(17)

 本気で肝が冷えた肝試しの翌日、学園を席巻したのは準備室の幽霊の話だった。どこの教室に入っても、だれかひとりはこの噂を好奇心いっぱいに口にしている始末。


 ディアモンド魔法学園は全寮制の寄宿学校だが、娯楽の類いは各種取り揃えられているし、たいていのものはよほどの理由がない限り申請すれば取り寄せられる。だというのにこんなにも娯楽として噂が消費されるのは、なんだかんだみな刺激に飢えていたからなんだろう。あとは単純に、人間は噂が好き、というだけのことなのかもしれない。


 とにかくどこへ行っても「準備室に閉じ込められて死んだ女子生徒の幽霊が出た」と大騒ぎだった。


 わたしたち――わたしとアラン、エマにローズマリアと、トーマスという男子生徒――は肝試しを主催した上級生に、一応「不審な人影と出くわした」とは報告してある。そのときは単になにかを見間違えたんだろうと言われて、騒ぎにはならなかった。


 それが一晩経ってこれである。ほうぼうで交わされる噂話に耳を傾けてみると、どうもローズマリアとペアを組んだアメシスト寮のトーマスという男子生徒が震源地らしい。


 あの恐ろしい出来事を体験したわけでもないのに、まるで当事者の如くベラベラと吹聴している……と聞けば、いい気持ちにならないのは確か。


 しかしこちらからトーマスに釘を刺すのもそれはそれで変な話だ。吹聴されてなにか不利益をこうむるわけでもなければ、困ることもない。ローズマリアは「問題があれば先生方から指導が入るでしょう」と言っていた。


 ……そう、別に準備室の幽霊について吹聴されても、わたしたちはなにも困りはしなかった。正確には、わたしとローズマリア、そしてクリスタルの三人は。


 なぜなら、くだんの噂話の当事者であるにもかかわらず、だれもわたしたちにことの真偽を問い質しにこないのだ。そう、だれも……こないのだ。ひとりとして、こないのだ。


 わたしとアラン、クリスタルとそのペアだった男子生徒が幽霊を見たという正確な情報は、すでに学園に出回っている。しかしだれもわたしやクリスタルに話しかけてきたりはしないのだ。


 アランとは積極的に会話を交わすほど親しいわけではないのだが、どうも朝からずっと彼は不機嫌な様子。それを見るに、どうもわたしとクリスタルとは違って、朝っぱらから根掘り葉掘り他の生徒から聞かれまくっていたようだ。今は不機嫌な顔がとても怖いせいか、話しかける蛮勇を犯すものは出てきていないようだが。


 改めて学園では避けられている上に、どうも浮いているらしいという事実を突きつけられて、わたしは正直言ってヘコんだ。逆ハー狙いで自爆を繰り返す、明らかにヤバいクリスタルと同列にいるらしいことも突きつけられて、ヘコんだ。


 もちろん、こんなことは前世のネット小説事情など知らないローズマリアには言えない。どうしてそういった心情に至ったかの事情――わたしとクリスタルが異世界転生者であること――を説明できないので、わたしは黙っていたが……。


 そして時は過ぎて放課後。いまだに準備室の幽霊に関する噂話の熱狂は冷めやらぬ中、並んで座っていたわたしとローズマリアの席に突撃してきたのは、当事者のひとりであるクリスタルだった。


「……なんの用?」


 クリスタルのことは大嫌いとまで言うほど嫌ってはいなかったが、しかし暴走機関車のような彼女に良い感情がないのもたしか。だからわたしから出てきた声は、本人でもちょっとおどろいたくらいぶっきらぼうなものだった。


 わたしはクリスタルがそんな声をかけられてどう思うかよりも、隣の性格光属性なローズマリアがどう思うかのほうが気になった。


 ちらりと横を見れば、ローズマリアは不思議そうな顔をしてクリスタルを見ている。わたしの言葉は特に気にはならなかったようだ。ホッと心の中で安堵のため息をつく。


 クリスタルのほうは一瞬むっとした顔をしたものの、そこはさすが、目的達成のためならば手段を選ばない女。へこたれる様子は見せず、平たい胸を張って、着席しているわたしたちを睥睨でもするかのような尊大な視線を送る。


 ――きっと他の同級生や同じ寮の生徒にもこんな態度なんだろうなあ……そりゃあ魅了魔法持ちとか関係なく嫌われるよ……。


 少しでも態度を改めれば彼女の言う逆ハーレムだって夢ではないだろうに。やはりクリスタルは「残念美少女」だとの思いを改めて強くする。


 クリスタルはやはり横柄な態度で、「付き合って欲しいの」と言い出す。


「どこに?」

「――準備室。アンタたちだって、真相が気になるでしょう?」


 クリスタルは今度は声を潜めてささやくように言った。わたしは思わずローズマリアの顔を見る。ローズマリアも、わたしと顔を見合わせた。


「……そりゃ、気にならないかって言われたら、気になるけど……」

「それじゃあ、たしかめに行くわよ」

「えー……?」


 くるりとわたしたちに背を向けて、クリスタルは大股で教室の出入り口へと向かう。そういう粗雑な所作が、麗しい顔面にまったく似合っていないのだが、本人がそれに気づくときはくるのだろうかと、わたしは遠い目をしてしまう。


「ちょっと、早く来なさいよ!」


 当然、わたしたちが着いてくるだろうと思っていたらしいクリスタルの声が教室に響き渡る。いちいち声もデカくて上品さの欠片もない。


 教室内に残っていた生徒の、好奇と奇異の視線がわたしたちに集まったので、仕方なく指定カバンを手に立ち上がる。ローズマリアもわたしにならって静かに立ち上がった。


「真相とは、どういうことなのでしょうか……?」

「さあ? でもたぶん、きっと拍子抜けするようなものをお出ししてきそうな気がするわ」


 ……そんなわたしの予想は的中することになる。


「これってさあ……」

「なによ。なにか文句あるわけ?」

「いや、文句しかないんだけど」


 なぜかクリスタルが持っていた鍵で準備室へと立ち入ったわたしたちに、彼女が持ち出したのは――。


「……これって、『分身様』だよね? まさか、これで幽霊を呼び出すって言うんじゃないよね?」

「その通りだけど?!」


 汚い文字が書かれた紙と、赤いペン一本。紙に文字を書いたのは、間違いなくクリスタルだろう。この特徴的に汚い文字は、彼女にしか書けないものだ。そして赤いペンは、「分身様」という――早い話が「こっくりさん」をするのに欠かせないアイテムだと、以前の交流会で先輩が語っていたのを覚えている。


「分身様」は基本複数人で行う簡易な降霊術……ということになっている。結局は「こっくりさん」と同じなので、「分身様」と名を変えた儀式を実行したとて、準備室に現れたあの幽霊を自在に呼び出すことなどできるはずがない。わたしは頭の中でそう判じた。


「この『分身様』であの幽霊を呼び出して事情を聞けば、一件落着じゃない」

「幽霊なんて呼び出せると思えないし、呼び出して話を聞いたところで落着するとは思えない」

「できるかもしれないじゃない。可能性はゼロじゃないわ!」

「ゼロじゃなくても限りなく低いことには変わりないと思うんだけど……。それと、なんでわざわざわたしたちを誘ったの?」

「なんでって……『分身様』は複数人でやるものだからよ。それに、ほら、アンタたちだって真相を知りたいでしょう?! だからわざわざ誘ってあげたのよ!」


 恩着せがましい口調で言い切ったクリスタルだったが、わたしは彼女が極度の怖がりであることを忘れていない。


 恐らくは


「真相が知りたいけれど、怖い。怖いけれど知りたい。『分身様』をすればいいと思いついたけど、いっしょにしてくれる友達がいない」


 というような事情があって、わざわざさして親しくもないわたしたちを呼んだのだろうということが察せられた。


 閉口するわたしに対し、クリスタルはいまだ強気に「なによ?!」と言ってくる。それに返事をしたのは先ほどまで成り行きを見守っていたのか、黙っていたローズマリアだった。


「『分身様』……というのは幽霊を呼び出す儀式なのですか?」

「はあ? アンタ、『分身様』を知らないの?」

「名前だけは聞いたことがあるのですが……」

「アンタってマジで友達いないのね……」

「……いや、しみじみ言ってるけど、クリスタルさんだって友達いないよね?」

「は、はあああ?! と、友達くらいいるわよ! でも今日は都合がつかなかったの!」


 それは明らかな嘘であったが、指摘するのはなんだか哀れに思えてやめた。


 ――本当に友達いないんだな、クリスタル……。


 クリスタルの性格は、前世のわたしとは似ても似つかないが、友達がいないという一点においてはどうも同情してしまう。クリスタルの場合は友達がいないのは自業自得と言えたが、どうにも哀れに感じてしまうのだ。とんだ上から目線だが、クリスタルもわたしたちに対しては常に上から目線なので、どっこいである。


「とにかく! 気づかれる前に早く『分身様』をするわよ!」

「気づかれる前に、って……まさか準備室の鍵、盗んだんじゃないよね?」

「ちょっと借りているだけよ!」

「それを盗んだって言うんじゃ……」

「ああ、もう! やるの?! やらないの?!」

「そりゃもちろん――」


「やるわけないじゃん」――そう答えるつもりだったのだが……。


 わたしは、ローズマリアの瞳が葛藤しているのを見てしまった。彼女は「分身様」に興味があるのだ。恐らくエレメンタリースクールに通う女の子ならしたことのある人間が多い「お遊び」なのだろう。前世と似ている点がある世界だから、きっとそうだ。


 でも、闇属性持ちの「嫌われ者」のローズマリアには、そんな「お遊び」に参加する機会なんて、なかったのかもしれない。


 準備室の鍵を盗んできたらしいクリスタルを非難する気持ちと、「分身様」への興味。そのふたつが葛藤している――。


 ローズマリアのそばにずっといたから……それから、前世のわたしにも友達なんていなかったから、わかってしまった。


「……やろっか」

「え?」

「え?!」

「なんでクリスタルさんが一番おどろいてるの? ……やるなら早くやろう。なにも起こらないと思うけど」


 そう、「分身様」は明らかに「こっくりさん」のバリエーション――もっとさかのぼるならば、ウィジャ・ボードの亜流なのだろう。そうであれば、これは本当に単なる「お遊び」。なにも起きたりはしないに違いない。真相が明らかにできるなどと期待するだけ無駄だ。


 けれども、ローズマリアの貴重な体験になるのならば……それは悪い話ではないんじゃないか、と思えた。


 しかし、事態はわたしの予想外の方向に転がっていくのだった――。

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