(16)
突然の叫びにおどろいたアランとわたしは足を止める。すると準備室の扉が開いて、ものすごい勢いでなにかが飛び出してきた。黒い人影にしか見えなかったそれは、盛大にわたしにぶつかったのだが、こちらを見向きもせずに足音を立てて廊下を疾走して行った。
「大丈夫か?!」
不覚にもアランに抱きとめられる形となったわたしは、突然の異性とのスキンシップ――とは違うか……――におどろいて、ひっくり返った声で「だ、だいじょうぶ」とどうにか返事をする。
――こんなイベント、『ディアりっ!』にあったっけ……?
そう疑問に思いながらも、つい先ほど準備室から轟いた悲鳴を思い出す。アランも同じ思いらしく、わたしと目を見合わせると軽く頷いた。
「お前はここに残っておくか?」
「ううん。心配だし……わたしも行く」
「そうか」
アランは「女だから」とか「非力だから」という理由でわたしを置いて行くつもりはないらしい。わたしだって見習いと言えども魔法使い。魔法という攻撃にも防御にも使える手段を持っているからこその対応なのだろうが……。
――きっと、こういうところがモテるんだろうなあ……。
わたしはいつでも光属性の防衛魔法が張れるように気合を入れて、アランと共に扉が開け放たれた準備室へと足を踏み入れた。
そこにいたのは――。
「――クリスタルさん?」
エメラルド寮の問題児、クリスタル・オータムが、腰を抜かしたのか床に尻もちをついていた。暗い準備室を見回してみても、彼女以外には影も形もない。どうやら、先ほどわたしにぶつかった人影は、クリスタルとペアになった男子生徒らしい。
なにを準備室で悲鳴を上げるほどのことがあったのかは現時点では不明だが、ペアの男子生徒がクリスタルを置いて脱兎の如く逃げたことだけは、わたしにもアランにもすぐに察せられた。
「クリスタルさん、大丈夫?」
わたしがもう一度声をかけると、泣きべそをかいたクリスタルの顔がこちらを向く。その瞬間、怯えの表情をたたえていたクリスタルのグリーンの瞳が、一転、きらりと輝いたような気がした。
一方、クリスタルに近づいたためにわたしの背後に位置する形となったアランからは、「げっ」というあからさまにイヤそうな声が漏れる。
――そう言えばクリスタルは逆ハーを目指していたんだった。……もしかしてアランにもツバつけようとして失敗した後なのかな?
わたしの推測は当たっていたらしく、クリスタルは腰が抜けたまま、四つんばいになって、サカサカと虫を思わせる動きでアランの足元まで近づく。振り返ってみれば、アランは先ほど出した声と同じく、あからさまにイヤそうな顔をしてクリスタルを見下ろしている。
……クリスタルは美少女だが、さすがに虫にような動きで四つんばいになって迫られては、色々と台無しがすぎる。そうでなくてもアランからクリスタルに対する印象は悪いのだろう。わたしには心配の声をかけてくれた彼も、クリスタルにはそのような態度を取るつもりが微塵も感じられない。
――ホント「残念美少女」だなあ……。
しかしクリスタルが腰を抜かしていたのはおどろいたが、あの調子ならあまり心配せずとも大丈夫そうである。おおかた、なにかの影を幽霊とでも見間違えて、びっくりして叫び声を上げたのだろう。
わたしはクリスタルの雄たけびとしか形容できない悲鳴を思い出して、ちょっと笑った。
そして何気なく懐中電灯の明かりを準備室の奥へと向けた。……その行動に深い意味はなかった。どんなところを幽霊と見間違えたのか、確認しておきたかっただけだった。「クリスタルってばホント怖がりなんだから」……そんな気持ちで。
だけど――。
「……え?」
懐中電灯の丸い明かりの中に浮かび上がったのは――見慣れない制服を着た、女子生徒の姿。わたしたちが着ているものよりも、さらに古臭いデザインの制服に身を包んだ女子生徒の膝から上、口元から下だけが、懐中電灯の明かりの中でハッキリと見えている。
ゾッとした。冬の寒さだけではない、内臓から寒気が震えて伝わってくるような、明確な「おぞけ」が体内を立ちのぼってくるような感覚。長袖の下で、鳥肌が立つ。妙に息苦しくなって、喉が張りつくような感覚。それらがドッと押し寄せる。
間抜けな声を出したきり、悲鳴すら上げられない。わたしの悲鳴は、多少なりとも余裕があって、出そうという気がなければ出ないのだと思い知った。
わたしは今、本能で恐怖している――。
わたしの本能は明瞭に、目の前の女子生徒が「人ならざるもの」だと言っていた。おぞけが止まらない。体がガタガタと静かに震えてくる。
どうにかこうにか目玉だけ動かして、そばにいたアランとクリスタルを見る。ふたりとも、わたしが懐中電灯で照らした先を見つめたまま、ぴくりとも動かなかった。
――ふたりにも、この女子生徒が見えているんだ……。
それじゃあ、この女子生徒は現実の存在? それならなぜ、こんなにも寒気がするわけ? どうしてわたしたちは、こんな風に恐怖して、固まっているの?
痛いほどの沈黙が場を支配していた。
見てはいけないと本能が警告するが、それに逆らって、女子生徒が現実の、生身の存在だという確信を持ちたくて、わたしは彼女を観察する。
古臭いデザインの制服。長くて野暮ったいスカート丈。ソックスは薄汚れた白。口元の形はいいのに、ぽかんと間抜けな形に開きっぱなしで、ちょっとだけ出っ歯な白い歯が見えている――。
懐中電灯の明かりを動かすことは、どうしてもできなかった。目を見たくなかった。理由を問われれば答えに窮するが、なんとなく彼女の目を見てはいけないような気がしたのだ。
なぜなら、女子生徒をわたしたちがそうやって見ているように、彼女もまた、じっとこちらを見ている気配がするからだ。
突き刺さるような、視線。それがわたしたちに向けられている……。その視線の意味するところまではわからなかったが、わかるのを恐れるような気持ちのほうが強かった。
女子生徒の姿は、なぜだか薄っぺらい紙に印刷されたかのような印象を受ける。全体的に厚みを感じられないのだ。
そして……段々と……段々と、輪郭がおぼろげになり始めていることに気づいた。
同時に、低いサイレンのようなうなり声が聞こえ始める。それは女子生徒の声帯から出ているのか、はてまた別の――そう、別の怪異なのか。そこまでは判断がつかなかった。
女子生徒が、ぶるぶると震えだした。その姿は、怒っているとわたしの目には映った。
――ヤバイ! なにがヤバイかまではわかんないけど……ヤバイ!
女子生徒の顔の輪郭がブレる。ブンブンと首を左右に勢いよく振っている。生きている人間だって突然そんな行動をしてきたら恐ろしいのに、幽霊がしているのだと思うと意味不明さがさらに増して、とにかく「なにをしてくるかわからない」という未知への恐怖をかき立てる。
アランもクリスタルも、ひとことも声を発さない。屈強で豪胆なアランも、他人を気にしないクリスタルも、ふたりともが声を発さない。
わたしはなぜだか、「わたしがなんとかしなきゃ!」という気分になった。心の中では謎の女子生徒に対して突っ込みまくっていたが、体はまったく動かない。
それでもどうにかこうにか、一声だけでも発しようと口を開いた。そのとき。
「――みなさん、どうしましたの?」
凛としたよく通る声が、わたしたちを――長い恐怖から解き放った。
「ロ、ローズマリア!」
「アランさんもクリスタルさんも……なにかありましたの?」
背後にある出入り口から心配そうな顔を覗かせているローズマリア。今のわたしには彼女が女神に映る。いや、もとから女神みたいな性格ではあったのだが。
「ロ、ローズマリア……実はそこに女の子が――」
ローズマリアから視線を外して、再び懐中電灯に照らされた先を見る。
しかし。
「い、いない……!?」
懐中電灯は薄汚れた灰色の壁を照らしているばかりで、そこには先ほどの古くさい制服に身を包んだ女子生徒の姿は、影も形もなかった。
「ね、ねえアラン! クリスタルさん! さっきまでそこに女の子がいたよね?!」
「いたけど……ローズマリアの声がしたんで目を離したら……消えたようだな」
動揺を隠し切れないアランの声に、彼の足元にいまだ座り込んでいるクリスタルがコクコクと何度も頷く。……どうやら三人ともがローズマリアの声に反応し、振り返っているあいだにあの女子生徒は煙のように消えてしまったらしかった。
……と、言うことは。
「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆ幽霊ぃぃ……?!」
「医務室の眠り姫」の一件でかなりの怖がりであることがわかっていたクリスタルは、そう言って今にも泡を吹きそうな顔をする。
アランは納得が行かないのか、豪胆にも懐中電灯の明かりを準備室のあちこちに向けて、先ほどの女子生徒が生きている人間だという確信を得たいかのような行動をする。
しかし、いくらアランが探しても、女子生徒の姿は準備室のどこにもなかった。
「マジかよ……」
「マジ……みたいだね」
額に手をやるアランを見ながら、わたしはローズマリアとペアの男子生徒のふたりに近づき、不思議そうな顔をしている彼女らへ事情を説明する。にわかには信じがたい出来事であったが、さすがはローズマリア。見間違いだと笑い飛ばすというようなことはしなかった。
「準備室に怪談がある、というのは存じております。けれど先ほどトーマスさんとお話したんですけれど、その怪談話に出てくる女子生徒が亡くなった、という事実はないそうですわ」
「うん……死んだ女子生徒なんて存在しないって、わたしもアランから聞いた……でも」
――でも、それじゃあ先ほどの女子生徒は、一体……?
準備室に幽霊なんて出ないはずだった。噂はしょせん噂のはずだった。はず、だった。だけど――。
……懐中電灯の明かりの中で、舞い上がったホコリがキラキラと輝いている。照らされた先には老朽化した壁と、古ぼけた機材があるだけだ。そこに何者かがいた気配は、もはやなにも感じられない。
――わたしたちは、一体なにを見たの?
その疑問に答えてくれる人間は、この場にはいなかった。
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