(26)
ためらっている暇は、一瞬とてなかった。
亡霊となったアリスさんは、先生が話してくれた噂通りの存在であれば、かなり強力な力の持ち主なのだ。その力の源泉は――言うまでもなく、無念や怨念なのだろう。だれからも救いの手を差し伸べられず、死してなおその魂は救われることはなく、スキャンダルとして怪談という形に押し込められて、忘れ去られて行くだけの存在……。
それはとても恐ろしく、悲しいことだと思う。だからこそローズマリアは彼女に救いの手を差し伸べようとしているのだ。……時を超えて、今、彼女の亡霊を目の前にして。
その尊い衝動を、わたしは叶えてあげたかった。寄り添いたかった。胸を張って、救いの手を差し出すのを、助けたかった。
わたしの光属性の魔法が役に立つのならば――ためらわずに使う時は、きっと今なのだ。
前世をあわせても、大して他人の役に立つことはしてこなかったし、しようとも思わなかった。けれど、今は――違う。そして、そんな風に思えるようになったのは、間違いなく――。
「ローズマリア!」
「――やります!」
いつでも光魔法を放つ準備はできているという気持ちを込めて、わたしはローズマリアの名を呼んだ。
それに応えて、ローズマリアは――闇魔法を放った。
黒いモヤのようなものが、アリスさんの周囲に散布される。それらはまるでツタのように細い線を描き――やがてアリスさんの周囲を取り囲んだかと思うと、その先端を彼女の体に巻きつかせる。
『――ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!』
ローズマリアの放った闇魔法はアリスさんの体を拘束し、徐々にその想念――怨念へと浸透して行く。アリスさんは闇属性持ち。闇魔法で攻撃したとしてもあまり効果はない。それは、最初からわかっていた。
目的は、アリスさんと、アリスさんのものとされている数々の怪談と、負の想念を一度分離し、解体すること。闇属性持ちのアリスさんの魂に対してそのような干渉が行えるのは、親和性のある同じ闇属性使いにしか……つまり、ローズマリアにしかできないことだ。
「ローズマリア……」
「大丈夫よ! 上手く行っているわ」
たしかに、アリスさんの行動を制限し、その想念に闇魔法を浸透させる作業は上手く行っているようだった。しかしローズマリアの顔色があまりよろしくない。いつも白い肌をさらに青白くさせて、額には汗をかいている。
アリスさんの魂と、その寄り固まった想念やあまたの怪談によって形成されたものを分離させる――。その作業は思ったよりも重労働のようだ。成績優秀なローズマリアだけれど、あくまで彼女はまだ学生。本来であれば、こんなことは土台無理と言われても仕方のないことだった。
それでもローズマリアは挑戦したのだ。アリスさんを救いたい。その一心で、仮に跳ね返されればひとたまりもないような魔法を行使しているのだ。
今は……そんなローズマリアを信じるしかなかった。
クリスタルも先生も、そうだった。わたしを含めた三人は、固唾を呑んでローズマリアが魔力を注ぎ続けるさまを見守っていた。わたしたちには……まだこのあとにすることがあったからだ。
「あと――もう少し!」
ローズマリアが苦しげな声を上げる。それに呼応するように、アリスさんは絶叫する。それはまるで……今わの
そして――。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛―――!』
アリスさんの周囲に、急に黒雲のようなものが現れた。
それは人影を形作っている。わたしたちはそれが、アリスさんから分離された怨念や、怪談によって形作られた「架空のアリスさん」なのだとわかった。
「みんな! あとは――お願い!」
ローズマリアが糸の切れた人形のように膝をついた。わたしはそんな彼女に駆け寄りたい気持ちをぐっと抑えて、アリスさんの本体と黒い人影に向かって光魔法を放った。
手の先や、頭のてっぺんから、魔力が抜け出ていく独特の感覚。全身からスーッと魔力が抜けて行く感覚は、何度経験しても慣れない。特に珍しいとされる光魔法は、使い手側の消耗が激しいことで知られていた。
しかし、わたしの中に魔力を使い切ることへのためらいはなかった。不安はあったけれど、なんとなく、「なんとかなる」という確信があった。それは単なる楽観だったのかもしれない。けれどもそれが作用して、全力で光魔法を放てたこともたしかで。
ローズマリアが闇魔法を浸透させたことによって開かれた、穴に向かって光魔法を集中させる。光魔法独特のルミネセンスのようなものが発せられ、ぼんやりとした輝きが夜闇の中に浮かび上がる。
それらの光が、アリスさんを包み込み、浄化するイメージを強く持つ。魔法を行使する際においては、イメージの力は強い。これらは学園に入って真っ先に習った。だからわたしは強く強くイメージして、強く強く願った。
――アリスさんの魂に、救いを!
同時に、クリスタルと先生は黒い人影に向かって炎魔法を放った。これは、わたしの提案も影響していた。前世のネットで見た、「オカルト的解釈では炎はなんでも浄化する」というような文章を、迂遠ながら話したところ、試してみる価値はあると採用されたのだった。
ふたりぶんの炎魔法を正面から受けた黒い人影は、声を発することなく、しかしくねくねと悶え苦しむような仕草を見せた。
光魔法の輝きと、炎魔法の火が、旧放送室を照らし出す。その防音壁に黒い影を落とすのは、わたしたちだけ。アリスさんは影を持たない。彼女はもう――亡くなっているから。
――アリスさん……あなたはもう、解放されていいんだよ。
その思うが、光魔法を介して伝わるのかなんてわからない。けれども、どうしても、そう思わずには……願わずにはいられなかった。
そして――目もくらむような光が弾けて、思わずまぶたを閉じてしまう。
一瞬、わたしは魔法を跳ね返されて失敗したのかと思った。……けれども、その予測は違った。
まばゆい光が収束したあと、何度か瞬きをしてアリスさんがいた方向を見る。
そこには――。
『あ……。……グレイス……? 私、は……』
……どこか、ウィンターフィールド先生と似た面差しの、わたしたちと同じ年頃の女の子が、戸惑いの声を上げる。
アリス・ウィンターフィールド。
闇属性を持って生まれ、くだらない人間の、くだらない行いのために、自ら死を選んでしまった少女。
彼女の魂は――今、ここに浄化されたのだ。
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