1-2



 遺跡に着いた三人は、ライルハントの後ろでひどく混乱していた。孤島の遺跡、という言葉のイメージに反してその遺跡はとても美しかった。毎日磨き上げているかのような、苔も黴も見受けられない綺麗な建物だった。欠けたところもなく、絡まる蔦もなかった。

 ライルハントはそのことについて、ことさら説明することもなく先導して遺跡のドアを開けた。開かれたドアからのぞく内部には、埃ひとつない潔癖な空間が広がっていた。

 ライルハントに次いでシュミレが入ろうとしたそのとき、

「うえっ?」

 と、彼女は素っ頓狂な声を上げた。どうしたことかとサンナーラが訊くと、通れないんだよ、と答えられた。

「見えねえ壁みたいなのがあってよ、入口の手前あたりで弾かれたんだ。なんだよこりゃ」

「あ……うちにもわかる。本当に、入口に手も入れられない」

「どういうこと?」

「ああ、もしかして」ライルハントは自分が持つ杖を眺めながら、思い至った。そして空いているほうの手を遺跡の外に伸ばした。「誰か、手を取ってくれないか。そしたら、入れるかもしれない」

「え? おう」

 シュミレはライルハントの傷だらけの手を握った。そのまま歩いてみると、先ほどのような壁は感じずに、すんなりと入ることができた。またライルハントが手を伸ばすと、他のふたりも同じように遺跡に足を踏み入れられた。

「きっと、この杖を持っているか、持っている人と繋がっていないと入れないようになってるんだ。ドーム状に、バリアが張られているんだよ。僕はこのバリアが出きてからずっと杖を持っていたから、すっかり忘れていたんだ」

「なるほど?」

 三人とも理屈を理解したわけではないが、空を飛べるような不思議な杖ならばそんなこともあるんだろう、と受け入れた。普通の街や村の常識で考えることの価値を、もうあまり信じられなくなっていた。

 遺跡は扉が閉まると真っ暗になった。サンナーラが松明と火薬を鞄から取り出すよりも先に、灯りがついた。ライルハントの持つ杖の先からめらめらと炎が燃え上がっていた。三人は、なんだか杖が恐ろしくなった。空を飛ぶだけではなく、見えない壁を突破し、火をつけることもできる。サンナーラは、ライルハントに燃やされないように遺跡の宝を盗むなんてできないんじゃないか、とすら考えていた。

「この遺跡、やけに綺麗だな。最近できたのか?」

 と、シュミレは言った。むろん、最近できたものは遺跡とは呼ばないのだが――ライルハントはとくに突っ込みをいれることもなく、それは、と説明する。

「さっきのバリアで遺跡が汚れないように守っている、って爺さんが言ってたよ。空気なら入るけれど、砂とかは弾くんだってよ」

「それじゃ、さぞ大事なものを守ってるのかね。この遺跡が」

「うん。爺さんは、あれが大事だって言っていたよ。ときがくるまで守らないといけないって」

 広間から通路に入る。その途中、スイは視界の端に何かを認めて、他の三人を止める。スイの目の前には、何か意図を感じる彫りこみのされた、石の壁があった。

「これ、何? 絵かな?」とサンナーラは言う。

「いや。これ、文字だよ」スイは言う。「私、これ、読める。たぶん。しばらく見ててもいいかな」

「読めるのか?」ライルハントは目を丸くした。「爺さんは文章だって言っていたからそうなんだろうとは思ったけれど、爺さんも僕も読めなかったんだ。なんて書いてあるんだ」

「考古学者……この世界の昔々のことを研究しているおじさんが、昔、近所にいてね。暇つぶしに色々と教えてもらっていたんだ。この文字も。……えっと、読むね」



 いま から あたらしい むかし

 うんめい を まもる はじまり を まもる

 かみさま また あえる ように



「って、書いてある」

「なんだそれ?」シュミレは困惑を示した。「神様って、サクランド王国の王のことかよ?」

「あれは自称でしょ」サンナーラが肩を竦めた。「サクランド王国なんて数年前にできたんだし、この遺跡とは関係ないでしょ。また会える、ってことはこれが彫りこまれるより前にいた神なんだろうから」

「この遺跡で過ごしていた誰かが信じていた、独自の神様なのかも」スイは誤読がないか最初から読み返しながら言った。「新しい昔とか、始まりを守るとか、何かの比喩だろうけれど……ライルハントさん、思い当たることはある?」

「わからない。爺さんも、あんまりちゃんと教えてくれなかったから。もしかしたらよく知らなかったのかもしれない」

 それからは他に文字を発見することもなく、四人は通路を抜けた。大きな扉があった。バリアこそないが、単純に重たく、ライルハントほどの腕力――ぬすっと少女隊も腕っぷしには自信があったが、ライルハントのそれは常識はずれなものだった――がなければ押し開くこともできない代物だった。サンナーラは、つくづく単独で宝を盗むなんて馬鹿げた発想だったなあ、とひそかに嘆息した。

 幾重ものセキュリティの果てに辿り着いた広間。重い扉の閉まる音を聞きながら、その最奥にあったものを見たとき、ぬすっと少女隊は声を揃えて、「え?」と言った。

 そこには、天秤をかたどった大きな石像があった。天秤の左側には一抱えはある大きさの球体が置かれていた。左右の秤の間には、細く円い穴が空いていた。

 それだけだった。

 スイの思い描いていた金銀財宝や、サンナーラが希望していた宝石は、どこにも見当たらなかった。



「ライルハント、なんだよこれ」シュミレが言った。少し苛立ち気味に。「この球を守ってんのか? お前と爺さんは」

「そうだな。でも、それだけじゃない」ライルハントは、杖を石像の円い穴に挿し込んだ。すんなりと入り、綺麗に立てることができた――杖を収めるための穴だった。「この杖も、守っているんだ」

 杖は再び引き抜かれ、ライルハントの手に握られた。空を飛ぶことも、炎を出すこともできてしまう不思議な杖。その珍しさはたしかに、宝として扱ってもおかしくない代物だった――と納得できてしまうからこそ、ぬすっと少女隊は、がっくりと肩を落とさざるをえなかった。

 価値のよくわからない、小綺麗だが美しくはない球がひとつと、屈強な男が手に持つ珍しい杖。そして、恐らくライルハントがいなければ動かすことのできない扉で塞がれた出口。よしんば杖を奪取することができたとしても、逃げ切ることもままならない状態だ。成功の未来が見えない失望感に、めいめい溜め息をついた。

 そんな三人組の気持ちなど知る由もないライルハントは、「そうだ」とスイに声をかける。

「この球にも、何か書かれているんだ。さっき、通路の壁にあったものと似ている気がする。よかったら読んでくれないか?」

「……いいけど」

 徒労感でテンションがどうしても低くなってしまったが、ここまで案内してもらったのだからそれくらいはいいだろう。そんな気持ちで、スイは球の表面にインクで書かれた褪せかけの文字を読む。


 い〝う


「イヴ? って、何?」スイは首を傾げた。「というか、この球、いったいなんなの?」

「爺さんは、そのときがくるまで守り続けろって言ってたな。その時っていうのがきたら、何かに使うのかもしれない」

「なあ、疑問なんだけどよ」シュミレは天秤を指さして言う。「天秤のもう片方には、何があったんだ? 片方に何かを置いておくためだけに天秤っぽいものを作るやつ、珍しいと思うんだが」

「ああ。そこにあったものは盗まれたらしい」ライルハントはあっさりと答えた。「爺さんがまだ生きていて、まだまだ若かった頃、留守にしている間に。爺さんはそのことを悔やんで、対策として外から熊の子供をもらってきたんだと。それがミサンガだ」

「何があったんだよ、ここに」

「同じような球だって、聞いてる」

「スイ、サンナーラ。帰るぞ。宝の噂なんてデマか勘違いだ」

 シュミレが何もかもに興味をなくして、そんな風に呼びかけたとき。

 ぴしり、と――ヒビが入った。『い〝う』と書かれた球体に、縦筋が発生した。ライルハントもシュミレもサンナーラも、文字を読むために顔を近づけたスイでさえ指一本として触れていないのに、それは始まった。そして、誰も目の前の現象を解釈できていないうちに、それは終わった――球体は天辺から底辺まで枝分かれしたヒビで貫かれて、誰もが予想したように、ぱっかりと割れた。

 球体のなかからは、膝を抱えて座る、女の子が出てきた。深い闇のように黒い肌と、赤茶けた長い髪を持った、一糸まとわぬ姿の、少女だった。六歳か七歳ほどに見えた。瞼がゆっくりと開かれると、大きな蒼い瞳が、炎を映して煌めいた。

 事態を飲み込めない四人の前で、少女は自分の出てきた球体の破片を掴んで、しゃくしゃくと食べ始めた。あの球体はこの少女を育む殻だったのだ、と初めに解釈したのはライルハントだった。人間が卵から産まれるという現象を、常識知らずの少年だったからこそいち早く呑み込めた。

「ときがくるってのは、つまり……こいつが孵るそのときって意味だったのか、爺さん」

「……じゃあ」スイが口を開いた。「イヴっていうのは、もしかして、この子の名前?」

「あなた、イヴって言うの?」

 サンナーラは、少女にそう言った。少女はその問いかけにすぐには答えず、ゆっくりと殻を完食してから、頷いた。

「イヴはアダムに会うために生まれてきた。待っていた。このときを」

「アダム? アダムって誰?」

「アダムは、……あれ? アダム、アダム? どこ? ……アダムは?」少女、イヴは周りをきょろきょろと見回す。そして、どこにもその『アダム』がいないことに気がついて、赤子のように泣き出した。「アダム、アダムは? アダムは? あ、うえ、ええええええ、うえええ、んえええ、ねええ、アダムはあああぁ」

「ライルハントがさっき言ってた、昔盗まれたって球。あれに入ってるんじゃねえの?」

 というシュミレの言葉を聞いて、

「じゃあ、アダムもどこかで生まれているんだ。捜しに行かないと」と、ライルハントは言った。そしてイヴを抱き上げて、まるで父親が娘にそうするように、優しく頭を撫でた。「ようしようし、大丈夫だぞ。僕が必ず、お前のアダムを見つけるから。それもきっと、僕に与えられた使命だから」

 そんなライルハントを見て、三者三様に何かを思った。しかしぬすっと少女隊の誰ひとりとして、ライルハントを手伝おうなんて思っていなかった。正直言ってもう疲れてしまったので、不思議な杖のことはもう諦めて、さっさと大陸に戻ろう、盗んで売って盗んで売って危なくなったら逃げるだけの生活に戻ろうと思っていた。

 まさかこれから、イヴとアダムが出会うその瞬間までの旅程に、否応なく付き添わされることになるだなんて――つゆほども思っていなかった。



 遺跡から出ると、陽が少し傾いていた。夕空に鳴いていた鳥が一羽、ライルハントの耳元に足を下ろした。さえずりに耳を傾けて、ライルハントは礼を言った。そのさえずりは、ルーカス・サーカスがミサンガの昼食になった、という連絡だった。ライルハントは安心して遺跡をあとにすることができた。ライルハントの後ろで、スイは眠たそうに欠伸をしていた。サンナーラはどこかに可愛らしい花でも生えていないかときょろきょろしながら歩き、シュミレは何もかもどうでもいいと言いたげなつまらなそうな顔でしんがりを歩いていた。イヴはライルハントにおぶられたまま眠っていた。

 浜辺に到着した。ぬすっと少女隊の乗ってきた小舟はそこにあった。

 ライルハントはそこで、三人に言った。

「頼みがあるんだが」

「嫌だ」

「嫌です」

「ごめんね」

「何も言っていない。小舟に一緒に乗せてくれないか? どの方角にどう行けばどこに着くのかわからなくて、不安なんだ」

「嫌だ」

「嫌です」

「ごめんね」

 ごめんねと言ったサンナーラは、本当はごめんだねとすら言いたいくらいだった。他のふたりと同じように、ライルハントからは離れて日常に戻りたいという気持ちがあったうえに、サンナーラは実のところ男性があまり好きではなかった。だから、用がないのならばさっさとさようならをしたいくらいだった――しかし、

「僕の杖を使えば、なんとか僕達四人とイヴで空を渡ることができると思う。そうしたら小舟のオールを漕がなくて済むぞ」

 という提案に、他のふたりの心が少し揺れてしまった。

 さらにスイが、

「ねえ、これって悪い話じゃないんじゃないの」

 と言い出したので、サンナーラは内心うんざりしながらも、提案に乗る方向に切り替えることにした。

 小舟はそもそも盗品だから持ち主に見つかることを警戒する必要があり、小舟を使って大陸に戻るのならば行きよりも長く迂回した距離をオールで進まないといけないため、きっとたいそう疲弊する。小舟を孤島に置いて空から帰るのであれば、ライルハントの言う通り疲れないのだろうし、盗むこと自体は隠密に達成したのだから誰に見られようと気にすることはない。

 スイの理解したそのメリットは、サンナーラの個人的な感情で却下するにはいささか魅力的だった。シュミレも乗り気になったため、多数決においても小舟での帰還を選ぶ理由はなかった。

 そうと決まると、イヴが何も着ていないのは困る。小柄なシュミレの服でも少し大きいため、ならばいっそ、と一番背の高いスイの古着を着せた。スイにとっては上半身にちょうどいいくらいのものだが、イヴの場合は全身がすっぽりと入る、ロングTシャツのような装いになった――これでひとまず、外向きは大丈夫そうだ。

 イヴを背負ったラインハルトが杖の後方、スイが杖の前方にまたがって少し浮遊し、スイの片手をサンナーラと、ラインハルトの片手をシュミレと繋ぐことで、五人での飛行を可能とすることができた。一度浮いてしまえば重力の作用から自由になるため、細長い棒に片手で捕まるアンバランスさは気にならなくなった。

 高く飛んで発進すると、すぐに視界いっぱいに水平線が拡がった。夕陽の光が水面に反射して、星空のような輝きをちりばめていた。

 綺麗だなあ、とシュミレは思った。

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