第4話 逃走
静寂の響き渡る魔女の森。その最深部では、小鳥が囀り、風に枝葉が自然の音を奏で、木漏れ日がゆらめく落ち着いた空間。
そんな空間に――――
――――ざわめきが押し寄せる。
「あああああああああああああああ!! 死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
全速力で森林を駆け抜ける俺の背後。そこには、まるでトカゲが二足歩行になって巨大化したかのような生物が涎を垂らして俺を迫っていた。
「あのクソ魔女! とんでもない激戦区に追い出しやがった! 鎧も剣もあの家だ! クソッ! 二度も死ぬなんて御免だぞ!?」
背後に生物の右爪が迫る。俺はそれをすんでのところで左に避けて間一髪躱す。
「お前は取り敢えず一発食らって寝てろ!」
俺は振り返りざまに左足で生物の側頭部に後ろ蹴りを食らわす。
すると、トカゲに似た生物は軽く数メートルは吹き飛んでしまった。
「......? あれ、意外と軽いのか? あいつ......」
人間三人分は優に超える体長を持つその生物。しかし、俺の手応えは軽いにも関わらず数メートルも吹き飛んでしまった。
もしや意外と体重が軽いのかとも想像するが、背後から聞こえていた足音からは相当の重量を感じ取れていた。
俺は何か、自分の身体に更なる異変を感じていた。
そうこうしているうちに、生物はまた起き上がり、怒りを露わにして咆哮する。
「ガアアアアアアアアッ!!」
「ヤバいこれ懲りてないやつだ!」
再度森で鬼ごっこが始まる。俺がどれだけ走ろうと、トカゲは頑なに俺を逃がそうとはしない。
「そろそろ離れてくれよおお!」
「グエエエエエエエエエエ!!」
何と言っているかは知らないが、きっと「逃がすわけないだろ」とか言ってるに違いない。
ずっと走り続けているうちに、目の前に道がなくなってしまった。
「しまった! 崖だ!!」
引き返そうとも考えたが、まだしつこくトカゲ生物が俺を追っている。
「……はぁ」
アレンは一つ大きな溜息をつくと、天を仰いで呟く。
「……賭けるか」
そのまま俺は背後へ体重を傾ける。当然、俺は崖の向こうへ落ちていく。
「グエッ!?」
トカゲ生物も驚きを隠せず間抜けな鳴き声を漏らす。そんなトカゲ生物に俺は笑って、
「ざまぁねぇな、クソトカゲ」
と言い放つ。次の瞬間、風の音に耳を塞がれた。
自分の身体が豪速で地上に近づくのを感じながら、俺は身を翻して眼下の地上を見据える。
「おぉ……! これ死ぬなぁ……!」
死を身近に感じながらも引き攣った笑みを見せる。
いや、これはもう、そうするしかなかったという方が正しい。
しかし、この暴挙に出たのにもアレンなりの策がある。
策と言うのもおこがましいほどに、神頼みのようではあるが。
あの魔女は魔法で俺を吹き飛ばすほどの水流を造った。……だったら、俺もこのくらいの状況をひっくり返すほどの魔法が出せるかもしれない……!
俺は遥か遠い地面に向かって両手を向ける。
「さぁ出てこい俺のミラクル・マジック!」
……しかし、俺の周囲に変化は全く起きなかった。
「……あ、ヤベ」
次の瞬間、俺は数多の樹枝につつかれながら地面に衝突する。
木がクッションになったのか、そこまでの衝撃は受けていない。
なんとか生きてはいるけど……仕方ないけど身体が痛い。右腕はもう折れてるなぁ……感覚が薄い。足は……両足無事だ。よかった。足が骨折でもしたら万事休すだった。
腕なら多少どうにかなるが、足が折れてしまえばそれだけでこの森からの脱出は不可能となる。
さっきのトカゲ生物のような奴らがこの森にはわんさかいるからだ。
足が動かなければそんな奴らからの逃避行は不可能だ。
俺は腕を押さえながら辺りを見渡す。どうやらここら一帯にはさっきのような生物はまだいないようだ。
俺は立ち上がると、近くの水を探した。
なにしろ、先程の逃避行のせいで身体はとっくに疲れてしまっていた。
本当なら今ここで眠ってしまいたいが、それでは脱水症状は免れないだろう。
暫く歩いていると、木々の隙間から水面が見えた。
俺は期待を寄せながらゆっくりと歩く。
そこには期待通り、大きな湖が広がっていた。
どっと疲れが押し寄せて、その場に尻餅をついた。そのまま後ろに倒れこむ。
「本気で死ぬかと思った……!」
死んだと思ったら甦らされて、何故か追い出され挙句にはトカゲ生物と鬼ごっこ……空回りをしているような気もするが、これで脱出には一歩近づいたわけだ。
「くぅぅー……ん」
どこかから犬の鳴き声が聞こえる。弱々しい声だった。傷ついているのかもしれない。
アレンがすぐさま辺りを見渡すと、遠くに白い毛並みの犬が横たわっているのが見えた。
まるで助けを呼ぶかのように、繰り返して鳴いている。
しかし、ここに助けを買ってくれるような奴がいないというのも悲しい現実だ。
「おぉい、待ってろ、今行くから」
俺の足は、驚くほどに勝手に動いた。もう動きたくはない筈の足腰が、軋ませながらも歩みを止めない。
それは、白犬を哀れに思ったからだろうか。それとも、自分の立場を連想してしまったからだろうか。
どちらにせよ、アレンは動かずにはいられなかった。
俺がまだ幼い白犬に近寄ると、白犬は助けを求めるような瞳で見つめてくる。
「分かってるって。助けるから……」
俺が白犬の状態を確認しようと仰向けにさせると、アレンの顔は強張った。
大きな爪痕が、白犬の腹を大きく抉っていたのだ。
「……っ! 今、助けるからな……!」
俺は自分の衣服を引き千切ると、白犬の腹部に包帯代わりに巻き付けるが、それでもただの応急処置にすぎない。
しかし、それ以上に自分が出来ることもないのが現実。
後、出来ることと言えば……
「……ほら、水だ。……飲んどけ」
水で傷口を消毒して、水を飲ませることくらいだった。
しかし当然、白犬の危険な状態は変わらない。
俺が自分の不甲斐なさを戒めていると、ふと白犬と目が合った。
すると、まるで礼でも言うかのように白犬が微笑むのだ。
それを見た瞬間、俺の心は酷く締め付けられた。
自分はここまで無力なのに、それでも感謝するのか。
俺は少し笑うと、地に両膝をつけ、両手を絡ませ、そして目を閉じながら頭を前に出す。
手を絡ませたときに右腕が一瞬唸ったが、そんなものは無視で続ける。
後は、神様に任せるだけ。
こうは言っているが、は神へ俺の信仰心などは一切持ち得ない。しかし、この時はそうするしかなかった。
祈ることでしか、もうこの白犬を助ける手段がなかった。
「お願いします……助けてください……この白犬のことはよく知りませんが、まだ幼い子供です。いろんな物を見ないといけないんです……だから……お願いします……」
俺は頭を地につけて祈る。それに答えるものは何もいなかった。ただ湖の揺らめきが、それに答えるように揺らいだ。
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