(3)

 バラバラと野次馬たちが散って行って、それらは校舎に吸い込まれて行く。その場に留まるのも悪目立ちするかなという思いもあったので、わたしは人の波に乗って校舎内へと足を踏み入れた。


「……闇属性のくせに……」

「……点数稼ぎだろ?……」


 忙しない雑踏の音が高い天井に反響する中、そんな声が人の波に乗って聞こえてきた。


『ディアりっ!』の世界では闇属性持ちは、それだけで白眼視されるという理不尽な扱いを受けている。早い話が犯罪者予備軍とみなされるのだ。そんな空気の中育っては、『ディアりっ!』に登場する悪役令嬢ローズマリアの性格がねじくれてしまうのもさもありなん、といったところだろう。


『ディアりっ!』においては田舎育ちで世間知らずなエマが、そんな空気に異を唱え、せめて生徒たちの意識を変えようと奮闘して行く中で『ディアモンド魔法学園の聖女様は逆ハーレムなんてお断りっ!』という題名通り「聖女様」と呼ばれることになるのだが……。


 ――そんなの、ムリムリ!


 根強い差別意識を変革するなんて、並大抵の根性がなければ無理であるし、並大抵の根性があっても成し遂げることは難しいだろう。差別問題というものは、そう簡単に解決できるものではないということは、大して賢くもなければ、世間に精通しているわけでもないわたしにだってわかる。


 やはり、この世界は『ディアりっ!』に似ているけれど、『ディアりっ!』そのものの世界ではない――。


 なぜならば、わたしこと『ディアりっ!』のヒロインであるエマ・サマーズは、まったくもって「聖女様」なんて呼ばれるにふさわしいメンタリティを持ち合わせていない。


 一方、悪役令嬢ローズマリア・ディ・スプリングフォードは、陰気さからはほど遠い凛とした派手な美女で、一方的に虐げられている人間を助けられる、そんな人間。


 どちらかと言えば、卑屈な性格のわたしが悪役令嬢で、闇属性でも後ろめたい雰囲気なんて皆無のローズマリアの方がヒロインにふさわしいのではないだろうか?


 闇属性というだけで距離を置かれ、陰口を叩かれるなんて、ちょっとドアマットヒロインっぽくもあるし……。レベッカという女子生徒を助けた行動なんて、いかにもヒロインっぽい。


 対するわたしは、あの女子生徒を助けるなんて行動は、とても取れなかったし、今後も取れる気がしない。だって、中身は冴えないバリバリの喪女。からかわれても反論ひとつ取れなかった、情けない女子大生。


『ディアりっ!』に登場するエマ・サマーズとは似ても似つかない――。


 考えれば考えるほどに、先ほどの出来事はトゲのように心へ深く刺さって行くようだった。


 別に、だれかに責められたわけではない。ヒロインにふさわしくないと、言われたわけでもない。


 ――やめよう。ぐだぐだと後ろ向きに考えるのはわたしの悪い癖だ。


 この世界はあくまで『ディアりっ!』に似ているだけ。わたしだって、エマ・サマーズというヒロインと同じ名前と容姿をたまたま持ち得ていただけ。だから、『ディアりっ!』のエマのように、闇属性のために立ち上がるなんてことをする義務はない。


 わたしはそう自分に言い聞かせながら、重い足取りで式典が執り行われる講堂へと向かった。



 魔法のあるファンタジックな異世界へ――しかも、珍しい光属性に目覚めただなんて、普通であれば心が躍る状況だというのに、わたしの心は式典中もモヤモヤとした雲を抱えたままだった。


『ディアりっ!』の世界と似てはいるが、初っ端から悪役令嬢ローズマリアの設定――と呼んでいいものか――が明らかに違う状況である。そうであれば、この世界は別に『ディアりっ!』のストーリーをなぞっているわけではないのだろう。


 そうは思っても、不安はある。たとえばもし、将来的に『ディアりっ!』のエマのように、闇属性のために立ち上がらなければならないとか、そんな想像するだけで気が重くなるような状況にならないか、とか……。


 社会に出たこともないそこらの平々凡々な女子大生に、根強い差別意識の変革なんてものは荷が重すぎるので、できればそういった展開は避けたい。


 それから――と、わたしは祝辞を読み上げる生徒代表……デイヴィッド殿下を見上げる。そばにはお付きの護衛騎士ギャリーが控えていた。ふたりとも、あからさまに眉目秀麗で、特に女子生徒のうっとりとした熱い視線を集めている。


 逆ハーレムモノである『ディアりっ!』において、彼らふたりはヒロインであるエマが築いていく逆ハーレムの成員である。もちろんそこに至るまでには文庫ライトノベル二冊分くらいの紆余曲折があるのだが――。


 わたしは、何度もしつこく繰り返すが、『ディアりっ!』のエマ・サマーズではない。だから、逆ハーレムにも興味はない。先に述べたように、わたしには逆ハーレムを維持するほどの甲斐性なんてものはないからだ。


 たしかに、ひとりの人間として、異性にちやほやされる状況に憧れはあるけれど……それはそれ、これはこれというやつである。現実に逆ハーレムの運営なんて、わたしの手には負えないことは火を見るよりも明らかで、そもそもわたしに逆ハーレムを形成できるほどの魅力があるとは、主観的にも客観的にも思えない。


 ――わたしは『ディアりっ!』のエマ・サマーズとは違う。


 たしかめるように、言い聞かせるように、わたしは心の中でそうつぶやいた。


 だから、わたしはデイヴィッド殿下にも、ギャリー先輩にも近づかない。そもそも、近づく理由がない。


 たしかに一読者として『ディアりっ!』という作品は好きだったし、そこに登場するヒーローたちにも魅力を感じてはいた。


 でも、しょせんは物語として好きだったにすぎない。


 それにローズマリアという前例がある。デイヴィッド殿下とギャリー先輩が、わたしの知識通りの人間だとは限らない。――いや、恐らく九割の確率で違うだろう。根拠はないが、確信はあった。ローズマリアがあんなに違ったのだから、きっと彼らだって……。


 ――そもそも、前世の恋愛小説の知識で行動を起こすなんて、「ざまぁ」されるキャラクターのテンプレ行動そのものだし……。


 だから、わたしはふたりには絶対に近づかない。


 そう、心に決めていたのに――。


「君が、光属性を持つサマーズ嬢か」


 式典を終えて本日の日程が終了したという弛緩した空気を引き裂いたのは、ほかでもないデイヴィッド殿下の朗々たる声だった。


 さっさと講堂を出て寮に行こうとしていたわたしは、あろうことか同じように帰寮しようとしていたデイヴィッド殿下とギャリー先輩にはち合わせてしまったのだ。


 式典を終えたばかりなので、周囲にはまだ在校生新入生入り混じった生徒が大勢いる。そんな中で、ハッキリと名前を呼ばれて声をかけられた。……無視して立ち去るなんてことは、できない。人間としてまず失礼だし……。


 わたしは足を止めてデイヴィッド殿下を見た。彼は完璧な微笑みを浮かべてわたしを見ている。わたしも、ぎこちないながらも微笑みを浮かべて殿下を見た。


「お初お目にかかります。殿下。なにかわたしにご用がおありでしょうか?」

「いや、なに、珍しい光属性の魔法を操ると聞いてね。どんな魔法を使うのか、興味があって声をかけたわけだ」

「……まだまだ勉強中の身ですから、殿下を驚かせられるような魔法なんてとてもとても……」


 わたしが言ったことに嘘はひとつもない。なにせ、わたしは光属性持ちとは言え、それに目覚めたのは一年前。加えて、育ちはド田舎。魔法使いなんて存在は知っていても実際に見たことなんてなかったくらいである。


 そして前世のわたしの世界にも魔法なんてものはなかった。つまり、転生を経験してはいても、魔法に対するアドバンテージなどは皆無という状況である。


 簡単な魔法は与えられた書物を読み込み、どうにか使えるようになったが……せいぜい懐中電灯の代わりになるような光を、一〇分だけ出せるというお粗末なものだった。


「……え? 光属性? あの子が?……」

「……いかにも田舎者ですって感じ……」

「……本当に光属性持ちなの? あの冴えない子が?……」


 いつの間にやら出来あがった人の輪から聞こえてくるのは、そんな口さがないセリフばかり。


 ――ヤバイ、悪目立ちしている!


 田舎くさいという言葉自体にわたしが傷つくことはなかった。前世でだって地方の出身だったし、現実として今のわたしもものすごい美少女というわけではないのだ。美少女という言葉が当てはまるのは、きっとローズマリアくらいの美貌がなければならないだろう。


 そんなことよりもデイヴィッド殿下の興味を引き、あまつさえ入学早々から目立っているという状況にわたしの心臓は悲鳴を上げる。『ディアりっ!』のエマならいざ知らず、今のエマの中身は典型的な日本人。「出る杭は打たれる」というイヤなことわざが脳裏をよぎる。


 わたしは頭をフル回転させて、もうずいぶん前に読んだ『ディアりっ!』の序盤の展開を思い出す。


 ……デイヴィッド殿下は珍しい光属性持ちのエマと知己を得ようという打算があって近づく。一方、田舎から出てきたばかりのエマは殿上人とも言うべきデイヴィッド殿下を前にして大慌て! あれよあれよという間に生徒会室へ見学と称して連れて行かれてしまう……。


 ――その展開はマズい!


「そうだ、ここで会ったのもなにかの縁。これから生徒会を見学していかないかい?」

「――すみません!」


 わたしは勢いよく腰を九〇度に折って頭を下げた。頭を下げたので、殿下たちの表情はなにひとつわからなくなった。


「ほんっとーに申し訳ないのですが! 見学の件につきましては遠慮させていただきたく存じます!」


 緊張が究極に達したあまり、自分でもなにを口走っているのかわからなくなってきた。脳裏にあるのは「デイヴィッド殿下と親しくなる展開は回避しなければ」ということだけ。まして、見学に向かった流れで生徒会に入るなどということはあってはならない。


 そんなことになれば華の学園生活は灰色確定。『ディアりっ!』のエマは流れで生徒会に入ったことにより、一部の生徒から敵視されてしまうのである。そんなの、今のエマ――すなわちわたしには耐えられない。


 ――わたしは、平穏な学園生活が送りたい……! 魔法のあるライトファンタジー世界を平穏に満喫したい……!


 何度も頭を下げて固辞したせいか、デイヴィッド殿下は遂に「それじゃあ仕方がないね」と憂いを帯びたため息とともに告げる。


 わたしは勝利を確信した。


 ……しかし、その確信は単なる錯覚であった。


「畏れ多くもデイヴィッド殿下の誘いを断った女」というレッテルを貼られ、一部の生徒からよくない目を向けられることになるとは、そのときのわたしはまったく想定していなかったのである。


 前門の虎、後門の狼。――どちらを選択しても地獄。わたしがそのことに気づくのに、そう時間はかからなかった。

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