第037話 夜街
……………………。
めちゃくちゃ引かれた。
いや確かにターニャさんという歳若い女性、しかも王族であらせられる方の前で訊くことじゃなかったという点については猛省している。
自分が描いた絵図面がうまくいきすぎて、ちょっと調子に乗ってしまいました。
正直すみませんでした。
中世
と言われても返す言葉もない。
たぶん引きつった笑顔だったマスター・ハラルドとヤン老師の内なる二人は、向こうで言えばそんな感じのことを叫んでいらっしゃったことだろう。
かえすがえすも申し訳ない。
エロ系の話は秘するが常識。
世にどれだけその手のお店が溢れかえっており、尽きぬ需要と供給で経済の一部を担うようになってまでいながらも、男性も女性も「君のおすすめはどこかね?」などという会話をお気楽にするような
おそらくは現代社会というモノが成立して以降、
許されるのは気心の知れた同性間においてのみといっても過言ではあるまい。
同僚とかであってもそれなりに仲良くなければアウト案件である。
異性が含まれている場合など、「気心が知れているから」などと過信しているのは発言している当人だけという惨劇がほとんどだ。
公的な場でそれを理解できていないような言動をしでかした
同好の士が集まっている場所でも無ければ、一方的にオタク話を叩きつけていくスタイルはおもいきりひかれても文句など言えぬ。
それがエロ話となればなおのことだ。
まあ男であれば基本的に「同好の士」であるはずなのに、不思議なことだと思わなくもないが。
こだわりの
どうあれ
それを圧倒的な力で開き直って封殺するようにでもなれば、それは暴君だと裏で笑われ、蔑まれるようになるだけだ。
我ながらはやくもゲーム脳ならぬ、異世界脳といおうか
ホント気を付けよう。
というわけで充分反省はしているのだが、なんというかマスター・ハラルドとヤン老師の「ひきかた」は、そういういわば当たり前の理由とはまたちょっと違うニュアンスだった気もしている。
とはいえ、具体的に自分がどこに違和感を覚えているのかまでは判然としない。
ターニャさんも女性としては赤面し、「男性ですものね……」などとなんだかよくわからんフォローも入れてくれていたが、根っこの部分では男性二人と変わっていなかったように思える。
いい大人として
そういったごく当たり前のものだけではない、最初のリィンとディマスさんの態度にも似通った「この世界の常識から逸脱した者」に対する呆れと、ごく微量の畏れのようなものを感じたのだ。
これはこの世界の歴史だけではなく、常識や風俗というものも早急に身につける必要があるな。
いわゆる風俗に通うのであればなおのコト。
とはいえ娼館をはじめとしたその手の店はいくらでもあって、そういう店が集まって『花街』、『夜街』と呼ぶべき場所が存在しているのも確かなのだ。
つまりその辺については俺のいた世界と、そんなに乖離していないとは思うんだけどな。
まあそれはこれから店の娘にでも訊けばいいか。
日頃はまずしないであろう表情でマスター・ハラルドとヤン老師が教えてくれたところによれば、こっちの世界の高級娼婦は基本的に時間買いなどできず、一夜買いがほとんどだということだった。
高級娼婦というからにはお値段も市井の者たちにとってはとんでもない額となるらしいが、それを平気で出せる層のみを相手にしているからこその高級娼婦であるわけだ。
そういう意味でも「お客様」として成立しやすいのは稼げる冒険者だと思うのだが、今の俺のような年齢で娼館に行くことを明言するようなのが珍しいってことなのだろうか?
そういうわけで朝まで時間は充分あるのだ。
そんなことを考えながらこの迷宮都市ヴァグラムの『夜街』、その中でも最も格が上だと教えてもらった娼館の前に立っている俺である。
『時間停止』発動中に見て回った中でも目についた豪奢な建物であり、それでいて大きすぎるわけでも下品なわけでもない。
そうでありながら男であれば思わずそわそわしてしまいそうな非日常感、透けて見えるような淫靡さが漂っている。
おもえばこの迷宮都市の『夜街』全体が、そんな感じに統一されているようにも感じる。
このどこか落ち着かないような感じも、『夜街』に遊びに出るときの醍醐味だと思うので、こういう雰囲気は嫌いじゃない。
いやひかれたことにはショックを受けたし、己の言動を反省もしました。
だからといって「行かない」という選択肢は俺にはあり得ないのだ。
異世界転生、転移をしたのがまだそういう世界に美しい夢を見たい年頃の青少年だというのであれば、いきなり娼館になんて行かないというのは
知り合った美しかったり可愛かったりする異世界の女性――それこそリィンみたいな存在と仲良くなり、手順を踏んでそうなっていくのが
あるいは中身が俺のようにやれた会社員であったとしても、奴隷制がある異世界なのであれば資金力にあかせて美女かつ処女が約束されている奴隷を購入するとかか。
どちらも当事者でなければ大好きな展開であることは否定しない。
だが自分が実際にこういう状況に置かれてみれば、娼館に行くのが一番無難だと思うのだ。
その手の欲望が薄い、あるいは無いという御仁がいることも承知している。
そういう方は明日のために英気を養い、日々
それはそれで楽しいことは理解できるし、俺とても各
思いついた
だがそれはそれとして、一方でそういう欲も普通にあり、今のように破格に稼げるとなればそういう方面も押さえておきたくモノではなかろうか。
とはいえ実際面で考えればいきなりリィンのような普通の――設定的にはとても普通とは言えないのだろうが――女の子と仲良くなっていくにはステータス的なものとは違った能力が必要ともなるし、時間もかかる。
端的に言えば俺には
一方いきなり自分が全責任を持たねばならない奴隷を購入するのもさすがに躊躇われる。
主として金銭面で解決できる責任や義務はどうとでもなるにしても、常に一緒にいる存在が突然発生するという事態に魅力と同量、あるいはそれ以上のストレスを感じるのが俺という人間なのだ。
そういう意味でもあくまでも「売り手」と「買い手」、商売として扱われている関係で処理してしまうのが一番無難だと思ってしまうのだ。
求めているのは欲望の解消と表面的な安らぎであって、真実の愛とか不変の信頼ではないのだから。
たとえ嘘でも、それが支払われる対価に妥当なサービスとして捉えれば需要のある嘘なのだ、売りたいものが売り、買いたい者が買うのは当然だろう。
そういうものを売り物にすること自体の是非については、一度でもお世話になった経験が在る者が軽々に語るべきではないだろう。
以上、理論武装完了。
人によっては屑と看做されようが、俺はそういう人間なのでしょうがない。
我慢しなくていい状況で我慢をするほど人間はできていないし、我慢が必要な関係を今のところ求めてもいないのだ。
今の俺ならば、向こうでは求めても無駄だった「そういう関係」を構築することができるのかもしれないが。
あるいはそれこそが、
まあ今はそんなことはいい。
軍資金は充分。
ざっくりとした日本円換算で約三千万を手にしてその手の店に行った経験などないから、それだけでもテンションは上がる。
冒険者ギルドのマスター・ハラルドから紹介状を預かっているから、身元の心配もない。
病気だなんだはヤン老師曰く、魔法とはまた違った神の奇跡――『聖教会』の協力で心配することはないらしい。
向こうでのイメージだと
あるいは「冒険者」のトップ層であるマスター・ハラルドやヤン老師が『娼館』に対してどこか隔意を持っているように見えたのは、『聖教会』と冒険者ギルドの背景にいる『
そんな考察も後回しだ。
いざ!
ところが決意と期待を込めて瀟洒な作りの扉に手を伸ばそうとしたら、扉の方から内向きに静かに開いた。
うわ、こっちの世界でも魔力あたりを利用した自動ドアめいたモノがあるのか?
冒険者ギルドの建物とか、立派ではあったがそんなシロモノはなかったので油断していた。
『外壁』とその素材を同じくするであろう一部の建物以外はわりと中世
「いらっしゃいませ、御主人様」
だが違った。
扉は内側に控えていた、ぴしりとした身なりの男性従業員が人力で開けてくれていた。
空いた扉の向こうは吹き抜けになっている広大な広間であり、そこにはかなりの数の女性が色とりどり、どれも煽情的な衣装に身を包んで全員が傅いている。
その中央に真紅のドレスに身を包んだとんでもない美女がこれもまた膝をついてこちらに視線を向けており、えらく綺麗な澄んだ声で俺の来店を歓迎してくれたのだ。
「いらっしゃいませ、御主人様」
その声に続いて、広間にいるすべての女性が同じ言葉を唱和する。
娼館だと思って来てみたら、メイド喫茶だったのかな?
いやその場合はお帰りなさいませ、か。
そういえばこっちの世界では、望めばそういう暮らしを日常とすることも可能なんだな……
思わずアホなことを考えてしまうほどあまりにも想定外の事態に、思考はなんとかできてはいても体の方は完全に硬直してしまっている。
こればかりはどれだけ異世界仕様の俺の身体性能が優れていようとも、攻撃を通されるのは精神へなので中の人の経験値がすべてを左右する。
つまり俺としては防御力0といっても過言ではない。
なんなら攻撃と判断して、
無表情で足元に佇んでいるクロが素極まりないので、そんなことにはならないのだろうが。
「今宵は数ある娼館の中から当店、『蜃気楼』を選んでいただきありがとうございます」
ぞっとするような艶っぽい声で、中央に傅いていた女性が立ち上がりながら微笑み、俺の手を取って広間の奥へと誘う。
されるがままになりながらも、頭の中では重ねてやってしまった己の失敗を悔いていた。
これは別にマスター・ハラルドやヤン老師が俺の「極力普通に」というリクエストをあえて無視して、娼館をあげて歓待しろという指示を飛ばしたというわけではないのだろう、おそらく。
冒険者ギルド・マスターから身元の保証と、今夜この店を訪れるとわざわざ告げられる冒険者という存在は、トップ娼館をしてここまでの対応をするべきものなのだ。
まだ理由はわからないが、そうでなければこの対応はあり得ない。
つまり自分はこの世界の常識を知らぬためとはいえ、自分で「大事にしたくない」と言っておきながら、自ら大事になるのがわかりきっている娼館へ行くから「紹介よろしく」と宣っていたということになる。
そりゃマスター・ハラルドとヤン老師だけではなく、ターニャさんとても微妙な空気を醸し出しても仕方がない。
三人にとってみればこうなることは当然で、俺はそれと知りつつ娼館を訪れると言い出しているとしか思えないだろうから。
おそらくはなんらかの思惑があって、
「まずはこちらへ。お食事は済ませておいでだと伺っておりますので、お酒と軽い肴をご用意させていただいております」
うわー、そこで軽く酒でも飲みながら今夜の
そんな店行った経験なんかないから、妙な汗が出て来たぞ。
正直なところ細かいことがどうでもよくなりそうなくらい、めちゃくちゃ楽しくなってきてもいるけれど。
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