第016話 勇者様とエルフ
結論から言えばリィンの知っている『勇者様』とやらは間違いなく異世界人――俺にとっては同じ世界から来た人であることは「確定的に明らか」だと言っていいだろう。
ただし日本人であるかどうかは未だに不明だ。
いや俺がそれを確認するために提示した各種情報に対するリィンの答え合わせを総合すれば、まず間違いなく同じ「
さすがに実際に会えばわかるのだろうが、情熱にまかせて日本語すら習得してのけた海外ガチ勢ときたら、ネット上などでは国籍も性別も本気で区別がつかない。
某巨大掲示板サイトで草生やしまくって煽り散らかしていたとある
噂ではその上女性だとか、
まあガセだろう。
ただ箱を開ける術などない以上猫の生死は確定しないので、夢を見たい者は好きに見ればいいとも思うが。
そうだと信じ切ることが出来さえすれば、一部の連中にとって煽られることがご褒美に変じるので誰も損はしないわけだしな。
ブロ〇トさんが
シュレティンガーのバ美肉。
時間の経過という厳然たる現実の前には、何人たりとも逃れられないという真実もあるのだが。
ともかくそういった各種要因もあるだけではなく、『勇者様』が今の俺と同じ状況だったと仮定した場合、その容姿から国籍を確定するのは完全に不可能になる。
今の俺の容姿とて、一見して日本人だと確信できるものではないだろう。
黒髪は黒髪なのだが、無駄に精悍に整いすぎている
少なくとも現代日本で学校に通っているよりは、異世界で
つまり『勇者様』が俺と同じようにしてこの世界に顕れていた場合、例のキャラクター・クリエイトを経て『異世界用自分』となっていた可能性が高い。
となれば国籍どころか、性別すら怪しくなる。
リィンとの確認作業によれば、少なくともこの世界に現れた『勇者様』が男性であったことは間違いのない事実だが、中の人もそうであった保証などどこにも無い。
――だって俺のキャラクター・クリエイトの際にも、性別選べたからなー。
いや、『勇者様』が女性ではなかったことを僥倖だと思おう。
中の人がごく変哲もない男でしかない俺にとって、男性
いやわかってはいるのだ。
実際に『勇者様』と俺が逢うことは時間軸がずれている以上ないのだろうし、ゲームとしてみれば男性プレイヤーが女性P.Cを使うことなどなんとも思わない。
自分だってセカンドキャラや倉庫キャラなんかを女性P.Cにすることなど珍しくもない。
完成度が高く、違和感を得ることが無い域のものであれば、ネカマであろうがネナベであろうが大歓迎、共同でのゲーム攻略を楽しくしてくれる要素を否定するつもりなど毛頭ありはしない。
バ美肉の中の人が
それでもさすがに現状のレベルで現実となれば、あるいは中の人がおっさんであるかもしれない美女勇者様というのは、なかなかに難易度が高いと言わざるを得ない。
うっかり惚れでもした日には、ものすごい葛藤に苛まれそうで怖いわ。
逆の場合であれば、BL嗜好を持たない俺としては普通に仲間として仲良くやっていればいいので問題はない。
ん? だったら惚れた美少女P.Cの中の人が美少年だったり美青年だったりした場合、それはどういうカテゴライズになるのだろうか。
……やめよう。
俺とてこの異世界用俺の中身、その本当の姿が晒されたら人里離れた山奥で隠棲を開始するだろうから、人のことをとやかく言えた義理ではないのだ。
とにかくだ。
俺の今置かれた状況と、向こう側の者でなければ絶対に知り得ないであろう情報をリィンに伝え、それと『勇者様』の共通項を探ることで俺はその正体が俺と同じ世界からの異邦人であることを確信した。
取りまとめると今俺が把握できている『勇者様』の情報は以下のとおりとなる。
人。
男性。
年齢不詳。
故人。
金髪碧眼で相当な美形。
並び立つ者がいないくらい圧倒的な強者。
武技も魔法も装備も、必要に応じてありとあらゆるものが使用可能。
それだけに止まらず、この世界で他の誰も使えない
おそらくは俺と同じく、自由に
初期、この世界の常識を悉く知らなかった。
「ゲーム」「プレイヤー」「N.P.C」「異世界」「転生」「元の世界」「
新たな料理を多数考案した。
便利な道具を多数考案した。
今までになかった遊戯をいくつか考案した。代表的なのは『リバーシ』
ここまで揃えば、『勇者様』が俺と同じ世界から来た人だと確信するしかない。
それに「中の人」のスペックは確実に俺より上だったことも伺える。
とてもじゃないが俺には、あっちの世界の料理や道具をこっちで再現する知識も技術もないからな。
というかこの勇者様、いわゆる異世界転生、転移の「お約束」を一通りこなしていやがる。
数え役満なんてものじゃねえ。
当時それはもう、さすが流石言われまくったことは疑う余地もない。
もしも俺が現代知識無双をこよなく愛するタイプだった場合、すべてを二番煎じにされて歯軋りするしかなかったほどである。
いやもともと自身が発明、確立したモノじゃないことなど百も承知なのだが。
しかしこうなってくると、この勇者様がこの世界で「なにを思い、何を成したのか」が俺にとってはひどく重要になってくる。
幸いと言ってはなんだがすでに勇者様の物語は完結していて、俺はその
この世界にどれだけ影響を与えたのか、または与えなかったのか。
その結果、今俺が存在しているこの世界がどんな風に変わってしまったのか。
俺と同じ
普通の冒険者など及びもつかないほどの突出した力を一方的に与えられ、そればかりか世界の
リィンの様子からして今はもうとっくに亡くなっていて、伝説とか神話の域になっているであろう『勇者様の物語』としても純粋に興味があるしな。
なによりも勇者様が『
もしも
そのためにも可能な限り詳しく、できるだけ客観的な事実を知っておくべきだろう。
そしてそれはリィンに話を聞くことが最も手っ取り早い。
国や種族が絡み、神話や伝説、歴史となってしまった物語にはいろいろな思惑に基づいた捏造や改変、あるいは真逆のことを事実として語られている可能性もある。
だがその時代にも生きていた可能性が高いリィン本人から話を聞けるのであれば、そこに入るのはリィンの主観程度であって、勇者様が成したことそのものの改竄まではされないだろうから。
「これで俺が適当なことを言っているわけじゃないのは、わかってもらえたと思うんだけど……」
だから真剣に答え合わせに付き合ってくれていたリィンに対して、俺は勇者様本人とは縁も所縁もない存在だということと、そうでありながら勇者様と同じ状況に置かれた近しい存在なのだということを納得してもらうことが重要だ。
断片的な情報による共通点の確認ではなく、リィンが知っているその勇者様の人生そのものを教えてもらう必要があるのだから。
「うん。少なくともマサオミが、マ……『勇者様』と同じ世界から来た人だというのは信じられる、と思う……」
リィンはリィンで俺とのやり取りを、自分の中で一度整理してみていたのだろう。
会話の最中に俺から取り返したクロを膝に乗せて撫でながら、そう答える。
なるほど勇者様の名前、最初の一文字は俺と共通していたんだな。
それが
リィンにしてもさすがにこれだけ共通項があり、それをリィンの方からではなく俺の方から語って答え合わせをした以上、疑う余地はないと考えてくれているようだ。
「でもやっぱり『勇者様』のことを
にも拘らず未だに歯切れが悪いのはそういうことなのだろうか。
俺にとってリィンから聞けることが可能ならばそれが一番いいことは言うまでもないが、一族の掟に背かせてまでどうしても語って欲しいというわけではない。
勇者様が存在していたことを知れたというだけでも、俺にとってはすでに十分に有益な情報を得られているわけではあるし。
「え? あ、うん。それも確かにそうなんだけど……」
俺の予測が外れているというわけではなさそうなリィンの反応ではある。
だがその言葉以上に、リィンの雰囲気は「禁忌に触れるわけにはいかない」という深刻さとは程遠い感じだ。
「でもマサオミにだったら話しても問題ないと思う。それに掟を破ったところで罰する人なんてもう誰もいないしね」
勇者と同郷の者が相手であれば問題ないようだ。
わりと緩い。
というかそのあたり、勇者様も自分と同じ境遇の者がこの世界に顕れる可能性を考慮していたのだろうな、普通に。
残念ながら人の寿命では重ならないくらいにずれてしまってはいるが、俺が実際に顕れたわけではあるし。
だけど苦笑いのような表情を浮かべて口にしたリィンの言葉は、俺が考えているよりもずっと『エルフ』という種族が置かれている状況が深刻なのだということを匂わせる。
それはエルフという種族がすでに国家のような組織として機能していないことを言っているのか、リィン以外のエルフがもうほとんど存在しないことを言っているのか。
どちらにしても深刻だが、せめて後者ではないことを祈りたいところだ。
「うん、私が知っていることは全部話すよ。だけど一つだけ条件を出していいかな?」
「大概のことはのむつもりだけど?」
リィンは俺の表情の変化に気付いたらしく、笑い飛ばすかのように言葉を繋ぐ。
どうやらリィンの様子から察するに、「エルフ」という種族はただ世界の多数派を占める「人」から蔑視されているというだけではなさそうだ。
いや多数派から蔑視されるだけでも十分以上に大変だとは思うが、今までのリィンとのやり取りから鑑みて、その程度のことはもうなんとも思わなくなっているようにも感じる。
そんなある種達観したようなところがあるリィンが、「誰もいないしね」といった時には本当に寂しそうだった。
そうなることが当然としていなくなったわけではなく、本当ならごく普通に一緒にいてくれたはずの仲間たちが今はもういないからこその寂寥。
そんなやるせなさが感じられたのだ。
もしかしたらそれは刻に磨滅させられてそうなっただけで、はじめは地団駄を踏むような、髪の毛を掻き毟るような慟哭だったのかもしれない。
俺はもとより無条件でリィンから情報を得ようとなど思っていない。
なんならこの世界における「エルフの復権」を条件に出されても、それに乗ってみるのもいいかもしれない。
俺が口にした「大概のこと」にはそれも含まれる。
すでに一方では既得権益を持った世界規模の組織に喧嘩を売ろうとしているのだ、分不相応に巨大な力を行使する理由としては、結構悪くないような気もする。
「ありがと。だったらまずマサオミ自身でこの世界に、勇者様と私たちエルフがどんな風に伝わっているのかを調べてもらってからでいいかな? もうすぐ
「そりゃもちろん構わないけど……」
だが俺の言葉を受けてちょっと困ったような表情でリィンが口にした「条件」は、拍子抜けするほど俺にとってたいしたことの無いものだった。
「その上でもまだマサオミが私から話を聞きたいと思ったら、もう一度会いに来て。私もひと月くらいは
リィンの言わんとしていることはまあわからないでもない。
それほどにもう、今のこの世界において「エルフ」という種族は
蔑視される程度ではない、エルフと――リィンと仲良くすることによって俺が被る実際的な被害が確実に発生するとリィンは確信しているのだ。
そしてその俺が受けるであろう被害とは、
なんとなれば詳しく調べる必要すらなく、俺がこれから関わるであろう人たちに「エルフ」について聞いてみるだけでも事は済むのかもしれない。
俺の提案にわりとあっさり乗ってきたディマスさんは、相当な変わり者なのだ。
自分の馬車にエルフであるリィンを同乗させることをよしとする、たったそれだけのことですら。
だからこそこの馬車での雰囲気を前提に、安易に「エルフ」と仲良くすることをよしとするなとリィンは言っているのだろう。
だけどリィンはきっと、一方で期待もしてくれている。
俺がこの世界でエルフと――リィンと仲良くすることがどれだけ不利益を被ることになるのかをキチンと理解した上でなお、もう一度会いに来てくれるかもしれないと。
そうだからこそ、こんな回りくどい条件を付けてきたのだ。
自分の女性としての魅力にはとんと無頓着なようだが、やっぱり女の子である以上憧れるものなのだろうか?
ある意味お約束ともいえる、世界を敵に回してでも自分の方を選んでくれるという存在には。
あるいは『勇者様』――俺の先輩も
その行動の結果こそが、今俺が転生しているこの世界というわけだ。
それにリィンの出した条件から鑑みるに、人の世界に伝わる『勇者様とエルフ』の物語と、少なくともリィンが真実だと信じているそれが大きく乖離していることは間違いない。
どちらが真実で、どちらが偽りなのか。
実はそんなことは大した問題ではない。
確かめる術などない以上、大切なのは俺がどちらを俺にとっての真実とするかでしかない。
そして俺は俺の信じるもののためにこそ、このでたらめな力を行使する。
だけど正しいとか間違っているとかではなく、己の軸足がしっかりするのはいいことだとも思う。
「わかった。俺なりにちゃんと調べて、その上でまたリィンに会いにいくよ。リィンこそ、そう言っておいて雲隠れってのはナシの方向でお願いするぞ?」
だから溜息を一つついて俺はリィンにそう答えた。
そして調べる前から、必ず会いに行くことを明言しておく。
べつにこれはリィンを喜ばせたいとか、意地になって言っているとかそういうことではない。
どれだけ立派な歴史書に記されていようが、お偉い王族や尊い教皇様から『正しい歴史』を聞かされようが、俺にはその真贋を見極める手段などないのだ。
だから初めから、最終的にはリィンの――エルフから見た『正史』も聞くことは俺にとって絶対条件なのだ。
その上で俺は俺の信じたい方を信じる。
どうせそうすることしか俺にはできはしない。
幸いにして、リィンが心配してくれている世界から蔑視されることなど気にも留める必要もないほどの力を、どこかの誰かから与えられている状況でもある。
それになにもリィンに――エルフ側につくことを決めたからって、人の世界を滅ぼしてやろうとか、今のエルフの立場に人を落としてやろうとか、そんな物騒なことを考えているわけではない。
さっきの条件にも上げたように、エルフという種族の復権には尽力するつもりだが。
やろうと思えばそれも可能なのであろう魔王ムーブなんかよりも俺は、楽しく豊かな異世界ライフを満喫したいだけなのだ。
ただ。
『
「楽しく豊か」には程遠くても、与えられた仕事をきちんとこなし、一人で食っていくには惨めな思いをしなくて済むだけの収入を得ることにそれなりに満足感を得ていた小市民。
仕事ではせめて「つかえない奴」扱いだけはされたくなくて、ある程度そうだろうなと気付きながらも便利に酷使されていたのが現実というやつだ。
まあその結果、今こうなっているのだから感謝するべきなのかもしれないが。
だからこそ。
向こうでは望むべくもなかった、やりようによっては世界をひっくり返せるだけの力を与えられたからこそ。
向こうで受けた理不尽に対して「力さえあれば俺だって」と思っていたことを、実行してのけることこそが俺にとっての「楽しく豊か」ではなかろうか。
自分が正しいと信じたことを、正しいと主張して行動できることは、なによりも楽しいだろうと思うのだ
下手な贅沢やちやほやされることよりもずっと。
まあ理想を目指した力持つ者が挫折した時こそ、もっとも悪意ある存在になる可能性があるという戒めは持たなければならないだろうが。
あとは俺の信じる『正しさ』が、あまりにも偏った独善にならないようにすることもか。
「わざわざ
俺の刺した釘に対して意外そうな表情をした後、リィンはその見た目の年齢相応に見える仕草で肩を竦めて上目遣いで俺を見た。
うん、多少独善でもリィンが喜ぶのならそれでもいいかな。
下手な理想や正しさなんかを掲げるより、可愛い女の子に良いカッコをして見せたいから力をぶん回す方がずっと健全な気もする。
なによりも俺にはその方が分相応だと思う。
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