第015話 轍迹

 ディマスさんの説明からすると、金貨1枚は俺の価値観でいえばざっくり100万円とでも看做しておけばよさそうだ。

 銀貨が1万円玉で、銅貨が100円玉あたりまで価値が落ちる。


 それ以下は硬貨のていを成していない細かい棒や金属の欠片みたいなものらしい。


 金貨がわりととんでもない。


 記念硬貨とかでもせいぜい10万円玉くらいのしか知らない。

 現物として流通しているビット・コインみたいなものと考えればそこまでカっ飛んでもいない気もするが、現物として流通する仮想通貨ってなんだそりゃって話だしな。


 貴金属の価値としてみれば向こうでもわりと妥当なのかもしれないが、その辺の知識は疎いのでよくわからない。


 大雑把が過ぎてけして正確とは言えないのではあろうが、とんでもなく外れてさえいなければ当面はそれでもかまわないだろう。

 もともと俺も向こうでのホテル代や食事代の相場にしたところで一般的なものしか知らないし、無理やり円換算すること自体に相当無理があるのだ。

 とはいえ基本的に御代は明示されていることがほとんどだろうし、交渉での買い物でするであろうちょっとした損など、いつでも魔物モンスターを狩れるという前提がある以上、俺にとっては些事に過ぎないはずだ。


 ディマスさんの買い付け資金が金貨30枚、つまりは当面ざっと3000万円ほどが確保できているわけで、そもそも庶民の俺が多少豪勢に暮らしてもひと月やそこらの暮らしはまるで心配する必要はなさそうである。

 戦闘面では今のままでもまったく困らないが、新人冒険者ルーキー装備を整える初期投資が必要だったとしても充分に賄えるだろう。


 まずは一安心といったところか。


 俺に貨幣価値の説明を済ませたディマスさんは、御者台に戻って馬車を進めてくれている。

 あんな場所で立ち往生していても仕方がないので、当然と言えば当然だ。


 こちらへ話しかけることもなく御者台でぶつぶつ言っておられるのは、今までの商人人生で持ち得たすべての知識、経験、人脈をフル活用して今回の『賭け』に勝つための算段をしているからだろう。


 邪魔をするべきではないだろうから、話しかけるのは自重している。


 馬車の操作にちょっと不安を感じないでもないが、長距離の移動を常とする行商人ともなれば、馬車を安全に操作しながら考え事をする程度のマルチタスクはお手の物だと信じたいところである。


 24時間もあった不正行為チート能力『時間停止』の効果中に、目的地である迷宮ダンジョン都市ヴァグラムまでの道行き近辺――とはいっても10㎞単位で街道からは外れていたが――の魔物モンスターはすべて狩り尽くしたので、二度目の接敵エンカウントの心配はまずしなくていいはずだ。


 すでに周辺の地図化マッピングは完了しているし、もし即座に再湧出リポップして襲ってきたとしても、索敵能力による見敵必殺サーチ&デストロイでコトは済む。


 ある程度のんびり構えていても問題ないだろう。


 よってさっきからチラチラとこっちを伺い見ている、リィン・エフィルディスさん(エルフ・年齢不詳)の疑問にある程度答えることにしよう。

 もはや気になっていることを隠す気すらないとしか思えない露骨な仕草はどうかと思うが、美少女がやると可愛らしくなるだけというのが卑怯なところだ。


 同じことを元の姿の俺がリィンに対してやらかしてみろ、衛兵ポリスメンの視界に入ったが最後、全力で職務を全うされそうなものである。


 まあこちらもリィンに聞きたいことはいろいろあるし、もったいぶるつもりもないので話の水を向けることはやぶさかではない。

 

 リィンに等閑なおざりに相手されているのが不満だったのだろう、一応『従魔クロ』の主人である俺が手招くとすっ飛んで俺の膝に載ってきた。

 気もそぞろだったくせに、「取られた」みたいな空気を出すのはどうかと思うのですがリィンさん。

 クロの方もよりかまってくれそうな方へすっ飛んでくるというのは、猫らしいのかそうじゃないのか……まあ機嫌よさそうに喉をゴロゴロ鳴らしているから良しとするか。


「さて、お互いなにから話そうか」


 俺が苦笑いしながらそう言うと、リィンは目をぱちくりさせて硬直した。

 なるほど、どうやら本人的にはこっちをチラチラ見ていたことも、もの問いた気どころではない空気を纏っていたことも、上手に隠せているおつもりだったらしい。


 こればかりは『異世界仕様俺』の観察眼が特段優れているというわけではなく、リィンがそういう方面についてはポンコツであるだけだと思われる。


 取り繕うこともできずに挙動不審になり始めたので、お先にどうぞという意味で手を差し出すとびっくりしたように身を引かれた。


 いや別に触れようとしたり、お手を要求したわけじゃないですよ。

 遺憾の意を表明させていただいてよろしいか。


「えっと……『いったい貴方は何者なの?』」


 自分の過剰反応にテレた様子もなく、甚だ心外なことながら呆れたような溜息を一つついて、わりとストレートに事の本質を問うてくるリィンである。


 しかしなんというべきか、リィンの雰囲気に「コイツは世間知らずだからしょうがない」という気配が濃厚に漂っている気がする。

 つまりリィンの過剰反応も、年頃の美少女が男に触れられかけて飛び退いたというようなではないということか。


 まあそのあたりのことも含めて、リィンの個人的な情報よりも先に種族としてのエルフに対するこの世界の常識アタリマエというやつを知りたいところではあるな。


 よってこちらの情報もある程度正直に話すべきなのだろうが、さてどう言えば正しく伝わるものだか……


 だがリィンの問いかけにはどこか芝居めいていながら、同時に期待のようなモノも込められているような、妙なニュアンスがある。

 それに「マサオミ」呼びが定着してきていたのに、あえて「貴方」に置き換えたようなぎこちなさもあった。


 なんだろうな、この感じは。


「実は俺もそれが知りたいんだ……って言ったら、はぐらかしているようにしか聞こえないよな」


 異世界から来ました! などといったところで、それを証明する手段が俺にはなにもない。

 それが本当かどうかを証明する術を持たない情報など、狂人の妄言となんら変わらないわけだしな。


 俺が異世界人だと理解してもらうためには、この世界に『異世界』という概念がある程度定着していることが大前提になる。

 そうじゃなければ俺が口にする「異世界人の証明」はすべて、戯言にしかならない。


 が伝説にでもなっていてくれれば、あるいは――ってそうそう都合のいい展開もないか。


 だからこそ我ながらはぐらかすようなことしか言えなかったわけだが、その言葉を聞いたリィンの反応はこれまでで最も大きかった。


「――リィン?」


 これまでも俺の言葉や行動に対して驚いたり茫然としたりはしていたが、今回のはそういうたぐいのものではなく、どこか郷愁めいたものすら伴った「信じられない」というような表情。


 思わず声をかけてしまうほどに。

 

 綺麗な碧と金の瞳が僅かに潤んでさえいる。


「あ……ごめんなさい、少しびっくりしてしまって……」


「あー……エルフのおそらくは口伝とかで伝えられている『勇者様』も、今の俺と似たようなことをのたまいましたか、これは」


 なるほど理解した。


 リィンの表情に気を取られる寸前まで考えていた『都合のいい』ことが、どうやらこの世界では実際にあったわけだ。


 俺の異層格納空間ストレージという唯一能力ユニーク・スキルを目にした際にリィンが思わずこぼした言葉――『勇者様』


 プレイヤーの特権――唯一能力ユニーク・スキルでしかありえない異層格納空間ストレージを使いこなしたというエルフの口伝、もしくは記憶に残っている『勇者様』は、まず間違いなく俺と同じ異世界からの異邦人だったのだろう。


 くなどからの客人まれびと


 そう言うとカッコいい、というか響きが様になるな。


 案外骨太本格ファンタジーではなくとも、ゲームプレイヤーが現実化したゲーム世界において受肉するというのは、なかなかに英雄譚を成立させる必要最低限のパーツは満たしていると言えるのかもしれない。

 少なくともこの世界の内側の人から見れば、『超越者の顕現』としては成立している。


 本当にこの世界がゲームの世界――外側の存在によってものであるとしたら、俺という存在はまさしく創造神の眷属となるわけだし。


「どうしてそんなことまでわかるの? マサオミはもしかしてほんとうに『勇者様』の……」


 俺の納得がいったというような表情と発言を受けて、リィンが動揺しつつも過剰な期待を抱き始めているな。

 違うぞリィン、俺はその『勇者様』とやらの転生体生まれ変わりなどではない。


 しかしこの様子からすれば口伝などではなく、リィンはその『勇者様』と直接なんらかの関係があったのかもしれないな。


 エルフの寿命が長いことは知識として知ってはいても、それだけ長く生きていて口調や仕草――精神こころや在り方が今のリィンのように若々しく保たれていることの方により脅威を感じる。

 フリなどではなく、リィンは確実に俺よりも若々しいもんな。


 例えば百年生きていてリィンのような雰囲気を保てるのは本気ですごいと思う。

 精神、心というものが器である肉体に引っ張られるというのは、部分的には本当なのかもしれないな。


 いやそこじゃない。

 今の話題は『勇者様』だ。


 当然、リィンが勘違いしてしまうほど、俺が『勇者様』に対して自分の同類だと確信を持ったのには理由がある。

 俺の異層格納空間ストレージを目にした際のリィンの反応ももちろんだが、当然それだけで確信を持つまでには至らない。


 リィンが俺に問いかけた時に感じた妙な違和感。


『いったい貴方は何者なの?』


 それはリィンのその言葉が符牒のようなモノ――感情を抑えて口にした、棒読みの合言葉のようだったからなのだ。


 つまりエルフの誰か――ことによってはリィン本人――が当時、くだんの『勇者様』に問うた言葉を、そのまま踏襲してみせたのだろう。


 それに対する俺の答えが、おそらくはほぼそのまま『勇者様』が口にしたものと同じだったからこそ、リィンはああも動揺をしてしまったのだ。


 まあ確かにありえるはずがないと思いつつ口にした言葉遊びのような問いかけに、俺が知るはずもない「正解」を返してしまったのだから驚くなと言う方が無理だろう。


「俺はリィンの知っている『勇者様』本人じゃないし、転生体生まれ変わりでもないよ。だけど限りなくその『勇者様』と似たような立場の可能性が高い……と思う」


 明確にリィンの勘違い――期待を否定しつつ、互いの情報共有をしやすいように俺の状況を伝える。


 少なくとも俺にとってこの状況は間違いなく僥倖だ。

 ゲームとしてみれば、プレイヤーの置かれた状況や最初に成すべきことをN.P.Cに説明してもらうという流れに近いか。


 まずエルフは――リィンは俺が最初に大前提だとした『異世界』という概念を、過去にこの世界――少なくともエルフという種族に対して大きな影響を与えたであろう『勇者様』を介して理解できている。


 っぽい。


 その『勇者様』がどこまで己のことを語っていたかにもよるが、少なくとも俺が一から拙い説明をするよりもよほど理解ははやいはずだ。

 そしてそれを前提として、俺はリィンから――この世界を教えてもらえる可能性が高まったと言えるだろう。


 リィンの様子からして、間違いなく『勇者様』とエルフという種族は浅からぬ関係にあったのだろうし、『勇者』と呼ぶことからしてもその関係は悪いものではなかったはずだ。


 そしてリィンが俺に『勇者様』との関係があることを求めているのは、さっきまでの態度からしてもまず間違いない。

 

「……似た、立場」


 だからこそ俺の答えにリィンの綺麗な瞳にわずかな落胆の光がよぎるが、それはすぐに消えた。


 本人ではなくとも同じような存在であるかもしれない俺に、リィン個人としても、エルフという種族の一人としてもなんらかの期待を持っているのだろうか。


 俺が『勇者様』本人ではないことに落胆の色を見せながらも絶望するまでには至らないということは、リィンが直接接点を持っているのではない感じか。

 とはいえ口伝での伝説や御伽噺に聞いた程度ではなく、『勇者様』がエルフという種族にとって、またこの世界にとってどういう存在なのかを具体的に知っている様子でもある。


 少なくともその『勇者様』がこの世界で生きた時代にリィンも生きており、伝承ではなく己の記憶としてかなり詳しくその存在について知っているとみて間違いないだろう。


 そうでなければもしも俺が『勇者様』の関係者、あるいは本人の転生体であると言い放ったところで、その真贋を見分けることなどできないのだから。


 その術も持っていないのに、リィン自らが「もしかして」とは口にしないはずだ。


 もしかしたら正確な口伝による伝承が確立されている可能性もあるが、あり得るのはリィンにとって近しい存在が『勇者様』と直接接点があったというあたりかもしれない。


「たぶん限りなくね。で、リィンの知っている『勇者様』のことを聞いてもいいかな?」


「えと……」


 そのあたりはいくら想像していてもしょうがないので、リィン本人に聞けばいい。

 そう思ったのだが、俺の質問に対するリィンの反応は芳しいものではなく言い澱んでいる。


 ディマスさんという一個人が『勇者様』も持っていたという唯一能力ユニーク・スキル、俺の異層格納空間ストレージのことを知らなかっただけで、人の世界に『勇者伝説』が伝わっているかどうかはまだ不明だ。


 もしも伝わっているのであれば、エルフ族がと認識している『勇者様』像をみだりに人――常識として伝えられている『勇者伝説』あたりを信じている者に語ることを禁じられていても、そう不思議ではないのかもしれない。


 どういう力関係なのかはまだ不明だが、蔑まれている弱者側が、蔑んでいる強者側の信じている『史実』に砂をかけるような真似をするわけにはいかないだろうしな。


 ただリィンの様子からすれば、俺と『勇者様』について情報交換、共有をしたいのだろうなということは窺える。


 だとすれば――


「そっか……だったらちょっと頭がおかしい人っぽく聞こえるかもしれないけど正直に俺のことを話すから、その『勇者様』との共通点があったらそれを教えてもらうことくらいはいいのかな?」


 あるのかないのかは定かではないが、リィンに禁忌を冒させずに俺にとって『エルフが知る勇者』の情報を得るには、俺自身の情報提示による『答え合わせ』が効率的なはずだ。


 おそらくは今の時点であっても俺の隔絶した戦闘能力と、リィンの口にした符牒に合致した言葉を返したことによる二点を以って、リィンも俺を「勇者と同じ存在」なのだと信じたがっている。


 そういう意味では初手で人間離れした戦闘能力を見せたのは正解だったのだろう。

 それこそがリィンが俺を『勇者様』と同一視する、最大の根拠になっているのだろうから。


 つまり『勇者様』が少なくとも今の俺の戦闘能力程度は確実に持っていたのは間違いない。


 しかしそうだとすれば、そんな強力な存在と強いよしみを持ってそうでいながら、今の時代にリィンたちエルフが「被差別種族」になってしまっているのが解せない。

 それだけではなく対魔物モンスター戦闘においては強者でありながらも、被差別種族に甘んじなければならないという矛盾が成立している理由も、リィンの口から聞くことができるかもしれない。


 俺が『勇者様』と同じ存在だと、リィンの中で定まりさえすればだが。


「……それなら……大丈夫」


 ほんの少し後ろめたさを感じさせながらも、リィンが俺の提案を首肯してくれた。

 

 よっし。


 これで少なくともこの世界にとっての過去に轍迹を残した、俺の先輩にあたる『勇者様』についての最低限の情報を得ることはできそうだ。

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