第031話 竜殺し

 今なお戒厳令が敷かれて続けている迷宮都市ヴァグラム。


 もっとも住民たちには『退避訓練』だと告げられているのだが、たとえ訓練であってもみな真面目に退避しているため、いつもの日常であれば人出で溢れている都市内は閑散としている。


 そんな非日常に支配されている都市内を俊敏に移動し続けているのはBクラス以上の冒険者たちと、その上位存在ともいえる『封印騎士シールズ』と呼ばれる、エメリア王国と聖教会に仕えるいわゆる正規兵たちである。


 彼らは今この迷宮都市ヴァグラムが置かれている本当の状況を知っている。


 どうやってまでかはわかっていないが、人々の安寧を庇護する最終ラインである迷宮都市の『外壁』を越えて、大型Sランクと判断される強大な魔物モンスターが都市内に侵入しているのだ。


 その上その絶望的な敵を迎撃する準備を進めていたら、いきなり対象を探失ロストしている。


 この都市で暮らす者であれば知らない者などいない、迷宮都市の全ての機能を司る存在システム籠護女かごめ』様。


 その無謬性を疑う者もまたいはしない。

 それは今日今この時まで、この巨大な都市に暮らす住人たちの安全を守り続けてくれたという実績に基づいているだけに揺ぎ無い。


 つまり今の状況とは、そんな『籠護女かごめ』の能力をも凌駕するほどの強大な敵が『壁内』に侵入している状況ということになる。


 わかり易く侵入地点の外壁が破壊されており、大型Sクラス魔物モンスター――定番であれば巨大なドラゴンあたりか――の進路に沿ってすでに甚大な被害が発生しているというのであれば、まだ納得もできる。

 魔物モンスターと戦える力を持っている者ほど、上位の魔物モンスターには人などとても敵わないということを、嫌というほど理解できているからだ。


 いつか自分たちの迷宮都市ヴァグラムこんな終末が来るかもしれないことは誰もがみな覚悟できていて、それがたまたま今日だったというだけの話にすぎない。


 今日まで魔物モンスターと戦える力を持った冒険者、封印騎士シールズとしてもてはやされ、多くの人よりも恵まれた暮らしをさせてもらった対価として、真っ先にドラゴンと切り結んで死ぬだけだ。


 権利には必ず義務が伴う。

 そこには勝てるだの勝てないだの、生きるだの死ぬだのは関係ない。


 それを自らもとして力持つ者の権利を行使した者には、通じようが通じまいが己の力をすべてを敵に叩きつけて死ぬことが義務となるのは言うまでもない。


 敵が明確でさえあれば、冒険者や封印騎士シールズたちはその己の責任だけは全うできる。


 確かに己が守るべき人々を守り切れないことに、忸怩たる思いを抱きはする。

 勝てないとわかっている相手に突っかかることが、正しいと思っているわけでもない。


 だが己の範疇において人事を尽くすことさえできれば、避け得ぬ死という天命には悪態をついて中指を立てる程度で済ませてやってもいい。


 どうせこの世界を本当の意味で力以て支配しているのは魔物モンスターたちなのだ。

 ここで逃げるくらいなら、初めから己が剛力を頼って冒険者として生きたりはしない。


 生きている以上、必ずいつかは死に至る。

 それが避け得ぬ以上、その死に方くらいは己が誇って生きてきた馬鹿に準じて選びたい。

 己という存在の在り方――生き方とはつまり、死に方によって最終確定されると思うからだ。


 そうあれない賢者は力があっても、常に死と隣り合わせの冒険者バカを続けられはしないし、この状況で迎撃に飛び出すこともできはしない。


 新人ルーキーであろうが熟練ベテランであろうが、その等級クラスがなにであろうと、冒険者という生き物はそういう連中なのだ。

 それこそ拠点防衛を命じられたCクラス以下の者たちであっても許可が下りさえすれば、一矢でも報いるべく死地へ飛び込むことをまるで躊躇わぬ程度には。


 だからこそ、今『壁内』を走り回っているBクラス以上の冒険者や封印騎士シールズたちは、その心中に激しい焦燥を覚えている。


 確かに侵入しているはずの大型Sクラス魔物モンスターを、どこにも見つけることができないからだ。


 敵がいない。

 命を捨てて殴りかかるべき相手が見つからない。


 確実にどこか――自分たちより後に死ぬべき人たちの至近にいるはずなのに。


 冒険者たちは己も戦う力を持っているからこそ、強者がその威を意のままにできることも知っている。

 その本質は何も変わらぬまま見た目やだけであれば弱者を装えることを知っているがゆえに、『籠護女かごめ』様が敵を探失ロストしたのはそのたぐいの技術のせいだと思っていた。


 知恵や知識において魔物モンスターは人より下だとは思っていても、こと戦闘に関わることにおいてはその限りではない。

 勝利するために己の身体を十全に機能させるという点において、人は魔物モンスターに遠く及ばない。


 人ができることは、基本的に魔物モンスターはできる。

 逆に魔物モンスターが息をするように当然の如く行う多くを、人は真似ることすらもできない。

 だからこそ知恵と知識を生かした技術と、神から与えられた『魔法』を以てしてすら、なんとか種としての滅びから免れ得ているという程度なのだから。


 とはいえたとえ気配を消したとしても、大型でSクラス魔物モンスターがその巨躯まで隠せるとはだれも思っていなかった。


 要らぬ魔力消費を抑えることが結果として威や気配を消すことになっていたとしても、強者とは基本的に隠れたりしない。

 そこはいかに強大とはいえ魔物モンスターは生物としての本能に支配されており、人のようにそこから外れて悪意を以て潜むような真似はしないのだ。

 狩るために初動の気配を消しはしても、一度ひとたび襲いかかった後は己が剛力にまかせて蹂躙するのが魔物モンスターという脅威だったはずだ。


 だが自分たちが間抜けにもうろうろと敵を探して走り回っているうちに、どこかで火の手が上がって住人たちが死ぬかもしれない。

 このSクラスの脅威が人に擬態するという、神話や伝説で語られる『魔獣』や『魔人』の類であれば、最も多くの住民が避難しているであろう聖教会から惨劇が始まる可能性すらある。


 自分の誇ってきた人生が、最後の最後で無能な「タダ飯喰らい」に堕することに恐怖して、錯乱しそうになりながらただただ走り回り続けていたのだ。


 だが今は違う。


 冒険者ギルドから新たに発された指示に従い、広大な迷宮都市ヴァグラム中に散っていた冒険者、封印騎士シールズたちはみなある一か所を目指して移動を開始している。


 Cクラスの中では上位にいる冒険者たちによって伝えられた新たな指示は以下のとおり。


『都市中央、迷宮ダンジョン入口前広場を全戦力によって包囲せよ。ただし討伐対象を確認しても接敵するを許さず。包囲から逃れる可能性がある時のみ戦闘を許可する』


 妙な指示ではある。


 だが敵を発見できないことに恐慌パニック寸前であった迎撃班たちは、疑問など封殺して指示に対して即応した。

 命が、それも自分のものだけではなく守るべき者たちのものまでかかっている場において、前線が司令部の指示に従わないことなどありえないからだ。


 そのためにこそ階級は存在し、命令系統というものが確立されているのだ。


 単独ソロ一党パーティー単位で迷宮ダンジョンに潜っている時であればともかく、正式任務ミッション発令下で一兵となっている際、命令遂行の厳守は絶対なのは言うまでもない。

 たとえそれが不可避の死を意味するものだったとしても、従ってこそ兵は兵なのだ。

 それが同族の他国を侵略するものではなく、魔物モンスターから人の世界を護るためのものであれば、意外と人は崇高な使命とみなして従えたりもする。

 恐怖から目を逸らすために、そうと知りつつお題目に自ら酔っぱらっているともいうが。

 

 だがそれだけではなく、指示に従った冒険者たちは自らの死に場所を見失わなくて済んだという奇妙な安心感を覚えながら、全力で迷宮ダンジョン入口前広場へとひた走った。


 最後の迎撃班が到着した今でも、一見して迷宮ダンジョン入口前広場には何の変化もないように見える。

 だが誰一人油断することなく、それぞれが全力で戦えるだけの間隔を確保しつつ包囲陣を構築し、それ以上それを狭めることなく待機している。


「ここに、来るのか?」


「……わからん」


「だが来るとして、どうやって?」


「黙ってろ」


 どれだけおかしく感じても、都市内を走り回ることしかできない自分たちとは違い、『籠護女かごめ』様が下された指示なのだ。

 なんの意味もないことなどあり得るはずもない。


 じりじりとした時間が経過し、幾人かが「まさか大型Sクラス魔物モンスターとは、迷宮ダンジョンから顕れるのだろうか?」と想像し始めた、そのタイミング。


 それはまったくの逆、つまり空中から顕れた。


 薄ガラスが幾枚も続けて割れるかのごとく、高く澄んだ音が広場中に響き渡る。

 いや音だけではない。


 広場中央上空、かなり高い位置の空間に無数のが入っている。

 先刻さっきの音はそれが発生した際のものだということを、目にしたものすべてが本能的に理解する。


 空間が砕けようとしているのだ。


「これは……結界術!?」


「まさか!!」


 冒険者から封印騎士シールズとなり、聖教会の秘匿情報に触れることが可能となっている者たちが、知識としてのみ知っているこの現象に似た『魔法』の名を口にする。


 神話や伝説の時代、『勇者様』が行使したという巨大な魔物モンスターと都市部などで戦闘する必要が生まれた際、他に被害を及ぼさないために使用されたという『空間魔法』の粋。


 まだこの世界に膨大な『外在魔力アウター・マギカ』が満ちており、『魔法』が現代のような魔物モンスターに対する豆鉄砲程度などではなく、世界を統べる最大の力であった『大魔導期エラ・グランマギカ』の奇跡。


 だがそれが砕けるということは、中に捕らえた魔物モンスターが『結界術』を凌駕したのか、それとも誰かが結界内で倒したからこそ解けようとしているのか。


 実際に『結界術』が行使されている様子など目にしたことが無いこの場にいる者たちに、その判断などがつくはずもない。


 固唾をのんで空中を凝視している包囲陣の中心で、とうとうに覆われたその球形の空間は白い光に染まり、ひときわ大きな破砕音と共に砕け散る。


 まだ高い位置にある太陽を背にその場所に顕れたのは、この場にいるものの誰もその目で見たことはないほどに巨大な『赤竜レッド・ドラゴン』の巨躯、その両翼を大きく広げた禍々しい逆光に浮かび上がる輪郭シルエット


 誰も聞いたことの無いおそらくはドラゴンの咆哮をひしりあげ、絶望の象徴として顕現したのだ。


 そのあまりの巨躯が日の光を遮り、かなりの広範囲に包囲網を構築していた冒険者たちのほとんどをその陰影に呑み込んでいる。


 勝てない。

 勝てるわけがない。


 誰もが一瞬で彼我の戦力差、その結果訪れる逃れようのない死と自分たちが生きてきた迷宮都市ヴァグラムの崩壊を確信しながら、半ば本能で反射的に全員が戦闘体制に移行する。


 勝てないのは仕方がない。

 それでも戦うのだ。


 だがこの場にいる誰もがその覚悟を決めた瞬間。


 再び轟音とド派手な魔法効果光が上空に乱れ飛び、数えきれない黒い魔導光を牽いた軌跡が赤竜レッド・ドラゴンの巨躯を無数に刻み、その数と同じだけの腹の底に響くような打撃音が連打で奏でられた。


 その一撃を受けた赤竜レッド・ドラゴンの巨躯は迷宮都市ここでの殺戮を行使すること叶わず天から地へと墜ち、迷宮ダンジョンの天蓋である中央広場を地震の如く揺らして再び轟音と土煙を巻き散らかす。


 そのままピクリともその巨躯は動かない。


 信じられないことにおそらくは先の一撃――一撃の刹那に叩き込まれた無数の拳撃によって、人にはどうしようもないはずの巨大な赤竜レッド・ドラゴンは倒されたのだ。


 その倒れ伏したまま動かない赤竜レッド・ドラゴンの背に、空中から一つの影が音もなく着地する。


 その輪郭シルエット、大きさ共にそれは間違いなく人型。


 ただし漆黒の装備と長外套ロング・コートに身を包み、同じく漆黒の仮面を被っているために老若男女の区別はつかない。

 いやそれが本当に、人なのかさえも。


 はためく漆黒の長外套ロングコートがまるで生き物のように動き、見る者によっては先の赤竜レッド・ドラゴンよりもなお禍々しく見えるかもしれない。


 だがは人語を発した。


『対象の沈黙を確認。戦闘行動を終了、帰還する』


 その一言だけを発してそれ以外の誰もが一言も発することができない中、次の瞬間まるでそこにいたことが嘘かのように完全に消え去った。


 超速度で移動したとか、上空に飛んだとかではけっしてない。

 伝説に謳われる『転移術テレポート』が行使された様子もなければ、魔法が行使された際には必ず残る残余魔力もなにもない。


 ただ忽然と、霞のように消えたのだ。

 

 だが一連のすべてが幻覚ということだけはあり得ない。


 なぜならば迷宮ダンジョン前広場を包囲していた冒険者、封印騎士シールズたちの中央には、今の時代に生きている人間が狩ったことなどない、巨大な赤竜レッド・ドラゴンの亡骸が確かに存在しているのだから。


 どれだけ嘘くさく、お芝居のように見えたとしても、冗談ごとで倒せるはずもない赤竜レッド・ドラゴンの亡骸の存在こそが、なによりも雄弁に語っている。


 たった今この迷宮都市ヴァグラムにおいて、勇者の時代から数百年を経て再び『竜殺しドラゴン・スレイヤー』が生まれたのだという、違えようのない事実を。





 そしてこの事実は遠くない未来、迷宮ダンジョンを保有する国からなる『迷宮保持国家連盟ホルダーズ・クラブ』を中心として、世界に大きな騒動を引き起こすことになる。

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