Ⅶ 屋敷の夫婦、ラヴアンドギルティ、情が移った

7-1



「本当に、本当に、ありがとうございます」野菜のスープを飲み終えたスイは、改めて礼を言った。「何か、お礼をさせていただきたいです」

「どうぞお気になさらず」恰幅のいい紳士はソファに座って笑う。「君達みたいな若い子達を見過ごして帰るなんて、わたしもジュアも許しませんから。なあ」

「ええ。うふふ」ジュアと呼ばれた夫人はにこやかな笑みを浮かべる。「通りかかることができてよかったです。どうぞ、嵐が過ぎるまでここにいてください」

 真っ白な塔を出たぬすっと少女隊は、少し経ってから夕立に遭った。ライルハントの杖の力で雨宿りのための木を生やすなどの方策を執ったが、風が強まり横殴りの雨となってしまったため、どうしようもなくなってしまった。そんな最中、同じく雨に降られ、急いで帰る途中らしき馬上の夫婦に誘われて、近くにあった暖かな屋敷に入れてもらえたのだった。

 スイ達を若い子達と評しているように、その夫婦にはどこか人生を感じさせる余裕があった。実際に何歳なのかは、どうしてかいまいちあたりをつけられなかったけれど。

「避難させてもらえるだけじゃなくて、美味しい食事までもらえるなんて思ってなかったよ」とシュミレ。「だから何か困ってることがあったら言ってくれ。晴れてからでよかったらどんな薬草だって取ってくるぜ」

「ははは、それは頼もしい。……そうですね」紳士は少しだけその覇気を沈ませる。「では、……あの、お訊きしたいことがあるのですけれど」

「どうぞ」スイが答える。「なんなりと」

「君達は――サクラ教について、どうお考えですか?」

「サクラ教――ですか。えっと」

 スイは返答に困り、サンナーラに目配せした。サンナーラもこれには少し考える時間を置きたいようだった。どういう意図の質問なのか、よくわからなかったからだ。この文脈ならば単純な話題のひとつということはないだろう。

 目の前の夫婦はサクラ教の信徒なのかどうか、がこの場合何より重要だった。サクラ教と思想を異とする者だった場合は、サクラ教について疑問に思う部分を言えばいいのだろうし、そうでない場合はどうにか好意的に言うべきではないだろうか。宗教というのは人の精神に結びつくものであるから、相反してしまえば最悪の場合は締め出されてしまうかもしれない。

 しかし、好意的に答えればなんの問題もないかと言えばそうではなく、好意的に見ながらもこちらは信徒ではないとなると、当然、サクラ教へのふたりがかりでの勧誘が始まることだろう。それがあまりにもしつこかった場合は、こちらから屋敷を逃げ出す羽目になるかもしれない。

 どうしたものかとアイコンタクトで話し合っていると、

「サクラ教? なんかうさんくせえなって思うよ」とシュミレがきっぱりと言った。「そもそも数年前にできたサクランド王国の国王が、神様なんて自称してるのがわけわからんよ。なんで教会なんて――んぐ」

「シュミレ! ダメでしょ、ふたりがどんなスタンスなのかわかってないのに……!」

「はっはっはっは」紳士は笑った。「そうでしょう、そうでしょう。うさんくさいですよねえサクラ教。……わたし達が信じるユプラ神と比べると、歴史も浅いように思えますし、そもそも神が直々に統治者となるなんて、祀り上げられたいという願望が見え見えです。とうてい、受け入れられませんよ」

「あなた達は、サクラ教の信徒ではないのですね?」ジュアが言う。「そうでないなら、それに越したことはありません。サクラ教の勧誘を断るのにほとほと疲れてしまったから、この人とわたしは城下町から遠いところに屋敷を建てたくらいなのです」

「あ、それ……キングコーラス王国で、同じようにサクラ教の勧誘に困っている人から、聞きました」とサンナーラ。「あなた達だったんですね」

「……やはり、話は広まっていますか」ジュアは肩を落とす。「だからなんでしょうね。……実は、サクラ教の者がまた、わたし達を勧誘しようとしているようなのです」

「そうなんですか? なんともしつこいですね」

「昨夜のことです」紳士が言う。「ここは一階ですが、二階の寝室でくつろいでいたところ、ふと、窓の外に視線を感じたのです。……見ると、ああ、恐ろしい! 何者かが、寝室を覗いているではありませんか!」

「え……二階、って言いましたよね?」

「よじ登ってきたのか、なんなのか……とにかく、何者かに覗き込まれていた。きっと、引っ越した話を聞いて、ここがその屋敷なのかと確認しにきたのでしょう! そして、ばれてしまった! 何者かはわたしを見るやいなや、すぐに姿を消しました。きっと近いうちに準備をして、大挙して迫ってくることでしょう。寝込みを襲われてしまうやもしれない」

「それは……恐ろしい」

「ああ、でも、よかった。こう言ってはなんですが、今日が嵐で本当によかったです」とジュア。「嵐の夜ならば、まさかキングコーラス王国からはるばるやってきたりはしないでしょうから」

「雨なら止んでるぞ?」と、それまで黙っていたライルハントが言った。「スープを飲み始めた頃には、雨音も風音もなくなった」

 わかるのか、とシュミレが訊くと、耳がいいからな、とライルハントは答えた。

 紳士は青ざめて玄関に駆け出した。そして勢いよく開け放った――しかし、本当ならば入ってくるはずの、雨も風も、まったく静かなものだった。夕陽の落ちかけた暗い外界が、紳士の目にはうっすらとした厭らしい予感のように思えた。

「そんな……では、きっと、今夜にでも。眠っている間に扉を打ち破り、改宗しろと迫ってくるのでしょう。ああ、ユプラ神よ」

「……でしたら、私達にいい考えがあります」スイは言った。「私達があなた達の護衛をするのです。それを以て、一晩の宿の礼としましょう」

「そんな、悪いです。こんなことに巻き込んでしまうなど」

「大丈夫です、私達はこれでも冒険者の集団ですから、護身術は十全に身につけています。四人がかりでこてんぱんにしてみせましょう」

「君達を泊めたのは、そんなに大きなことを頼むためではありません」

「そうですか。でしたら」スイは笑う。「もしも撃退することができたなら、少しでもいいです、お金をください。お恥ずかしながら、近頃ふところが幾分か心許ないのです」



 屋敷全体にバリアを張ってしまえば一晩を凌ぐことはできるが、それでは日を改められてしまった場合なんの意味もない。とはいえバリアを張らずに待ち構えるのでは、二階の窓からくる可能性と玄関からくる可能性があるため、夫婦はどこで眠れば安心なのかまるでわからない。広い屋敷で、二階の寝室の窓と玄関にはかなりの距離があるため、後れを取るとどうなるかわからない。勧誘をするだけとはいえ、不便な土地に引っ越させるようなものとなると、夫婦には近づけないような工夫をしたほうが護衛としての評価が高まるだろう。

 評価が高ければ高いほど、きっと多くのお金がもらえる。スイはそう考えて、そのために作戦を練る。

 結論としては、夫婦には申し訳がないけれど客間で眠ってもらい、スイ達は夫婦の寝室で待ち構えるという形になった。そしてライルハントの杖のバリアを調整し、寝室の窓以外からは入れないような構造にする。

 勧誘員が誘導の通りにそこから入ってきたら、スイ、シュミレ、サンナーラ、ライルハントの四人がかりで成敗する――引っ越しを余儀なくされるほどしつこい者ならば、必死で入り口を模索するはずだ。

「それでは、頼みます。ごゆっくり」

「はい」

 ありがたくも綺麗に掃除された寝室は、イヴを含めた五人でいても持て余すような広さだった。ベッドは少し前に廃城で見た王と女王のそれよりも大きかった。普段何をしていたらここまでの財を築けるのだろう、とスイはあれこれ考えてみた。

 自分達が知らないだけで世界的に影響力のある立場の人だったとしたら、しつこいほどの勧誘も頷けるかもしれない――形だけでも入信してもらうだけで、後に続く誰かがいるだろう。

「なんでもいいけどよ」シュミレはベッドに腰かけて言う。「ここまでやって、今日じゃなくて明日の夜にきやがったら意味がねえよな」

「その場合は……玄関以外からの入出口にバリアを張ってあげればいいよ」とスイ。「窓からも入ってくるかもしれない、って恐怖はなくなるから、玄関の戸締りを厳重にすれば解決する簡単な問題になる」

 バリアは酸素や風だけを通すため、窓の換気機能を阻害することにはならない。その状態のまま生活することは、そう難しいことではなさそうだった。

「それもそうか。これだけ金持ちなら、守衛だって雇えるだろうしな。ところでライルハント、バリアってどれくらい続くものなんだ?」

「破壊か解除があるまではずっと続くぞ」ライルハントは言った。「破壊はバリアに衝撃が加えられすぎたら起こる。強い雨くらいなら影響はないが、大きなものを勢いよくぶつけられたり、鋭いもので擦られたりといったことが何べんもあると危ない。だが、シンガロング城のときのように幾重にも張ったならば、よほど根気よく刺激を与え続けないと崩れないはずだな」

「なるほど。すごいんだな」

 シュミレはそう言うと、もう言いたいこともなくなったのか、ふかふかのベッドに身体を倒した。清潔な毛布の上に、シュミレの毛髪が広がる。心地よさそうな表情を見て、サンナーラも寝転がる。奇跡のようにふかふかなベッドがふたりの体重を受け入れた。

「……って、寝ないでね? ふたりとも」

「だってまだまだこなさそうだし、うちまだ眠くないから大丈夫だよ。櫛もあるからちょっと乱れても平気。イヴもおいで」

 促されるまま、イヴも寝転がる。ライルハントもそうしようとしたとき、スイが腕を引く。

「ライルハントさんは私と作戦を練る」

「そうか」

「……勧誘員となるとそこまで気を張る相手でもないから、血で無闇に部屋を汚さないようなやり方を考えたいんだけど」

「血が出ない……そうだ、焼けばいい。血が乾くから」

「それは駄目。木造の屋敷だから、引火したら取り返しがつかないことになるかもしれない」

「だったら、凍らせようか」

「そのほうがいい……だけれど、うぅん、どうだろう。殺すのっていいのかな? ジュアさん達に、勧誘員は殺しましたって言ったら怖い集団だと思われそう」

「思われたらいけないのか?」

「いけないことはないけれど、心から喜んでほしいんだよね。そのほうが大盤振る舞いしてくれるかも」

「だったら……ああ、そうだ」ライルハントは言う。「バリアとバリアの間に閉じ込めてしまうのはどうだろう。それで、死なないくらいに痛いことをするんだ」

「え? ……ああ、なるほどね。うん、それで行こうか」



 どっぷりと更けた夜。闇のなかで男女が言葉を交わす。背の高い男が草原を駆ける。雨でぬかるんだ地面も意に介さず、スマートな足取りで屋敷に近づく。建物の裏側から窓を見ると、きちんと消灯が為されていた。もう眠っているのだ。確証を得た男は笑みを浮かべ、容易しておいた梯子を傍の木にかけて登る。そして底の硬く重い靴に履き替えて、寝室の窓に向けて飛び蹴りを繰り出した。

 ハンマーのような靴底が、窓ガラスを破砕する――瞬間、不自然な感触がした。何かに衝突し、跳ね返る感覚。驚きながらも、二階から落ちた程度では死なない、と心のなかで唱えた。

 ほどなくして、男はすっかり混乱に陥った。なんと、そもそも、落ちなかったのだ。勢いが跳ね返って転落するはずだった身体が、似たような跳ね返りを背中に受けて、また室内に戻ってしまった。

「間に合った」

 と声がした。

 男はその声に、顔に、見覚えがあった。他の人間のことは知らなかったが、先頭でこちらを見つめる女のことは、知っていた。

「おや、おや」焦りを見せないよう息を整えながら、男は言った。「あなたは……『金銭出盗』ではありませんか。どうしてあなたがここに?」


7-2へ続く

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