第020話 【side_リィン・エフィルディス①】

「はわあぁぁぁ……」


 迷宮ダンジョン都市ヴァグラムから、というよりも勇者の再臨としか思えないマサオミから見えない程度に距離を取り、リィンはやっとことから解放されて一息をつけている。


 ここしばらくどころか、正直なところ生れてこのかた記憶にないほどに、今なお薄い胸の鼓動がはやくなっている。

 一番落ち着ける本来はエルフの支配する地である森に入って、深呼吸を繰り返しながらなんとかクールダウンを図っているのだ。


 マサオミの思考をほぼ完全に静止フリーズさせることに成功した、幼い躰でありながらも溢れ出るようだった色気も妖艶さも今はどこかに霧散してしまっている。

 吹き出た汗に濡れた艶やかな肌は本来であれば男の視線を釘付けにしそうなものだが、あまりの動揺のためか大量過ぎて心配されてしまいそうなほどの分泌量である。


 文字通り滝のような汗というやつだ。


 何百年生きていようが、その永さに相応しい数多あまたの知識をその明晰な頭脳に宿していようが、慣れないコトをすれば人とはまあだいたいこうなるモノである。

 よくもまあ、マサオミの前ではなんとかボロを出さないままフェードアウトすることに成功できたモノであると、自分を褒めてやりたいくらいのリィンなのだ。

 

 どれだけ長く生きていようが、経験したことが無いものを再現などできるはずもない。

 「白くなったから」本当の人格が現れるとか、そういう特殊な設定などリィンには特にないのだ。


 つまりさっきマサオミに見せたは、自分の姉姫が『勇者様』を誘惑していた際の仕草の記憶に、長い年月で得た耳年増的要らんエロ知識をアレンジして生み出した虚像。

 リィンの妄想による『実は経験豊富な非実在リィンお姉さん』に過ぎないのである。


 そんな素人演技であろうが、素材がリィンほどの容姿であればとにもかくにも成立してしまうのが恐ろしいところだ。

 素体が幼かろうが演技が拙かろうがなんであろうが、主題テーマが「色っぽいお姉さん」である以上、乗算の前側のポテンシャルがほぼすべてを決定づけるのだ。


 演技や要らんエロ知識などただの飾りです、エロくない人にはそれがわかっとらんのです。

 ……ルッキズムの極論ともいえるが。


 いやまあマサオミが今の見た目の如く、色恋その道での百戦錬磨であったのならまるで通用しなかった可能性も否定できない。

 幸か不幸かその手の方面はてんでダメなマサオミなので、リィンは恥をかかずに済んだのだと言えるのかもしれない。


 だがそんなことはリィン本人が一番よくわかっており、同時にちょっと無茶しすぎたという自覚もしっかりあるようである。


 ――いくら急激な魔力吸収でテンションが上がっちゃったとはいえ、お姉さんムーブは流石に無理がありました……


 マサオミの知識にある「いかにもなエルフ」のごとき透けるような白い肌は、リィンの羞恥に反応してほんのりと朱に染まっている。

 だがそれも徐々に褐色に戻り始め、リィンの汗が止まり火照ほてりが抜ける頃には完全に元の色に戻ってしまっている。


 汗に濡れている状態では、こちらの方がより色っぽいと感じるかどうかは個人の趣味嗜好に左右される部分となるだろう。


 ちなみにマサオミはといえば、かなり重度の褐色好きである。

 幼い頃にピ□テースの呪いにかかった者は生涯そこから逃れること能わず。


「――予想よりは持った、かな?」


 べつに残念そうでもなく自分の元に戻った肌の色を確認するリィンの瞳には、落胆ではなく強い興味の色が浮かんでいる。

 長い時間を生きてきたリィンですら、『魔石』を実際にその目にしたのは『勇者様』がいなくなってからでは初めてのことなのだ。


 この一点だけでも、リィンがマサオミを『勇者様』と同等の存在だと確信するには充分な事実と言える。

 この世界の内側の者には誰にも抽出することができない『魔石』と『魔物武器』をその手にすることができる存在とは、つまり世界の外側――くなどからの客人まれびとに他ならないのだから。


 マサオミと出逢ったつい先刻さっきもう一度『魔石』を自分の目で見るまで、リィンは自分が他者に触れることなど、もうとうの昔に諦めてしまっていた。


 それがマサオミが本当にあっさり『魔石』を提供してくれたりするものだから、妙なテンションになって首元に抱き着くだけにとどまらず、あろうことか頬にキスまでしてしまう始末である。


 ――勇者様ハーレムの見様見真似だったのですけど、ひ、ひかれてませんよね?


 知ったことではない。


 とにかくリィンは、自分はもう『エフィルディス』としての義務を果たすだけに生き続けており、他者と触れあったり、あまつさえ伴侶を得て『エフィルディス』の血を繋ぐことなど不可能なのだと達観してしまっていたのだ。


 リィンは――というよりも今の時代に現存しているごく少数のエルフたちはみな、他者に触れることができない。


 いやより正しくは、触れるとその相手を『止めて』してしまうのだ。

 それはたとえ同じエルフであっても変わらない。

 変わらないどころかエルフ同士であった場合、触れあった者が双方とも止まってしまい、あたかも美しい彫刻のようになってしまう。


 それこそが今のこの時代において、エルフが人から忌避される直接的な理由である。


 エルフに触れられれば人であろうが獣であろうが、それどころか魔物モンスターであったとしても。

本当に石化してしまったかのごとく、その動きの一切を止めてしまう。

 そうなってそこから回復できた者がただの一人もいないことから、その状況で生きているのか死んでいるのか、生きているとして意識があるのかないのか、なに一つ判ってはいないのが現状なのだ。

 

 エルフと人の歴史的な事実がどうこう以前に、そんな直截的でわかり易いを人に及ぼす存在が忌避されるのは当然の事だと、リィン本人ですら思っている。


 その現象は『神呪』――神による呪いだと世間からは認識されている。


 『勇者様』の時代から幾世代も経た今の人々の間では半ば以上それは本当のことだと信じられており、世界的規模を誇る宗教がたてまつる『神』が現代では強く信じられているがゆえに、『エルフ』が今なお強者でありながらも人々から蔑まれる一因ともなっている。


 今のエルフの肌色である『黒』が忌むべき色とされているのもこのためだ。


 だが当事者たるリィンは――エルフたちは当然、『神呪』とはなんであるのかを正しく理解できている。


 それは『黒化』による敵弱体デバフ効果が制御不能になっている状態のことを指す。


 小動物などを除いた一定以上の魔力――それぞれの個体内で生成され、この世界における生命活動の根幹をなしている『内在魔力インナー・マギカ

 それを吸収ドレインすることによって敵を弱体化、あるいは完全停止させてしまうことは、かつて膨大な魔力によって世界の頂点に君臨していた『エルフ』を象徴する戦闘能力のひとつだった。


 エルフを頂点とするかつて汎人類の上位種とされていた亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープたち。

 彼らは人よりはるかに優れた魔力を効率的に活用できる躰と、これもまた人よりもはるかに優れた内在魔力インナー・マギカの生成能力によってその地位にあったのだ。


 だが魔力に順化して進化した彼らの躰は、その優れた機能を発揮、維持するためにより膨大な魔力を必要とするように特化していった。

 それでも破綻しなかったのはエルフや亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープたちの躰に、かつては世界に満ち溢れていた膨大な『外在魔力アウター・マギカ』を己のモノとして吸収、利用することができる『魔導器官オルガナ』が備わっていたからだ。


 それは角や背の翼、鱗や尻尾といった、その亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープを象徴する部位のことを指す。

 エルフすらも超えるごく少数の希少種には、光輪ハイロゥ魔眼イビル・アイが『魔導器官オルガナ』である超越者も存在していた。

 いわゆる神話や伝説で謳われる、『神人』や『魔人』と呼ばれる存在モノたちである。


 エルフの場合リィンがマサオミに吸収する様子を見せたとおり、その象徴的な長い耳こそが『魔導器官オルガナ』である。


 圧倒的な身体能力をベースに、魔法や武技といった強力な能力を駆使するエルフたち人の上位種の戦闘は膨大な魔力を必要とする。


 亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープたちは戦闘での魔力の消費が自身の生成、吸収能力を上回れば魔力量が回復するまでその身体能力は弱体化、魔法や武技が使用不可能になるという、基本的には人と同じ挙動となる。


 だがエルフの希少種――『原種』たちはその状態になった際、ある意味においてはより強力な戦闘能力を発揮する。


 それが『黒化』である。

 

 己の『魔導器官オルガナ』を超過駆動オーバー・ドライヴさせることによって『内在魔力インナー・マギカ』の生成、『外在魔力アウター・マギカ』の吸収共にその量を桁違いに跳ね上げるのだ。

 その際、彼らの肌と『魔導器官オルガナ』は超過駆動オーバー・ドライヴのレベルが上がるほど漆黒に染まり、周囲の『外在魔力アウター・マギカ』を喰らい尽くし、触れればその相手の『内在魔力インナー・マギカ』を吸い尽くす。


 これは魔物モンスターどももまた周囲の『外在魔力アウター・マギカ』を己が『魔導器官オルガナ』によって吸収して戦うがゆえに、『黒化』そのものが敵に対する強力な弱体化デバフとして機能する。


 それゆえにエルフたち人の上位種は、魔物モンスターに対しても圧倒的な優位を保ち、だからこそ世界の覇者たれたのだとも言える。


 つまり『神呪』とは魔力不足からくる『黒化』の常態化なのだ。


 『黒化』は魔力を持つ者に触れればその相手の魔力を吸い尽くし停止させる。

 現在のエルフに触れられた者があたかも石化したようなってしまうのはそのためだ。


 そして再び活動できるだけの『内在魔力インナー・マギカ』がその躰に溜まるまで、停止した者は思考すらもできない。

 人の脆弱な『内在魔力インナー・マギカ』生成能力では、一度完全に吸い尽くされた状態から活動再開に至るまでに必要な時間は裕に千年を超える。

 

 この世界における汎人類は、魔力が枯れてしまえばすべてがそのままに止まるになっているのだ。


 そしてはなにも『黒化』したエルフに触れられたモノだけに限定されるわけではない。

 魔力不足が常態化しているエルフ自身も、その能力の多くが止まってしまっている。

 

 事実、リィンは勇者様と姉姫も含むその仲間たちがとある迷宮ダンジョンで姿を消し、『聖女様』が目覚めぬままに教皇庁の最奥で永い眠りに入ってしまったから、すべての成長の歩みを止めている。


 躰だけではなく、その心もだ。


 知識こそ増えるが、躰も心も見た目通りの幼い姿のままなにも変わらない。

 

 あの日。


 この世界から突然大部分の『外在魔力アウター・マギカ』が失われ、エルフが天も地も人も支配していた『大魔導期エラ・グランマギカ』が唐突に終わりを告げた、今では『滅日』と呼ばれている日。


 それ以来エルフたちは他者に触れることすらも叶わなくなり、その強さを『外在魔力アウター・マギカ』に依存していた亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープたちも、支配していた人以下の存在へと堕したのだ。


 人は魔力への依存が比較的少なかったがゆえに、『外在魔力アウター・マギカ』のほとんどが消失してしまった世界において相対的に強者となりおおせたのである。


 だが人であっても、世界から『外在魔力アウター・マギカ』が失われた影響から完全に無関係ではいられない。

 『滅日』以降、人からも『外在魔力アウター・マギカ』によって成立していた『H.P』や『成長レベル・アップ』は失われ、長い時を経た今ではそれが当たり前になってしまっているのが現状なのだ。


 そんな中突然、マサオミという『勇者様』と同等の存在が現れた。


 彼の行使する『分解』によって、魔物モンスターから『魔石』を恒常的に回収できるようになるのであれば、一時的とはいえリィンは――エルフは『黒化』から解放されることも可能なのだ。


 まさに先刻のリィンのように。

 

 そればかりではなく、マサオミがこの世界の状況を知り、その上でもリィンに協力してくれるというのであれば、『滅日』以降の混乱期に『黒化』によって止まってしまっている多くの人々を救うこともできるかもしれない。

 絶望して互いに己の大事な相手と最後に触れあいながら止まってしまった、天空より墜ちたエルフ王国の元王都、『廃都ア・トリエスタ』にいる多くのエルフたちすらも。


 金銭的価値でいえば天文学的な数字の投資が必要不可欠となるだろう。

 それでも「絶対に不可能」だった今までと、「それだけの対価さえマサオミに支払えば可能」とでは、まさに天と地以上の差があるのは言うまでもない。


 自分リィンがその対価に見合うと思いあがることなど、とてもできはしないけれど。


 それでも冗談めかしてリィンがマサオミに告げたように、リィンを一晩自由にするためだけに数百、数千の『魔石』を本当にマサオミが積み上げてくれたとしたら。

 リィンはもうとっくの昔に諦めてしまっていた、誰かと触れ合いながら眠ることができるかもしれないのだ。

 

 未来には楽しいことしかないと無邪気に信じていた、遠いあの日と同じように。


 まあ要らん知識だけは無駄にあるので、もしもそうなったらでは済まないだろうなということくらいは想像できているのだが。

 

 ――小娘わたしとの添い寝のために国家予算以上をつぎ込むオトコノヒトなんていませんよね……だけどもし、本当に求められたらどうしよう。


 いくつになろうが乙女であることに変わりはないので、正直そういった想像というか妄想というか期待というか恐怖というか……そういうのは確かにある。


 だけど同時にそんな妄想をしている自分を嗤ってしまいもする。


 あれだけ美しい容姿をしている上に『勇者様』と変わらない――いやそれ以上の力を持ったオトコノヒトなのだ、マサオミは。


 『勇者様』ですら、この世界に顕れた直後はそこまでとんでもない強さを誇ったわけではなく、リィンの姉姫たち『勇者パーティー』と冒険を繰り返したからこそ、他の追随を許さない圧倒的な強さに至ったのだ。


 それがマサオミときたら、すでに今の時点ですらリィンよりも遥かに強い。

 あの感じだと、当時の『勇者様』を凌駕するのも時間の問題だとしか思えない。


 そんな強者にとって、今のこの世界はそんなに悪いものではない。

 エルフや亜人デミ・ヒューム獣人セリアンスロープがどういう立場に置かれていようが、人の社会がどれだけこの世界において弱者の立場にいようが、マサオミの力の前ではなんの関係ないからだ。


 当時の『勇者様』がそうしたように、魔物モンスターの脅威からあらゆる国家を救い、迷宮ダンジョンの最深部までを踏破して見せれば、世界は『勇者の再臨』に沸くだろう。


 そうなれば女の人など選り取り見取りだ。


 一国の王女様であろうが、教会の聖女様であろうが、マサオミが望めば世界がその女性をマサオミの前へと喜んで差し出すだろう。

 その際にその女性の意思など尊重されることはないだろうが、マサオミほどの容姿と世界最強の力、つまり世界最大の財力も伴うのだ。

 全員ではないにしても、自ら望んでそうならんとする美女など山ほどいるに違いない。


 そんな中で、自分リィンのような成長の止まったやせっぽちの小娘を、わざわざマサオミが選ぶとはとてもじゃないが思えない。

 我ながら嗤ってしまうというか、無さすぎて真顔になってしまうほどである。


 それでも。


 長い長い時を一人きりで生きてきていたとしても。


 リィンもやはり一人の女の子なのだ。


 マサオミのような存在を知ってしまえば、ありえないとわかってはいても夢くらいは見てしまう。

 だからこそ、慣れもしなければ似合いもしない、お姉さんエルフのようなムーブでマサオミの気を惹くようなことも真似もしてしまった。


 思い出したら再び真っ赤に染まって汗が噴き出してきてしまうリィンである。


 だけどもしもマサオミが約束通り自分でこの世界とエルフのことを調べた上で、自分の意思でもう一度逢いに来てくれたなら。

 どう思われたとしても自分リィンが知っている、いや信じている本当のことを全部マサオミに話そうと思っている。


 そうなったら自分は本当に、なんのわだかまりもなく『エフィルディス』としての責任を果たせると思うのだ。


 マサオミとの要らん妄想一夜はさすがに望み過ぎだとしても。


 リィンを含むエルフたち自身はもちろん、その眷属であった亜人デミ・ヒューム獣人セリアン・スロープたち。

 それだけではなくエルフの支配下にあったとはいえ、安全で発達した『大魔導期エラ・グランマギカ』の恩恵を受けていた今の支配者たちですら。


 『滅日』――『外在魔力アウター・マギカ』の消失によって、莫大な被害を被っているのは間違いのない事実だ。


 『勇者パーティー』の一員としてエルフの女王リィンの姉も同意し、一族を挙げて協力した結果が、今の世界の覇者から凋落したエルフも含んだ『汎人類種』のなのだから。


 どうあれその責任の一端は、確実にエルフにもある。


 だからこそリィンは、最後の『エフィルディス』として最低限の義務を果たし続けてきた。

 対魔物モンスター戦力としては最強ともいえる『黒化』した己を残されたエルフの『魔導器』でよろい、人の手には負えない強大な魔物モンスターをあの日からずっと、人知れず狩り続けてきたのだ。


 いつしかそれも当然と看做されるようになり、感謝すらもされなくなってもなお。

 己の命が尽きるまで、そうすることが当然なのだと自分に言い聞かせながら。


 だけどマサオミが顕れてくれた。


 当時の『勇者パーティー』でさえ倒しきることが叶わず、『黒化』を利用した封印をすることしかできなかった古の『巨神』が復活するその直前である今この時に。


 だから信じてみたいと思うのだ。


 誰もがみな支配する側でもされる側でもなく、畏怖されるのでもなく蔑まれることもない世界。

 『勇者様』と『聖女様』が共に目指し、リィンの姉であるエルフの女王をはじめとした『勇者パーティー』のみなが協力し共に夢見た理想の世界が、今度こそマサオミの手でこの世界に成立するかもしれないと。


 そう思うとリィンは素直に、心の底から頑張ろうと思えた。


 だからこそ自分の――最後の『エフィルディス』としての義務を果たすのだ。


 自分の顔が今、ここ数百年はなかったほどの――いや生まれてから初めて浮かべる純粋な、心からの笑顔になっていることにリィンは自分で気づけていない。

 もしも今の表情をマサオミが目にすることがあったなら、それを守るためだけにどんなことでも喜んで引き受けそうなほどの。


 長い、長い時間を一人きりで生きてきたリィン・エフィルディスの覚悟は今決まった。


 あの日、リィンは正直愚かだと思っていた姉の気持ちがやっと理解できた気がする。

 なにかを――誰かを強く信じることができれば、周囲からどれだけバカだと言われようが、あるいはどれだけの犠牲を払おうが、自身に恥じることだけはなにもないのだと。


 この妄信が危機的状況下吊り橋効果における、縋るような依存、思い込みのようなものだという自覚はわりとある。


 だけど、それでもいいとリィンは思うのだ。

 縋るものすらない日々は、ただただ長いだけで空虚な日々だったから。

 依存でも勘違いでも、自分の心が確かに今動いていることが嬉しいのだ。


 ――『一目惚れ』って、そういうものなのじゃないのかしら?


 今回初めてしたので、詳しいことはよくわからないが。


 とにかくリィンは、今がどんなに理不尽に満ちていたとしてもこの世界を護るのだ。


 世界が続きさえすれば、いつか必ずマサオミが遠い過去にリィンも共に夢見ていたはずの、理想の世界に変えてくれると信じることができるから。




 たとえその世界には、自分リィン自身がいないとしても。

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