11-2
騒乱の城内を、大臣は駆ける。国王であり神であるエーデン・サクランドから受けた命を遂げるために。途中、三人の女とすれ違ったが、それも見えないくらい夢中で走り、城門を開けてアダムのいる場所に向かった。
アダムは城の裏で草弄りをしていた。呑気にも、長い草と草を結ぶ遊びに興じている少年に少し腹が立ったが、この少年を抱えて飛びさえすれば神から褒められることは確実だということを思い出し、心を落ち着かせた。
そして冷静に、アダムの小さな身体を両手で持ちあげる。突然のことに混乱するアダムがわあわあと騒ぎ、大臣は慌てる。これで気づかれてしまっては、一巻の終わりだ。
「いい子にしろ! 外遊びは、今日はお終いなんだ! 神様の私室に行けるんだっ、ありがたく思えよ!」
「嫌だ! ぼくはイヴの近くしか楽しくないんだ!」
「ええい、知らん!」
大臣はアダムを抱きかかえて、空を飛ぶ。
「う、うはあ」
練習もなしの、突然の浮遊現象。自分で念じたこととはいえ、あまりにも慣れていなかった。サクランド国王は、二日で炎の魔法に慣れたアレンという前例があったせいで、魔法は誰でもすぐに制御できるわけではない、ということを失念していた。だから大臣に練習もさせずにこのようなことをさせたのだが――まさか。
アダムを抱えた大臣が、二階どころか三階より上の高さまで飛んでしまい――ライルハントによって兵が排除された見張り台まで。
安全圏になったと確信したライルハントが、イヴを置いてきた見張り台まで飛んでしまい、アダムとイヴを出会わせてしまうとは、思ってもいなかったのである。
サクランド国王は、玉座にて戦慄した。
炎の魔法の力も、浮遊の魔法の力も、自分のもとに戻ってきたからだ。
「どういうことだ!」
思わず叫んだ。アレンも大臣もほぼ同じタイミングで死んでしまったという事態が呑み込めないでいた。アレンが死んだということはサクランド王国の兵力が敗北を喫したということであり、大臣が死んだということは、アダムがぬすっと少女隊の手に渡ったということだと認識するべきである。
それはつまり、アダムとイヴが出会ってしまう――ユプラ神の定めた運命の通りになってしまうということであり。
サクラ神である自分にとって、このうえない屈辱だった。
「こうなれば、吾輩が直々に出向くほかないようだ」
玉座から腰を上げて、大きく息を吸い、吐いた。自分は王であり神だと、すべての魔法を自在に操ることのできる素晴らしい存在だと唱える。不安を押し殺す。建国から数年、魔法は神としてのパフォーマンスとして使ってこなかったため、どのように戦うかのイメージトレーニングも少しだけしておく。
「よっし、よっし――やるぞ! わっはっは!」
ライルハントの傷を魔法で治してから、四人で上に飛ぶ。裂け目のような天井の穴を見ながら、そういえば、とスイ。
「どうやったの? こんなすごいこと」
「妖精の剣で床を叩いたんだ」ライルハントは答える。「思った通り、床が下に飛んで行ったぞ」
「へえ。妖精の力って、本当にすごいね。色々終わったらその剣もらえない?」
「嫌だ。エナから、大切にしてほしいと言われたから」
「そっか」
裂け目を抜けると、狭い場所に出る。ジードリアスやアレンと戦った通路があった場所だ――今はもう、宙に浮かなければ通れないだろう。ライルハントが先導して、見張り台に繋がる登り階段へ向かう。
「この階段を登れば、イヴが待っている」
ライルハントがそう説明したとき、
「よいことを聞いた!」
と。
女性のものではない、尊大な声が下から聞こえてきた。そして間もなく、下から岩の柱がぐんぐんと――二本も――伸びてきた。どちらも裂け目を通り、一本はライルハント達を貫くように成長してきた。魔法で前方に強風を吹かして、咄嗟に避けることができたものの、それは天井に接した大きな壁となって階段への道筋を塞いでしまった。
そしてもう一本はライルハント達の後ろに伸び、天井に到達する前に止まった。当然だろう、岩の柱の上に座る男を潰してはならないのだから。
「あいつは……サクランド国王!」シュミレが叫ぶ。「情報誌で見たことがあるぜ!」
「いかにも!」国王は高らかに叫ぶ。「吾輩がエーデン・サクランド! サクランド王国の王にして、奇跡を操るサクラ神である!」
「どうして王が、こんなところに」スイは予想外のことに口を覆う。
「吾輩はジードリアスと同じように、魔法の道筋が見えるのだ――魔法で浮遊し移動するなど、ここにいると教えているようなものである!」
「なんだってどうでもいい!」ライルハントは杖を向けて、凍てつく冷気を放った。ライルハントの目の前の壁が、次々に凍っていく。「邪魔をするな!」
「わっはっは」余裕綽々といった風に、国王は笑う。「それがどうした」
「なんだと……一向に凍らない!」
ならば、とライルハントは次々と岩球を撃ち込んだ。しかし国王にどれだけ岩がぶつかろうと、痣にもならなかった。植物の魔法を放ってみても、まるで意に介する様子もない。ライルハントの脳裏に、シンガロング城でのルスルとの戦いが想起された。『本当に知られていないんだな、お上の努力も見上げたもんだ。炎の魔法使いに炎が効くかよ』。そしてリンボの発言――サクラ神の奇跡とは、つまり魔法である。
「まさか……すべての魔法が使えるから、」
「そう――吾輩には、すべての魔法が効かぬのだ!」
「じゃあ、あのおっさん、色んな魔法を使えるってこと?」サンナーラは下を見る。講堂の床までは遠い。「ちょっと、こんな狭いところだと危ないんじゃないの?」
「ライルハントさん、高度を――」
「わっはっは! させるわけがないだろう!」
国王は笑いながら、裂け目の端から端まで横向きに木を生やしてしまった。それは柱を迂回しながらも、いかだのような隙間のない足場となって裂け目を埋め、階下に降りるルートを潰した。
「くっ……だけど」スイは杖からライルハントの後ろに降りる。倣って、サンナーラとシュミレも木の上に立ち、国王を睨んだ。「逃げる自由以外は、増えたと考えられる」
「愚か者め。なんのために木にしたと思っている!」
国王は木に向けて火を放った。めらめらと燃え上がる火の手がスイ達に這い寄る。あわや火に包まれるかと思ったそのとき、ライルハントの杖による放水で、すんでのところで鎮火された。
「ありがとよ、ってライルハント! 後ろ!」
「何!」
スイ達に気を取られていたライルハントは、いつの間にか国王に背後を取られていた――シュミレの声かけで飛び退くことはできたが、脚を凍らされ、転んでしまう。
「奇跡の力は神の力だ! 貴様ごときならず者には勿体ないわ!」
国王は、ライルハントが握り締める杖に手を伸ばした。そのとき、シュミレが駆け出して地面を蹴り、勢いよく蹴りを繰り出す。国王は自分の眼前の足首を握り締めて、容赦なく火を放った。
「がああああっ!」シュミレは悲鳴を上げた。
「シュミレ!」
「人間ごときが吾輩を足蹴にできると思うな!」
シュミレはどうにか手を振りほどき、冷静に引き下がった。片足が使えなくなっては、殴るにせよ蹴るにせよ十分にはできないからだ。それに、不意打ちでもしない限りはバリアが張られてお終いである。
後退りをするシュミレを国王は気に留めず、ついに杖に触れた。
ライルハントは握力を以て死守をする。国王の魔法の火で拳をじりじりと炙られても、涙が出ても力を弱めない。
「これは……僕が守らないといけない! 杖も、アダムとイヴも、僕が守るんだ!」
「古臭い神が背負わせた重責だ。どれ、一度その重荷を降ろしてはどうだ? 解放されるといい。救われるといい」
「神じゃない! 僕を育ててくれた爺さんから受け継いだんだ! 僕はこの杖を離さない!」
「そうかそうか。では離さずともよい」国王はそう言うと、火を消した。そして、薄く鋭い氷を研ぎ澄ました、氷の刃を生み出す。「拳ごともらうとしよう。無様な死肉のついた杖など、ユプラ神ごときの創作物には誂えたように似合うだろう。わっはっは!」
刃が手首に向けて振り下ろされる。ライルハントは覚悟を決めながらも、本能的な恐怖から目を瞑ってしまう。
しかし――また目を開けたとき、ライルハントの拳にはしっかりと杖が握られていた。手首から先は、なくなってなどいなかった。
いなくなったのは、国王だ――否、よく見ると、遠いところに、通路の奥に移動したようだった。
代わりに、ライルハントの傍にはサンナーラがいた。
いつの間にか、もう片方の手で握っていたはずの妖精の剣が、サンナーラの両手に握られている。
盗賊らしく――隙を見て盗み、国王に刀身を当てて吹っ飛ばしたのだ。
「重い」
サンナーラは不機嫌そうにそれだけ言って、ライルハントの前にそっと置いた。そして、スイ達のいる後方にさっと逃げて行った。ライルハントは妖精の剣を握り直し、火の魔法と水の魔法を合わせた熱湯で脚の凍結を溶かした。
そのとき、ライルハントはひとつ思いついた――同時に、倒れていた国王が立ち上がる。
運動不足の身体を壁に打ちつけたせいで、慣れない痛みと苦しみに喘ぎながら、国王はよろよろとライルハントを睨みつける。
「小癪な……小僧と小娘どもが」
国王は少し浮遊し、魔法で追い風を吹かせながら突進する。ライルハントは高速で近づいてくる国王に向けて――魔法の火柱を放った。
「わっはっは! 何度でも教えてやろうか、すべての魔法を使える吾輩には、すべての魔法が――ぬあっ!」
国王はライルハントの出した火柱に包まれながら、悲鳴を上げた。正確には、火柱と共に運ばれた、妖精の剣の刀身にぶつかっての悲鳴である。国王は、また壁まで吹き飛ばされた。ライルハントはそれを観測してすぐに火柱を消し、宙を舞う妖精の剣を風の魔法で引き寄せて手に取った。
国王は壁にぶつかると、今度はなかなか立ち上がれないようだった。スイは駄目押しで、懐からナイフを取り出して投げた。ナイフはきちんと国王の肩を刺し、短い悲鳴を生んだ。
これ幸いと、ライルハントはバリアでスイ達を保護してから天井に岩球を乱射し、穴を空けた。天井の向こうは青空だった。四人は急いでそこから外に出た。
シュミレの火傷を魔法で治してから傍の見張り台に降りると、そこには黒い肌と赤茶けた長い髪を持つ少女がいて、白い肌と青く短い紙を持つ少年の手を握っていた。肌と髪の色はまるで違うけれど、その瞳の光彩はそっくりだった。
イヴがこれほど安らいだ顔をしたところを初めて見た。だから隣にいる少年はアダムに違いないのだ、と誰もが思った。
「イヴはアダムと出会った」イヴは言った。
「アダムはイヴと出会った」アダムは言った。
「よかった」とライルハントは言った。「本当によかった」
「ライルハントのおかげ。座って」イヴがそう言うと、ライルハントは膝を折り、こうべを垂れた。イヴとアダムは、その小さな手をライルハントの頭頂部で合わせ、ゆっくりと撫でた。「ありがとう。よく頑張ったね。あなたも、先代までの番人も」
「……ありがたい、言葉だ」
「それはいいけどよ」シュミレが言う。「さっさと城を出ないと、また面倒なことになるんじゃねえの?」
「ああ、それはそうだ」ライルハントは立ちあがる。「さあ、島に帰ろう」
「わっはっは! そう上手くいくと思ったか!」
と。
いつの間にか飛んできていた国王が、笑いながら滞空し、こちらを睨んできた。
「ライルハントさん!」スイはライルハントの肩を掴む。「とりあえず、バリアを――」
「バリアごとき、どれだけやろうと無為である! 見るがいい!」
国王が天に手を翳す。
すると、あっという間に、山のように大きな岩の玉を生み出した。そのうえで国王はさらに、もうひとつの手で岩球に炎をまとわせた。
それはさながら、もうひとつの太陽のようにギラギラと、暑く輝いている。
「貴様らが呑気に話している間に作ってやったわ! この巨大さの前ではどれだけバリアを張ろうと無為である! 絶対的な裁き、『神の灯り』を受けるがいい!」
「どうせはったりだ!」シュミレは震えながらも睨みつける。「そんなことしたら、この城もただじゃ済まねえし、城下町だって影響を受けるぜ!」
「吾輩を舐めるでないぞ、小娘。貴様らを焼き尽くしたら、そのとき消滅させるに決まっているであろう。大いなる奇跡を自在に操れるからこそ神なのだ」
「……くっ! なんとかならねえのかよ!」
「大丈夫」
「大丈夫」
と、シュミレの右肩をイヴが、左肩をアダムが叩いた。
「お前ら」
「何も気にすることはない」
「何も気にする価値はない」
「価値がない、だと?」国王が言う。「貴様らは吾輩の恐ろしさを何も知らぬ……ええい、腹立たしい! 望み通り、今すぐ焼き尽くしてやろう!」
国王が両腕を振り下ろす。
炎の岩球が、じわじわと、しかし加速しながら、見張り台に向かってくる。熱気が近づく。不運な鳥が傍に近づき、一瞬で灰になるところスイは目撃し、息を呑む。
「今からでも飛んで逃げるしか!」
「わっはっは! 吾輩の魔法が、まさか追いかけないとでも思っているのか! 自由にして自在だーっ!」
「じゃあ、……ライルハントさん! 城の傍に木を生やして、木に引っかかるように飛び降りて――」
「そんなもの片手間で燃やせばよい! 小細工はやめて観念せよ!」
スイは焦る。もう岩球は接近を始めている。肌で感じる熱気がゆっくり加熱していく。それはそのまま焦燥感になる。このままでは燃やされて潰されて、殺されてしまう。
「せめて、通路に……あれ」
スイは階段を覗き込んで、知る。通路の足場は、すでに燃やされてしまっていることを理解する。そうだ、そんな逃げ道、潰してからやってきたに決まっている。国王を続けられるほどの知性があるのだから。
何をどうすればいい?
わからない。
シュミレとサンナーラの表情をうかがってみても、ただ恐怖と諦めの色を浮かべているだけだった。何か使える素材はないかと必死で考える。ライルハントの杖や剣の性能も思い出して、岩球を見つめて、考える。
妖精の剣を投げつけてしまえば、岩球を空のどこかに吹き飛ばしてしまえるだろうか?
投げつけずに切りつけるというのは、この場合、不可能に思える。岩球を包み燃え上がる炎の大きさを見ればわかる。それができるだけの距離まで接近されているならば、もうとっくに灰になっていることだろう。
まだ遠いうちから投擲して当てる。それはできるかもしれないけれど、手元に戻ってくるとは思えない。だから、一回限りだ。もう一度作られたらいよいよ打つ手がなくなる。吹き飛ばしてすぐに飛んで逃げる? いや、それでもすぐに殺されるだろう。煙玉はない。魔法は通用しない。そうだ、先ほどの通路でも、妖精の剣がなければ絶望的だったのだ。
そこまで考えて、そうも言ってられないと判断した。
「ライルハントさん、妖精の剣を投げて――」
「その必要はない」
アダムとイヴが、先頭に立つ。
「イヴ! アダム! 逃げて!」
「目を瞑って」イヴが言った。
「さすれば救われる」アダムも言った。
「え……?」
「いいから」
言う通り、スイとシュミレとサンナーラ、そしてライルハントが目を瞑ったことを確認したふたりは、岩球と国王に向けて、小さな手のひらを差し出した。
次の瞬間。
まばゆい光が、ふたりの手のひらから拡散され、国王と『神の灯り』を包み込んだ。
「……あれ?」
スイが目を開けると、国王の姿はなかった。そして、あの巨大で恐ろしい燃え盛る岩球も忽然と姿を消していた。サンナーラ、ライルハント、シュミレの順で目を開けては困惑の声を漏らしていった。
イヴが言う。
「サクラ神とその魔法は、消失した」
「しょ……消失?」
「ユプラ神は」アダムが口を開いた。「かつて、世界が破滅すると予言していた。そして、滅びたあとの世界を再興するために、アダムとイヴ、そして魔法の杖を残すことにした」
「イヴ達は目覚めてから、魔法の杖で荒廃した世界に緑を取り戻し、水で潤し、岩で家や大地を創り、そして子供を作る使命があった。でも、世のなかは何が起こるかわからない。災害のせいで、道半ばでイヴ達が死んでしまうかもしれないし、あるいはちょっと高いところからうっかり落ちて死んでしまうかもしれない」
「だからアダムとイヴは、死の危険に対し、すべてを消し去る光を放つ力をもらった」
「それを使って、国王と国王の魔法を消し去った。わかった?」
難しい語彙こそ使っていないが、なかなかに唐突な情報のため、すぐに頷ける者はスイしかいなかった。それを見かねて、「まあ要するに」とスイ。
「サクラ神のやることだって、ユプラ神には想定内だったってことでしょ?」
11-3へ続く
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