(7)

 まだ外灯がともらないていどの日暮れの時間帯。わたしとローズマリアは並んでルビー寮への帰り道を歩いていた。


 今回の「トイレの個室閉じ込め事件」はハッキリ言ってイジメだ。わたしは持病などを持っていない健康体だけれど、もしかしたらもしかしたら……という展開もあり得たわけで。


 ローズマリアはもし事故じゃないなら教師に報告した方がいいと勧めてきたし、今後のためにもそうした方がいいのだろう。


 けれどもわたしはそうしなかった。


 理由は一対多数だから。レティシアとパンジーに口裏を合わせられたら面倒なことになる。それに彼女らが属するサファイア寮と、わたしたちが所属するルビー寮は伝統的に仲がよろしくないと言う。


 問題が大きくなったらイヤだし、そうなれば悪目立ちしてしまうし、今回は大事に至らなかったし、証拠はなくわたしの証言だけしかない――。


 だから、簡単に言えばわたしは面倒くさくてヒヨったわけである。


 ――やっぱりわたしは『ディアりっ!』のエマ・サマーズじゃないな。


「次からは気をつける」とローズマリアに言ったものの、恐らく「次」はないだろう。顔も名前も所属寮も割れているのだ。恐らく嫌がらせはあれ一回こっきりで終わるに違いない。そう予測したこともあって、わたしは不愉快なあのふたりのことを忘れることにした。


「でも本当にいいんですの?」

「え?」

「……わたくしのこと、知らないわけじゃないでしょう?」


 一瞬、『ディアりっ!』のことを言っているのかと思ったが、わたしはすぐに入学式前のことを思い出した。ひとりの女子生徒を救うために出て行ったローズマリアのことは良くも悪くも噂の的だった。ただでさえ目立つ闇属性に加えて、パッと見はキツそうな派手な容姿をしているからだろう。


 入学式前の一件や今回のトイレでの件など、色々と気遣いが行えるていどに、彼女は頭が回る。だから他の生徒からよく思われていないことにローズマリアが気づいていないなんてことはないはずだ――。


 そこまで考えたわたしはローズマリアを元気づけるべきか悩んだ。友達になったばかりのやつの言葉で、どこまで慰められるかわからないし、わたしは『ディアりっ!』のエマみたいに闇属性全員を助けたいと思えるほどの善人でもない。


 ……こういう風に対人関係となるとぐだぐだ考えてしまうのはわたしの悪いところだ。相手からの反応を気にしすぎる。だから友達付き合いが億劫に感じられて、深い係わりが持てない。


 そうやってひとりよがりな思考の穴を掘り進んでいたわたしの頭を揺さぶったのは、ローズマリアの口から飛び出した意外な単語だった。


「わたくし――『悪役令嬢』って呼ばれているんですの」

「あっ、あくやくれいじょう……?」


 一瞬、わたしは呆気に取られて舌ったらずにオウム返ししてしまう。


 悪役令嬢、悪役令嬢、悪役令嬢……。前世では飽きるほどに見た単語。でも他人の口からその単語が出てきたところは見たことがなかった。


 どういうことなのかわからず、わたしは目を見開いてローズマリアを見てしまう。


 しかしローズマリアからすればそんなわたしの反応は織り込み済みだったのか、ちょっと困ったように柳眉を下げて微笑みを作る。


「ほら、わたくしって闇属性持ちでしょう? それで顔立ちが派手で『悪役』っぽいから『悪役令嬢』なんですって」

「そんな――」


 たしかに、要素だけを取り出せばローズマリアは「悪役」にはぴったりだろう。


 忌み嫌われる闇属性を持ち、釣り上がった目が印象的な派手な顔立ち。加えて、実家は言い方は悪いが成り上がり者。そんな要素を持つ彼女だから、他者からレッテルを貼られやすいのかもと思った。人間は、どうしてもわかりやすい方に流れがちなものだし。


 けれど――。


「で、でも、ローズマリアはわたしを助けてくれたし、入学式前のあの子だって! だから――ぜんぜん『悪役』なんかじゃないよ!」


 心臓がドクドクとイヤな感じに鼓動を刻む。口から放たれた言葉は打算や怯えから出たものではない、純粋なわたしの本心。けれど、それがどこまでローズマリアに響くだろう? その事実一点のみが、今はただ怖かった。


 入学して一週間も経っていないけれど、わたしはローズマリアのいいところを既に知っている。他者を助けることにためらいを抱かない、勇敢な性格。――わたしにはない。真似できない、ローズマリアの美点。


 そこにどうしようもないうらやましさと同時に、わたしはあこがれを抱いていることに気づいた。


 そんなわたしに、ローズマリアは――微笑んでくれた。


「ありがとう、エマ」


 それだけでわたしの心はホッと安堵の息を吐ける。


 偽善だと思われてもいい。単なる気遣いだと思われてもいい。前世のわたしは大事なときだって怯えから――悪く思われたくないという自分可愛さから、本心を口にはできなかった。けれど、今は……ローズマリアにはきちんと本心を伝えて行きたいと思った。


 高潔という美徳をそなえた彼女だからこそ、わたしもどうにか対等でありたいと思ったのだ。そこには前世での後悔を解消したいという、隠しようもないエゴもあったけれど、その感情が一分の隙もなく悪だというわけではないはずだ。


「……さあ、早く寮に帰りましょう? 今日は先輩方が交流会を開いてくださるんですって」

「交流会……なにするんだろう?」

「怪談を聞かせるのが定番だそうよ。ほら、一ヶ月後には『死者祭』が控えているでしょう?」

「なるほど。怪談にはたしかにうってつけの時季ね」


「死者祭」は簡単に言ってしまえば「ハロウィン」である。死者が帰ってくるお盆の時期に怪談話が流行るように、この世界では「死者祭」がある秋頃が怪談のシーズンということなのだろう。


 交流会という単語だけで前世喪女だったわたしは少し腰が引けたが、せっかくの二度目の生なのだ。ちょっとはよりよい人生になるよう頑張ってみようと気合を入れる。


 ――それに……同じ寮にローズマリアがいるし……。


 横目でローズマリアを見る。わたしと同じ制服に身を包み、ルビー寮所属を示すレッドのリボンタイをつけているが、なんだか輝いているように見えた。それはきっと気のせいだろうが……少しは彼女の隣に立つにふさわしい友人になりたいものだと思った。


 ――まずは背筋を伸ばすところから、かな。


 ローズマリアの隣を歩きながら、わたしは背筋に力を入れてみる。視界が少しだけ、開けたような気がした。

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