ぬすっと少女隊と魔法の杖

名南奈美

Ⅰ 三人の女、遺跡、アダムがいない

1ー1



Ⅰ 三人の女、遺跡、アダムがいない



 いつものように崖の上の大樹に登り、いつものように孤島全体を見下ろしていた十五歳のライルハント少年は、海岸に一隻の小舟が着いていることに気がついた。よく晴れた日の朝のことで、なんとなく鳥たちが騒がしくなってきたところだった。さしずめ上陸者の影響だろう、と少年は大樹から飛び降りて――崖の向こうに落ちて行った。

 その手には、一本の、銀色の杖が握られていた。



 うわあ、ぎゃあ、ひっ、と三者三様の悲鳴を上げた。三人で寄り合う女性は、目の前に現れた背の高い少年にびっくりした。女性のひとり、スイは、今まさに森に入ろうとしていたところだったから、よもや熊でもきたのかとすら思った。

「この島に何の用だ」少年は言った。

 三人のうちひとり――シュミレは腰に差していたナイフを抜いて、

「あたしらはこの島の宝を奪いにきたんだ」

 と言おうとしたのだが、すんでのところでスイに口を塞がれてしまった。どうしてと言いたげな目のシュミレに、スイは耳打ちする。

 お馬鹿。どうすんの、それでこの男の子がめっちゃくちゃ強かったら。それか、島を守る他の人を呼ばれたりしたら。

 でも、あいつ、見ろよ、杖なんて持ってるぜ。若くして腰が悪いんだろう。楽勝だね。

 それなら見なさいよあれ、腕の筋肉すっごいでしょ。殴られたらひどいに決まってる。

 そんな風に小声で言い合うふたりを押しのけて、最後のひとりであるサンナーラが、にこやかな表情を作って言う。

「ごめんなさいね。勝手に入ってしまって。うちら、冒険家トリオなの。この島に謎めいた遺跡があると聞いて、ぜひ一度入ってみたいと思ってるんだけれど」

「名前は? 僕はライルハントだ」

「うちはサンナーラ」

「私はスイです。……ほら」

「あたしはシュミレだよ。人呼んで、ぬすっとしょ……んぐ」

「そう、そう、この人はシュミレなんです。人は私達を、三人の女と呼びます」

「そのまんまだな」

 また耳打ちタイム。

 ぬすっと少女隊ではあるけど、今それを自称しちゃあ冒険家トリオで通らなくなるでしょ。

 いやスイ、だからって三人の女はねえだろ。絵画の名前かよ。

「あの……それで、ライルハントくん?」サンナーラが話を進める。スイがシュミレを諫めている間にサンナーラが前に出る――というのは、ぬすっと少女隊のいつもの流れである。「冒険家トリオなうちらだけど、遺跡に立ち入らせてもらってもいいかな?」

「いいぞ」ライルハントはあっさりと言った。「案内しようか?」

「え、本当にいいの?」

「うん。遺跡にあるものは守れと爺さんに言われていたけれど、誰も入れるなとは言われていないから。変な真似したら燃やすからな」

 脅されこそしたが、どうやら無事に宝に近づくことはできそうで、三人はとても喜んだ。

 ぬすっと少女隊は数日前に『孤島の遺跡に眠る秘宝』の噂を聞いて、遠路はるばる歩いて港町で小舟を盗んで三日三晩ひいひいと漕いで、へとへとになりながらようやっと到着したところなのだ。確証のない噂を信じ、ぬすっと少女隊としてのプライドを賭して。だからこそ、遺跡も、そして守らないといけないような大切なものもあると教えてもらえたことがすごく嬉しかった。

 ライルハントとしては、そんなに嬉しいんだろうかと思ってしまうけれど――自分を育ててくれたお爺さんが、「世界には色んな人がいる」と言っていたことを思い出したので、気にしなくていいと判断した。

 そしてライルハントは空高く飛んだ。それが一番、近道だから。

「……え? ええーっ?」

「なあスイ、あいつ、翼があったのか?」

「いや、いやいやいや、なかったなかった。何これ? 夢?」

 動揺する三人の声を知ってか知らずか、ライルハントは置いていってしまうことに気がついて、さっさと地上に戻った。

「ごめん。お前ら、鳥じゃなかったな」

「あ、あんたは鳥なのかよ?」とシュミレは言った。

「いや、鳥じゃないよ。この杖があると、飛べるんだ」

 ライルハントはそう言って、長い杖を空に掲げた。杖の先端に飾られた大きな宝石が、太陽の光を受けて煌めいた。



 空を飛べる杖、という不思議すぎる物体について上手く理解ができないまま、ぬすっと少女隊は地に足をつけたライルハントの後ろを、少し距離を置いて歩き始めた。

 ねえ、とスイがサンナーラに耳打ちした。

 何?

 あの、ライルハントさん? ってどう思う? 勝てるかな?

 わからない。うち、飛ぶ人間なんて初めて見たから。

 私も初めて。もう二十五年も生きてるっていうのに。でも、あれは杖の力なんだから、どうにか杖を奪えたらどうにかなるかも。

 そしたら、うちがまず視力を奪って、シュミレとスイが頑張って杖をはたき落とすなりなんなりできたら、三人で飛んで逃げちゃおう。

 遺跡のなかだと飛ぶのキツいかも。

 ああ、そっか。だったら……。

「なあ、ライルハント」

 と、シュミレが言う。いつの間にかライルハントの傍まで近寄っていた――作戦会議にシュミレも入れればよかった、と後悔しながら、スイはいつでもシュミレの口を塞げるように足を速めた。

「なんだ? えっと、シュミレだっけ」

「そう。で、この島なんだけど、他に人間はいるのかよ?」

「いない。人間は僕だけだよ。昔は爺さんと一緒に住んでたけど、僕の髭が生え始めたくらいかな、起きなくなって、熊に食われて糞になった」

「はあん。独りでも生きていけるくらい、食べ物がいっぱいなのか?」

「そうだな。爺さんに食べ方とか獲り方とか色々と教えてもらったし、不自由はないよ」

「暇だな、とか、寂しいとか、思わねえの?」

「爺さんがいたときよりは暇かもな。でも話し相手はいるから寂しくない」

「話し相手?」

「あ、噂をすれば。おはよう」

 シュミレは呆気にとられる。目の前の男が、飛んできた鳥達を肩や手に乗せたと思えば、会話を始めた。さえずりを聞いて、ふんふんなるほど、と相槌をうっている。シュミレは嘆息し、スイとサンナーラの近くに戻った。またライルハントとの距離が空く。

「なんだあいつ。わからん」

 スイは耳打ちで返事する。別に理解できなくたっていいでしょ。

 でもよ、とシュミレも耳打ちになる。鳥と喋るなんて信じられねえ。飛んだし、本当の本当は鳥なんじゃねえの? あれ。

 まあたしかに、鳥の言葉がわかるって人は聞いたことがないけれど。鳥を従える、くらいならまだしも。

 そういえばいたね、とサンナーラが会話に加わる。鳥を使役してる盗賊、誰だっけ、ルーカス?

 あいつでしょ、ルーカス・サーカス。『鳥物鳥』って呼ばれてる男。

 ああ、鳥で視界を覆ったり鳥にものを奪わせたりしてる野郎だろ。あいつ嫌いなんだよな、いけ好かなくて。

「ええっ! わかった、すぐ行く」

 ライルハントが唐突に叫んだため、三人は飛び跳ねそうになった。なんだなんだと思っていると、ライルハントは、

「案内は一回やめだ、ここで待ってろ。変に動くと危ないからな」

 と言い、空を飛んだ。鳥達を引き連れて、背の高い木の向こう側へ姿を消した。

 森のなかに残された三人は、珍しく同じことを考えた――これは、チャンスではないかと。

「今のうち、じゃない? 今のうちにささっと遺跡に行っちゃって、宝を持って行っちゃえば」

「あたしも思う。行こうぜ」

「行くならひとりで行くべきだと、私は思うよ」スイは言った。「みんなで行ったって遺跡に着けずに迷うかもしれない。その間にライルハントが戻ってきたら、きっと何か別の目的があるんだと勘ぐられて、不審人物として血眼で捜される。でもひとりだけがいなくなったのなら、残りのふたりで言い訳をすればいいから」

「なるほど。盗めたら盗めたって合図をして、それを見て小舟で集合。盗めなかったら、しれっと戻ってくればいいね。うちは賛成」

「あたしも異論はねえな。誰が行く」

「シュミレにお願いしてもいい? あなたが一番、足が速いでしょ」

「それもそうだな。じゃ、ちょっと行ってくるよ」

 シュミレはすぐに駆け出した。小さくなった背中を眺めながら、スイは思った。

 ――シュミレだと上手く言い訳できるかわからないからなあ。私とサンナーラなら、どうにか嘘をつけるかも。

「それにしても、どんな宝なんだろうね」サンナーラが言った。「秘宝がある、って言われているくらいで、それが金銀財宝とも不思議な道具とも、誰かが個人的に大切にしているものとも言われていないんだから、想像もできない」

「私は金銀財宝がいいなあ。どこかのお金持ちが、誰にもばれないよう辺鄙な島に隠したとか。それか、遺跡だし、昔々の王族の使っていたものだったら、そういうものを欲しがる人に売れば大金になる」

「ロマンがあるねえ。うちはそうだなあ、財宝でも宝石が多いといいなあ。加工してもらって、ティアラを作るんだ」

「いいんじゃない、きっと可愛いよ」

 ぬすっと少女隊の三人は三人とも盗賊だが、どうして盗賊をしているのか、という点においては一致しているわけではなかった。そもそも、それぞれ単独で行動する盗賊だったのが利害の一致から協調関係を結び、一時のものだったはずが長く続いて、安定状態になった、という経緯で結成されているからだ。

「あれ。シュミレはどうしたんだ」

 と。

 ふたりの背後から、ライルハントは呼びかけた。ライルハントは肩に人間をひとり担いでいた。それは男性だった。少し乱暴に地面に降ろすと、腹部に一発、蹴りを入れた。悶える彼を見て、スイとサンナーラは言葉を失った――たくさん殴られたのだろう、顔の腫れた彼は、先ほど話題に挙げていた『鳥物鳥』ルーカス・サーカスに違いなかったからだ。手足は蔦で固く結ばれており、指の骨がすべて折られているため自力でどうにかするのは難しそうだった。

 ライルハントの顔には傷ひとつなかった。自分より背も年齢も上のアウトドアな男性を、この少年は一方的にのして無力化してしまえるのだ。サンナーラは、もしもシュミレに倣って最初から臨戦態勢だったら自分の顔もそうなっていたかもしれない、と考えて恐ろしくなった。

「えっと、シュミレは」スイはなるべくルーカスのことを気にしないようにして言う。「トイレに行くって言ってた」

「トイレってなんだ?」

「排泄って言って伝わる?」

「ああ、糞か。へえ。どこかに行かないとできない人間もいるんだなあ、でもたしかに爺さんも臭いから他所でやれってよく言っていたなあ」

「うん、そうそう。私達も、そういうのは臭いから離れたところでやってって言ったんだ。ちょっと遠くに行きすぎちゃったかもしれないけど、そのうち戻ってくるよ」

「ふぅん。じゃあ待ってよう」

 そのとき、遠くのほうから声が聞こえた。悲鳴のような――スイは、それがシュミレの悲鳴であることに気がついた。何かあったのだろうか、とはらはらしていると、その悲鳴がだんだん近づいてきていることを感じた。戻ってきたのだ。

 果たして、スイの思った通り、シュミレは戻ってきた。

 大きな熊に追われながら。

「スイーっ! サンナーラぁ! ごめん、こいつどうにかするの手伝って!」

「シュミレ! 何やってんの!」

「今、うちがその熊の目を……え?」

 スイとサンナーラをどけて、ライルハントが前に出た。シュミレが横に飛びのいて、熊とライルハントが一対一で向かい合う形になる。

「ミサンガ。待て」ライルハントが低い声で言う。「ごめんね、この人達は襲わなくていい」

 ミサンガと呼ばれた熊はそれを聞いて、なんだか申し訳がなさそうな足取りで木々の狭間に消えた。先ほどまでの血の気があっという間に大人しくなる瞬間に立ち会い、ぬすっと少女隊は茫然としてしまった。

「ミサンガは、僕と同じなんだ。この先の遺跡を守るためにいる。だから、侵入者を見ると襲い掛かる」

「変に動くと危ないってそういう意味かよ」

「安心しろ、もう他には危ないやつはいないから。ああ、蛇は危ないな。噛まれたら死ぬ。気をつけるんだぞ」

 ライルハントはそう忠告してから、ルーカス・サーカスを担ぎあげて、ミサンガの傍に置いた。

「ミサンガ。僕達はもう行くから、お腹が空いているなら、こいつを食べていいぞ」

 それを聞いたルーカスは当然のごとくうろたえて、長い虫のように身体をうねらせ始めた。ライルハントはミサンガに後を任せたからか、もう見向きもせずに歩き始めていた。

「……なんだかうちら、とんでもないところに、とんでもないやつといるのかな」

 サンナーラはそう言った。疲れ気味な声で。


1-2へ続く

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