Ⅹ マリア、ジードリアス、真面目に幸せになれるように
10-1
暗い牢のなかで、シュミレは檻を蹴る。喧しくて冷たい音が響く。
投獄前のボディチェックで、ピッキングに使えそうなものはすべて奪われてしまった。女性の検査官とはいえ、口内を調べられたうえ、下着までべたべたと触られてしまうとは思っていなかったため、はっきり言ってストレスを感じていた。
舌打ちをすると、隣の牢から煽るような口笛が飛んできた。
「あ? なんだよ」
「落ち着いたほうがいいよ~」くどいほど甘ったるい声で、隣人は言う。「どうやらぁ、暴力的な態度はしないほうが刑期的にいいらしいから~」
「けっ。そんなもん待たねえよ、絶対に脱獄してやる」
「殊勝ね」凛と落ち着いた、気品のある声。「でも、どうせ隅々までベタベタと触られたんでしょう? 私だって下着の布地に針金を仕込むくらいはしてた。でも感触でわかったんだろうね、抜き取られちゃった」
「……たしかに、気概だけでどうにかなるもんでもないが。あたしは頭脳班じゃねえのに、三人別々の檻に入れやがって。クソ」
「そんな苛立ったって腹減るだけっしょ」陽気で軽薄な声。「ま、アタシが落ち着いてんのは死刑決まってるからなんだけどねー」
「おい、何人で入ってるんだ?」シュミレは訊く。「ひとつの檻に三人も入ってるのかよ?」
「ひとりだよ」印象に残りにくい、どこででも聞けるような声がした。「キャラを変えるのと暗殺は十八番だったんだけど、もう発揮する機会もないんだろうなと思うと、つまんなくてさ。ごめんね惑わせて。ワタシの素はこれだよ」
「いや、謝ることはねえけど。暗殺って、たくさん殺してきたのか? だから死刑なのか?」
「まあね。この国でもやってみたら、死刑になっちゃった」
顔の見えない隣人は、そう言うと、陽気なキャラに切り替えたのか、
「ぎゃはははは」
と、底抜けに明るく笑った。
その笑い声は、離れた檻のサンナーラの耳にも届いた。しかし、大して気にもしなかった。
サンナーラはそれどころではなかった。真っ白いシャツと真っ黒いズボン。着ることができればそれでいいような遊びのひとつもない意匠の囚人服。サンナーラの好みから限りなくかけ離れた服装を強いられている現状に、歯茎を強く噛みしめていた。今すぐ脱いでしまいたいとすら思い――やがて、女性牢獄だからいいじゃないかということで、本当に脱ぎ始めた。
あっという間に下着姿になった。それはサンナーラの好みで買ったものだから本人にとっては素敵な恰好と言えた。やや肌寒かったが、寒気がするほどダサい服よりはずっとマシだった。
「ああもう、最悪。最低。なんでこんな目に遭わないといけないの? キングコーラスでは飴しか盗んでないのに」
「え、盗んだの? いつの間に?」
みっつ隣の檻のスイは、サンナーラの呟きを耳ざとく拾って驚いた。
「もしかして買い出しのとき? なんで? 買えばよかったんじゃないの?」
「うるさいなあ、どうせ最終的に宿代も無銭したんだから変わらないでしょ?」
「もう、サンナーラったら……ねえ、そっちの両隣って誰もいなかったよね?」
「うん。いないよ」
「だよね。向かいにはひとり入ってたっけ?」
「そうだね。うちが服を脱いでる間に首括ったみたいだけど」
「え、そうなんだ。じゃあ臭う前に出ないとね」
囚人服をフックに掛けて、首を吊る。
そんな風にして自害をしている囚人を、サンナーラは眺める。知らない女の人だから盗賊ではないのだろう、死刑にでもなったのだろうな、それで殺されるくらいならと自分で死ぬことにしたんだろうな、そういう行動に出る囚人がいてもいい前提でこんな使いやすい位置にフックがあるのかな、と思う。
どれもこれも、自分で死んでしまおうなんて思わないサンナーラにはどうだっていいことだった――昔の地獄の一夜に比べたら、どんな状況も、嫌だけれど、死にたいとはならない。
そんなサンナーラの環境とは違い、スイの檻には、隣にも向かいにも誰もいなかった。牢獄がとても広いとしても、よほど治安がいいとしても違和感があったが、サクランド王国の法がどうなっているのかはよく知らないため、どのように考えたところで憶測の域を出ない。
だから代わりに、少なくとも現状で確実だと思われることについて考える――自分達が入国前に顔を把握されて捕まった原因は、ガニックのせいなのではないか、という仮説について。ガニックは何やら雇用されているらしいことを言っていたが、ギラの町出身であることを秘密にしなければならないとなると、ユプラ教と相対するサクラ教に関係があるとみて間違いない。だから、ガニックがサクランド王国に情報を流す関係にあってもおかしくはない。そして最大の確証は、ライルハントが『ぬすっと少女隊の新入り』として把握されていたことだ――そんな風にライルハントを紹介したのは、塔でガニックと会ったときが最初で最後だ。
どうしてそんなことを、とスイは思わなくもないが、港町で酒をかけたことの復讐だとすると、まあまあ理解できる。ガニックは器の小さい男だ。無神経で器が小さいなんて最悪だが、最悪だからガニックなのだとスイは思う。だから、その程度のことでここまでの仕打ちをされても、おかしくはない。
そういえば、盗賊『害悪盗』、ことルスルはサクラ教の人間である可能性が高いのだっけ――というところまで考えたが、そこで思考が切り替わる。
どこかから、ドアの開く音がしたのだ。
それからゆっくりと、何者かが階段を下りてくる音。
細身の老婆が、ランタンを片手に、女性牢獄を歩く。檻のなかを照らしながら、収容されている人間の顔を確認する。
やがて、ぴたりと足を止めた。
シュミレの檻の前だった。
「うんうん。大人しくしてるみたいじゃないさ」
「誰だ、てめえ? あたしを出しにきたのか?」
「その通り」老婆はにっこりと、少女のように笑う。「あんたを出しにきたのさ。あんただけじゃない、ぬすっと少女隊を檻から出しにきたのさ」
「……あたしでもわかるぜ。条件があるんだろ」
「もちろんさ。安心していい、悪い話じゃないさ」老婆はそれから、おっとさ、と口元に手を当てる。「これは失礼したさ。どこの誰かを伝えないと駄目さ。ワシはマリアと言うのさ。サクランド王国の牢獄長にして、人事長の母親さ。だからワタシの権限で――死刑囚でないのなら――雇用してやることができるのさ」
「雇用だあ?」
「極秘の話さ。サクランド王国では盗賊を雇用して、盗んだものをすべて献上する代わりに月給を支払ってやるシステムがあるのさ。盗めなかった月も、お金はやるさ」
「へえ。じゃあ何も盗まなくてよくなるな。釈放される上に何もしなくてもお金をもらえるようになるなんてすげえじゃねえか」
「そこまで甘くないさ。盗めなかった月が続いたら、檻に戻すのさ」
「なんだ。じゃあ却下だな」シュミレは真顔で言う。「ゴミみたいな宗教からの、カスみてえなお誘い、ありがとよ」
「別にいいさ。檻のなかで、チャンスを棒に振ったと後悔するといいさ」
老婆――マリアはさして気にした様子もなく、次の檻を捜し始める。憂さ晴らしに言い合いでもしたかったシュミレは、つまらなそうに硬い布団に寝転がる。
マリアはゆっくりとした足取りで、次はサンナーラの檻の前にやってきた。下着姿になっている囚人を見ても、さして驚いた様子はなかった。妙な囚人なんていくらでもいるのさ、そもそも囚人になる時点でどこかしらおかしいのさ、とすら思っていた。
サンナーラに、シュミレに話したのと同じ内容を伝えると、
「そんなことより」とサンナーラは言った。「そこの死体、片づけてくれない?」
「上に戻ったら、看守達に連絡して片させるさ」と、マリア。「それよりさ? どうするのさ、損はしたくないだろうさ」
「残念だけど、うち、サクラ教なんて地味服集団嫌いなの」サンナーラは、マリアの着ている真っ黒な服を指さして、きっぱりと言った。「嫌いなやつのために働くなんて、死んでも嫌だね」
「それならいいさ。愚かで気高い囚人のままで死ねばいいさ」
マリアはスイの檻の前に行った。そして同じことを言った。
「決める前に質問がふたつあるんだけれど」とスイは言う。「シュミレとサンナーラに言ってたこと、聞こえたよ……もしかして、私達の刑期って長いの?」
「たったの百年さ」マリアは笑う。「盗賊ってのはしぶといからさ、案外生きられるかもさ」
「それじゃ、もうひとつ。教えてほしいことがあって。教えてくれたら、誘いに乗らせていただくよ」
正直なところ、スイもまた断るのだろうと思っていたマリアは、その言葉に頬を緩めた。盗賊の勧誘成功数はマリアの給料の上昇に繋がるため、乗ってくれるのならばそれに越したことはなかった。
「いいさいいさ、なんでも訊くといいさ」
「最近、男の子が卵から産まれたと思うんですけれど。その男の子、どこにいますか」
「……知らないさ」
「教えられませんでしたか。じゃあ、この話はなしで」
マリアは何も言わずに踵を返して、階段を上がっていった。
ひとまず、おいそれと教えられないくらいの扱いはされているらしい、とスイは認識した。アダムとユプラ神の関係も、イヴについても、把握されているのだろう。その確信が持てるだけでも、プランニングがだいぶ変わってくる。
マリアが完全にいなくなるのを待って、スイはゆっくりと針金を取り出した。針金は薄い布に包まれていた。布をくずかごに捨てたスイは、まず自分の檻を開け、サンナーラの檻を開けた。
「ありがとうスイ。でもびっくりしたよ、応じるなんて言うから」
「嘘に決まってるでしょ? 私、一度自分のものになった金目の物を献上するなんて絶対に嫌だよ。それよりサンナーラ……服、着たくないの?」
「うん」
「じゃあいいけど、一応、持っておいてね」
それからシュミレの檻をピッキングして開けたとき、
「脱獄するの? ついでに開けてよ」
と、シュミレの隣の檻の女が言った。スイはその顔を見て驚く。
「あなたは、たしか」
「スイ、知ってんのか?」
「記憶がたしかなら……『L&G』のもう片方だよ。でも、どうしてそんなところに」
「もう片方。ああ、じゃあアナタ達か」女はスイに笑いかける。「ワタシのバディを粉々にしたのは。外から見てたよ」
「ねえスイ、うち、こいつ助けたくないんだけど」サンナーラは言う。「『L&G』のこと嫌い」
「ワタシ達のことを知っているということは、スイさん、知ってるんでしょう? ワタシの暗殺術」
「……まあ、捕まる程度とは言え」スイはピッキングを始める。「囮や戦力にはなるでしょ。脱獄って目的は同じだし」
「ええー。まあ開けるのはスイだから、判断は任せるけど」
「ちなみに」女は開錠の音を聞きながら言う。「どうやってその針金を持ち込んだの? ボディチェックは入念だったでしょ」
「ああ、そうだね。ある程度は覚悟していたから、昨夜に準備したんだけれど……下着まで長々と調べるなんて思わなかった。ギリギリだった」針金を抜いてスイは言った。「穴まで探られなくて本当によかった」
10-2へ続く
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