校長はダムに沈めよう


 結局、優は伊吹に送られて帰ることになった。


 夕暮れの道。

 川原を見下ろしながら歩いていると、いきなり、伊吹が優の手を握ってくる。


 なななな、なんですかっ、と優は赤くなる。

 だが、優が逃げかけても、伊吹は手を離さない。


「高見がお前と手をつないで歩いたのなら、俺もつなぐ」


「せ、先生っ。

 クビになりますよっ」

と言ってみたのだが、伊吹は、


「いや、大丈夫だ」

と言う。


「学校にチクる奴が居たら、発言を撤回させたあとで、その辺のダムにでも沈めておくから大丈夫だ」


 いやそれ、なにも大丈夫じゃないですよね……?

と思いながらも、自転車に乗ったサラリーマンなどを避けつつ、手を握られたまま歩く。


「じゃあ、校長先生に見られたらどうするんですか?」

「校長をダムに沈める」


 伊吹は、予想通りの答えをあっさり言ってきた。


 本当に沈めそうで怖いな、この人……。


 伊吹は手をつないでいると言うより、手を引いている、といった感じで少し先を歩いている。


 だから、優の位置からは、伊吹の横顔も表情も、少ししか見えなかった。


「先生」

 思わず、優はそう呼びかけていた。


「先生は、なにかわけがあって、私にかまってるんですよね?」


「最初に、そう言ったろう」

と伊吹は、その言葉を軽く流す。


 そして、こちらを見ないまま、強く手を握り変えてきた。


 少し歩きが大股になったな、と思いながらも、なんとかついていこうとしたのだが、やはり、ちょっと無理があった。


 だが、伊吹は、すぐに、それに気づいたように足をゆるめてくれた。


 少し、こちらを振り返り、

「そうだ。

 おじさんはまだ帰ってきてないだろうな?」

と確認するように訊いてくる。


「それが、おじさん、帰る時間って、決まってないんですよね。

 昼間居ることもありますし」


「……なんの仕事をしてるんだ」

と伊吹は、胡散臭げに言ってくる。


「いやあ、それが知らないんですよ」

と言うと、


「何年も一緒に暮らしてるんだろ?

 訊いてみろよ」

と伊吹は、横目にこちらを見ながら言ってくるが。


 何年も一緒に暮らしてきたからこそ、今更、訊けないこともあるんですよ、先生、と優は思っていた。


 子どもの頃は、そんな舷の暮らしぶりをあまり疑問に思わなかった。


 友だちの父親も、三交代勤務などで、昼間居ることもあったからだ。


「そういえば、昔、三交代を参覲交代だと思ってて。

 お友だちのパパは江戸へ行ったり来たりしてるんだと思ってました」


「どうした、突然……」

と伊吹に言われ、


 そういえば、三交代までの流れは頭で考えてただけで、口に出してはいなかったな、と気づく。


 伊吹は横目にこちらを見ながら、

「さすが、宇宙人に連れ去られたことのある奴は言うことが違うな」

と言ってきた。


「いやいやいや。

 本当なんですよっ。

 宇宙人に連れ去られたのはっ」

と優は慌てて言った。


 おとぎ話でも夢でもない。

 私にとっては、まぎれもない現実だ――。


「……あのときから、私はひとりになって。

 舷おじさんが私を育ててくれることになりました」


 なんで今、こんな告白をしてるんだろう。

 そう思いながら話す優を、伊吹は笑わずに見つめていた。


 子どもの頃は疑問に思わず。

 今は、ただ訊くのが怖い。


 だから、私はきっと、この先もおじさんの正体を知ることはない。


 この人たちに、これ以上深入りしなければ、きっと――。

 そんな予感があった。


 先程の川原から吹いて来ているのだろうか。

 少しひんやりとした夕暮れの風が、自分と伊吹の髪を揺らしていた。


 伊吹と舷を会わせたら、舷が何者なのかわかるのかもしれない。

 もしかしたら、高見でも――。


 彼らは自分の過去と深く関わっている気がするから。


 でも、今はまだ、なにも知りたくないな……。

 そう思いながら、風に吹かれていると、


「いや、今日はお前のおじさんが居ても会わないからな、と言おうと思ったんだ」

と伊吹が言ってきた。


「初顔合わせは、三者面談の方がいい。

 あの場なら、俺のほうが立場が上だからな」


 そう言って、伊吹は不敵に笑う。


 はあ、まあ、先生様ですからね、と思っていると、伊吹は、

「子どもが不出来だと、親は大変だな」

と鼻で笑って言うのだが。


 いやー、先生。

 担任だから、ご存知でしょうが。


 私、いろいろあるかもしれませんけど。

 成績はそこそこですよー、と思った頃、家に着いていた。


 そのパッと見、ごく普通の一軒家な我が家を優は見上げる。


 自分と舷は、他人が見たら、仲の良い親子――


 にはまあ、年齢的に見えないかもしれないが。


 仲の良い、ちょっと年の離れた兄妹くらいには見えているのだろうに。

 どんな家庭も中に入ってみなければ、わからないもんだよな、と思っていた。


 もうかなり暗くなっているのに、家に明かりはついていない。


 ほっとしたとき、伊吹が、

「おやすみ、優」

と言って手を離した。




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