に訪れるという判断をどうして俺はできなかったのか。

 自分で思っているよりも猛り狂っているのかもしれない。


 いやある程度状況を知る者たちから、そう思われかねないというのがかなり恥ずかしい。

 同じことをやりに行くのだとしても、さらっと行くのと辛抱たまらん様子で行くのとでは随分違うのだ。


 実際はどうあれ、今のアリスさんの表情は「そう思っていますよ」というたぐいのものだ。


「失礼いたしました。としてはそうなっております」


 だが俺が本気で頭を抱えそうな様子を確認して、アリスさんが笑いを堪えつつもある程度腹を割った情報を提示してくれる。


 聖教会-総督府側の人間として、俺との対峙にはそれなりに緊張しておられたのかもしれない。

 それがこんな御しやすそうな若造だったとなれば、ある程度ほっとしてしまうのも当然のことか。


 これを狙ってやれていれば俺も大したものなのだが、素でやらかした結果だから笑えない。


「……本当の理由は聞かせてもらえないのですか?」


「マサオミ様は初めからご理解しておられますでしょう?」


「いや、まあ……」


 その上言わずもがなのことを言ってしまった。

 これはもう、素直に直球で訊くのがはやいな。


 どれだけ力を持ち、見た目がこうなっていても中の人は所詮俺なのだ。

 似合わぬことは無理をせず、時代遅れの――もとい。


の話もしたいとなれば、おすすめの娘は誰になりますか?」


「少々値が張ってもよろしければ」


 まあそうなるよね。


「……借金してでも支払います」


 いくら高級娼館の女支配人兼№1もしくは番外高級娼婦クルティザンヌ相手だとは言え、金貨30枚で足りないということはないだろう。

 足りなければ明日にでも異層保持空間ストレージにある魔物モンスターを急いで換金してきます。


「ではお部屋へまいりましょうか」


 やっぱりねー、みたいな声が広場の女の子たちから漏れているが、ここはしょうがない。

 

 俺は艶然と微笑みながら手を引くアリスさんに連れられて、この娼館内にある最高級の個室まで移動することと相成った。


 今宵、というかここからしばらくの俺の敵娼あいかたはこれでアリスさんに定まったというわけだ。

 横目で見ていて他にも気になった娘がいなくもないが、アリスさんにまったく不満はない。


 とはいえかなり高くつくことになりそうだから、明日以降は頑張って冒険者稼業にもを出すことに致します。




 とりあえず今からは、情報収集と人体実験のお時間です。


 みてろよ。


 語り継がれる名言「機体モビ〇・スーツの性能の差が、戦力の決定的な差ではないことを思い知らせてやる」の逆を、アリスさんには思い知ってもらう。


 経験や駆け引きではかなわなくても、実戦においては機体の性能の差は大きいぞ。

 それも白い奴を超えるくらい、不正行為チート能力も搭載済みだからな。


 9割はニセモノといわれている時間停止系の、ホンモノというものを体験してもらおうじゃないか。

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