(18)

『わたし は いじめ を く に しにました』


 三人の右手を重ねて持った赤いペンが、汚い文字が躍る紙の上で動く。赤い線が軌跡となって紙の上に意思を描く――。


 それは、明らかな超常の現象に見える。


 ――でも、こういうのってだれかが動かしている可能性が高いんじゃなかったっけ。


 そう思ってわたしはクリスタルの顔を見た。彼女は――今にも泣きそうな顔をして、怯えていた。今すぐに手を離したい。でも、できない――。そう言いたげな顔をして、青い顔で紙の上にできていく赤い線を見つめている。


 そうだ、クリスタルは極度の怖がり。わざわざ「分身様」なんてオカルトな「お遊び」を使って、わたしたちをビビらせようとか、陥れてやろうとかまでは考えないはず。これまでのクリスタルの、怪異に対する怯えっぷりは「ガチ」だった。となると。


 ――このペン……だれが動かしてるの?


『くるしい』

『だれも たすけて くれなか た』

『くるしい くるしい』

『なんで わたしが』

『わたしは なにも してない のに』


 淡々と文字のあいだを動き続けるペンを見つめる。


「分身様」を呼び出してからの最初の問いかけはクリスタルがした。ずばり「なぜあなたは死んだんですか?」だ。直球すぎると思ったが、呼び出された「分身様」はそれに答えた。


 ……けれどもわたしはそれをうさんくさく見ていた。「こっくりさん」が「お遊び」だったように、「分身様」だって同じだと。そう思っていたのだが。


 だれが動かしているのかわからないペンを見つめる。わたしの手のひらの下でクリスタルの手がかすかに震えているのがわかった。一方、わたしの手の甲に重ねられたローズマリアの手のひらはどこか力強い。


 ローズマリアの顔を見れば、いつになく真剣な表情で彼女は赤いペンが描く軌跡を見ていた。そこには先ほどまでのキラキラとした好奇の色は見られなかった。


 そしてクリスタルもローズマリアも――そしてわたしも、だれもペンを動かそうという明らかな力は入っていない。


 けれどもペンはまるでまったくの他人がそこに宿って、動かしているかのように線を描き続ける。


「……なぜ貴女はそんな酷い仕打ちを受けることになりましたの?」


 三人ともが黙り込んでいた。しかしその沈黙をローズマリアが破る。どこか他者を慰めるような……気遣うような声音で「分身様」に問いかける。


 まなじりに薄っすらと涙を浮かべたクリスタルがローズマリアを見た。わたしも、彼女を見た。ローズマリアにはこんな事態を面白がっている様子は微塵も見られない。まるで――ここに四人目の……イジメを受けている生徒でもいるかのように、彼女は「分身様」に話しかけた。


『わたしは わるくない なにも してない』

「……止めようとした方はいませんでしたの?」

『みんな わたしを きらった』

『ともだち なんて ひとりも いなかった』

『みんな わたしを いじめた』

『だから わたしは しを えらんだ』


 わたしは、完全に場の空気に呑まれていた。


 ただ、ペンが紙の上をすべる音だけが妙に耳に響く。その音は、間違いなく「声」だった。声が伴っているわけではないのに、ペンが示し、紡ぐ文字列には切実な音があるように聞こえた。


「あなたは……この準備室で……亡くなったんですか?」


 今度はわたしが問いかける。


『ちがう』


 噂の通り、「分身様」はわたしの問いを否定した。けれど、わたしを含めただれかが、無意識のうちにペンを動かしている可能性はまだ完全には否定できない。準備室で亡くなった生徒がいないことは、三人ともが事実だと思っていることだからだ。


 ……わたしはそうやって考えることで、どうにか平静を保ち――抱いてしまった恐怖を打ち消そうとした。


「……とても、つらかったのですね」

『くるしかった かなしかった いまも』

「……どうすれば貴女を天国へ連れて行くことができますか?」


 ローズマリアは、「分身様」を介して降りてきたらしい幽霊に同情しているようだった。もしかしたら、そこには共感もあるかもしれない。彼女も闇属性持ちというだけで遠巻きにされているから。


 そしてわたしも似たような心境になっていた。前世のわたしは派手にイジメられたわけじゃなかったけど、からかってもいい……常にそういう対象だった。そしてそれを愚痴ったりできるような友達なんていなかった。


 けれど、「分身様」はそんなわたしたちの気持ちを――踏みにじるように牙を剥いた。


『おまえたち も いっしょに こい』

「――え?」


 間抜けな声を出したのはクリスタルだった。口元がひきつって、いびつな笑みを作っている。そんな唇から震える声が漏れ出たのだ。


 わたしも虚を突かれてポカンとペンの先を見つめる。


 わたしは助けを求めるようにローズマリアを見た。ローズマリアは、先ほどとは打って変わって、柳眉を釣り上げ、厳しい表情でペン先を見つめていた。


「分身様! どうぞお帰りください!」


 クリスタルがほとんど泣き叫んでいるのと同じ声でそう言う。


 その途端、まるでだれかがペンを乱暴に引き寄せたかのように動き出す。ペン先はあらかじめ紙に書かれた「いいえ」の周囲を狂ったように回り出す。


「分身様! どうぞお帰りください!」


 クリスタルがもう一度叫ぶように言う。


 ペンの動きがピタリと止まった。


 かと思えば今度は高速でペン先が動き――


『ぜんいん しね』


「――ぎゃああああああああああああああ!!!!!!」


 恐怖に耐えきれなかったらしいクリスタルが叫び声を上げて、ものすごい力でペンを放り投げた。ペンは壁に当たって「カン」と軽い音を立てて床に転がる。


 ペンはそのまま力なく床を転がって行く。


 しかし、その瞬間から窓も扉も閉め切った準備室の中を、ひゅるひゅるとぬるい風が渦巻き始める。小さな窓がガタガタと音を立てて揺れる。外を見ても植えられた木の枝葉はまったく動いていない。……つまり、外は強風など吹いていないのにもかかわらず、窓が揺れているのだ。


「うそでしょ!? 帰ってない! まだいる!」


 クリスタルは今やその場に座り込んで頭を抱えている。わたしも想像しなかった恐ろしい事態に腰が抜けそうだった。いつもの調子でクリスタルに「落ち着きなよ」なんてとても言える状況ではなかった。


 しかしそんな異常事態に遭ってなお、ローズマリアは――ローズマリアだった。


「『分身様』――いえ、名を知らぬ生徒さん。私は――まだ死ねません」


 ローズマリアが凛とした声でキッパリと言い切る。まるでそれが気に入らないとでも言うようにいっそう激しく窓が揺れた。けれどもローズマリアはひとつもひるんだりはしなかったようだ。


 強い意志の宿った紫の瞳で周囲をぐるりと見回す。そして狂おしく揺れ続ける窓を見やった。


「私は――確かに嫌われ者の闇属性持ちです。『いなくなってもだれも困らない』というようなことを言われたこともあります」


 ローズマリアの口から語られた過去は、あまりにむごかった。だれが、そんなひどいことを言ったんだろう。ローズマリアは、そのときどう思ったんだろう。そう考えると、言ってしまえば他人のことなのに、わたしは胸が痛くなった。


「けれども」


 ローズマリアはもう一度窓を見た。


「けれども――そんなわたくしを愛してくれる家族がいます。闇属性のわたくしでも、そんな色眼鏡では見ない友人がいます」


 そう言ってローズマリアはちょっとはにかんでわたしとクリスタルを見た。わたしは、その友人がわたしとクリスタルを指しているのだと気づいて、おどろき半分、うれしさ半分で目を瞠る。


 クリスタルはべそをかきつつも「あ、あたしは友達なんかじゃないわよ!」と言っていたが。


「だから……だから、わたくしはまだ死ねません! いいえ、死にませんわ!」


 ローズマリアが珍しく声を張り上げた。その強い意志に満ちた決意の言葉と共に、ローズマリアは「分身様」に使った紙に向かって炎魔法を放った。


 火がついた紙は当たり前だがみるみるうちに燃え上がり――あっという間に黒こげの消しズミとなった。


 同時に、あれほど激しく揺れていた窓はピタリ動きを止め、準備室内を渦巻いていた空気も元に戻る。そして、うっすらと感じていた「四人目」の気配はいつの間にかなくなっていた。


 わたしたちは、三人同時にホーッと安堵のため息をついた。


 だが、騒動はこれだけでは終わらなかった。


 異常な窓の振動は外にいた生徒も気づいたらしく、急行してきた語学教師のウィンターフィールド先生によって、わたしたち三人は罰則を受けることになったのだ。


 罪状は準備室の鍵を無断で持ち出したことについて。わたしには「鍵を持ち出したのはクリスタルひとりだ」と反論する余力は残っていなかった。ローズマリアは咎めなかった自分も同罪と考えたのか、罰則を与えると告げる先生に対してしおらしくしている。


 唯一、クリスタルだけは大きな声で「罰則?!」と叫んでウィンターフィールド先生から追加の説教を貰っていた。

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