(5)

 遡ること一〇分は前。


 レティシアとパンジーと「お友達」になったわたしは、さっそく暇な放課後の遊びに誘われた。


「『トイレのアリスさん』って知ってる?」


 知らなかったので、正直に首を横に振った。「トイレのアリスさん」とやらは、「トイレの花子さん」となにか関係があるのだろうかと思ったが、『ディアりっ!』に似た西洋風世界観において「花子さん」は通じないだろうと思い黙り込む。


 ふたりが言うには「トイレのアリスさん」とやらは一種の降霊術なのだそうだ。一定の手順を踏めば、トイレの個室に「アリスさん」と呼ばれる女子生徒が現れるのだと言う。


 降霊術とは言え、お遊びもお遊び。実際になにかしらの霊魂なりなんなりを呼べる確率はほとんどゼロに等しいらしい。


 どこのエレメンタリースクールにもあるような、トイレの怪談――。それが、「トイレのアリスさん」なのだという。


 ――ほとんど、「トイレの花子さん」ね……。なんでこんな怪談があるんだろう? 『ディアりっ!』の作者が日本人だから? でも『ディアりっ!』にはこんな怪談話、出てきた覚えはないんだけど……。


「やり方は簡単よ。放課後の女子トイレでだれも個室に入っていないことを確認したあと、三番目の個室の扉を閉めて三回ノックするの。それから『アリスさんアリスさん、いらっしゃいましたらお返事をしてください』と言うの。それだけ」

「……もし『アリスさん』が現れたらどうなるの?」

「『はあい』と返事がしたら、ノックした人間の願いを叶えてくれるらしいわ」


 それは言ってしまえば、幼稚な肝試しだ。だからわたしは「へえー」と微妙に気の入っていない返事しかできなかった。


 そんなわたしを見たからか、レティシアとパンジーはクスクスと上品に笑う。


「やあね。本当に『アリスさん』が現れるだなんて思ってないわよ。子供じゃあるまいし」

「でも、ここは魔法学園じゃない? もしかしたら、もしかするかもって思ったの……その方が面白いし」

「それにね、この学園には本当に『アリスさん』っていう幽霊が出るって噂があるのよ……。在校中にイジメを苦に自殺したアリスという女子生徒が、未だに天国へも地獄へも行けずにさまよっているらしいわ」


 神妙な顔をして話すふたりに、わたしはどういう反応をすればいいのか迷った。


「面白いわね」というのは明らかに違うし、実際にわたしの心はその噂を「面白い」とは到底思えなかった。実際に自殺という手段を取ってしまった生徒が存在するか否かは置いておくとしても、なんだかそれを面白がるのは違う気がするし……。


 けれども一方で、わざわざ話しかけてくれたふたりに気のない返事をするのも失礼な気がして、わたしは曖昧な笑みを浮かべて「そうなんだ」と言うしかなかった。


「私、お姉様からその話を聞いて気になっていたの。あ、お姉様はこの学園の卒業生なのよ。それで……今から『トイレのアリスさん』をしに行きましょう?」


 友達が欲しいという気持ちに支配されていたわたしに、その提案を蹴る理由はなかった。


「珍しい光属性持ちだからって、いい気にならないことね!」


 それが――このザマである。


 ごく普通の流れで三番目の個室の中を確認して欲しいと言われ、覗き込んだら背中を押されて個室に押し込められて――扉を閉められた。個室の鍵はもちろん内鍵であったが、施錠魔法でもかけられたのか、いくら取っ手を動かそうとしても扉がガタガタと音を立てるだけで、まるで動かない。


 そうこうしているうちにレティシアとパンジーは嘲笑を残してトイレから立ち去ったようだ。一度に気配がなくなり、個室に閉じ込められたという事実がわたしに重くのしかかる。思わず重いため息をついた。


 仮に施錠魔法がかけられていたとして、それを解除できるほどの技量は、今のわたしにはない。なにせ魔法の存在は知っていても、本物の魔法使いなど存在しないほどのド田舎で暮らしていたのだ。使える魔法の種類は初歩中の初歩。光属性持ちと判明してから唯一貸し与えられた書物に、解錠魔法は載っていなかったはずだ。


 もう一度、重く深いため息をつく。


 オリエンテーションが終わっても友達らしい友達ができなかったのは、どうやら光属性持ちということで敬遠されていたかららしい。こちらから話しかければ返事はしてくれるものの、微妙に気のない態度を取られ続けていたのは、そういうことだろう。


 パンジーの「いい気になるな」というセリフからすると、あとはデイヴィッド殿下の誘いを断ったことも、影響しているかもしれない。


 ――めんどくさっ!


 早くも社会の縮図というか、しがらみを痛感する展開に、わたしの心はそのひとことに集約される。


 ――わたしはただ、魔法の使えるファンタジーな世界を満喫したいだけなのに……。


 一方で属性を理由に遠巻きにされているという状況は、どうにも『ディアりっ!』のローズマリアを彷彿とさせる。


 たしかにわたしは、どちらかと言えば悪役令嬢ローズマリアタイプだろう。陰気で根暗、積極的になれないくせに、他人に嫉妬して狂って行くローズマリア……。


 他方、ヒロインであるエマは心優しくも強い女の子……。どちらが似ているかというのは究極の選択に近いが、どちらかと言えばわたしはローズマリアの性格に近いと思う。さすがに嫉妬心から他者を害するような真似はしないけれども。


「はああ~」


 しかし、落ち込んでいたり途方に暮れたりしている場合ではない。このままでは寮の門限を破ることになってしまう。入学早々、門限破りの罰則を受けるのはイヤだ。


 とにかくわたしは悪目立ちをしたくないのである。優等生とまではいかなくても、真面目な生徒で通したい。そのためにはどうにかトイレの個室から脱出しなくては――。


 ……と思いはしたし、努力もした。脱出しようという努力だ。けれどもその努力はほとんど無駄に終わった。


 トイレの最上部の開いた場所から出ようとしたが、そもそもそこまで体がたどり着けなかった。施錠魔法がかかっているらしい扉も、何度ガタガタと音を立てて引こうとしても、どうにもならなかった。


「やばい」


 思わずそんな独り言が漏れ出るくらいには、切羽詰まった状況である。


 トイレの位置も悪かった。今では限られた教室しか使われていない、旧校舎の端にある女子トイレがわたしの現在地だ。「旧校舎の方が雰囲気があるから」という理由でほいほいとついて行ってしまった結果がこれである。目も当てられない、とはこのことかと思うことしきりだ。


 ――校門横に警備員さんがいたのは見たけれど、夜中に見回りとかするのかな? もしそうだったら助けてもらえるチャンスはあるけれど、なかったとしたら……。


 冷や汗がだらだらと背中を流れて行くような感覚を覚える。さすがにこのまま一週間以上発見されることなく干からびる……ということはないだろうが。……いや、ないと……思いたい。


 そんな風に最悪の想像をし始めた矢先、こちらに足音が近づいてくるのがわかった。


「す、すみませーん! すみません! どなたか! どなたか助けていただけませんか!?」


 千載一遇のチャンスとばかりにわたしは精一杯の大声を出し、廊下を歩いているであろうだれかに向かって助けを求める。


 足音は一瞬ピタリと止まったが、今度は女子トイレの出入り口の扉を開ける蝶番の音がしたので、わたしはホッと安堵のため息を漏らした。


「すみません! どなたか存じませんが、扉を開けてもらえないでしょうか?! あ、それか先生に知らせてきてくれないでしょうか?!」

「――このくらいでしたらわたくしが開けられますわ」

「えっ、あ、ありがとうございます!」


 凛としながらも、どこか優しい声色。上品な言葉遣い。この声の主は――わたしの救い主は……もしかして。


 パシン! と鞭がしなるような音がして、扉の取っ手に手をやれば、今までの頑固さなどどこかへ飛んで行ったかのように、扉はスムーズに開いた。


「――ありがとうございます!」


 若干、泣きそうになりつつ、扉の外にいた女子生徒にお礼を言って頭を下げる。


「これくらい、いいんですのよ。それよりもこんなところに閉じ込められただなんて、災難でしたわね」


 優雅な声に、わたしは顔を上げる。


 ルビー寮の所属であることを示すレッドのリボンタイ。紫色の瞳が収まった桃花眼、華やかだがどこかキツい印象を受ける派手な顔立ち。プラチナブロンドの髪に、縦ロールのツインテール。


 わたしの目の前に立つのは、間違いなく――ローズマリア・ディ・スプリングフォードだった。

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