(22)

「彼女は――闇属性持ちというだけでイジメられたのよ。名前は、アリス……アリス・ウィンターフィールド」


 アリス。怪談話の中で聞き慣れた名前におどろきはしなかったが、ファミリーネームを聞いて「あっ」と声が出そうになった。そんなわたしたちの反応を見たあとで、先生は黙って首を縦に振った。


「アリス……アリス姉さんはわたしの父方の従姉イトコだったの。歳はわたしより八つ上だったから、ちょっと離れていたわね。ひとりっ子のわたしにとって、アリス姉さんは本当の姉みたいな存在だった……。ちょっと気弱で内気なところはあったけれど、わたしや他の年下のイトコたちにも優しくて、動物が大好きで……将来の夢は獣医になることだった」


 ウィンターフィールド先生は、わたしたちを見ながらも、どこか遠いところを見ているようだった。今、思い浮かべているのはきっとアリスさんのことなのだろう。今はもういない、彼女のことを……。


 ウィンターフィールド先生にとって、アリスさんのことを語るのは今でも辛いのだろう。「イジメを苦に死を選んだ」……あの幽霊の……アリスさんの亡霊が言っていることが本当であれば、きっとウィンターフィールド先生にはやりきれないものがあるに違いない。


 仮に、病気や事故といったどうしようもない事象によって命が奪われたとしても、その出来事を消化するのには時間がかかるだろう。それなのに、イジメによって――他害によって命が奪われたのならば、なおさら。


「私はこの学園のOGだけれど、アリス姉さんと八つ離れていたから、当時のことは又聞きでしか知らないわ。けれども姉さんへのイジメは……相当に酷かったらしいの。最初はちょっとした嫌がらせ程度だったらしいけれど、その内にありがちだけれどエスカレートして……亡くなったときの姉さんの体にはたくさんの痣があったと聞いているわ」


 ……正直に言って、聞いているだけで、イジメの理不尽さに息苦しくなってくる話だった。けれども、どうしてだかわたしはその話を最後まで聞かなければ、と思った。ローズマリアも、あのクリスタルでさえも、黙って先生の話に耳を傾けていた。


「姉さんは恨みを買うような人じゃなかった。逆に優しすぎてそこを利用されて……でも優しすぎるから他人を恨めないような、そんな人だった。……けれど」


 先生が深いため息をついた。


「きっかけは、とある男子生徒から告白されたことらしいの。けれども……その男子生徒のことを好きだった女子生徒がいたのね。彼女の名前は言わないでおくけれど……先に言うと彼女はもうこの世の人ではないの。姉さんが亡くなったあと、しばらくしてから多くの生徒の目の前で突然挙動がおかしくなって……そのまま窓から階下へ飛び降りて……残念なことになったそうよ。……そう、その彼女がイジメの主犯だった」


 わたしたちという生徒がいる手前か、「残念なことになった」という迂遠な表現を用いた先生だったが、そのときは珍しく吐き捨てるような口調だった。


 しかし次には一転して、気遣うような目で――クリスタルを見た。


「気を悪くしないで欲しいのだけれど……その姉さんをイジメていた女子生徒はね、魅了魔法の持ち主だったの」

「え? あ、あたしと同じ……」

「そう。オータムさんは正直に言って上手く使えていないけれど……姉さんをイジメていた女子生徒はね、魅了魔法を制御するアイテムを付けているフリをして、その実は摩り替えて――他人にバレないよう、狡猾に能力を使っていたみたいなの。姉さんから恋人になった男子生徒も奪って、周りを味方につけて……。闇属性というだけで、姉さんはだれからも信用されていなかったみたい。それで結局――」


 先生は、そこで一度言葉を区切ってうつむいた。


 けれども言わなければならないと、彼女も思ったのだろう。顔を上げて、わたしたちを見た。その目は、とても……とても暗く暗く沈んでいた。


 そこにあるのは、絶望、哀悼、怒り。先生がどれだけ――生前の――アリスさんを慕っていたのかが伝わってきた。


「姉さんは、今は使われていない旧放送室で自殺したの。放送のスイッチを入れて……自殺の様子を全校放送しながら、亡くなった」


 わたしは――そのあまりの壮絶さに、絶句した。体から血の気が引いていく音が聞こえるような気がした。ローズマリアも、思わずといった様子で口元に手を当てる。クリスタルも目を見開いて先生を見ていた。


「ショッキングでしょう? 私も、姉さんが死んでから数年経って、この学園に入学することになったから、変な形で噂を耳にするよりは……と先に真相を聞かされたの。……聞いたときは卒倒しそうになったわ。……こんなの、ハッキリ言わなくたって、スキャンダル。学園側は上手いこと揉み消そうとして……それは一定の成果を上げた」

「じゃ、じゃあイジメをしたヤツらはなんの罰も受けなかったの?!」

「イジメの主犯は貴族令嬢だったの。親は学園にたくさん寄付をしていたって話よ」

「そんなのヒドい!」

「……落ち着きなよクリスタルさん。イジメの主犯は『残念なことになった』って先生は最初に言ったじゃない」

「あ、そっか。でも……結局だれも罰は受けなかったの?」

「そうね……学園側は軽い処分で済ませたわ。すべて主犯の女子生徒の魅了魔法のせいにして、ね」


 魅了魔法持ちで、かつそれを己の欲望のままに行使していた――が、すべて失敗した――クリスタルは、居心地の悪そうな顔をする。そんなクリスタルがしおらしくしている様子がおかしかったのか、先生は一瞬だけ微笑んだ。


「学園側は揉み消しを図ったけれど……噂は止められなかった。イジメの主犯だった女子生徒が亡くなって、それからまるで感染病が拡がるように、次々とイジメに加担していた生徒たちが怪我をしたりして、何人かは恐れから学園を去ったと聞いているわ。そして、なにごともなかった生徒も含めて全員が卒業したあと――怪談だけが残った」

「それが……『トイレのアリスさん』や『準備室の幽霊』……なんですか?」

「そう。それらの怪談は、事実を揉み消すために意図的に作られたものなの。姉さんは……あまりにも強力な悪霊となってしまったから、学園に古くからある既存の怪談と合流させたり、あるいは姉さんが起こしてきた不可解な現象を解体して分散させたり……そうして出来上がったのが、今も伝わる六つの怪談なのよ」

「え?! ……六つの怪談、全部がアリスさんと係わりがあるんですか?!」


 おどろきから発せられたわたしの言葉に、先生は頷くことで答えた。


「六つの怪談へと分散させられた姉さんの怨念は、弱く薄まった。……はずだったのよ。それがどうして今になって力を得たのかはわからないけれど……」


 先生は視線を外して言葉を濁した。けれどもわたしたちは、なんとなくわかってしまった。


 アリスさんをイジメていた女子生徒と同じ魅了魔法持ちのクリスタル。そこにアリスさんと同じ闇属性持ちのローズマリアが加わって……肝試しや「分身様」を経て、なにかしらのトリガーを引いてしまった可能性がある、と。


 もしもふたりが同時に学園へ現れなければ、アリスさんの亡霊はやがては完全に忘れ去られて、怨念も薄まって、消えて行くだけの存在だったのかもしれない。


 これらはすべてわたしの妄想に過ぎなかったが……ローズマリアもクリスタルも、似たようなことを考えているだろうことは、表情を見ればわかった。


 これらの想像がたとえ的外れだとしても、アリスさんの亡霊がわたしたちに牙を剥いた事実は動かしようがない。当然、次に出る言葉は「これからどうするべきか」ということだった。


 しかしローズマリアは一味違った。


「……このままでは、いけませんね」

「そうよ! このままアンタたちになにかあったら、次に狙われるのは確実にあたしじゃない!」

「いえ、それも問題ですが……一番の問題はアリスさんのことです」

「は?」

「仮にアリスさんの怨念をやり過ごす方法があり、それを選択したとしても――アリスさんの魂はいつまで経っても救われません」

「はあああ?!」


 ローズマリアの言葉に、クリスタルのみならずわたしも、先生も虚を突かれた。


「確かに、そうだけれど……」

「ウィンターフィールド先生にだって、アリスさんを救いたい気持ちがあるのではないですか?」

「出来ることなら、アリス姉さんの無念を晴らしてあげたいわ。でも、姉さんをイジメていた元生徒たちに今さら罪を償えと迫るわけにも行かないし……」

「そうですね……それに、長い間、怨念だけで存在していたアリスさんが、素直に元生徒さんやわたくしたちの話を聞くとも思えません」

「……じゃあ、どうするのよ?」


 ローズマリアはキラリと紫色の瞳をきらめかせて――わたしを見た。


「わたくしに、考えがあります! ですから、是非、みなさんにはそれに協力してもらいたいのです。……アリスさんの魂を救うために」

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