私がおじさんです
舷が学校に着いたとき、校庭では部活をやっていた。
色とりどりのユニホームを見ながら、仕事でもないのに、汗だくで走り回って、大変だなーと思っていた。
優が聞いたら、おじさん、部活って、そういうものじゃないから、と言いそうだな、と思いながら、開いている昇降口から中に入る。
優に言われて持ってきたスリッパをペタッと床に投げ、廊下を歩く。
はてさて、行くべき教室は何処なのやら。
一度も学校に来たことがないので、校舎の中が全然わからない。
ショッピングモールのように地図があればいいのにな、と思っていると、前からそれはやって来た。
やたら目立つが、ちょっと声をかけづらい男。
「おい、優のクラスは何処だ」
とこちらをチラと見た彼に言うと、
「……そういうときは、まず、名乗りませんかね? 『假屋崎舷』さん」
と彼、『タカミ』は言ってきた。
「伊吹さん、假屋崎舷さんを連れて来ましたよ」
舷をその教室まで連れてきた高見は、申し訳程度にノックをしたあとで、返事も待たずにガラリと戸を開ける。
中に居た伊吹が顔を上げ、その前に座る優が舷を振り返った。
「すまんな、ありがとう、王子」
と軽く手を挙げ、舷が言うと、
「……だから、貴方まで王子とか言わないでくださいよ」
と高見は眉をひそめていた。
伊吹に、
「偉く親切だな」
と言われた高見は、
「いや。
早くこの人連れてこないと、あんたと優が二人きりかなと思って」
とそっけなく答えていた。
伊吹が手許の書類に目を落とし、笑う。
じゃ、と言って、高見は去って行った。
「成績はいいですが、素行に問題があります」
舷が座った途端、伊吹は手許の資料を見ながら、淡々と言ってきた。
優は、私の何処に問題があるというのですか、と思いながら、伊吹を睨む。
だが、伊吹は優を見ないまま、
「転入してきたばかりで、何処の誰ともよくわからない男とゲーセンに行くなんて、不良娘もいいとこですよ」
と言い出した。
舷は、
「自分の生徒につきまとう、何処の誰ともわからない担任教師もどうかと思うがな」
と言って、笑っている。
少しの沈黙のあと、舷を見つめて、伊吹は言った。
「まさか、貴方が『假屋崎舷』だったとは……」
「結構いい名前だろう?
本人、今頃、どっかで浮いてるかもしれないが。
おっと。
殺ったのは、俺じゃないぞ。
俺は、死人の名前と戸籍をちょっと譲ってもらっただけだ」
……ということは、私はいつも、見も知らぬお亡くなりになられた方の名前を親しげに呼んでいる、ということになりますよね、と思いながら、優は聞いていた。
いつもと変わらぬ頼り甲斐のある顔で舷は笑っている。
……聞かぬふりをしよう、と優は思った。
今の平穏な生活のために……。
だが、そこで、いきなり舷は優を指差し、
「ちなみに、優は俺の本名を知ってるぞ」
と言い出した。
ええっ!?
と指差された優が一番驚く。
舷は優の目を見ながら、伊吹に説明するように言ってきた。
「記憶の底に眠っているはずだ。
優は、俺が假屋崎舷と名乗る前から、俺のことを知っているからな」
その言い方から、どうやら、伊吹たちは、舷の本名を知らないようだと気がついた。
名前は知らないが、面識はあるとか。
どういう知り合いなのか気になる、と身を乗り出したのだが。
伊吹の中では、その話はもう終わってしまったことらしく、教師の顔に戻った伊吹は、舷に、あの空白のまま出した進路希望調査票を差し出した。
「ところで、お宅の娘さんが、こういう反抗的なものを提出してきたんですけど」
いやいやいや。
反抗ではないですよ。
なにも思いつかなかったんですっ、ほんとに~っ、と思いながら、優は、
「いやそれは、先生がとりあえず、出せって言ったから――」
と反論しようとしたのだが。
伊吹は三者面談だと言うのに、優をまるきり無視し、舷に向かって言い出した。
「お嬢さんは、特に進みたい道もないようなので。
私が嫁にもらおうと思うんですが、どうでしょう?」
教師の前だと言うのに、腕を組み、いつも通りの態度で座っていた舷は、
「……此処のセンセイは、将来の目標の定まっていない生徒が居たら、いちいち嫁にもらって歩くのか」
と言う。
「いやいや、優だけですよ」
大真面目に語る伊吹を窺うように見て、舷が言った。
「……持参金はつけんぞ」
「……結構ですよ」
あのー、勝手に私を売り買いしないでください。
いや、代金は発生していないのか。
それも寂しいような……。
「では、交渉成立ということで」
と伊吹が話をまとめようとしたとき、舷が言った。
「優がいいと言ったらだ。
ところで、おかずはなにがいい?」
は? という顔を伊吹がする。
「弁当だよ、弁当。
優がお前たちに作ってやれと言うから」
あっ、おじさんっ! と思ったが、遅かった。
「そういえば、高見には訊きそびれたな」
と舷が言うと、調査票を手にしたまま、伊吹が笑顔で言ってきた。
「……もう帰られて結構ですよ、假屋崎さん」
その笑顔のまま、こちらを見、
「優。
お前は残れよ」
と言う。
あの……。
その笑顔が怖いです、先生……。
固まる優を、
「じゃあなー。
俺、仕事だから」
と舷はあっさり置いて帰っていった。
だから、なんの仕事なんですか、おじさん。
今日こそ、追求してみたい、と思っていたが、立ち上がった伊吹に、とりあえず、自分こそが追求されそうだった。
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