(6)

 まさしく、今、目の前にあの入学式の日に見たローズマリアが立っている――。その事実にわたしは一瞬、呆気に取られた。


 そんなわたしの様子をどう受け取ったのか、わたしより高い位置にあるローズマリアの柳眉が、かすかに八の字に下がった。


「困ってらっしゃることはない?」

「え? いえ……助けていただいたので……今は特には……」

「そう……それならいいのですけれど。もし、困ったことがあって――先生方に、もし言いにくいことでしたら寮母さんや寮付き教師チューターさんに相談されるとよろしいわ。きっと親身になってくださるでしょうから」


 ――気遣われている。


 そりゃそうだろう。扉の建てつけが悪くて閉じ込められていた……というわけではなく、外から施錠魔法をかけられていたのだ。わたしの身になにが起こったのか――現在進行形で起こっているのか、察することができないほど鈍い人間が、どれほどいるだろう?


 ローズマリアの紫の瞳は理知的な色を帯びている。その印象通りに、彼女は聡い人間なのだろう。そして気遣いのできる人間だ。


 もしわたしがイジメに遭っていたらと考えて、言いにくいだろうことを考えて、見ず知らずの自分じゃなくて寮母さんやチューターさんに相談すればいいと教えてくれる。


 そこには「悪役令嬢」などと呼ばれていた、『ディアりっ!』のローズマリアの面影は感じられない。


 当たり前と言えば当たり前だ。ここはどうも『ディアりっ!』の世界そのものではないらしいのだから――。


 けれども今、ローズマリアが目の前に立ってわたしと話をしていて、そのことで改めてここは『ディアりっ!』の世界とは違うのだという気持ちが強くなる。


「せっかく学び舎を同じくする学友となったんですもの。わたくしも、困ったことがあったら協力させていただきますわ」


 そう微笑んだローズマリアを見て、入学式のときのトンチンカンな言動は、なんとなくワザとやっていたのではないかとわたしは思った。ああすることでつまらない絡み方をされていた女子生徒から意識をそらし、ついでに自分への敵意もウヤムヤにしてしまう。


 もし、本当にそれがすべて計算ずくだったとすれば――なかなか食えない人間だ。


 もちろん、あの女子生徒を助けたのは善意からだろうけれど……。


『ディアりっ!』のローズマリアは勉強はできるけど智恵は足らないタイプのキャラクターだった。エマへの嫉妬に駆られて稚拙な嫌がらせを繰り返し、看破されて追い詰められて、闇属性の魔法を暴走させるという……まあ、ありていに言ってしまうとお粗末な悪役ではある。


 そのあとエマの光属性の魔法によって暴走は止められ、色々あって改心し、反省したローズマリアは学園を去るという選択を取る。エマはそれを引き止めるのだが、ローズマリアの意思は固く、大体一〇万文字くらいのところで彼女は退場する。そしてエマは闇属性の生徒たちの扱いをこのままにしておいてはいけないと立ち上がる――。


 ローズマリアは悪役令嬢だが、まったく巨悪とは言い難いし、なんだったらこれからの波乱の「前座」と言ってしまってもいい。


 そんな一発限りというような悪役令嬢ローズマリアが、わたしの中で印象に残っていたのは、その狂い方がすさまじかったからだ。そしてそれは嫉妬という制御するのが難しい感情によるもの。それから、陰キャで根暗というキャラクター造形も相まって、少しだけだが読者のわたしは悪役令嬢ローズマリアに共感を覚えた。


 けれども目の前に立つローズマリアは――まったく、悪役令嬢ローズマリアとは違う。ローズマリアにだってそりゃあ嫉妬の感情くらいはあるだろうけれど、目の前にいる彼女はそういうことを表に出すようには見えない。……あくまで、印象の話だが。


 それに、闇属性の魔法を操る人間は総じて性格も邪悪であるという偏見を抱かれるが、ローズマリアはどちらかと言えば性格は光属性という感じがする。


 あの日は入学式だったから、あの絡まれていた女子生徒とローズマリアは初対面だっただろうに、それでも彼女は颯爽と助けに入ったのだ。


 ――やっぱり、ローズマリアの方がヒロインっぽい気がする……。


「やっぱり、なにか悩みごとがあるのではなくて?」


 思わず長考に入ってしまっていたわたしは、ローズマリアの心配そうなその声で、ハッと我に返った。


 派手な美貌のローズマリアの瞳が、今や憂いを帯びている。これが演技だったら彼女は大女優になれるだろう。顔立ちも所作も美しいのだし――。そんな、どうでもいいことを考えつつ、わたしは勢いよく首を横に振った。


「そう? わたくしには言いにくいでしょうから、困ったら大人を頼りにした方がいいわ」


 ……ローズマリアのその言葉は、「闇属性のわたしには」と言っているように聞こえた。


 闇属性は、闇属性というだけで嫌われる。遠巻きにされる。他人を助けたら「点数稼ぎ」と陰口を叩かれる。この世界のローズマリアだって、そのことに気づいていないわけがない。


 でも。それでも。わたしの目の前にいるローズマリアは、それでも他人を――わたしを躊躇なく助けて、心配までしてくれているのだ。


 そう考えると、なぜだか胸が締めつけられて――わたしはとんでもないことを口に出していた。


「と――友達になりませんか!?」


 一瞬、自分がなにを言ったのかわからなかった。目の前にいるローズマリアもかすかに目を瞠って、おどろいているようだった。


 そしてじわじわと、己がなにを言い放ってしまったのかを理解したわたしの顔に、熱が集まってくる。


 ――「友達になりませんか?」ってなんだよ! わたしはたしかに『ディアりっ!』のローズマリアはよく知っているけれど、今の目の前にいるローズマリアのことはぜんぜんよく知らないのに!


 そう心の中で突っ込みを入れまくるが、一度口から放った言葉をなかったことにする魔法なんてものは、この世には存在していない。


 恥ずかしくて、顔が熱くて――ローズマリアがどんな反応をするのかが怖くて、わたしは知らず知らずのうちにうつむいてしまっていた。


 視界には、おろしたばかりのピカピカの革靴が二足。わたしの靴はちょっとサイズが合っていなくて、かかとがちょっと痛い。それから、くすみのない白いソックス。それらをぼんやりと眺めていたら、頭上からかすかな笑い声が降ってきた。


「ふふ、いいですわ。これもなにかの縁。わたくしでよければ、是非お友達になりましょう?」

「え――い、いいんですか?!」


 バッと頭を上げて、ローズマリアを見る。シャンと背筋を伸ばしているせいもあって、わたしより上の位置にある顔を見る。そこにいたのは『ディアりっ!』の悪役令嬢ローズマリアではなく、この世界を生きるローズマリア・ディ・スプリングフォード。……わたしを助けてくれて、友達になってくれると言ってくれた、女の子。


「お名前は?」

「え、エマ・サマーズ。……エマって呼んでください」

「そうかしこまらなくたっていいわ。わたくしはローズマリア・ディ・スプリングフォード。それじゃあエマ、わたくしのことはローズマリアと」

「う、うん……。……ローズマリア」

「はい」


 わたしが名前を呼ぶと、ローズマリアがうれしそうに微笑んだ。それは薔薇のつぼみがほころぶような美しさで、同性のわたしも思わずみとれてしまう。さきほどとは別の感情から頬が熱くなるのを感じた。


「……改めて、助けてくれてありがとう」

「当然のことをしたまでですわ。けれど、これでエマと友達になれたことは――僥倖と言っていいですわね」


 ローズマリアはいたずらっぽく笑った。それにつられてわたしも自然と微笑む。


 ――そう言えば入学してからこっち、こんな風に自然に笑ったことなんて、なかった気がする……。


 なんだかんだと『ディアりっ!』の世界のヒロインになってしまったのかと気を張っていたのかもしれない。けれどローズマリアと友達となったことで、ひとつわたしは『ディアりっ!』のストーリーから外れた。


 そのことに、なぜだか少しだけホッとする。


 ローズマリアが「悪役令嬢」じゃないなら、わたしだって「ヒロイン」じゃない可能性が高い。そのことを確信できたことも一因だろう。


 けれど一番はローズマリアが「悪役令嬢」ローズマリアじゃなかったから。それが、わたしの心を一番軽くしてくれた。


 ローズマリアと友達になれば『ディアりっ!』のストーリーから外れられる――。そんな打算があって彼女に友人になってくれなどとのたまったわけではないのだけれど……。


 ――結果オーライって、こんなときに言うのかな?


 前世のわたしは友達なんてものはいなかった。だから、今はローズマリアという友達を得られたことが、素直にうれしい。


 そんなぽかぽかした感情を胸に抱きながら、わたしは普段使わないせいでぎこちない筋肉を思いっきり動かして、一番の笑顔を作った。

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