第1話

 最初は、蛸だった。


「……あれ。入ってない」

 割り開いた感覚にあまりにも手応えがなかったから、江成えなり恵美理えみりはつまようじの先で白い湯気を立てるとろりとした生地の中を探った。

 そこには蛸の足をぶつ切りにしたものが入っているはずだった。でなければ「たこ焼き」とは呼べない。ただの「」になってしまう。

 月に二、三回、大学の帰りにこのたこ焼き屋に寄ってひとりであつあつのたこ焼きを食べるのが、恵美理のささやかな楽しみだ。猫舌だから一口で頬張れず、半分に割って少し冷ましてから食べる。ここのは蛸が大きくて、ようじで割れば赤い吸盤が覗く。これまで何度も食べたが、蛸が入っていないことなど一度もなかった。

 ……まあ、そんなこともあるか。そういえば今日の店員さんは初めて見る顔のような気がする。新人さんでミスしちゃったのかもしれない。

 そう思って恵美理は、その「焼き」の部分を口に運ぶ。焼き具合は申し分ない。多めの油で揚げ焼きにした香ばしい表面と、なめらかな中身。いつもとなんら変わらない。新人と思えない見事な仕上がりだ。

 こんなに上手に焼けるのに、肝心の蛸を入れ忘れるなんてことがあるのだろうか。ガラス張りになっている厨房を眺めながら二個目を割り開く。すっ、と下までようじが入る。

 まさか、と手元に目を落とすと、割り開いた断面から、やはり赤い吸盤は確認できない。

 隣の三個目、さらに四個目も開いてみるが、いずれもようじはすんなりと舟形の皿まで到達して、中には何も入っていなかった。

 さすがに文句を言うべきか、と恵美理は逡巡したが、店員に声をかけるのは苦手だった。ちらちらと伺ってみるが、厨房もレジも忙しそうにして店内には目もくれない。

 恵美理は諦めて、魂を抜かれた残骸のような「焼き」を再び口に運んだ。蛸が取り立てて好きなわけではないし、たこ焼きを特別にたこ焼きたらしめているのはこの「焼き」の存在によるところだとは思うが、しかしやはり蛸あってこその「焼き」なのだ。「焼き」単品では料理として成立していない。何を食べているのかよくわからなくなって、烏龍茶で半ば流し込むように嚥下した。

 やっと四つ(いずれも半分に割られていたから八つとも言える)の「焼き」を食べ終わる頃には、残りのたこ焼きはほんのりとぬくもりを残す程度まで冷めていた。

 すでに飽きが来ていたが、残すのももったいなく、ほとんど義務感で五つ目に取り掛かる。今度は割らずにそのままようじを突き刺すと、指先に弾力を感じた。

 丸のまま口に入れ、咀嚼すると、ぷりっとした歯ごたえ。恵美理はやっと「」にありつけたのだった。

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